阿蘭陀菜【4】
宿に着くと、入り口には女将と思しき中年の婦人と、仲居がずらりと並んで、深々と頭を下げて二人を出迎えた。日頃、幕臣としての待遇に慣れている近藤が、思わず恐縮して頭を下げてしまったほど、いかにも高級そうな旅館だ。沖田も同じことを感じたらしく、手提げ袋から宿泊チケットの封筒を引っ張り出して、宿の名前を確認している。
「お待ちしていました、近藤様、奥方様」
呼びかけられて、間違いではないと確信した。もし何かの手違いで追加料金が発生したら、ツケにでもさせて土方に払わせようと腹を括り、まるで討ち入りにでも入るかのような決死の覚悟で、二人は敷地に足を踏み入れる。
「お部屋はこちらの離れになります。お風呂は内湯がございます。内湯も湯舟は露天にございまして、月見などすることができますが、囲いがございますので、見晴らしを求められるのでしたら本館の大浴場をご利用くださいませ。岸の上から、海を一望することができます」
女将はそう説明しながら、離れ座敷の入口を開けた。
畳敷きで、中央に掘りコタツ式の卓がひとつ、奥のふすまの向こうが寝室らしい。
「宿を出て散歩などされる際は、帳場にひとこと、お願いいたします。また、帳場にて貴重品をお預かりいたします」
「あ、はい。あの、近くに宅配便を出せるようなコンビニとかありますかねぇ?」
「コンビニトカ?」
「コンビニエンスストア、ですが……無いんですかね? 土産物を送りたいんですが」
江戸にいれば当たり前のインフラでも、地方に出れば天人の超文化はおろか、日常的な近代設備さえ普及していないことは珍しくないのだ。やはり大荷物を抱えて帰る羽目になるのかと諦めかけた頃に、女将が「ああ」と小さく呟いた。
「飛脚のことでしたら、うちで手配できますよ」
「あ、飛脚ですか。じゃあ、後でお願いします」
「では、ごゆるりと」
女将は一礼して戻り、近藤と沖田はとりあえず部屋に上がって荷物を置いた。どちらともなく「お疲れさまでした」という言葉が漏れる。
「んじゃ、お疲れさまついでに、お言葉に甘えてごゆるりとしますかイ」
ホームセンターをうろうろしていた土方は不意に、背後から誰かに肩を掴まれた。
「あ、やっぱり副長でしたか」
振り向けば、そこに居たのは吉村だ。土方ともあろうものが全く背後に気配を感じなかったのだが、彼は監察方でも古株なのだから、それぐらいの芸当はお手の物だろう。
「なにがやっぱり、なんだ?」
「いえね、ここの私服警備員から、帯刀してて瞳孔が開いている不審者がいるって、通報が入りまして」
「俺が不審者か」
「廃刀令のこの御時世ですから」
言われてみれば確かに、土方の腰には『村麻紗』と、それに合わせて誂えた脇差しが提げられていた。幕臣であることを示す隊服姿であるのならごく自然な帯刀も、私服ではいささか物騒に見えるということだ。
「で? 何をお買い求めになるおつもりで? さっきからペットショップのコーナーをうろついているようなんですが」
「ああ、その、しのの」
吉村がそれを聞いて、苦笑いを浮かべる。
「あの猫を亡き人に重ねて可愛がるのも、思想信条および内心の自由ですけどね。ほどほどになさいね」
「そんなんじゃねぇって」
「そうですか? 猫にかまけて、今の恋人も逃がしちまったら、もう面倒みきれませんからね」
「へっ?」
土方が、吉村の言葉の意味を図りかねて、唖然としている間に、吉村は土方の求める品のコーナーをざっと見ると、適正なサイズで装飾性も耐久性も良さそうな一品をピックアップした。
「ザキですよ、ザキ。あいつ最近、一番隊の神山とドライブに行ったり、買い物に行ったり、よろしくやってるらしいですよ。このまま乗り換えられたら、どうするんですか」
「はん。あいつが? 無い無い。ぜってぇ無いな」
「また、そんなこと言って。しのの時も似たようなこと言ってて、伊東と縒りを戻されたんじゃなかったでしたっけ?」
「忘れた」
「おやまぁ……で、お買い物はこれだけでよろしかったですか?」
土方はむっつりとうなづくと、レジに向かって歩き始める。吉村は、遠くで心配そうに見守っている私服警備員に、軽く会釈をしてやってから、上司の後に続いた。
「あのバカだけは、間違ってもそれはねぇよ。もし、アイツに浮気なんて、そんな曲芸ができたら……報告してくれや」
「大した自信ですね。はいはい、了解いたしました」
面白くなさそうに肩をすくめると、吉村はレジ脇をすり抜けて、先に店を出てしまった。土方は『アイツ、何しにきたんだ?』と訝っていたが、チェッカーがその商品のバーコードをポスレジで読みとった瞬間に、その意図(というより、意趣返し)を理解した。
「え、ちょ、オネーさん、マジでこの値段?」
「はい、値札にもそう印字されてますよ?」
土方は一瞬、持ち合わせが足りるだろうかと、長財布の中身を確認していた。エナメル加工を施された本格牛革に純銀の鈴をつけた猫用首輪のお値段は、五桁にも届こうかという数字を示していた。
「原田さん、俺、すましのお雑煮って初めて作るんだけど。味、こんなモンすか?」
割烹着姿で甲斐甲斐しく料理なんぞしている山崎の姿は、いかにも新婚然として初々しい。
小皿によそった出汁を一口勧められ、原田が「俺なんかが味みてイイのかよ」と遠慮をしながらも、口元を緩めて受け取った。
「ほら、俺の田舎は白味噌だから。原田さん、武州でしょ?」
「生まれは伊予なんだがな、まぁ、武州にも居たしな。ン、ちと薄いかなぁ」
「えええっ、これ以上醤油足したら、真っ黒になりますよっ!」
「砂糖を入れて、コクを出すんだよ」
なんだか土方に悪いなぁと思いつつも、原田はちょっとだけ、新婚めいたママゴトのような会話を愉しむ。確か今は外出している筈だし、どうせ屯所にいたとしても、台所になんて来やしない。
ホント、あいつにゃもったいねぇよ。俺だったら、こんなケナゲな嫁さん貰ったら、絶対構ってやるけどな。もう、全力で可愛がるけどな。
「お煮しめも年越し蕎麦の出汁も、醤油と砂糖ベース。どれも似たような味ですよねぇ。いいんですかね、こんなんで」
「東国のんはそんなもんだよ。ま、ザキちゃんが作るんなら、無理に江戸前にしなくても、ザキちゃんの田舎の味も食ってみてぇけどな」
「だって、それじゃあ、副長のお口に合わないかもしれないし」
副長と聞いて、急に現実に引き戻され、原田は思わずブッと吹くところであった。
「気にすんなよ。あの唐変木が、ザキちゃんの手料理を不味いなんて抜かすようなら、俺が全部食ってやるから」
『全部』と言ったのは、他でもない。
年越しなどお構いなしに起こる事件への対応で、休みなど基本的には無い隊士達には、お節などノンビリ食べて寛ぐ暇なんぞ無い。正月料理が食いたけりゃ仕出屋から買って適当に食えと、わずかな餅代を支給される程度だ。
それなのに、山崎が格闘している鍋の大きさは、どう見ても二人分がせいぜいの普通サイズ。一応、新婚さんで初めての正月なのだから、良人のためだけにお節を作りたいというケナゲな気持ちは、良く分かる。痛いくらいに分かる。だがムカつく。
「お、うまそう。それ、俺らも味見してやろうか?」
匂いに釣られたらしく、吉村や尾形ら監察連中も台所に顔を出した。その後ろに一番隊の神山や叶禀三郎までくっついて来ている。
「皆、お気持ちはありがとう。だが、全力で断る」
だが、山崎が押し返す隙もあらばこそ、ぞろぞろと台所に侵入して、栗きんとんだの黒豆だのを口々につまみ始める。しまいに、神山がジューサーに入っていた液体まで飲み干したのには、山崎も唖然とした。
「これ、ミルクセーキっすか? 甘さ控えめで美味しいでありますね」
「ちがっ! それ伊達巻きの元だから、飲んじゃだめぇ!」
すなわち、ほぼ同量の卵黄とはんぺんと砂糖に、味醂を少々混ぜた代物だ。この卵液を卵焼き器に流し込んで両面を焼いたものを、巻き簾でくるくるとロールケーキのように巻くのである。
「はぁ、これが例の伊達巻きでありますか。感激であります!」
「だから、神山のために作ってるんじゃ……あああっ、ここにあった裏白シイタケはぁ!?」
「ザキさん、これ、揚げ物の油が悪くなってますよ、気持ち悪い」
小食な新井が、口元を抑えて「うえっ」という状態になってまで揚げ物を一気食いしたのは、美味しそうだったからというよりは、単なる嫌がらせのためだろう。服部が「無理しないで、吐くか?」と背中をさすってやっている。そこまでして食うな、と罵りかけたところで、芦屋が煮しめの鍋を覗き込み「山崎先輩、このコンニャク、えらく卑猥な形してますよね。ほらほら、切れ目が入ってて」などと言い出した。
「手綱結びコンニャクだよ! 卑猥とかいうな!」
「だってこれ、使えそうですよ?」
「何にだ!」
「何にって、説明していいんですか?」
「よくねぇええええええええ!」
山崎が全力で喚いたところで、さらに「あうぅ、白味噌じゃないんですかぁ? 白味噌のお雑煮が食べたいよぉ」という、叶のキンキンした声がかぶさった。彼も上方生まれで里帰りを強く希望していたのだが、お里の事情なのか、なぜか却下されたのだという。まぁ、こんな電波息子に帰ってこられては、実家も喧しくて迷惑なんだろう……と、皆は妙に納得しているので、それ以上は誰もツッコまない。
「せめて、お餅食べたいですぅ」
いつの間にか山崎の背後に回りこんだ叶が、両手でガバッと山崎の薄い胸を、割烹着の上から鷲掴みにした。
「んなっ!?」
「おーもーちーぃ」
大体、監察方として相当優秀なはずの山崎の背後を、こうもすんなりと取るとは、この叶という男、ことおっぱいのことにかけては、なかなか侮れない。土方以外の男性にバストをむにむに揉まれたことなど無かった山崎は、半ばパニックで悲鳴も出せずに硬直している。
「おぱーい、やーらかーい」
「よせよせ、ザキちゃんが泣きそうじゃねーか」
「えー……減るもんじゃなしぃ」
原田以外の連中は「そうだなぁ。揉んでもらったら育つだろうから、頑張れ?」などとニヤニヤ見ているだけで、叶の暴挙を止めようとはしない。
「本当にイヤなんだからぁ!」
「だーから言ったろ、いつまでも女の身体なんかでフラフラしてるから悪いんだって。ついでに、例の噂の真相も確かめてもらえや。神山もひと肌脱げよ」
「よ、よろしいのでありますか?」
「副長からも、浮気できたら報告しろってさ」
吉村に煽られて興奮した神山の鼻息が、味付け海苔を吹き飛ばす勢いで荒くなる。
「ちょ、やだやだ! 寄りによって神山なんて、絶対ヤダ!」
「じゃ、僕でいい?」
「叶もいやぁあああああ!」
涙が溢れそうになって、山崎が顔を覆おうとした頃になって「はいはい、禀ちゃん。それくらいにしましょうね」という言葉と共に、ぐいっと叶の体が後ろに倒れ込んだ。見れば、七番隊隊長の丘三十郎が叶を羽交い絞めにしている。
「あひゃあっ!」
「おやおや、お手製のお節ですか。土方君も幸せ者ですねぇ」
監察方でも捕獲に手を焼く程すばしっこい叶が、おっとりしたこの男にだけは何故こうもあっさり捕まるのか、いささか不可解だが、どういう訳か叶は丘が苦手のようだ。
丘さんが来てくれたらもう大丈夫だ、少なくとも叶に関しては……と、出かかった涙を引っ込めて、山崎が笑みを浮かべる。
「初めてなんで、うまく出来たか怪しいんですが……って、てめーらいい加減にしやがれ!」
台所に放置されている巨大なタラの干物を棍棒代わりに振り回し、これ以上の被害を回避すべく、重箱を重ねて手元に引き寄せる。
「もーっ、時間ないのに」
「確か、今夜の神宮の警備に行くんでしたよね」
「今日の暮れ六つまでは、一応非番だけど。副長がいつ戻ってきて、用事を言い付けられるか。丘さんは?」
「私は五つ半に、寛即寺で井上さんと交代です。新婚さんなのに、大晦日まで大変ですよね」
「新婚って、俺ら結婚してませんよ」
それでも新婚さんと言われるのが嬉しく、ほんのりと頬を赤く染めていると、いつのまにか原田の背後に立っていた十番隊副隊長の瀬尾が「事実婚ってヤツですね」とぼそりと呟く。
「瀬尾っ、折角ザキちゃんがいい気分なのに、水差すようなこと言うんじゃねぇよ!」
「まぁ、それでもいいって言ったの俺だし。瀬尾さんまで、まさかつまみ食いしに来たんじゃないですよね」
先刻のドサクサでかなり隙間が開いてしまった重箱の蓋を閉めながら山崎が尋ねると、瀬尾が苦笑しながら首を左右に振る。
「いつまでも山崎さんの側から戻ってこない隊長宛に、仕出し屋から『さっさと重箱取りにこい』って連絡が入ったのを、伝えに来ただけですからご安心ください。ついでに隊の連中にも食わせてやりたいんですが、隊長のポケットから多少は出して頂けます? その方が隊の士気も上がるってもんでしょう?」
「るせぇ。そんなモン、代わりに取りに言ってくれりゃいいじゃねぇか、ガキの使いじゃあんめぇし。お足だってオマエに預けてんだから、オマエの裁量で好きにしろ」
「ええ、じゃあ好きにします。隊長は、親友の手作りお節で満足してるっぽいので、隊長の分はキャンセルにして、その分、既製品の私達は竹コースに格上げさせてもらいますね」
「ちょっ、おまっ! それはやりすぎだっ!」
「でしたら、詰め所に戻ってきてください。正月準備は休日の福利厚生だけじゃなくて、仕事の手配もありますんで」
すたすたと歩み去る副官を、原田が慌てて追い駆けていく。その姿に苦笑しながら、丘が呟く。
「相変わらず有能ですねぇ、瀬尾君は。それじゃ他の皆も支度に戻りましょうかね。行きますよ、禀ちゃん」
「おぱーい、じゃなくって、丸いお餅ぃいいいいいいいい!」
ずるずると叶も引きずられていき、ようやく静かになったところで、山崎は棍棒代わりの干物を台所の隅に放り捨てた。この干物は先日、神山が買ってきたもので、タラ自体に罪はないし、高級素材だということも重々承知はしていたが、これで調理をするつもりはさらさら無かった。両手をパンパンと払い、鍋の出汁に砂糖を足し、それをボトルに移し替えていたところで、大事なことを思い出す。
「どうしよう、これ」
そっと蓋を開けてみると、誤魔化しようのないほど隙間が発生していた。
悠長に作り直す時間は、もうほとんど残されていない。かといって、このまま空っぽの重箱を出すわけにもいくまい。スーパーに駆け込んだ山崎は、金柑の砂糖煮と裏白椎茸、松風焼き、梅花卵、コハダ、煮こごりなどを血眼で探し回ったが、売り切れたのかそもそも単品では売られていないのか、一向に見つからない。折角頑張ったのに、出来合いは入れたくなかったのにと、心の中で滝涙を流しながら、特設コーナーに並んでいる紅白蒲鉾とテリーヌを手に取る。
あぁそうだ、温めなくても食べれるものを、と惣菜売場にも行き、ぼったくりプライスなローストビーフとチーズ盛り合わせも、続いて籠に入れる。後は彩りでちょこっとだけ添えるつもりだった葉っぱとミニトマト増やせば、なんとか埋まるかな?
屯所に駆け戻り、買ってきた物を詰めていると、またどこからともなく、人間ピラニアどもが集まってきた。
「お、増えてる増えてる」
「まだ作る気か、凝りねぇヤツだな。いっそ完食して引導渡してやろうぜ」
「お前らーっ! これ食ってていいから、来るな! 欠食児童らがっ!」
ピラニアの餌というか『囮用』として買っておいた予備の蒲鉾を皿に盛ってやると、何本も手が出てきて瞬く間に食い尽くされた。
「山崎さーん、卵焼きくださーい」
「つーか、なんでお節に卵焼き? 出汁巻きなんかいつもの弁当のおかずだろ。伊達巻きとキャラかぶってんぞ、伊達巻きと」
「きっと、伊達じゃなくて、地味だからじゃないですかね?」
「地味巻き? ダークマターじゃねーの?」
「るせぇぇぇっ! 文句あんなら食うな! つーか、文句なくても食うな! てめーらのために作ってんじゃねーぞ、ボケェ!」
「けっ、しみったれてんな。そんなんだから、いつまでたっても乳が育たねぇんだぞ」
「それは関係ねぇだろーがっ! いい加減にしねーと、これで根性焼き入れっぞ」
出汁巻き玉子を焼く為に加熱しているフライパンを、一番近くにいたヤツに近づけて威嚇するが、職務上、多少の拷問には平ちゃらの監察方メンバーが相手では「そんなカリカリしてると、しわが増えますよ。もしかして排卵日? ああ、もうお肌も曲がったババァだから、更年期か」と、容赦なく言い返されるのがオチだ。
いっそこの場で暴れてやろうかと思いながらも、いくらキレたところで気力、体力と時間を浪費する割には、レディファースト精神の欠片も無いこいつら相手では効果が無いと分かっているので必死に堪え、焼きあがった卵焼きと重箱を抱えて、自分の部屋に駆け戻る。冷まさないと重箱に入れられないが、それを待っていたら、確実に勤務に遅れる。
「土方さん。ごめんなさいっ!」
匂いを嗅ぎつけてくるピラニアへの防衛線も兼ねて、襖の向こうの副長室に滑り込んだ。さすがにここなら荒らされなかろうが、念のために重箱は押入れの行李の陰、卵焼きは布巾をかけて文机の下に隠す。『雑煮に入れる野菜はタッパーに詰めて、汁は少し煮詰めて濃くなったものをペットボトルに詰めておいて、使うときに少し水を足して加熱すればいい』と厨房のおばちゃんに教わったので、それも一緒に自室の押入れに突っ込む。
ついでに、新品の女物の着物をタンスから引っぱり出しておいた。土方の着物を洗い張りに出すついでに『折角の新年だから』と、自分の着物を新しく仕立てたのだが、この件は誰にも言っていない。どうせ土方は気付いてくれないだろうが、こちらの気分の問題だ。そうだ、その土方の着物も、ちゃんと支度しておこう。帰ってきたら風呂に入るだろうから、その支度もして。あぁ、もしかしたらちょっと寝ちゃうかな? だったら布団と寝巻きもすぐ出せるようにしよう。
忙しいくせに嬉しくてたまらない、妙に高揚した気分を抱えながらぱたぱたと二つの部屋をせわしなく往復し、やっと隊服に袖を通したのは、勤務開始寸前だった。
「遅ぇ! 何してやがった!!」
屯所裏の駐車場では、既に到着していた土方が各隊の隊長達や屯所の留守部隊への指示を下していたが、駆け寄ってきた山崎を見るなり、怒鳴りつける。
「すんませんっ、ちっと支度に手間取って」
こそこそと整列している隊士達の中に紛れようとしたその肩を、ポンポンと誰かが叩いた。
「ちゃんと防寒対策はしたのかとかなんとか、うちの隊長がやたらアンタのこと心配してんだよ。いい加減ウザいから、一声かけて安心させてやって。なんかもう花嫁の男親気取りでさ、あの人」
そう小さな声で囁いたのは、瀬尾だ。隊長の原田と共に行くのかと思いきや、どうやら留守部隊のようである。
「花嫁の男親って」
苦笑しながらも、土方が指示を出し終えるのを見計らって、そっと原田の傍に近づき、その袖を引く。
「ん? ザキちゃん?」
「原田さん。俺、ちゃーんとカイロ持ってますし、靴下も履いてるんで、大丈夫です。んじゃ行ってきますね」
その手を軽く握り満面の笑顔で伝えてから『神宮組』の列に素早く戻った山崎は、その原田が頭まで真っ赤になっていたのには、全く気付いていなかった。
【後書き】年越しネタを書きたいと北宮がひつっこく言ってた企画が(前作『Nicotiana』の頃から、かれこれ数年越しで)ようやく形になりました。設定としては、前作の続きとなりますので、いくつかのエピソードがリンクしています。完結までもう少しだけ、おつき合いくださいませ。
なお、タイトルの阿蘭陀菜(オランダ菜)は、正月の花でもある葉牡丹の別称。花言葉は『利益』が有名ですが、他に『包む愛』なども。
構成・文責:伯方はやと 拝
初出:2009年12月31日
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