Nicotiana【20】


いざ『江戸小町ほとがら館』に、原田が運転するワンボックスカーで乗り付けると、そこに待ち受けていたのは、吉村折太郎率いる監察方ご一行様であった。
服部茸夫、新井逆雄、芦屋降、尾形鈍太郎と揃いも揃って地味な優男で、その私服も控えめなモノトーンが基調だ。伊東鴨太郎が高杉一派と組んで叛乱を起こす前なら、篠原進之進もこの中に含まれていただろう。

「なっ、なななっ、てめーら、なんだって、こんなところに居やがんだ! それも葬式みてぇな格好で!」

「やだなぁ、俺、撮影会見に来て良いですよねって、昨日、言ってたじゃないすか」

「確かにてめぇはそう言ってたが……いや、でも俺は許可した覚えは無ぇっ……第一、他の連中は通常勤務があるだろうがぁ!」

血管ブチ切れ寸前で喚く上司の肩を、吉村が抱くようにしながら「はいはい、往来で喚くと目立ちますよ。お嫌いな万事屋の旦那なんぞに見つかったらお嫌でしょ?ホラ、落ち着いて落ち着いて」と、巧みに宥めて写真館に押し込む。

「他の連中だって、ちゃんと休暇届出して来てますよ。もちろん、隊務が滞らないように、今抱えているヤマの中間報告書と引継ぎ要綱も一緒に、ね。皆、昨夜は寝ないでレポート仕上げたんすから」

「俺はンなもん、受け取ってねぇぞ」

「そりゃあそうでしょう。今日、副長は非番なんですから。局長も副長も一番隊長もお休みでしたから、序列から考えて、二番隊長の永倉さんに今朝一番で提出しました」

しれっと吉村が言えば、確かに今日の留守居を頼んでいるのは永倉と井上なので、土方も「むうっ」と唸ったきり、まさに「ぐうの音も出ない」状態になる。

「てめぇ吉村、お前が首謀者か。雁首揃えやがって、何の罰ゲームだ、こりゃ。日頃の意趣返しか?」

「まぁ、確かに鬼上司がガラにもない格好させられて、青くなったり赤くなったりしてるのを楽しみたい気持ちがあるこたぁ、否定しませんが」

吉村は長い己の前髪をサラッとかき上げて、苦笑した。そして、手指を髪に絡めたまま、近藤や沖田、山崎とある程度の距離を確保していることを確認すると、視線を微妙に下方に逃がした。

「山崎だけじゃないんすよ」

「えっ?」

「アンタに惚れて、アンタのために働くってェ心意気でやってきたのは、山崎だけじゃないんすよ」

吉村の手が、落ち着きなく己の髪を弄っている。土方はつい、釣り込まれるように、その手に触れようとした。

「よし……」

「俺だけじゃないです」

そう呻くと、吉村は土方の手をパチンと叩くようにして払った。

「アンタにとってはただの茶番劇でも、その茶番すら許してもらえない子の気持ちってぇのも、察してやってくださいよ。山崎みたいに気持ちを表に出して、押して押して押しまくって押し切れる子ばっかりじゃないんですよ。篠原だって、そうだったでしょ?」

「まぁ、そういうもんかもな。それはすまねぇと思ってる」

思わず土方がしんみりしかけたが、そこですかさず吉村が「ホント、惚れさせ上手なアナタのくせに諦めさせるの下手な方……ってぇヤツですよね。まぁ、本音を言えば、俺はザキなんかよか、副長の花嫁姿が見たかったんですが」と混ぜっ返した。

「んなっ!?」

「そっちの方が確実に美人だと思うしなぁ」

「なっ、なななっ!」

「貸し衣装のドレスは、後ろでサイズ調整するってんで、多少ガタイがデカくても着れるそうですよ。一応確認してみましたが、副長ぐらい細身だったら、一番大きなサイズのドレス、いけるようです」

「ちょっ、待て、おまっ!」

「時間が余ったらでいいですよ」

「んなっ、勝手にんなこと決めたら、写真館にも迷惑だろうがっ!」

「ジョーク企画ということで、了承とりました。じゃ、OKですね?」

思わず真っ白になった上司の肩をポンと叩くと、吉村は土方が我に返る前に「良いってさ」と、固唾を呑んで見守っていた同僚らに声をかけた。さらに「ザキ、構わねぇだろ。皆のアイドルを独り占めするんだから、俺らにもそれぐれぇさせてくれや」と、トドメを刺す。山崎もこの畳み掛けるような展開に、その内容を反芻することもできずに、思わず頷いていた。

「では、お連れ様はこちらの控え室へどうぞ。新郎新婦様は、こちらのテーブルへ。撮影前に、打ち合わせがありますから」

西洋人形のような派手な顔立ちの受付嬢が、ひらりと白魚の手を翻して、一同を促した。





「まず和装は……お二方とも白無垢ですね。綿帽子と角隠しは、どちらにしましょう?」

名刺を差し出して一礼するや、おもむろにそう切り出した写真館の主人は、上品そうな初老の女性であった。受付嬢に目配せをして、パンフレットを持って来させて、ガラスのテーブルの上に広げてみせる。

「そらぁ、俺ァ、しおらしく角を隠すってガラじゃねーか……ででででっ!」

いつも通りの口調で喋ろうとして、沖田が近藤に小突かれる。

「総悟……いや、総子ッ! 今日はオンナノコとして振る舞ってくれるって約束だろうがっ」

「あんなまだるっこしい口調、やってられませんや。代わりにアンタが女房言葉でお願いしまさぁ」

「それじゃ意味ないでしょーがっ!」

女主人はそのやり取りに一瞬引きつったが、若い女髪結い師は柔軟なのか「愉快な花嫁さんですね。いいンじゃないですか、いつもの口調でも」などと言いながら、ころころと笑う。

「そうですね。どうせ声は映りませんしね。それに、いつも通りの方が、リラックスしていい表情になりますよ」

男性の撮影技師もそう言うので、近藤は「はぁ」と複雑そうに沖田を見下ろして、手を引っ込めた。

「で、実際んとこ、どう違うんですかイ?」

「そうですね、和装は髪を結い上げるのですが、綿帽子ではこのかんざしや髪飾りが隠れてしまうので、それが惜しいという場合は、角隠しの方がよろしいでしょうね。花嫁が嫉妬や嫁姑の諍いなどから鬼にならないように、という願いが込められています」

「俺んとこは浮気なんてぜってぇにねぇし、近藤さんとこの家族とも古い付きあいだから、やっぱり角なんざ隠す必要なさそうだな。土方さんとこは必須じゃねぇですかイ?」

沖田が冷やかすと、土方は視線を外して知らん顔をし、山崎は心当たりがあり過ぎるだけに、気まずく俯いてしまう。
微妙な空気になってしまったのをなんとかしようと、近藤が「そういやぁ、綿帽子の方には何か、特別な意味があるんですかね? 真っ白だから白無垢と同じように『アナタ色に染まります』ってヤツですか?」と、尋ねた。

「綿帽子はもともと、ゆふかづき、といって、木綿をかぶって身体を浄化するという意味合いのものでしてね。それが転じて今の形になったんですが……まぁ、いわば『魔除け』のおまじないですね」

「へぇ」

山崎がぴくりと反応する。

「魔除け、ですか。あの、じゃあそれで。絶対それで。断固それで」

「角は?」

沖田が混ぜっ返すが、山崎はなぜか頑なに「綿帽子で」と主張した。

「こいつは大変だ、土方さん。コイツ、角を隠すつもりはないみてぇですぜイ。いよいよ年貢の納め時ですかイ?」

「知るか」

話が滑ってどんどん明後日の方向に向かいそうになっているのを察して、女主人が「それで、ご新郎様の家紋はどういたしましょう」と、軌道修正をかけた。

「家紋?」

「レンタルの紋付は黒羽二重に五つ紋のものをご用意させて頂いておりますが、ワッペンを貼って、ご自分の家紋にて撮影することができます。大体の家紋はカバーできますが」

「近藤さんとこは『丸に横三つ引き』でしたよね?」

沖田が嬉々としてして尋ね、近藤が逆に「そうだったっけか。確かにこう、丸書いて、横棒ちょんちょんってぇのだったような……でも道場のんは丸いのが並んだ、向日葵みてぇのだったよな」と首を捻っている。

「俺ァ、アンタんちにちっこい頃から出入りしてから、きっちり知ってまさぁ。道場のんは、九曜ってんですぜ」

「はいはい。丸に横三つ引き、ですね」

先ほどの受付嬢が、今度は分厚い冊子ようなものを持ってきた。これにぎっしり家紋のワッペンをはさんで保管してあるらしい。

「あ……その、土方さ…んの家は?」

そういえば、袱紗なんぞに家紋が縫い取られていたのをチラッと見た覚えがあるが、冠婚葬祭での正装は基本的に隊服であるし、普段着の着流しにも家紋は付いていない。これから嫁ごうという家の紋を知らないとは、我ながら不出来な嫁だと項垂れながらも、山崎が小声で尋ねる。

「あ? あー……忘れたな」

「え、ちょっ……忘れたって、そんな!」

「トシんとこのはその、アレ、なんだ。レヴィアたんとダーさんとが、こう、ぐるぐる巻いてるようなヤツだ。なぁ、トシ」

「あー…そんなんだったかな。レバーとタンにザーサイがぐるぐる巻いてたな」

「無い無い無い、そんな家紋ありません!」

山崎が必死でツッコむが、女主人はボケているのか真剣なのか、真顔で「それは珍しい家紋ですね……よろしかったら、こちらのファイルで探されますか?」と促す。それに対して、土方はすげなく「面倒だから、いい。そのままでもいいんだろ」と、答えた。

「紋付、持参すれば良かった……ううっ」

だって、事前の問い合わせでは、何も要らないって言ってたんだもん。
紋付だって準備してくれるって、確かに準備してもらってるけど、まさかその肝心の家紋が分からないなんて、そんな罠が潜んでいようとは……と悶えている山崎を横目に、女主人が「では、和装については、以上でよろしいですね?」とまとめた。

「つづいて洋装も、大体のところを決めてしまいましょう。細かいアクセサリーなんかは、髪型と合わせてメイクをしながらお決めになったが方が良いでしょうけど。白と……カラードレスもお召しになるんですよね?」

詳細は聞いていなかった土方が「そんなに何着も着るのか」とギョッとするが、近藤らは平然と「そうそう」と受け答えている。

「大体のところは決めてきたんでさぁ」

沖田が衣装見本帳を広げて「これと、これ」と指定する。白ドレスは吉村もオススメの露出を抑えてフリルの多いロリ系のもの、カラードレスは色鮮やかなライトグリーンだった。
一方の山崎は、胸元こそ広く開いているものの、すっきりしたシンプルなデザインの白ドレスと、淡いブラウンのドレスを遠慮がちに指さした。

「ち。どこまでも地味だな、てめーは」

それをチラッと見た沖田がボソッと呟く。

「せっかくこういう機会なんだから、パーッと派手なのにしろや。真っ赤とかドピンクとかも、ありやすぜイ」

「いや、だって……俺……いや、うち……は、これがいいと思って……土方さんはどう思います?」

へどもどしている山崎を、さらにいたぶるように「おめぇも今日は『土方』だろがイ」と、沖田が追撃すると、山崎は耳まで赤くして「じゃあ、その……と、十四郎さん……」と小声で呼んで、俯いてしまう。

「へーぇ、トーシローサン、ねぇ」

「おい、いい加減にしろ」

さすがに見かねて土方が割り込む。

「じゃあ、こっちにしたらどうだ?」

ザッと見本帳を流し見た土方が示したのは、鮮やかな黄色のドレスだった。女主人が「これを選ばれるとは、お目が高い。大抵、こういう色ドレスは、ピンクやブルーを選ばれる方が多いのですが」と、感嘆する。

「そうなのか? まぁ、他人と同じ色じゃつまらんだろがよ」

「さすがトシ。マヨネーズ色というわけだな」

近藤のツッコミに、土方本人と写真館関係者はキョトンとしたが、それ以外はブッと吹き出した。

「はっ、確かにマヨ色にちげぇねぇな」

「あの、うち、それでいいです。うちのひとが選んだんやから、それにしてください」

爆笑の渦の中、山崎がボソッと女主人にそう告げ、女主人は淡々と「はいはい、これね」と紙片にドレスの通し番号を書き入れる。

「おめぇ、ホントにそれでいいのか? 何日も考え抜いてその薄茶色にしたんじゃねぇのか? いくらトシがそう言ったからって、あっさり変える義理はないんだぞ? 好きなの着ろよ?」

「局長、お心づかいありがとうございます。でも、これに決めたんです」

そんなこんなしている間に、女主人からメモを受け取って、写真館の受け付け嬢が色ドレスの現物を持って来た。色物は見本と現物では色合いやイメージが微妙に異なるからだろう。

「これで間違いございませんね?」

まだハンガーにぶら下がった状態のそれは、片手で持つにはずしりと重たい。沖田はさっそくそれを受け取って「近藤さん、どうでイ、似合いますかねイ?」などとはしゃいでみせた。

「うおおおぉ! さすが総子だ。キレイだなぁ。カワイイなぁ。おめぇは何でも似合うから、困っちまうなぁ。でも、そっちのピンク色も捨て難いよなぁ。肌が白いから、濃い赤も映えるだろうなぁ」

「いっそ、全部着てみやすかい?」

「それもいい考えだな。でもまぁ、披露宴でも着れるから別に今、全部着なくても……ああでも惜しいなぁ、悩ましいなぁ」

そうやって大はしゃぎしている局長夫妻を横目に、山崎も色ドレスを胸に押し当てて、ちろりと土方を見上げてみたが、土方はいつもの仏頂面で「好きにしろ」とボソッと吐き捨てただけだった。






では、まず新婦さんのお化粧をしますので……と、新郎と野次馬どもは控え室に追い出される形になった。新婦の母親など、女性の親族や付添いがいれば一緒に化粧室に入って、次々厚塗りされて文字通り「化け」ていく姿を見物したりもできるのだろう。

「トシィ、煙草吸うんなら、今のうちに吸っておけ? 衣装着ちまうと、匂いが移るからって禁煙だから」

「マジでか」

土方は慌てて一服しようとして、煙草の箱が見当たらずにワイシャツやスラックスのポケットを探った。

「ち。ザキのヤツ、どこにやった」

そこで当たり前のように、預かった山崎の手提げ鞄を開けて引っ掻き回し、予備で入れておいてあったらしい未開封の煙草とライターを見付けた。ついでに、自分の携帯も発掘して着信履歴がないのを確かめて、また手提げに戻しておく。

「なんか、そんなんやってる姿って、とっくに夫婦みてぇなのな、おめぇら」

その様子を見守っていた近藤が苦笑いした。

「夫婦というか……まぁ、ずっと傍に居たからな」

大体、さんざっぱら契ってるから、今さら純潔の花嫁もヘッタクレもないだろがよ……とは、いくら無神経な土方でもさすがに言えない。

「カワイイじゃねぇの。すっかり花嫁になりきっちゃってさぁ。それに引き換え、総悟は中身はいつもの調子だもんな。まぁ、そこが総悟らしいっちゃあ総悟らしくてイイところなんだがよ」

「なりきって化けるのは、アイツの十八番だからな。あるいは、何日も性転換したままだからな。身体の変化が多少、精神の方にも影響を及ぼしてきてるのかもしれねぇな……そこいらはサンプルを医局に回して、分析してみねぇと何ともいえねぇけどな」

「そういう論点じゃねぇだろ、愛されてんだろ。うちのひと、なんて俺も呼ばれてみてぇよ」

「そんなに感心するこっちゃねぇさ。あらぁ単に、アイツのお里の訛りなんだろ」

待ち合い室の隅に申し訳なさそうに据えられた銀色のスタンド灰皿を囲みながら、一本目を慌ただしくフィルターまで吸い尽くし、ニ本目をくわえてライターをカチカチと鳴らす。火がついたところで、自分の煙草につけよう……とする前に、ヌッと一本、その火の前に割り込んで来た。

「ああ、原田か」

もちろん、そのままで火はつかない。
あらためて口許にもってきてくわえたところで、火をかざしてやる。

「土方よぉ」

深々と煙を吸い込み、鼻からプーッと吐きながら、原田がボソッと言う。

「ンだぁ?」

「ザキに、キレイだぐれぇは言ってやれよ」

「はぁ?」

だが、原田はそれ以上何も言わず、ただ黙々と煙草を灰にしている。自分の煙草にも火を点し『言えるかイ、男がそんな腑抜けた台詞なんざ』と反駁しかけた時に、近藤が「そうだぞ、トシ。こういう時ぐれぇは報いて、気持ちを返してやるのが男ってモンだ」と畳み掛けた。

「エロゲーでしか恋愛したことねぇアンタに、そんなことを説かれるとはね」

「二次元でも三次元でも、オンナはキレイだと言われりゃあ嬉しいもんだろがよ」

「元は男だ」

「一時は、それを捨てる決意までしたんだ。尚更だろ」





一時は、という言葉に土方はハッとした。煙草の灰がほろりと床に落ちる。慌てて、靴の先でそれを蹴散らしてゴマ化した。

まだ、近藤にも解毒剤のことは話していない。
前々から「俺んとこはそれは必要ない」と言っていたが、念のため、撮影会が終わってから、渡すだけは渡すつもりでいる。なぜかそれを見透かされたような気がしたのだ。




そう、当たり前のように名で呼び合い、着飾って写真に収まって、幸せそうな新婚カップルのふりをしても、それも今日限り。明日からはアイツは男の身体になって、元の上司と部下の関係に……戻れるのだろうか?

「花婿がそんな辛気くせェツラしてんじゃねぇよ」

近藤がバンと、土方の背中を叩いた。

「近藤さんは強ぇな」

「強い? まぁ、愛の力だな」

そう言い切って、いけしゃあしゃあとしている近藤に、土方もつい、苦笑が漏れた。





それにしても花嫁のメイクは時間がかかる。
ほとがら館を一日貸しきりにしているので、後の客を気にすることもなくゆったりできるとはいえ、予定以上の時間を取られていた。やる気の無い花婿の土方は、スキをみて何度も逃亡を図っては、原田に首根っこを掴んで連れ戻されたものだ。

「でもよぉ……なんにもすることねぇんだぜ。昼飯ぐれぇ食わせてくれや」

「ザキちゃんだって、腹減ってんだ。我慢してやれ」

だが、そういうタコ入道の太鼓腹も『ぐぅううううう』と豪快に鳴り始める。なにしろ朝一で出てきた割には、もうすっかり昼飯時になっている。しかも、いつもなら原田が何も考えていなくとも、優秀な副官がソツなくサンドイッチのひとつも差し出してくれただろうが、あいにく今日は大将の代わりに十番隊を率いて通常勤務だ。

「アンタだって、腹減ってんじゃねぇかよ」

「気のせいだ」

そこに、首から上を真っ白く塗りたくって頭に網を被せた、マスクメロンのオバケが、扉からひょっこりと顔を出した。

「うお、メロン怪人」

「なんだぁ、新手の天人か?」

「近藤さぁん、腹ァ減った。なんか買ってきて。口紅落ちないようなヤツ」

持参したバナナをおもむろにかじっていた近藤は、呼びかけられて初めて、それがウィッグネットをかぶせられた沖田だと気付いた。

「な、なんだぁ、総悟。その格好」

「何って、最初は和装でやんしょ? この上から日本髪のカツラをかぶるんですぜい。もう、これが重たいのなんのって、肩ァ凝ってかないませんや。そうそう。衣装もすっげぇ重くて暑くて。なんせ、まるっきり綿布団ですぜ」

「ご、ご苦労さん。花嫁さんは大変だな、俺らの紋付袴なんて、普段着みてーなもんだからなァ。口紅落ちないようなヤツって何、そーこちゃん」

「そんなの知りませんや。でも、せっかくキレイにした化粧、落ちたらイヤでやんしょ? 近藤さんも」

「むむ……それもそうだ」

沖田が扉の向こう側にいる山崎に「おめぇも腹へったろ?」と声をかける。

「大丈……」

だが、その山崎の健気な回答を、腹の虫が裏切った。きゅーころころころと、扉向こうにまで虫の音が響き渡る。特に山崎は、寝坊したせいで朝飯を食べ損ねているのだ。

「ご、ごめんなさいね。でも、とってもキレイに仕上がってるから、もう少し頑張ってくださいね」

そう、申し訳なさそうに取り成したのは、髪結い師だ。
決して仕事が遅いわけではないのだろうが、元が派手な顔立ちで油断するとすぐ化粧がケバくなるのと、元の器量に引きずられていくら塗っても地味になるのとを同時に手がけているのだから、一筋縄ではいかないのだろう。

「土方さん、ゼリー飲料4パック。アンタの財布で買って来てくだせぇ」

そのケバくなる側が、上から目線の見下し口調でそう告げた。

「んなもんで、俺は腹ァ膨れねぇぞ」

「何言ってるんでさぁ、俺と山崎の分」

「おめぇら、2パックずつも飲むのかぁ!?」

自分はそんなもんでは腹が膨れないと言う割には、他人が飲むと聞けば「2パックも」と驚くとは、手前勝手な話だ。だが、当たり前のように土方が財政出動させることを思えば、それぐらいは言う権利があるだろう。

「ドレスも和装も、それぞれ10キロはあるらしいんですぜ。それぐれぇのカロリー補給が必要でさぁ」

「けっ。てめーらみてぇなハネッ返りは、メシ抜いて消耗しておとなしくなったぐれぇが、フツーの女並みってぇレベルだろ。どうせ中身は男のままのくせに」

「アンタ、カワイイ山崎にもそんな冷てぇこと言……言うか、このド畜生は」

「だからどうした」

土方がまったく動こうとしないのに痺れを切らして、原田が土方の財布を奪い取るや「じゃ、俺行ってくるわ」と言い出した。

「ちょ、俺の財布!」

追いかけようと(というよりむしろ、それに便乗して逃亡しようと)する土方の肩を、近藤ががっしりと掴んで引き止めた。




初出:09年11月05日
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