阿蘭陀菜【3】


どうしよう、絶対に変な噂になってるよな、と思いながらも、神山が運転する自動車でスーパーに向かう。当初は、卸売市場で正月気分を味わいながら、と考えていたのだが、この丸眼鏡と連れ立って歩いてはムードもへったくれも無いし、そもそもこの時期の市場は年末特需で強気の価格設定だと気付いたのだ。

「まずはお雑煮の丸餅でしょ、にんじんと絹さやと、大根……調味料は食堂のを拝借するとしても、白味噌ってあったかな」

買い忘れが無いようにと、助手席でメモを作っていると、運転中の神山が 「は?」 と大声をあげた。

「は、って何? お雑煮、知らないの?」

「恐れながら申し上げますと、自分が知っているお雑煮に、大根は入りません。角餅にミツバ、鶏肉に、薬味のユズであります」

「えっ?」

しばし唖然としたが、山崎は自分が上方・和泉の生まれであること、そのために、土方の故郷である東国・武州とは食文化が全く違うことを思い出した。
どうしよう、お節料理を作って嫁アピールとか考えていたのに、嫁アピールどころか、逆に嫁たる資格なし、じゃないか。結婚写真を撮った際、土方の実家の家紋を思い出せなかった『一生の不覚』が記憶に蘇る(※前作【21】参照)

「じゃあ、お節料理ってその、黒豆と煮しめと……あと、何? 棒ダラとか入る?」

「ボーダラ? あほだら経の一種でありますか?」

山崎はそこで必死で、上方の市場では、鈍器になりそうなほど大きなタラの干物が市場にたくさん並んでいること(※右図参照)、それを水で戻して甘辛く煮た料理がお節料理の一品であることを説明したが、神山には全く通じない。
ヤバい、このままでは土方にも「なんだコレ」とか言われるかもしれない。せっかく用意したタラの干物が、猫のおやつに降格する危険すらある。

「ちょっ……やっぱ、屯所に戻って! ちょっと研究してから出直す!」





「まず、お雑煮と煮しめは、必須として……他に、何を作ったらいいのかな。土方さん、いつも甘ったるいのが嫌だっていうから、甘さ控えめ系のレシピにしてあげたら、食べてくれるかな」

『(自称)嫁のプライベートルーム』に(勝手に)している、副長室の控えの間に戻った山崎は、先ほど助手席で作りかけていた買い物メモを広げた。ついでに、スーパーのチラシも引っ張り出しているのは、少しでも無駄な出費を抑えようという良妻の嗜みである。

「はっ、なるほど! 自分も甘いものは苦手でありますから、そのような細やかなお気遣いは、心に沁みるであります!」

「いや、君のために作るんじゃないんだけどね…っていうか、なんでついて来てんの?」

「しかし、山崎殿を沖田隊長と思うようにという命令でありますから、自分にとって山崎殿のお気遣いは沖田隊長のお気遣いなのであります! 隊長がそのようなお気遣いを誰かにされている、そしてそれを知ることそのものが、まさに自分の喜びなのであります!」

「いいから、いちいち敬礼して大声で叫ぶのやめてくんない…っていうか、なんでついて来てんの?」

「イエッサー! 気をつけるであります!」

いや、やめてないじゃん、今まさに敬礼して大声出してんじゃん。しかも出て行く気配すら無いじゃん……と、山崎はうんざりと神山を見やる。いつもなら「ウザい」というのは、山崎自身に対する罵倒なのだが、このときばかりは「他人がウザいこと」がいかに苦痛か、思い知った。

「あのさ……もう帰ってほしいんだけど。なんでついて来てんの?」

「イエッサー! 隊長の側が、常に自分の帰る場所であります!」

あれ? 自分もよく「帰れ」という土方さんに向かって、同じ台詞を口にしてるけど、何、この不快感? いやいや、違うから。俺が言うのと、コイツが言うのとは違うから。台詞は同じでも、俺が言うのは愛があるから。俺が土方さんを愛してるから、別に問題ないんだから。だって俺は、ウザいって言われてるけど、俺はこんなにウザくはないんだから。いや、ウザいのかもしれないけど、俺が土方さんを愛してるってことで、許されるんだから……己に無理矢理そう言い聞かせてはみるものの、自分もよく主張するロジックだからこそ、追い払う方法が見当もつかない。
どう理屈をつけて説得しようと、たとえ殴ろうと蹴ろうと、むしろ嫌われようとも、意地でも居座る。ストーカー扱いして排除しようとしても、むしろ自身が警察なのだ……恐ろしいことに、これに対する対処法は唯一、諦めて相手の好きにさせるしかないことも、山崎自身がよく知っていた。

「分かったよ、いいよ。居てもいいから、その畳の線からこっちに来ないでね」

「イエッサー!」

言われるがままに、その線のぎりぎり外側で直立不動の姿勢をとるあたり、実際のところ、神山の方がよっぽど素直でマシなのかもしれない。

「ともかく、甘ったるい系のお節料理で、手作りできそうなものは……まず、黒豆? それから栗きんとんと……伊達巻きって難しいのかな」

「そういえば、あまり聞かないっスね。確かに甘さ控えめの手作り伊達巻きなんてあったら、感激すると思うっス」

「感激する? 本当に?」

「ええ、自分だったら、自分好みの味付けの伊達巻きを手作りなんてされたら、大感激するであります!」

「だから、オマエのためじゃないっつの!」

神山の相槌にいちいちムカっ腹が立ち、こんな厄介者を押し付けてハネムーンに行くのだという沖田が、心底恨めしい。

「叩き牛蒡も関西ふうの品なのか……だったら要らないかな。数の子と田作りは既製品でいいか。酢の物……は、土方さん、食べそうにないなぁ。あと、何? 海老? 玉子焼きぐらい焼けばいいのかな」

やがて、材料によっていくつかの店にまたがる、壮大な買い物メモが仕上がった。確かにこれでは、荷物持ちぐらい居なければ買いきれないだろうと、我ながら呆れるほどだ。仕方なく「じゃあ、もう一回、クルマ、出してもらえます?」と神山に頼むと「イエッサー! 喜んで!」という威勢のよい返事が返ってきた。




「こうして、一緒にスーパーで買い物をしていると、まるで夫婦みたいっスね! ささやかな幸福を感じるであります!」

大江戸マートでカートを押しながら、神山が上機嫌になんともおぞましいことを口走る。

「ちょ、待って待って。土方さんとならともかく、なんでオマエ」

「自分も沖田隊長とこのように連れだって歩きたいものでありますが、如何せん、沖田隊長はこのような家庭的な場所には決して行きませんから、完全に不可能なものと思っておりました。山崎殿を沖田隊長とも思うことで、貴重な体験をさせて頂き、自分、感激の極みであります!」

「俺は全然、嬉しくねーよ」

大体、こんなのを連れ歩いている姿を誰かに見られたくないと、顔を伏せ気味にしながらそそくさと目当ての商品を篭に放り込んでいると「あれ、山崎さん?」と、背後から声をかけられた。

「おーう。ジミー君」

「まぁ、奇遇ね。お節料理の準備? 私もお正月準備に腕を振るって、玉子焼きを焼きますのよ」

振り返れば、万事屋三人組と志村妙であった。銀時が押しているカートの籠には、玉子のパックが大量に積まれている。

「ジミー、相変わらず地味だなオイ。隣の男どうしたネ、もう浮気ネ? でも心配ないヨ、適当に遊んだ方が女性ホルモンが出て、キレイになるって、マミー言ってたネ。そうやってキレイ保つのも、パピーのためアル」

「ちょっ、そんなんじゃないから、俺、こいつと全然、そんなんじゃないからね!?」

ほれ見ろ、さっそく誤解された、と山崎は泣きたくなる。

「そうよ、神楽ちゃん。失礼なことを言っちゃだめよ?」

「あ、姐御!」

さすがお妙さん、一度は局長夫人として皆の姐さんになるかもしれなかった人物、よくぞお察しくださいました……と、山崎は思わず感激しかかったが、お妙はそれに続けて「浮気じゃなくて、これ、土方さんでしょ?」などと、もっと酷いことを口走った。

「ちがっ、全然違いますからっ! 見たら分かるでしょう、見たらっ!」

「あら、ごめんなさい。しばらく見てないから、土方さんの顔、忘れちゃったわ。だって、土方さんってばいつもゴリラと一緒だったんですもの、ゴリラとセットじゃないと、よく分からなくて。そういえば最近、ゴリラ見かけないんですけど、ジャングルに帰ったんですの?」

「いえ、あの、局長はとうに結婚しましたけど」

「お相手は、いつぞやのマウンテンゴリラ? それともローランドゴリラ?」

「相手はゴリラじゃなくて、その、沖田隊長、なんですけど」

「まぁ、オランウータン。それはとてもお似合いね、それで、その隣のメガネザルが土方さんでも浮気相手でもないとしたら、山崎さん、再婚なさったの?」

微妙に日本語が通じていない。山崎はドッと疲れが出て、床にへたり込みそうになる。その肩を、銀時が大きな掌で撫でながら「まぁ、その、なんだな。オーグシ君みてぇなイケメンよりも、多少不細工でも浮気しそうもないタイプの方が、むしろ安心できて幸せじゃね? 別に今日び、バツイチ、バツニって珍しくねぇし」などと、妙に優しい口調で慰めるのが、余計に始末が悪い。せっかく、自分が土方の嫁であることをアピールしようと努力しているのに、どうしてこうも、裏目裏目に出るのやら。

「違うから。コイツと俺は全然そういう関係じゃなくて、たまたま、買い物の荷物持ちに付き合ってもらってるだけだから」

「まぁ、荷物持ちなのね。私と銀さんみたいなものね」

「ああそうだな。俺ァ、後でたまの買い出しにも付き合ってやる予定なんだから、さっさと済ませてくれや。買うもんは、玉子だけでいいんだな? とっとと会計済ませて帰るぞ、コラ」

銀時の何気ない相槌に、お妙の表情がチラッと揺れたが、それは近藤を手酷くフッてしまった自業自得だろう。新八が、姉の傷心に気付かないふりをしながら「そうですね、生玉子ですから、腐らせてしまう前に早く戻りましょう。山崎さんも引き留めてしまってごめんなさい」と会釈をして、その場をうまく取り繕った。

「銀ちゃん、たまと買い物行くアルか。ついてっていいアルカ? ついでに酢昆布も買ってヨ」

「ばぁか、正月の買い出しだぞ? 重箱に酢昆布でも詰める気か? おとなしく留守番しとけ」

「銀ちゃん、たまと二人だけ、ズルいヨ。最近、ドS野郎も遊んでくれないし、つまんないヨ」

「いいからおめぇは帰って、負け組オンナ二人して、そこのかわいそうな玉子の群れでダークマターでも作ってろ。俺ァ、そんなポイズンクッキング食わねぇけどな。正月は、たまの手料理食う予定だけどな。じゃ、ジミー君。メガネザルのご亭主とお幸せに」

そこで、よせばいいのに神山が敬礼をしながら「はいっ、幸せになるでありますっ!」と大声で宣言した。
 



万事屋一行を見送って、山崎が「なんで、否定してくれなかったの」と、神山をなじる。

「なんでって、山崎殿を沖田隊長とも思って接するようにという、ご命令ですから」

「なに、この罰ゲーム? 万事屋の旦那だけじゃなくて、あの様子だと新八君まで、俺と神山の仲を信じちゃってるよ? もう、どうしてくれるの、一体」

「どうするって……つまり、幸せになれば良いのではないでしょうか?」

「こんなんで、なれるかぁ!」

喚き疲れて、ショーケースに片手をついてぜいぜいと呼吸を整えていると、またもや「あれ、山崎さん?」と声をかけられた。振り向くと、今度は原田とその部下、瀬尾であった。
こちらは正月準備というよりは、仕事に使う備品の買い出しだったらしく、篭の中には貼るカイロだの、乾電池だの、軍手や軍足といった雑貨が詰まっている。

「ザキちゃん、なんでその眼鏡と一緒なんだ? 一番隊だろ、ソイツ」

「はい、一番隊の神山であります! 沖田隊長の命で山崎殿のお供をしているっス」

「もう、聞いてくださいよォ、原田さん。コイツのせいで、俺、散々なんですよォ」

ようやく理解者が現れた嬉しさに、山崎は思わず原田に泣きついてしまった。原田は親友をどう扱ったものか、おろおろと視線で瀬尾に助けを求めたが、いつもは忠実な部下はなぜかそっぽを向いたまま「神山君、ノルマはもう達成したんだ?」などと、シレッと世間話を持ちかける。

「はぁ、なんとか数字だけは。それで手が空きましたので、山崎殿にお付きするようにという命令を受けたのであります」

「なるほどね。こっちは達成まで、あともう少しってところかな。切符の方がね。ウチの連中は、斬り込みには自信があっても、交通方面は弱くて」

「ところで、ボウ・ダインという正月料理は、どこに売ってるっスかね? 瀬尾君はご存知でしょうか?」

「うん、そんな巨大ロボはいないね。料理って?」

「その、山崎殿の故郷の料理らしいのですが。こう、巨大ブレードのような乾燥タイプの武器で」

瀬尾はしばし考え込んだが、やがて何か思い当たったらしく「棒ダラのこと?」と聞き返した。

「そうそう、そのボーダーランドとかいうものであります」

「うん、そんな遊園地は無いね。棒ダラは江戸じゃめったに食べないから、ここらのスーパーじゃ売ってないだろうなぁ。魚河岸にでも問い合わせるしかないかな。電話かけてみようか?」

「なるほど、なるほど」

その会話を聞いた山崎が、原田の腕の中から顔を出して「ちょ、だから今回は、棒ダラは作らないんだよ?」と告げた。土方が食べないものを、どうしてわざわざ作る必要があろう?

「いいえ、愛するひとの故郷の味を知りたいと思うものでありますから、是非、購って参りたいと存じるのであります!」

「テメェ、ザキちゃんに向かって、何が愛するひと、だ。いけしゃあしゃあと!」

「自分はこの童貞を捧げても良いという覚悟で、山崎殿にお仕えしています!」

「んだとコラ、ザキちゃんが迷惑がっているのが分からないのかテメェ」

カッとした原田が神山の胸倉を掴もうとしたが、瀬尾が「まぁまぁ」と割り込んだ。

「ちょっと今、携帯で何件か問合せてみたけど、魚市場の『うを魔沙』って店では、調理前の干タラを扱ってるって。一尾、一万円以上するらしいけど?」

「構いません。それぐらいの出費、我が尻にとって屁でもありません!」

神山は雄々しくそう宣言すると、嬉々として駆け去ってしまった。うっとおしいのを追いやって清々した反面、後で巨大な干物を担いで戻ってくるのかと思うと、ゾッとする。

「瀬尾さん、なにも、アイツを煽らなくてもいいじゃないですか」

「忠義っていうのは、恋情と紙一重なんですよ。あなただって、元々は副長に対して、そうだったのでしょう? せめて手料理ぐらい作ってあげたらいいじゃないですか。一万円を屁のような、なんて平隊士の月給でそうそう言えるものじゃありません。大した気風ですよ」

「無理。俺、土方さんのためにしか、作りたくないです。それにアイツ、キモいし」

乱暴に吐き捨ててから、いくらなんでも『キモい』は言い過ぎたかと、山崎は気まずい思いをした。さすがに瀬尾も苦笑いを浮かべたが「じゃ、この買い物は、俺が持って帰りますね。山崎さんには、隊長をお貸ししますから、荷物でも何でも、持たせてやってください」と、話題を逸らす。
原田は山崎の肩越しに、瀬尾に「すまねぇな」と、片手で拝むジェスチャーをしてみせた。






ついに、大晦日という日。
朝の引継ぎを済ませた後も、何だかんだと支度をしていたら、巳の刻(午前十時)を過ぎてしまった。

「それじゃ、後のことは頼んだぜ」

「心配いらねぇよ。楽しんでこいや」

妙に他人行儀に送迎の挨拶を交わす男二人を詰まらなそうに見上げ「近藤さァん、早く行きやしょうぜ」と、良人の袖を引いて鼻を鳴らしたのは、折角の旅行だからと女物の着物に、外套と毛足の長い襟巻きを巻いた沖田だった。近藤は、聞き分けの悪い子供をあやすようにその頭を大きな掌で撫でてやると、親友に申し訳なさそうに目配せをする。
それを受けて土方は苦笑いを浮かべ、手をひらひらと振ってやった。

「じゃ、行ってくらぁ」

こうして、幸せ全開の二人は屯所を後にしたのであった。

「馬子にも衣装というか。あれで沖田君の口調がちゃんと女らしくなってさえくれれば、局長夫人として表に出しても恥ずかしくないのにねぇ」

見送った井上がしみじみと呟いたのを、土方は「そりゃ無理だろ、頭の中身はまんまなんだしよ」と、ばさっと切って捨てる。

「お前さんは思ったことないのかね、山崎君に対して」

「ねぇな。ただでさえうっとぉしいカラダになりやがったうえに頭ん中身まで作り変えられたら、アレじゃなくなっちまうじゃねぇか。大体、俺ぁ、女が欲しいとも結婚したいとも、これっぽっちも思っちゃなかったんだ」

そもそも妻帯する気が自分に少しでもあったのなら、武州からミツバを呼び寄せていたはずだ。それ以外の女を傍におけるのだったら、松平公の娘に言い寄られた時に(過保護な父親に銃殺される危険を割り引いたとしても)ああもすげなく追い返す必要はなかった。

「一人身は、老後、さみしいですよ」

井上がぽそりと言ったが、土方はハンと鼻を鳴らした。

「俺ァ、身軽な源さんが羨ましいよ。それと、俺ァ老いる前に斬られて死ぬ予定だから、さみしいもへったくれもねぇ」

「でも、今は山崎君を傍においている」

「単に根負けたんだよ。男ん時から付きまとわれてたからな。カラダがどう変わろうと、相変わらずウザいし、ひつこいし、口やかましいし。だからよ、アレが『山崎』じゃなくなったら、屯所に置いておく理由もねぇんだ」

井上はそれを聞いて吹き出した。土方が不審げに眉を顰めるが、井上は片手を振って「なるほどね。いや、なんでもないですよ」とゴマ化した。

「永倉君には、その旨、ちゃんと伝えておきますから」

なぜここで永倉の名前が出てくるのか、山崎の下半身に関する噂を聞いていない土方にはピンと来なかったが、井上のことだからきっと多分、年の功で何かをうまく取り計らってくれるのだろうと、土方は勝手に解釈した。

「頼まぁ。んじゃ、俺もちょっくら出かけてくらぁ」

「おや、どちらへ? 私はそろそろ出勤ですが、副長は」

「ああ、夕方までは非番さ。それまで、ちっと買い物」






列車に揺られて一刻(二時間)ほど。局長夫妻が辿り着いた駅前には、人力車が停まっていた。
紺股引に法被姿の車夫が、するすると近寄ってくる。一瞬、客引きかと思って警戒した近藤であったが、車夫は手元のメモを一瞥してうなづくや「真選組局長の近藤様、ですね?」と、声をかけてきた。

「はぁ、確かに近藤ですが」

「今宵のお宿より、お迎えに参りました」

なるほど、宿付きというだけあって、都会のべらんめぇ調の連中とは、どこか品が違うような気がする。

「すげぇや、出迎え付きのとこなんて初めてですぜ」

キャッキャッと嬉しそうにはしゃぐその姿は年相応の娘のようだが、口調だけがどうやっても外見に伴っていない。

「俺もそんなところは初めてだ。あの、これってもしかしてその、別料金とか? その、お高いんでしょう?」

「全ておもてなしに含まれております」

その言葉に安心して、やっと近藤の顔に笑いが戻った。

「んじゃあ、ひとっ走り頼むわ」

徒歩で行くなら坂道を登るのが最短だが、人力車はその坂を避け、ずらりと土産屋が軒を連ねた通りを駆けて、海沿いの宿を目指す。

「近藤さん、あの饅頭食いてぇ」

店頭の蒸篭で蒸しあがって湯気を立てている饅頭を、沖田が目ざとく指差す。

「だからよぅ、総悟。もーちょいかわいい言葉で」

「『総悟』なら問題ねぇでやんしょ?」

「まちげーた、そーこちゃん。おあにぃさん、すまねぇ。ちっと止めてくれるか?」

車夫に車を止めさせると、近藤はいそいそとその饅頭を買いに走る。ここで、一瞬迷うものの、車夫の分まで買ってきてしまうのが、近藤という人間だ。すれっからした江戸の車夫なら図々しく自ら手を出すところだが、この行儀の良い車夫は丁寧に、だが断固として、それを受け取るのを拒んだ。

「そーこちゃん、三つ買って来たから、一個、今食べるか?」

「なんで三つ? 俺、まだ『二人分』じゃねぇですよ? それともゴリラだから算数は苦手なんですかイ?」

「その、つまり、うまそうだったんだよ。ともかく、熱いから、気をつけて食うんだぞ」

「子供扱いしねぇでくだせぇ」

割った饅頭にふーふーと息を吹きかけて、冷まして口に運んだ沖田の顔に、笑みが浮かぶ。

「美味いのか?」

「食ってみりゃ分かりまさぁ」

手に持ったままだった残りの半分を、さらに半分に割って、近藤の口に押し込む。

「あひひひひひひ。悪くねぇな。土産に買って帰っか?」

そのやり取りを聞いていた車夫が、車を引きながら振り返った。

「宿から徒歩でこの通りに来れますから、後ほど散歩がてらお出かけになられてはいかがです? 他にも色々と土産になりそうなものはありますし、近くに港もありますので、干物などもお土産にお買い求めになる方は多いんですよ」

「干物か。荷物んなりそうですねイ」

「送っちまえばいいだろ、あぁ、でも俺らだけ焼いて食うのも、他の連中に悪ぃな」

「小鯵程度だったら、屯所の連中に行き渡るくらい買ってっても、いいんじゃねぇんですか?」

「屯所が匂いそうだな。まぁ、いいか。よし、そーこちゃん。いい店目星つけとけ」

「あいよ」


初出:2009年12月31日
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