阿蘭陀菜【5】
例年の事ながら、お江戸でも一番の参拝客が訪れるという神宮の参道は、まだ新年まで数時間あるというのにかなりの人出だった。これから時間が経つにつれてその数が増し、山門から本殿への道にも人が溢れ返っていく。
『戦闘体制』に入るのは亥の刻からだ。それまでは石油ストーブの置かれた臨時の詰め所に待機しつつ、交替で境内の巡回に出ることになっている。
「本殿の連中から連絡入ったら、時間前でも応援に行ってやれ。何かあったら連絡よこせ。ちっと禁止区域まわってきて、ついでに、な」
支度が一段落したのを見計らい、土方がそう言い残して、立てた二本の指をひらっと振る。一服して来るつもりだと察した山崎が、慌てて「懐中電灯あります? 俺も行きます!」と、立ち上がった。
『禁止区域』とは、数基の石灯篭しかない本殿裏の森の道のことで、警備上『KEEP
OUT』のテープを入り口に張ってあるのだが、それを乗り越えて侵入する輩が毎年のようにいるのだ。ちなみにこの場合の懐中電灯は、夜目が利いて灯篭の灯りでも十分な山崎自身には、あまり必要がない。むしろ、あちこち照らすことで警備していることを知らしめ、自主的な退出を促すためのものである。
境内の露天の喧騒も、この本道裏までは聞こえてこない。
「今年は居なさそうそうですね」
「居ないのがフツーだ。こんな時間にこんな場所で、肝試しだの探検ごっこだの、まったく、どんだけヒマなんだか。おかげでこちとら、毎年借り出されて。おとなしく家で、赤白歌唱決戦と『いけ年こい年』でも見てろってんだ」
土方が、くわえた煙草にライターで火をつけようとするが、ポケットをいくら探っても、愛用のマヨライターが見当たらない。苛立たし気に、ちっと舌打ちする。
「無理して吸うことないのに」
「ひとが吸う気になってんのに。オイ、ライター持ってないか?」
「そんなもの、潔く諦めたらどうです?」
健康に良くないし、ついでだから辞めたら、と続けようとして、土方の表情が露骨に不機嫌になっているのに気付く。どうしてスモーカーってこう……と溜め息を吐きながら「ちょっと待ってくださいね」と言うと、内ポケットに手を突っ込んだ。神山の丸眼鏡、丸眼鏡……って、あるかそんなもん。
ちなみに太陽光下なら、懐中電灯でも火は起こせる。レンズと豆電球を外して太陽に向けると、陽光がすり鉢状の反射鏡の中で屈折し、ちょうど豆電球があった辺りで焦点を結ぶのだ。その焦点の温度は一千度に達するため、線香や煙草をそこに差し込んでおくと着火する。これをパラボラ集光原理といい、この装置をソーラーライターと呼ぶ。以上、豆知識。
もちろん、この時間に太陽は無いので、山崎は代わりに簡易ライターをポケットから取り出した。
「ノラえもんか、てめぇは」
文句を言いながらもそれを受け取り、カチカチと二、三回鳴らす。風が吹き込むだのなんだのブツブツ独りごちながら、ライターを手で包み込んで風除けにしたり、身体の向きを変えたりして、ようやく火を点ける。深々と発ガン性物質の煙を吸い込んで「生き返った」と呟き、思い出したように己の腕を抱くようにして「オイ、ノラえもん。手甲か、何かねぇのか?」と尋ねた。
「手甲? なんでまた」
「ここまで冷えるとは思ってなかった」
手甲とは、手首から肘までを覆う布や皮製の防寒・防具である。アームカバーや指無し手袋のようなものだ。
「俺ので良ければ、手袋使います?」
「そんなもんはめたら、イザってときに刀握れねぇだろうが、ボケ」
「そん時は、外せばいいじゃありませんか」
「斬りあいするのに、悠長に手袋を脱ぐの待ってくれる相手があるか」
通常の手袋と違い、手甲なら指が包まれていないので、抜刀する際も邪魔にはならない。そもそも武具の一種でもあるのだから、斬りあいに都合良いのは当然だろう。
「よく考えてみれば、この手袋を貸したところでサイズが合わないですよね。毛糸ならともかく、これ、革製だから伸びないし。俺、副長のモンの予備を色々持ち歩いてますけど、さすがに手甲は無いです」
「ちっ、役に立たない四次元ファスナーだな」
「役に立たないって、ひどいなぁ。あ、そうだ」
山崎はおもむろに土方の手を掴むと、自分の上着の裾から中に引き込んだ。
「ほら、ここにカイロ入れてるから、ちょっとは暖かいでしょ」
「まぁな」
なにげなく、シャツに貼り付けられているカイロの熱が掌全体に伝わるように動かすと、びくっと山崎の胴が震えた。それに気付いた土方が、唇の端を吊り上げる。
「何ビクついてんだ?」
「ちょっとくすぐったかっただけです。つーか、何してんですか」
土方の手は、貼り付けてあるカイロとは違う位置にまで、這い上がっていたのだ。
「いや、なんとなく」
「なんとなくで、人の胸まさぐるんですか、アンタは。ちょっと、駄目ですって」
指先で布越しに弄ばれた胸の先端に血が集まっていくのを感じ、身をよじって逃れようとするが、そのまま押さえ込まれた。山崎の背中が土方の胸に密着する体勢になる。
「どうせ、触られて文句言えるほど、御大層な胸でもねぇだろ。手が暖まるまで付き合えや」
絶対違うだろ、言ってる事とやってる事が伴ってないだろ。大体、いつ誰が来るか分からないような場所だし、勤務中だし……と言い返したかったが、唇から漏れたのは抗議の言葉ではなく、熱い吐息だった。
「そんな貧相な乳でも、一丁前に感じるのか」
「うっさい。淫行警官が」
頭の片隅では『一応俺ら、お巡りさんなんだから、まずいだろ』『そもそも、一般客がここでこーいうコトしないように、取り締まってんだろ』『つーか、神社の敷地で罰当たりな!』ということは分かっている。だから、ここで突き放されても仕方ないと半分諦めつつも、残り半分で期待を込めて、山崎が首だけで振り返る。
「そういうオメェも、ずいぶん乗り気みてぇじゃねぇか」
「駄目ですか?」
いけないことだからこそ、敢えてしてみたくなるという逆説的な衝動に駆られたのは、山崎だけでは無いらしい。数拍の間、視線が絡み合った。
「どうせ、まだしばらくは暇な筈だ。まぁ、あんまりノンビリもしてられねぇが」
土方の片手が、山崎の腰から腿へと滑り降りる。それだけで女体が痙攣した。スラックスの腿を掴んで声を堪える山崎だったが、インナーの上から、不意に胸の先端を強く抓みあげられ、喉の奥で小さく声を洩らす。
「声は出すな。肝試しに来た連中がいたら、幽霊だと思うだろ」
周囲が静まり返っているだけに、いくら押し殺しても漏れる声がやけに大きく感じる。だが、それを自覚することも、土方の揶揄に答えることも、ましてやその衝動を抑えることなど、到底できなかった。
男の片手はインナー越しに、小さな突起を指の腹で転がして膨らませては押しつぶすことを、執拗に繰り返す。もう一方の手は、スラックスの上から太腿の内側を撫でさすっていた。肌に直接触れないためにかえって広範囲に広がっていく感覚とじれったさに身悶えていると「何もぞつかせてやがんだ?」という囁きと共に、更に敏感な部位に手指が這わされる。
「だって中途半端に……っ」
「中途半端に、なんだって?」
答えを促すかのように、その手はスラックスのジッパーを引き下ろして、するりと中へと滑り込んだ。下着越しに指先に伝わってくる熱がいつもより高いのを感じ、耳元に吐息と共に「大したこともしてねぇうちから、熱くしてやがるくせに、何言ってやがるんだか」と囁くと、土方の手に重ねようとした山崎の手が、一瞬止まった。
「そうやって、焦らすからじゃないですか」
ぺちんと、胸元に被さったままの手の甲を叩く。
「焦らしてねぇぞ。それとも、ホントに焦らされてぇのか?」
「嫌です」
「だったら、おとなしくしてろや」
強引な理屈だと思いながらも、山崎はこくりと頷いた。もちろん、山崎が了承しようとしまいとお構いなしに、剣だこのある長い指は、熱く湿った腿の間を弄んでいる。やがて柔らかい谷間を探り当て、布越しにその割れ目に指を押し込むと、プチュという小さな濡れた音がした。
「ん……ぅ」
やがて、パンティの脇から奥へと這入って直接、濡れそぼった襞に触れて来た。布越しのもどかしさからは開放されたが、今度はわざと触れて欲しい場所を微妙に外した位置で、濡れた音を立てながら浅い抜き差しを繰り返されて、がくがくと膝が震える。
「や、意地悪……っ」
「意地悪? サービスしてやってんだろうが。しっかり立ってろや、この程度で音を上げるようじゃ、何も出来ねぇだろ」
この程度って言われても、体の反応と思考は連動してくれないんです、苦痛は訓練で堪えることができても、快楽は意志の力じゃどうしようもできないんですと反論しようとして、かくりと膝から力が抜けた。
「あ」
そのまま前に倒れ込みかけたのを支えられ、助けを求めるように土方を振り仰ぐ。
「だらしねぇな」
小さく舌打ちすると、山崎を抱きかかえるや灯篭の足元に転がした。あっと思う間も無く、腹の上に覆い被さる。こんなところじゃ地面が硬い背中が痛いのと、抗議しようとしたものの、背中の下でにじられ、乾いた音を立てる落ち葉の柔らかさに、まるで枯葉を洞のなかに溜め込んで眠っているリスか何かになってしまったような気がしてくる。
「どうした?」
なんでもないです、と答えようとして、自分を見下ろしてくる土方のその頭上に広がる夜空に気がつく。周りに明かりが殆どないために、街中よりも多くの星が輝いているのが見える。
そういえば、初めて土方と体を重ねた夜もこんな風に星がたくさん見えたなと不意に思い出した。
「こうして冬の空も見れるなんて、思ってなかった」
一瞬、何のことか分からず怪訝な顔を見せた土方だったが、数拍の後に理解して「バカか、おめぇ」と呆れる。
「だって、思い出しちゃったんです」
「気を散らしてるようなら、ここでやめるぞ」
やめるぞと言う割には、山崎のスラックスのバックルをカチャカチャ鳴らして外している。
「嫌です」
「どっちの嫌、だ」
「やめちゃ、い……ひゃっ!」
最後の悲鳴は、下着ごと一気にスラックスを抜き取られたことによるものだ。外気は寒いはずなのに、火照った体には、それが心地良く感じた。
「土方さん」
山崎は待ちきれず、手を伸ばして土方のスラックスの前をくつろげた。その奥にある熱を手に包み込み、愛撫する。
「おいおい、何がっついてやがんだ」
「だって、時間ないって、土方さんが」
自分の掌の中で質量を増したそれで、早く満たして欲しくて、一度手を離すと、土方の首に腕を回してそれを訴える。
「早く」
吐息のような呟きに土方が喉の奥で小さく笑い、腰を引き寄せると蜜壷の口に先端が軽く割り入る。その先を想像して奥の方が熱くなるのを感じ山崎が目を閉じた瞬間、土方の胸元から電子音が流れ出した。この味気ないメロディは業務用だ。副長職という立場上、無視する訳にはいかない。
「一番隊か」
内ポケットから取り出して、ディスプレイの表示をチラッと確認してから、土方はその端末を耳に当てる。
その肩口に顔を埋めて、吐息を殺しながら山崎も耳を澄ました。いや、耳を側立てずとも丸聞こえのその声は、警備詰め所に置いて来た神山だった。
『お勤めご苦労様であります! 今しがた、寺の方から、早めに規制を張るようにと、申し出がありましたので、ご報告申し上げるであります!』
「オツトメねぇ……あぁ、分かった。すぐに戻る」
通話を切ると、山崎の身体を傍らに押しやる。
「まだ時間あるんじゃなかったんですか?」
「本殿の応援要請が合ったら、時間前でも出ろって言ってたろうが」
「言ってましたね、言ってましたけど、なんだって折角の時に、呼び出すんだよ、しかも寄りに寄ってなんでアイツなんだよ。後で覚えてろ、畜生」
山崎は半泣き状態で、脱がされた下着とスラックスを拾い上げて履き直す。当然のことながら、夜風に当たったそれは(濡れていたせいもあって)冷え切っている。着込んで温まるどころか、胴震いがした。
「『そんなもの潔く諦めたらどうです』ってヤツだ。ま。仕事しろってこったな。潔く諦めろや」
「それとこれとは違いますよう」
「同じさ」
身体の火照りが冷めてくるのに従って、今まで感じなかった寒さがじわじわと身体の芯まで染みてきて、すぐには立ち上がれない。「だから、早くって言ったのに。寒くなっちゃったじゃないですか」と、鼻を鳴らして訴えてみたが、既に仕事モードに入っていた土方はそれにイラッとしたようで「いいから、とっとと支度しろ」と、なじられた上に、尻を蹴り飛ばされた。
『そりゃ、そっちは殆ど脱いでないから寒くもなかったでしょうよ。そもそも、アンタがあそこで人の乳まさぐらなきゃ、こんなことにもならなかったでしょうが』と、山崎は(乗り気になってしまった己は棚にあげて)内心ブータレながらも、こんなところで身体をつなげようとするスリルに興奮してしまったことは否定できず、立ち入り禁止区域に入りたがる連中の気持ちも、なんとなく分かった気がした……もっとも、気持ちが分かったからといって、警備を怠ることも見逃すこともできないのだが。
山崎が背や尻についた土や枯れ葉をパタパタ払い、乱れているであろう髪に指を通した頃には、土方はもう既に懐中電灯片手に山道を歩き出していた。
「ちょっ、薄情ものっ!」
慌てて追いすがろうとして、足がもつれた。まだ身体の奥が疼いているうえに、足先までかじかんでいるのだから、まともに走れる由がないのだ。
「何してんだ、バカ。早く来い」
土方が、心底うんざりした声を出しながらも、振り返ると手を差し伸べた。
恰幅の良い連中は、もみくちゃにされながらもその人波を押し返す、賽銭箱前のバリケードや本殿内での誘導を中心とした『激戦区』に配置される。他の連中は参道の誘導や境内の巡回、警備本部での迷子担当などに割り振られ、土方は山門の中ほどで誘導に入った。
本来は、副長職ともあろう者がわざわざ下っ端仕事の棒振りなどする必要はないのだが、そもそもが『真選組も働いている』と幕府の重臣らにアピールするためのデモンストレーションなのだ。その位置が最もテレビに映り込むと分かっていての配置である。テレビクルーだって、いくら警備員メインの映像ではないにしても、どうせ映るなら見栄えの良い被写体の方が好ましいのは、当然だ。
山崎は、ちらちらと注がれる女性スタッフの(多分、嫉妬混じりの)視線から逃れるように身を竦めながら、隣にいる土方にしか聞こえないような小声で「ぱんつ冷たい」と、恨み言を呟いた。
「どうした、ションベンでも漏らしたか。そこまで面倒みきれるか」
「ションベ……ちがいますよっ! 誰のせいでこうなったと」
「どうしろってんだ。履いてて気持ち悪けりゃ、ここで脱げ。全国中継してもらえるぞ」
「脱げるか、このド外道ッ!」
「じゃあ、どうしたいんだ。ボーッとしてんのを流されて、お偉いサンにサボってると思われたら困るんだ。これで予算削られたら、テメェの内臓売って穴埋めしろよ」
「鬼ッ! あぁもう、分かりましたよ、ちゃんと働きますよ、やればいいんでしょ、やれば! 副長も煙草、我慢してくださいよねっ!!」
山崎は、やけっぱちのように、電源を入れた誘導棒をぶんぶん振り回す。
「はーい、本殿に向かう人はまっすぐ行ってくださいねぇ! こっちからは行けませんよう!」
ここから出たら、もう逃れられないんだなと、近藤はなぜか風呂場で絶望的な気分に陥っていた。
沖田が嫌いなわけでも、女体に欲情しないわけでもない。むしろ好きな方だ。それでも、いざとなると未知の世界を前にして怖気づいてしまう。いざ、腕の中に柔らかい女の身体を抱きこんだとして、その先一体、何をどうしたものか、見当もつかない。必死で見たことにあるAVを脳内再生しようとするが、焦れば焦るほど、サーッというノイズと砂嵐しか浮かんでこない。思考が現実逃避をしている内に、そういえばトシに頼んで飯盛宿に連れて行ってもらったことがあったなぁと、ふと、そんなことを思いだした。
あれはまだ武州に居た頃。道場に転がり込んで来たばかりの土方が、一宿一飯の礼にとカラダを差し出したことがあったのだ。当時の土方は髪がまだ長くて、今よりはもう少し華奢であどけなさく、どこか少女のような面影があった。月光に視界が青く染まる中、白い肌がぽうと浮かび上がり、その唇だけが赤く色付いていて。だが、そっちのケが無いどころか、女相手にも経験が無かった近藤は、どう応えていいか分からず「はぁ? いや、礼なんていらねぇよ。別に貸し借りでもなんでもねぇ」と、突っぱねるしかなかった。
「見かけに寄らず、ストイックなんだな」
「見かけに寄らず、は余計だ。なんだ、おめぇも俺がゴリラそっくりだっていうのか?」
「いや、ゴリラは……確かに似ているが、別にまだそう言ってねぇ」
「言った、今言った、言いましたぁ!」
調子が狂ったのか苦笑した土方が、衿を引っ張り上げて、はだけさせていた肩を隠すと、おろしていた長い髪をかきあげて背中へ払う。いつもの通りに身なりを整えるまで、近藤は気が気ではなかった。もしあの時に人道(?)を踏み外していたら、今頃お互いどうなっていたか分からない。
「そうだ。どうしても礼……とか言うんだったら、いっぺんフーゾクってヤツに連れて行ってくれねぇ? 俺、ああいうとこ一人で行けなくって」
そのときは苦し紛れにひねり出した提案だったが、土方は「は? まぁ、馴染みの妓もいるから、紹介ぐれぇしてやれるけど。そんなんで良けりゃ、いくらでも」と、快く応じてくれた。それから数日後には、本当に飯盛宿に連れて行ってくれたのだが、近藤はいざとなるとやはり怖じ気づいてしまい、結局はシジミ鍋を囲んで「マヨネーズを入れさせろ」「ヤメテ」と騒いだだけで、あっさり眠ってしまった。
その後も、キャバ嬢の志村妙にうっかり惚れてしまったばっかりに、他の風俗に行く機会を失っていた。
先日、土方が冗談とも本気ともつかない様子で野暮な心配してくれたのも、あの飯盛宿での失敗を気にしていたせいかもしれない。
土方が言うように、一皮剥いて男になってからにした方が良かったろうか。やっぱ先日、手伝ってもらった方が良かったのかなぁと、今さらなことを考えながら、桶に満たしたぬるま湯にモノを浸し、だぶついている先の皮を恐る恐る引っ張りながら、じゃぼじゃぼと振り洗いを施す。
しゃぶってコレをやーらかくするって言ってたけど、そーこちゃんに頼んでやってもらえねぇかなぁ、でも、初めてだっていう生娘にしゃぶってくれって頼むのも無茶だし、そーこちゃん、ドSだから痛がるのを面白がりそうだし、だったらいっそトシに優しく……いやいや、落ち着け勲、血迷うな勲。
土方の端整な顔立ち、長い伏せた睫毛とそれが落とす蒼い影、きめ細かい透けるような肌に映える紅の唇、そして濡れ濡れと光りながらねっとり巻きついてくる温かい舌の感触などなどを妄想して、思わず反応しかけたムスコに「待て待て、相手が違う。早まるな」と必死で説得する。こんなところでおっきされても……いや、内湯だから誰かに見られる不安も無いが、そういう問題じゃない。
「近藤さぁーん……まだですかイ? のぼせて倒れてやせんか? 俺も風呂、入りてぇんですが」
脱衣場まで呼びに来た沖田の声に、近藤はようやく我に返った。
「ああ、悪い。すぐにあがる」
結局、長時間かけて股間しか洗っていなかったことを思い出し、大慌てで頭と身体に湯をかけ流して、浴場を飛び出した。
「気付いたんですけど、離れの部屋で専用の露天風呂って、つまりコレって混浴オッケーってか、夫婦仲良く入れるヤツだったんじゃないですかねイ?」
「あぁ、そういえば、そうかもな。もうあがっちまったから、おめぇ一人でゆっくりへぇって来い」
「へーい、つまんねぇの。まぁいいや。精一杯、キレイキレイして来やすね」
沖田が入れ替わりに風呂に入り、近藤は『執行猶予』がもう少しだけ伸びたことに、ホッと息を吐く。安堵した途端に寒さを覚えたのは、せっかくの露天風呂に浸かるのを忘れていたせいだろう。浴衣だけでは肌寒い。
女将に頼んで、火鉢でも出してもらおうかと考えながら部屋に戻ると、先回りしたかのように、堀りコタツに布団がかけられ、ミカンを積んだ鉢まで置かれていた。コタツ布団をめくると、既に炭火が入っている。風呂の間に女中が来たらしいなと見回してみれば、寝室には布団が用意されていた。当然のように、ひとつの布団に枕が二つ、並んでいる。
いや、このまま忘れられてスルーできないかなという、微かな希望を胸にコタツに足を突っ込む。気を紛らわせようとテレビをつけて、どこぞの地方局の制作らしいローカル番組をダラダラと見ていると、やがて風呂から上がってきた沖田も、隣でテレビ鑑賞を始めた。
「もうじき新年だなぁ」
コタツに足をを突っ込んでミカンを剥いていた近藤が呟くと、コタツの反対側からころころと転がってきた沖田が、あーんと鳥の雛のように口を開けた。近藤は苦笑を漏らすと、その唇にひと房、剥いたミカンを放り込んでやる。
「もーちょい、筋取ってくんねぇと、盲腸になるやイ」
「そりゃ迷信だろ」
そうとも言いますがねと、頬を膨らませた沖田が起き上がる。コタツに入るとおもいきや、わざわざ近藤の膝の上に潜り込んだ。
「あーん」
結局、近藤のミカンは全て沖田に食い尽くされてしまった。近藤は別にそれを咎めるでもなく、むしろ楽しそうな様子で、鉢から新たに一個、取り上げて皮を剥き始める。
「新年、あと四半刻割ったくらいですかね?」
付けっぱなしのテレビに『いけ年こい年』のタイトルロールが映し出されたのを見て、沖田がそう呟いた。
「お、神宮に中継だってよ」
「今年も大混雑ですねイ、もう溢れ返ってら」
テレビの液晶画面に、多くの参拝客に混じって、本殿手前で警備にあたっている土方と、その横で誘導棒を振っている山崎の姿が映る。
「なんでイ。あっちも結局、二人一緒ですかい」
「でも、申し訳ねぇなぁ。俺らばっかり休んじまって」
「土方さんがいいって言うんだから、問題ねえでやんしょ。初めての年越しは、一回しかないんですぜ、今だけ仕事のことはお互い忘れやしょうよ」
「そうだな。考えてみたらこうして年越しするのって久しぶりだな。組が出来てからは、毎年警備に借り出されたり何だり、だったからなぁ」
「事件現場で年越ししたこともありやしたよね。俺ァ『二年斬り』なんてのもしやしたぜ」
『二年斬り』などという物騒な単語は、もちろん存在していないが、それが年越しの瞬間をまたいで参拝する『二年参り』や、鉄道マニアが深夜電車を楽しむ『二年乗り』になぞらえた即興の造語であることは、いくら鈍い近藤にもすぐに察しがついた。
「そういやぁ、そんなこともあったなぁ。萌えるなんとかの残党だっけ? あんときゃ、警備に出した員数が引き上げれなくてなぁ」
「そうそう、近藤さんと年越しの瞬間に一緒にいるのも、久しぶりなんですぜ。去年は、俺が留守番長させられやしたからね」
忘れましょうと言ったくせに、何故かどうしても過去の仕事の話ばかり蒸し返してしまうのは、彼らの生活のほとんどが真選組の業務に占められているせいだろう。だが、それについては、ふたりともまったく無自覚であった。
やがてテレビの音声が時報のカウントに変わり、ポーンという一際高い音がした。それを合図にふっと、お互い喋りかけの口をつぐみ、真顔で向かい合う。
「近藤さん、明けましておめでとうございやす」
「おぅ、年が変わったなぁ」
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