阿蘭陀菜【6】


テレビでは、その瞬間から弾けるように『はっぴーにゅーいやぁ!』『オメデトーゴザイマス!』などと、タレントが口々に叫んでお祭り騒ぎが始まったが、近藤はその騒々しさに耐え切れず、おもむろにリモコンを取り上げると、ぷつりと電源を切った。テレビの喧騒が消えた代わりに、ツーンという耳鳴りのような『静寂の音』を感じる。やがて、その沈黙を打ち破るように「近藤さん、一年の計は元旦にありって言葉、知ってやすかイ?」と、沖田が呟いた。

「おう、そりゃよく俺もみんなに言ってるしよ。ガンメイに一年のK1グランプリってヤツだな」

「そうそう。んで、今年の一番の目標は、式を挙げて晴れて夫婦になることでさぁ。そんな訳で、是非ともガンメイに、夫婦らしいことしてみやせんか?」

「やっぱり、そこか」

額を指で突つかれ、沖田はぺろりと舌を出す。

「だってェ。ここなら屯所と違って、邪魔も入んねぇし、離れだから他に聞こえることもなければ、この時間は仲居だってきませんぜ? なぁ、近藤さん。いつまでも空手形で待たせねぇでくだせぇよ」

サカリのついた猫のように鼻を鳴らす沖田に、近藤は溜め息を吐く。

「どーしてもかよ」

「アンタ、ここに何しに来たつもりですかイ?」

「まぁ、そうなんだが」

「俺んことが嫌いなんですかイ?」

「嫌いじゃねーけどさ」

「じゃあ、なんで? ザキんとこはヤりまくってんのに」

「そんなに山崎がうらやましかったら、山崎さんちの子になりなさい」

「あのド畜生が旦那なんてやなこった。俺ァ、アンタがいいんだ。ちっこい頃からずっと、アンタの後を付いてきて、これからもずっと、隣にいるんだ」

その気持ちは良く分かるが、それとこの行為がどうにも結びつかないのは、近藤の脳内での沖田がいまだに、ひとりぼっちで地面に絵を描いていた童であり、田舎道場の弟子であり、長じては仕事仲間として付き合ってきた少年のイメージをまとっているからだろう。そこから一線を飛び越えた上に、こんな据え膳というか強制膳状態に陥るとは、そんなシチュエーションはエロゲーでも経験したことがない。しかも、相手は(男としての経験はさておき)、女としてはまったくの処女なのだという。

「あのさ、期待されても俺、うまくやれる自信ねーよ?」

「アンタがうまくやれるなんて、これっぽっちも期待してねーよ」

「ヤったって痛いかもしんねーし、これっぽっちも気持ちよくないだろうし、オヤジくさいし、インキンうつるかもしんねーし、足くさいし、四十八手なんて知らねーし、屁くさいし、どうせケツ毛ぼーぼーのゴリラだし、くさいし」

「そんなの、とうに知ってまさぁ。肛門括約筋もゆるいし、ウンコくせぇし」

「いや、ここはちょっとは否定しようよ、そーこちゃん」

「でも、そのケツ毛も含めて、アンタなんで」

近藤がハッと息を呑んで、改めて沖田の顔を見つめた。コイツ、でっけぇ目をしてんな、とふと思う。その瞳で、ずっと自分を見続けてきたのだろうか、醜いところも見苦しいところも欠点も汚点も全てひっくるめて。そういえば昔、志村妙に惚れたのも、愛する人はケツ毛ごと愛するという、菩薩のような言葉を与えられたからだった。結局、それはキャバ嬢としての営業トークであったのだが。

「こんなすぐそばに、菩薩はずっといたんだなぁ」

「何言ってんですかイ?」

それに答える代わりに、近藤はおもむろに沖田の身体を抱き上げた。一瞬、驚いて身体を硬くした沖田だったが(子供の頃の、オイタが過ぎた時のお仕置きのように)窓から外に放り出されるわけでは無かった。ならば、布団に向かって放り投げられるかと、とっさに首筋にかじりついたが、予想に反してゆっくりと抱き下ろされた。

「アレ?」

「アレって何だ。おめぇ、ここに何しに来たつもりなんだ?」

「まぁ、そうですねイ」

沖田は状況を理解すると、いそいそと自ら羽織の紐を解き、帯にも手を掛けたが、ふと気付いて「こーいう場合は、俺が自分で脱いだ方がいいんですかねイ」と、問いかける。

「いや、脱がせるのも大切なイベントだからな。昔は、マウスでドラックして一枚一枚丁寧に脱がせたもんだが、最近はアイコンクリックで一発着脱なんて、けしからん。実にけしからん」

「それなんてエロゲー?」

近藤が、沖田の真正面に腰をおろす。沖田が、もぞもぞと膝を揃えた。らしくもなく三つ指を付いて、深々と頭を垂れる。

「んじゃ、フツツカモノデスガヨロシクオネガイイタシマース」

参考書をそのまま読み上げたかのような棒読みの挨拶だが、近藤も慌てて正座すると「こ、こちらこそよろしくおねがいいたしますっ」と返した。しばしの沈黙の後、顔を見合わせ、ぷっと、どちらともなく噴き出す。

「今さら、こんな挨拶もいりやせんやね」

「そうだなぁ。これで俺ァ、魔法使いになり損ねたな」

その近藤の言葉の意味は、沖田には理解できなかったが、それについて深く考える代わりに、伸ばした腕を近藤の太い首に巻きつけ、頬をすり寄せて肌の匂いを吸い込んだ。オッサンくせぇ、カレーくせぇ、と罵る代わりに「これでやっと、近藤さんの嫁になれまさぁ」と、呟く。その唇が唇で塞がれた。



明けの七つ半(午前五時)を過ぎた辺りから、また新たに隊士たちが出て行くのに変わって、各所の警備に行っていた隊士達も次々と戻ってくる。土方を初めとする神宮メンバーが屯所に戻ってきたのは明け六つ刻だった。そろそろ陽も上がってきそうなものだが、東の雲が淡く輝いて夜闇を払ってはいるものの、空全体はまだ、深い藍色に染まっている。
冬至を過ぎて徐々に日が長くなっているはずなんだがなと、土方が妙な感心をしていると、山崎が「良かった、まだ暗くて」などと弾んだ声で言った。

「暗い方が好きなのか。オマエはゴキブリか何かか」

「違いますよ。初日の出が見れるじゃないですか」

「ハァ?」

「初日の出。知らないんですか? 初日の出ってのは、その年最初の日の出です」

「バカかオマエ、真正のバカだろ。誰が初日の出の意味を聞いてんだ。お天道さんなんて、毎年毎日昇ってんだろ」

「有り難みが違うんですよ。ほら、御来光とか言うでしょ。毎年、拝んでるじゃないですか」

「知らん」

知らんってアンタ……と畳み掛けようとして、そういう行事ごとを喜んでやるのは、むしろ局長の近藤であることを思い出した。なにせ土方は、忘年会や新年会でも酒を飲んで楽しむことをせずに、仕事のことばかり考えているような男なのだ。

「ぼうっと太陽なんざ見てる暇があったら、市中見回りに出るか、次の勤務に備えて寝ておけや。毎年、そんなことやってたのか、あの人は」

ああ、やっぱりそう言うでしょうねと、山崎は少なからずガックリするが、ここでハイそうですねと引き下がったら、新婚初めてのお正月が台無しだ。

「副長、今年は局長を旅行にやって、代わりに副長が屯所を守るんですよね?」

「あん? 何を今さら」

「ということは、毎年局長が行なっていた仕事も、副長がなさるってことですよね?」

「何が言いたい」

「初日の出を眺める隊士を見守って、安全を確保するのも、立派なお役目だと思うんですけど」

「屁理屈つけんな」

土方が山崎の頭をすぱんと叩いた。説得失敗かと山崎が肩を落としかけた時、土方が「ようやく寝れると思って帰ってきたのに、もう半刻も起きてられる自信がねぇよ。寝ちまわないように付き合え」と、欠伸混じりに言った。どうしてこう、この人は素直じゃないんだろう。山崎の口元が思わずほころんだが、口に出して言えば、また引っぱたかれるだろう。

「それとも、先にお風呂にでも入ってきますか?」

「コタツでいい」

「お風呂で温まってこられればいいのに」

そんなやり取りをしなから副長室のふすまを開け、手探りで行灯に灯を点し……固まってしまった。




盲点だった。

副長の部屋だから大丈夫だと安心しきっていたが、そんなものを屁とも思わない生物が(沖田や万事屋の旦那を除いて)存在していることをコロッと忘れていた。
副長室に戻ってきた土方と山崎が目撃したのは、生意気にも座布団の上にひっくり返り、ぽっこりと膨らんだお腹を見せながら寝ている猫と、食べ散らかされたおせち料理の残骸であった。山崎はあまりの惨状に、一瞬、頭の中が真っ白に凍りつき、動けなくなる。

「あーあ。まぁ、畜生がすることだから、しかたねぇな」

「畜生っていってもね。絶対、分かっててやってるよ、コイツ。絶対に、嫌がらせでやってるに違いないよ」

だってコイツの名前『しの』だもん、アイツの生まれ変わりだよ絶対……という愚痴は、篠原にまだ未練がありそうな土方には口が裂けても言えない。

「ちょ、なんでコイツ、首輪なんかしてるんですかっ!」

つい最近まで、そんなもの付けていなかった筈だ。
細めの皮には細かい刺繍がなされており、銀色の上品そうな鈴だけを見ても、この首輪がかなり高価な品物であったことが容易に察せられる。

「なんでって、昨日買ってやったんだ。首輪ぐらいしてないと、野良猫と間違われるだろ」

「間違われるも何も、正真正銘の野良ですっ!」

「オマエらで餌やって、面倒みてるんだろうが」

「いや、俺は世話してないです。尾形と服部が勝手に」

「同じことだろ。ともかく、三味線業者に捕まっても可哀想だしな。なぁ、しの?」

呼びかけられ、頭を撫でられて、猫は『なーん』と上機嫌な声を出す。山崎は持って行きどころのない怒りで、ぶるぶると肩を震わせた。

「なっ、なんでアナタ、猫なんかに貢いでるんですかっ! 沖田さんは局長に帯留めとか、いっぱい買ってもらってるのに!」

土方が眉をしかめる。整った顔立ちだけにその造詣に眼を奪われ、つい見惚れてしまうが、実際にはそれは不興を示している。山崎は、己が口を滑らせたことに気付いた。

「なんだ、物乞いか」

「物乞いっていうか。その、少しは愛情表現してくれてもいいかな、とか思っただけなんですけどね。プレゼントとか」

「結局、物乞いじゃねぇか」

「だから、物が欲しいんじゃないんです」

「だったら、わざわざ近藤さんとこを引き合いに出すこたぁねぇだろが」

「それもそうなんですけど、俺が一所懸命、お節作ったりしてるのに、その、少しぐらいは報いてくれてもいいんじゃないかな、とか思っただけで」

主張している声が次第に小さくなってしまう。どうせ、返ってくる言葉は分かっている。

「なに恩着せがましいこと言ってやがる。無理して作ってくれなんて頼んでねぇぞ」

ほらね。

「だって、一緒にお正月、したかったんだもん」

「お節が食いたきゃ、嫌々作らなくたって、仕出しでも何でもあるだろうが。天人開化のこのご時世、元旦からコンビニもデパートも営業してんだし」

「だって」

「だって、なんだ。そもそもお節ってぇのは主婦が正月休めるように始まった行事だろ。コンビニやデパートで賄えるもんは賄えばいいじゃねぇか。それで何か問題でもあるのか」

「もそもそ論からすれば問題ないのかもしれませんけど、でも、それじゃダメなんです」

「何ワケのワカランこと言ってるんだ。駄々っ子じゃあんめぇし、いい加減にしろ。まったく、これだから……面倒くさくて嫌なんだ」

これだから、の後には『オンナなんて』という言葉を続けようとしたらしいが、山崎が元は男だということを思い出したらしく、苦笑いで飲み込んだ。怒りとやりきれなさで顔面蒼白になりながら山崎がわなわなと震えているのを尻目に、土方が「ほれ。この箱は無事みてぇじゃねぇか」と拾い上げ、文机の上に載せたのは、煮しめを詰めていた段だ。煮しめの段は重箱の下であったおかげで、難を逃れたのだろう。ちなみに一段目のナマ物の段は、開けてみたものの佃煮だのナマスだの黒豆だのには手をつけられなかったようで、腹いせなのか、見事にひっくり返されていた。

「卵焼きは? ああっ、愛を込めて作った卵焼きがぁぁぁぁぁぁ!」

「それぐらいなら、もっぺん焼きゃいいだろ。つーか、なんでお節料理に卵焼き?」

猫はむしろ「煮しめの段をひっくり返さなかったのを褒めろ」と言わんがばかりの、得意げな表情で土方の膝によじのぼって、甘い声で鳴く。土方はそれを叱るでもなく撫でてやりながら「ついでに、雑煮があるんなら温めて来い」と命じた。

「え、今ですか? あの、お節、蒲鉾とかその、買い直してきますけど」

「雑煮でいい。あと、こんだけあれば、十分じゃねぇか。立派な正月だ」

そう言ってくれる土方の心根は嬉しいが、それでお節料理を台無しにされた恨みが消える訳ではない。台所に行く前に鬼のような形相で大部屋に駆け込み、仕事明けで疲れた身体をせんべい布団に包んでいた尾形を蹴り飛ばして「あの馬鹿猫つれてけーっ! ケージにでも詰めて、絶対に出すんじゃねぇええええ!」と喚く。
吉村はその騒ぎに「なんだよ、秘め始めの邪魔だってか? 猫ぐらい居てもいいだろ。なんだったら、冷蔵庫のバター持っていけよ」と、混ぜっ返した。

「全身全霊でお断りします!!!!!」

尾形は億劫そうに起き上がったが、猫を引き取るのはやぶさかではないらしく「しの、副長のお部屋ですか?」と尋ねた。




土方が雑煮を平らげるのを待って、山崎が「どうですか?」と、試験の結果を待つ学生のような気分で尋ねる。土方は腹の皮が張って目蓋の皮が弛んだのか「何がだ?」と、あくび混じりに聞き返した。行火代わりにちょうど良かった猫は尾形に没収されたが、代わりのコタツのぬくもりが、なんとも心地よい。

「お雑煮ですよ」

「雑煮?」

「今食べたじゃないですか」

「ああコレか」

ああコレかって、アンタ健忘症ですか認知症ですかオジーチャン大丈夫ですかと、罵りたいところをグッと堪えて、精一杯の笑顔を作り「頑張って関東ふうのを作ったんです」と、畳み掛けた。ちなみに「さっき食べたメニューを思い出せない」のが健忘症で、食べたことすら思い出せないのが認知症の特徴とのこと。以上、豆知識。

「オマエ、上方だっけな」

「はい。でも、できるだけ土方さんのお口に合うようにって」

「味見とか、誰かにしてもらったのか」

「あの、原田さんに」

あまり他の男性に協力してもらったとは言いたくなくて、山崎の声がやや小さくなる。しかし、土方はそれを聞いて「原田か。しゃあねぇな」と、呟いた。

「えっ? 何? なんですか? 俺、なんか味付けとか、間違えました?」

「ああ、何でもねぇ。ちゃんと食えるから、心配すんな」

「心配とか、そういう論点じゃなくて、教えてくださいよ!」

「いや、美味かったって。美味かったから、いいだろ、もう」

「いまさら『美味かった』なんて言われても、嬉しくないです。なんなんですか?」

「せっかく褒めてやったのに嬉しくないって、こっちが『なんなんですか』だ。いちいち面倒くさいヤツだな」

『だって、気になるじゃないですか』と、山崎がさらに言い募ろうとした、ちょうどその時。
ぱたぱたと廊下を走る足音と「もうじき初日の出予想時刻ですよーーぅ」 という、甲高い叶の声が聞こえたのであった。



先刻のショックからまだ立ち直っていないこの状態で、新年早々、あのおっぱい小僧の相手はしたくないなと思いながら、山崎は倉庫から梯子を出してきて屋根に掛けていると、縁側に腰掛けていた吉村が「お前、まだ監察筆頭名乗るつもりなら、屋根ぐらい、梯子使わずに登れよ」と、声を掛けてくる。

「やだ、新年早々怪我したくないもん」

「そんなもんで怪我するぐれぇなら、筆頭やめちまえ」

日々の訓練でそれくらいはできなくはないが、今の精神状態でやれば失敗するに決まってるので、その野次を無視して、梯子で登る。瓦の上にしゃがんで、凍える手をすり合わせていると「俺も今年こそいいことあるように、上で拝ませてもらおうかな」と、私服の上に綿入れ半纏を羽織った原田がのそのそと上って来た。

「まだ余裕ありますから、どうぞ。副長もいらっしゃいますか?」

「俺ぁ、いい。源さんと話があるからよ」

朝っぱらから井上のジーサンと何の話だろうと、山崎は一瞬訝ったが、すぐに、この後土方が非番に入るということは、局長と副長が共に前線からいなくなることを意味していると気付いた。つまり、心置きなく休むために、古株の井上に留守を頼んで引継ぎを行う、ということなのだろう。

「こんなときまで、仕事ですか」

「こんなときまで、じゃねぇ。今、まさに仕事中だ……ところで源さん、今日はアンタと誰が、留守番長で屯所に詰めてくれるんだ?」

確かに、初日の出を楽しむ自分らを見守るのも仕事だとは言ったが。
一緒に並んで初日の出を眺めるつもりだった山崎は、ぷうと頬を膨らませる。原田が苦笑いして親友の肩を叩いた。それが屋根の下からチラッと見えたのか、土方はぶっきら棒な口調で「分かってると思うが、上の連中に、その図体で瓦割ったら自腹だって、よぉく言っとけよ」と、付け足した。
その土方の言葉に、屋根に上がるのを思い留まる隊士もいたが、それでもまた数人が梯子を登る。





同じ頃。

「うぉっ、寒い」

「さみぃぃぃぃっ」

風に煽られながら向かった海岸には既に人が集まっていた。
沖合いにある大岩の間には注連縄が張られ、そこから登ってくる初日を拝むのがその目的である。
近藤と沖田も女将が用意してくれた(どう見てもこれは丹前ではないのかと言いたくなるほど、丈の長い)綿入れ半纏を着込み、もこもこの足袋型靴下とマフラーをぐるぐる巻きにしてその中に混じっているが、それでもなお、風は冷たい。身を寄せ合ったり、足踏みをしたりしながら“その時”を待っていると、やがて水平線が静かに輝き始めた。それに伴って、参拝者は逆にざわついてくる。

「近藤さん、来やすぜ!」

沖田は、寒さを忘れ幼い子供のように弾んだ声をあげ、あかあかと黄金色に燃える海を指差した。その声に釣られたのか「おお」という感嘆がそこかしこで漏れる。顔を出した太陽は、海面に反射して少しくの間、奇妙な形にその身を歪めていたが、眺めている間にまるで羽化でもするようにゆっくりと海から這い出し、神々しいその光輪を露わにする。

「おぅ、しっかり拝んどけよ」




「見えたーーー」

「初日の出だぞー」

屋根の上からの声に、下に居た隊士たちも一緒になってパンパンと拍手を打ち、山崎も手を合わせる。

「末永く土方さんと幸せでいられますよう…にっ………てさせるか、ボケェっ!」

初日に願をかけているその背後に、音もな忍び寄ってきていた気配に気付き『ボケェっ』の『ェ』の発音のタイミングで、迷うことなく裏拳を叩きつけた。顔面を狙ったつもりだったが、身長差で鳩尾に入ったようだ。だが、相手の体勢を崩すには十分なダメージであった。

「しのー、ほら初日の出だよー。いい事あるといいねぇ」

猫が寒がるために屋根に登っていなかった尾形が、柔らかな毛並みに顔を埋めんばかりにして抱き締め、そんなことを話しかけていると、その真横に「ぎゃあああああああ」という悲鳴と共に、誰かが屋根から転がり落ちてきた。尾形は咄嗟に「うおっ」と奇声をあげて飛び退き、腕の中の猫もびくっと毛を逆立てる。

「てへ、ごめーん。ソレ、生きてるぅ?」

悪びれる様子もなく山崎が尋ね、尾形はおそるおそる『ソレ』こと叶を、草履の爪先で軽く突つく。ひょいと尾形の腕の中から飛び降りた猫も、叶の胸の上に乗っかって、その生死を確かめるかのようにコショコショと長い尻尾でその鼻先をくすぐった。

「山崎さーん、まだ生きてますよー。新年早々、ゴミ作んないで下さいよ」

「うあああん、起きれないですぅぅ、折角の初揉みがああああああああ!」

「そんだけ喚けるなら、命に別状はねぇな。医務室に誰か突っ込んでやれ。ザキも新年早々、余計な仕事増やすな」

呆れたように指示を出した土方の言葉に、数人の隊士が叶の長い手足を掴んで持ち上げる。そもそも、隊士の安全確保のために監督しろという名目でひとを野外まで引っぱり出しておいて(いくら自衛のためとはいえ)その舌の根も乾かぬうちに、テメェで他人を屋根から突き落とすとは何事だ。大怪我もしていないようだから笑い話で済むが、これだから女は自分勝手だというんだ。

「ぼくはしにましぇ〜〜〜〜〜〜っんっ」

どこかで聞いたような台詞を残し、叶は搬出されていった。


初出:2010年01月01日
←BACK

壁紙:素材屋Miracle Page より。

※当サイトの著作権は、すべて著作者に帰属します。
画像持ち帰り、作品の転用、無断引用一切ご遠慮願います。