『窮鳥懐に入れば』および『いまそしる』の続編です。
『天にあらば比翼の鳥』シリーズとも繋がってますが
そちらは読まなくても、筋が通るようになっています。
愛鳥週間/上
「天覧仕合?」
近藤の依頼に、土方が頓狂な声を上げた。
このクソ忙しい時期に、お偉方の娯楽のためにチャンバラごっこをしろというのか。それも、仕合相手は寄りにも寄って伊東鴨太郎だ。
「んなもん、総悟あたりに相手させたらどうだ。いや、アンタだって結構使うだろうが」
「いや、その。伊東先生はまだ体調が思わしくないだろ。アタマの方もまだイマイチ本調子じゃないようで、江戸城においても、時折危なっかしいことがあってな。上様も心配しておられるのだ」
「そんで?」
「剣術の腕前を披露するのが一番説得力があるだろうと、松平のとっつぁんが言い出したんだが、ここで無碍に叩きのめされては逆効果だ。また、格下を相手にさせるのも見え見えだろう」
「……で、俺に八百長しろっていうのか」
「おまえなら、先生が勝とうと負けようと、同格の地位で剣術の腕も対等だから、先生の顔に泥を塗ることもない。それに事情をよく知っている訳だし、適任だろう?」
無茶ゆーな、と言いたい。
男に戻ったんだったら、もう土方が伊東の面倒をみる必要もない筈だ。なんだって、アフターケアまでしなくちゃいけないんだ。それも、本人の預かり知らぬところで……ということは、それに対する感謝の「か」の字もない、損な役回りだ。
一方、企画意図を聞かされていない伊東は「土方君との仕合? 果し合いみたいだな」と、やる気満々の様子だ。
さらに沖田なんぞは「土方さんを公衆の面前で叩きのめすチャンスですかイ。それ、俺にもさせてくだせぇ」などと茶々を入れてくる始末。まったく、やる瀬ないったらない。
「まぁ、どうせ竹刀を使うンだろ? だったらお遊戯みてぇなもんか。多少荒くても大丈夫だな」
「いや、その、木刀を使う予定なんだが」
「木刀? 打ちどころが悪かったら、致命傷にもなるじゃねぇか。シャレになってねぇ。大体、木刀なんざ振り回せるだけ、腕力戻ってるのか?」
まぁ、せめて防具をきちんとつけさせておけば、木刀でも大丈夫だろう。そもそも自分に拒否権はハナから無いらしいと己を納得させ、不承不承ながらも引き受けた。
当日になって、防具を着ないと聞かされて、さすがに呆れた。いや、その予定だったのだが、あまりの好天に「フル装備は暑かろう」と、将軍が言い出したのだ。
伊東も(土方の気も知らずに)重たい面や胴をつけると動きが鈍るなどと、あっさりとそれに賛同する。いや、防具が重たいんじゃねぇ、おめぇの体力が落ちているからだ……とは言えず、仕方なく土方も防具を脱いだ。
白い胴着に濃紺の袴、白足袋姿で、屯所の庭に向かい合い、一礼する。
しばらくまともに顔を会わせていなかったせいか、土方は伊東の姿に懐かしさすら感じていた。仕事のシフトを組むのは土方の仕事なので、今までは巧妙に自分と伊東がすれ違うように仕向けていたし、伊東と同席する会議や江戸城登城などもなるべく近藤に押し付けていたからだ。
ちらりと見下ろして、少なくとも血色は良くなったようだなと値踏みする。ちゃんと飯は食ってるようだな……テメェ、化けてた時は食が細くて、なにかと俺が食わせてやってたんだぞ。どうせ、まったく覚えてねぇだろうが……噂では、この仕合に備えて素振りなどして鍛えていたというから、あまり心配は要らないのかもしれない。
中ば芝居がかった動作で、おもむろに木刀を握る。
伊東の構えは下段。一見地味だが、ここから切っ先を跳ね上げる一の太刀は、一転して鮮やかで美しいのが北斗流だ。土方はまずはそれを交わしてから攻め入るつもりで、中段に構えた。
「始め!」
近藤の声が響き渡った。
仕合はほぼ互角だった。もちろん、土方が互角になるように持ち込んだという理由もある。いくら回復したとはいえまだ持久力はおぼつかないだろうし、早々に決着をつけようという配慮から、わざと打たれたりもしたのだが、なかなか「勝負あった」の声がかからない。ならばこちらから攻めて決めようと思うものの、いざとなると、白い肌身が脳裏にちらついて、どこに木刀を打ち込んだものか迷いが出る。何も考えずに叩きのめすことができたら、楽なのだが……それでは企画意図に反してしまう。
なんとかしてくれと何度か近藤に視線で訴えてみたが、田舎の芋道場とはいえ師範の身、一本と認められる一手なしには「それまで」とも言いにくいらしく、首を振るばかりであった。
ようやく「やめ」の声が下りた時には、伊東の呼吸はすっかり上がっていたし、土方も浅い打撲で痣だらけになっていた。
「両者互角、引き分け……てゆーか、上様が満足されたそうだから、すまいるに行くと言い出してな。お二方、ご苦労さん」
「……う、うえさ…」
何かを言いかけた伊東がせき込んでしまったのを見て取り、土方が「上様? 何か挨拶でもしておくのか? 満足されて良ろしゅうございました、お目汚し失礼いたしました……あたりでいいな? 近藤さん、伊東からだって言って、そう伝えておいてくれや」と、言葉を継いでやった。
「おめぇからは、上様に何かねぇのか?」
「すまいるに行くんなら、警備をださなきゃいけねぇな……一番隊は隊長があそこで油売ってるぐれぇだから、相当退屈なんだろ。護衛に連れていけや」
土方はそう言い捨てると、伊東の腕をとって肩を担いでやった。肩に感じる質量は女体だった頃より一回り大きいが、やはりまだかなり軽く感じた。
伊東を更衣室に放り込むと、土方は備品の棚を漁った。酸素スプレーを見つけて拾い上げ、軽く振って中身が残っているらしいことを確認すると、まだ真っ青な顔をしている伊東に放ってやる。
「今日はもう、部屋に戻って寝てろ」
そう言い捨て、背中を向けて着替えていると、シュコーシュコーという音の後に「何故手加減した」と、喘ぐような声が聞こえた。
「何故って、まだ本調子じゃねぇだろ。おめぇが大丈夫だってぇいう証のためにしてる仕合で、おめぇを叩きのめすわけにゃいかねぇって、近藤さんに言われてんだよ」
「だからって」
「文句は、近藤さんに言え」
いつもの私服の黒い着流しに着替え、あえて伊東を見ずに部屋を出ようとする。その裾が何かに引っ掛かったように突っ張った。振り向くと、板敷きの床にぺったり座り込んだままの伊東が、その裾を掴んでいる。伊東自身も、自分がなぜそんな行動に出たのか理解できない様子で固まっていたが、土方はそれを無理に振り払わずに、待ってやった。
「……僕が欲しいのは、同情じゃない」
ようやく伊東が搾り出した言葉は、それだった。
「僕が弱っていようと、お構いなしに全力で叩き潰しにくる。君は、そういう男だと思っていたのだがね」
「そこまで俺ぁ、おとなげなくはねぇぞ」
「今の僕は、本気であしらう価値がないとでも?」
「どうしろってんだ」
「嫌ってくれていれば、いい。」
イラッとして「だったら足蹴にでもしてやろうか」と罵りかけた土方だったが、足を振り上げるよりも一瞬早く、伊東が「無関心より、嫌われる方がマシだ」と呟いていた。
土方は一瞬言葉を失い、やがて「はーっ」と深いため息を吐いた。
どうしろってんだ。
いや、どうして貰いたがっているか、伊東自身は分かっていないが、土方には見当がついていた。手加減されたことに対する抗議は口実のようなもので、この仕合で己の体が回復しきっていないことを思い知らされ、そうなってしまった理由を思い出せない不安から、ひとりにされたくないというのが本心だろう。
「分かった。必ずいつか叩き潰してやっから、それまで鍛え直しておけや……篠原でいいな? 迎えに来させる」
伊東の表情が揺れた。
君で、いい。
そう言いかけた言葉を飲み込み、はらりと紅葉が落ちるように、指が裾を放した。土方はわざとそれに気づかない鈍感を装って、壁に設置してある内線電話の受話器を取り上げた。
天覧試合は、将軍に非常に好評だったとのことだった。
褒美として角樽が数本、屯所に届けられ、その晩は宴会になった。当然、天覧試合の主役であった土方と伊東がメインになるのだが、土方は表舞台に立場じゃないだの酔態を晒して見苦しいのと言い訳をして上座を辞退し、広間の隅で煙草片手に缶コーヒーをすすっていた。
おかげで、伊東がひとり『集中砲火』を浴びるハメになる。本人もそういうふうに持ち上げられるのは満更でもないらしく、嬉々として盃を重ねていた。アイツそんなに酒強かったっけかと眺めているうちに、案の定、見る見るべろんべろんになっていく。そこにまで飲ませるのなら最後まで面倒を看てやればいいのだが、飲ませた側も酔い潰れる寸前で「お妙さん、お妙さん」と喚き始めた。
「あーあ。近藤さん、いい加減にしろや、明日も仕事なんだぜ」
「んあ? お妙さん? ああ、お妙さん、相変わらずお美しい。俺を心配してくれるんすか、いやぁ、嬉しいなぁ」
「誰がお妙さんだ、間違えるにしてもその間違え方は間違ってるだろ。いや、間違いだから、間違ってても良いのか? いや、良くねぇ。しっかりしろ」
「だって、こんなに綺麗なんだもん、こんなに美人で優しくて、俺を心配してくれる人なんか、お妙さんしかいないもん。こんな別嬪、お妙さんに決まってるんだもん」
「俺はあのキャバ嬢じゃねぇっつの。俺はひじ……」
「え? キャバ嬢辞めたの? お妙さんあの店辞めたの? 俺のため? もしかしてついに、俺のプロポーズ受け入れて、嫁に?」
「抱きつくな、このゴリラッ!」
「ああん、この照れ隠しの拳の痛みは、まさしくお妙、さ…ん」
延々と絡んできそうだったのを殴り倒した。気絶した近藤を放り出して、その隣でうつ伏せに倒れている伊東を引っくり返す。全身の力を無くして転がっている姿は、マネキンというより溺死体を思わせた。
「あれ、土方さん、アンタ、そいつとは犬猿の仲だったはずじゃありやせんか?」
一升瓶を抱えて寝潰れかけていた筈の沖田だったが、目聡く見付けてからかう。
「イケ好かねぇが、こいつやけに顔色が悪い。急性アルコール中毒で……スパッと死ねばいいが、死に損なったら後でグダグダ言って厄介だろうから、医務室に連れて行く」
「さすがフォロ方十四フォローでやんすね。そんで、相手が朦朧としている隙に、エロ方十四エローって訳ですかイ」
「なんだそれ。十四エローって、語呂悪っ!」
沖田はなおも土方にまといつきたそうであったが、伊東の頬が紙のように白くなっているのが気になった。肩を貸しても歩けそうにないだろうし、背負うにも全身脱力していては無理だろう。後は、足首か襟首を掴んで引きずるか、抱き上げるか。土方は引きずる気満々で胸ぐらを掴んで上体を引き上げたが、広間には他にも泥酔した連中がゴロゴロ転がっており、邪魔くさいことこの上ない。一瞬迷ったが、ままよとばかりに抱き上げた。
「あれ、どういう風の吹き回しっすか、エロ方さん? 相手が鴨だけに、愛鳥週間っすか?」
沖田が嵩にかかって冷やかすが、土方は聞こえないふりをした。
伊東を医務室に放り込んで、すぐに戻るつもりであったが、当直医の寿里庵は不在であった。外出先を記したホワイトボードを見ると、どうやら宴会のどさくさに、松平のとっつぁんと一緒に飲みに行ってしまったものらしい。
まったく、何のための当直なんだとブツクサ言いながら、伊東をベッドに抱き下ろす。
「とりあえず、ここで寝てろ」
だが、伊東は土方の胸元を子供のように掴んだまま、離そうとしなかった。
「ん?」
「その、ひとりで、ここで?」
「嫌か?」
「嫌というか……部屋で、いい」
「はぁ? まぁ、ただ寝てるだけなら、ここだろうとテメーの部屋だろうと同じこったけどな、確かに」
元のウェイトなら「だが断る」と言いたいところであったが、病み上がりの身体は苦になる程の重さでもないので、もう一度抱き上げてやった。
「妙な気分だ」
ボソリと伊東が呟き、土方が「吐きそうなのか?」と尋ねる。
「そうじゃなくて、その、なんか」
「具合が悪いんなら、もたれておけ。部屋に戻ったら、布団敷いてやる」
そう言うと、上体を支えている側の腕を揺すり上げた。伊東の頭がこてんと土方の胸元に倒れ込む。
「いっそ嫌われてる方がマシだと思ってたけど、これも悪くない」
伊東がぽそりと呟いた。独り言のつもりだったが「何言ってんだ、酔っ払いが」という返事が返ってきた。
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