阿蘭陀菜【7】
あかあかとありがたい御来光で新年を寿いでいたのは、ほんの数分のこと。
地平線を離れた陽光は次第にその神々しい輝きを淡くし、やがて何食わぬ顔で、ただ天地を照らすだけの恒星に立ち戻っていった。
「さびぃな」
誰ともなくそう呟くと、原田を呼びにきたらしい瀬尾が「お風呂、沸かしてありますよ」と告げた。屯所で風呂といえば、もちろん皆で入る大浴場だ。一同「でかした!」「さっすが十番隊!」「瀬尾さん、嫁に来て!」などと口々に歓喜した。なにしろ、身体の芯まで冷え切ってしまっているのだ。原田だけが「要するに、風呂からあがったら、すぐ仕事せぇっていうんだろ。少しは休ませろよ、鬼」と、有能すぎる部下にげんなりしたような声でボヤく。
その頃になって「明けましておめでとうございます」と、ひょっこり現れたのは、武田観念斎であった。井上と一緒に屯所を守るために、新年早々出勤してきたらしい。
「ああ、来た来た。もう少し早く来たら、武田君も初日の出を拝めたのに」
「んだよ、もうひとりって、武田さんだったのか。それは悪いことをしたな。妻帯者は基本的に元旦休みってことにしてあるのによ……代わろうか?」
「構いませんよ。うちはもう倦怠期で『亭主元気で留守がいい』ですから。むしろ私が出勤と聞いて、家内は喜んでいましたの」
それにしても悪いから、やっぱり今日の非番は返上する、と言い出した土方を、井上がやんわりと「まぁまぁ。せっかくの新婚一年目のお正月なんだから、奥さん孝行なさいな、ほら、山崎君もこっち見てる」と、なだめる。
「だから、結婚なんざしてねぇし、これからする気もねぇって、何百回言わせるんだよ。まぁ、源さんがそこまで言うんだったら、風呂だけ頂いて、今日はもう休ませてもらうわ……ザキ、おめぇ、先に入るか?」
土方が一応そう尋ねたのは、山崎だけがこの粋な心遣いのご相伴に預かれないからだ。そして、山崎が先に風呂に入るということは、他の野郎共はお預けを食らうということを意味しており、オンナの風呂は無駄に長い。皆の恨めしげな視線が、山崎に集まった。山崎が「あの、俺は後でいいです」と答えたのは、麗しい謙虚さだけが理由とは言い難い。
「じゃ、俺らで先に頂くぜ」
皆がぞろぞろと浴場に向かうのを尻目に、山崎は副長室に戻った。湯あがりの土方のために、洗い張りに出していた着物を取り出す。
せめて風呂に入ってから着替えるべきだろうかと一瞬迷ったが、せっかくだからと下着も全て履き変えて、用意していた新しい着物に袖を通す。お正月ぐらいは華やかなものをと購った、緋色地に薄紅色の大輪の華が艶やかな晴れ着だ。やっぱりもう少しおとなしい柄が良かったかな、と今さらながらに悩みつつ、徹夜の顔に薄化粧を施す。髪を梳って仕上げにお気に入りの朱鷺色の髪留めでまとめた頃、土方が戻ってきた。
土方は開口一番「脱衣所に着替えぐれぇ持ってきてくれてもいいだろ。気がきかねぇな」などと、ケチをつけてきた。山崎は「だって、他の皆も一緒だったから、行き難かったし」と弁解する。
「まぁ、脱衣所にゃ官製の浴衣が置いてあるから、別にいいんだがな。でも、十番隊の副官は原田の着替え、脱衣所に置いてたぞ」
「あの人と比べないでくださいよ。大体、あんなむくつけき大男共が豪快に着替えている中、か弱い乙女に突入しろっていうんですか?」
「か弱い? 一度、辞書引け。か弱いっていう項目に、赤線引け」
「ちぇ。どうせ、そんな単語似合いませんよ。それに、この着物、せっかくのおろしたてですから、お部屋でお召しになった方がいいかと」
「ん? ああ、洗いに出してたのか。糊は……これぐれぇでいいか」
糊がきいている方が着ていて心地よいと思うのだが、土方はオフの間、寝ても覚めても着たきり雀のせいか、よれよれの方がお好みであるらしい。山崎とて、それぐらいは一応心得ている。
「ところで、土方さん、なんか気付きません?」
仕事は終わった、雑煮を食って腹も膨れた、初日の出も見させて、引継ぎも済ませた、ひとっ風呂浴びたことだし、後は寝るだけ……と、そそくさと布団を敷き始めていた土方は「んだよ、まだなんかあるのか?」と、うんざりした声を出した。
「なんかあるっていうか、その、ほら、分かりません?」
山崎が何か言いたげに、自分の着物の袖をつんつんと引っ張っている。土方はまったく見当がつかずに「さぁ?」と答えるしかない。
「だから、あの、いつもと違うな、とか?」
「あー…そうだな『髪切った?』」
こういう場合にかなりの高確率でオンナの機嫌を取れる台詞をひとつ、あてずっぽうに言ってみたが、今回は逆効果だったようだ。
「違いますっ! 『髪切った?』って、どこのタモさんですかっ! もっと分かりやすいところですよ! ほらほら! これ! 着物!」
ついに耐え切れずに自分で答えを言ってしまったが、土方はそれでも数拍考え込んだ挙句「ああ、そうか。女装用か」と呟いた。
「女装もなにも、オンナですっ! アンタ昨夜、さんざっぱら撫で回しておいて、それですかっ!」
「もう去年のことだしなぁ」
「ひとでなしっ!」
「てっきり、女装してどっかに潜入する予定でもあるのかと思った」
「しませんっ! プライベートですっ!」
「だったら、その着物、経費にすんなよ」
「分かってます、自腹ですっ!」
「オマエ、一体、さっきから何をカリカリ怒ってるんだ?」
「だってぇ! せっかくだから、キレイな格好して副長に愛でて貰おうと思ったのに!」
土方はそっぽを向いて、煙草盆を引き寄せた。盆の上には、愛用のマヨボトル型ライターがちょんと乗っかっていた。どうやら昨夜は忘れていったらしい。土方は山崎が何か喚き続けているのを無視して、なにげなくそのライターを拾い上げ、火をつけるでもなく掌の上で転がす。コイツがおとなしくポケットに入っていたら、昨夜、仕事中に山崎にイタズラを仕掛けることもなかったろうと思うと、なんだか奇妙な気分だった。いや、これがあったところで、何らかの理由をつけて同じことをしていたかもしれないし、山崎は決して拒みはしなかったろう。
「ほれ、ぜってぇに無いって言ったろ」
ふと、いつぞやの吉村の忠告を思い出してそう呟いた。それを聞きとがめたのか、山崎が「へっ?」と聞き返す。見れば、その目からは、今にも大粒の雫が零れ落ちそうになっていた。
「何が、絶対にないんですか?」
ほれみろ、こんな面倒くさいヤツが、そんな曲芸、できる訳ねぇに決まってる。
「別に。なんでもねぇよ」
「なんでもないって、何ですか。気になるじゃないですか」
「気にしなくていい。なんとかの考え休むに似たりっていうだろ」
「どうせ俺はバカですよ」
きりが無いな、と土方は肩をすくめた。適当にあやして黙らせるか。マヨライターを煙草盆に放り込むと、布団の上であぐらをかいている己の膝を軽く叩いて「いいから、来い」と言葉短かに告げ、言われるまま傍らにいざり寄って来た山崎の手首を掴んで、膝の上に座らせる。
「愛でて欲しいんだろ?」
何事か口答えしようとしたらしいが、何を言おうと聞く気は毛頭なかったので、その減らず口を唇で封じる。一瞬、驚いたようにその目が見開かれたが、何か思い当たったのか、すぐにおとなしくなった。舌を絡ませ、互いの口腔内の熱を感じながら、角度を変えては啄む口付けを繰り返しているうちに、全身の力が抜けてきた。そのまま布団の上に横たえようとすると、はっとして土方の胸元を押し、身を引き剥がした。
「俺、シャワー浴びてない」
「どうせ後でも浴びるんだったら、同じだろ」
「それに着物、皺になっちゃう」
小さく呟いて、自分の着物の帯に手をかける。ただでさえ複雑な構造の女物であるうえに、いつも以上に気張って作り上げた装いだけに、帯締めを外しても簡単に帯が落ちることもなく、またそこには別の紐がある。
「面倒くせぇな。切ってやろうか」
膝の上で、必死でもぞもぞ脱皮している姿に苦笑を漏らし、土方が枕元の脇差に手を伸ばそうとすると、キッと顔を上げて「絶対ダメッ! 安くないんだから、これっ」と言い張った。ばさっと分厚いメインの帯が落ちても尚、見えない位置で胴をくくる紐があり、それを次々に解いていって、最後に胸元を結んでいた紐を緩めると、蝶が羽を広げるかのように着物が大きくはだけた。
「副長様の嫁を自称してる奴が、何ケチくさいこと言ってやがんだか。それにどうせ脱ぐんだから、何を着てても変わんねぇだろうが」
脱ぎ落とした着物と帯や小物たちを、丁寧にまとめて隅に押しやるのを待っていると、馬鹿馬鹿しさに生あくびが出てくる。
「気分の問題です。もう、ムード無いなぁ」
「嫌なら、一人で寝かせてもらうわ。ただでさえ眠てぇのに」
ごろりと布団に倒れ込むと、急にずしりと疲労がのしかかって来た。熱い湯舟に浸かって、身体がほぐれた影響もあるのだろう。己の肘を枕に目を閉じると後頭部から吸い込まれてしまいそうだ。その土方の胸倉を、山崎が掴んで引き戻した。
「それも嫌です」
「我がままな」
だるい手で毛布をめくってやると、いそいそと隣に潜り込んでくる。いくら眠くても、相手が誰であろうと、女の裸に無条件に視線が向くのは、雄の本能だろう。
「寝転んだら無くなるのは、年越しても相変わらずだな」
起きているときならば、多少は膨らんでいることが分かる(と、本人が主張している)胸乳も、横たわってしまえば、頂きで色づいているものの存在だけになる。指先で円を描くようにその周辺に指を滑らせると、一晩中厚着の下に篭っていた汗の匂いが、しかし確かに牝の身体であることを主張する甘い香りを含んで、濃く立ちのぼって来た。その匂いに誘われて鼻先を寄せると、くすぐったそうに首を竦めながら「無くならないように、土方さんが育成してください」などと図々しいことを言い出した。
「なに、糞メンドクセーこと言ってんだ。元が男の乳なんか育成しても、面白くもねぇ」
「だから今は、ちゃんと女だっ……んっ!」
反論の言葉はぶくりと立ち上がった先端に吸い付かれて、軽く歯を立てられたことで遮られる。指先や舌で押しつぶしたり転がしたりと弄ばれるごとにそこに熱が集まっていく感覚に身悶えしながら、小さく声を漏らしながら、半乾きでの土方の髪に指を絡める。本当に面倒だと思ったら、この人何もしないよな。さっきだって『嫁』って言ってくれたし、これはこれでいいのかもな。
「ねぇ、ひじか……」
足の付け根に押し当てらていた土方の膝頭が、下着越しに亀裂を擦りあげて、その甘ったるい呼び掛けの続きをかき消した。衣擦れに紛れて、微かに聞こえてきた水音に、山崎の頬にカッと朱がさす。
「まったく、よくもまぁ飽きもせず、ベラベラベラベラベラベラと。口喧しいのは、こっちの口もか」
からかうような口調で言われて、下着を引き下ろされる。反射的に閉じかける膝を押し広げられ、濡れたその部分が明かりの下に晒される。開きかけた花弁を押し広げれば、とろりと透明な蜜が指を伝って流れ落ちてきた。
「濡らす手間が省けるのは、楽でいいけどな」
くちゅくちゅと音を立てながら浅い場所を掻き回していた指が、グッと中に押し込まれる。指が抜き差しされるたびに、そこから聞こえる濡れた音に羞恥を煽られるのと同時に、身体の奥深いところが熱く疼いて来るのを感じ、その先を強請るように腰を揺らめかせると、不意にずるっと指が引き抜かれた。
「そんなに欲しけりゃ、いっそテメェで挿れて腰振れや。こっちはダルいんだ」
土方は指に絡みついた糸を引く体液を舐め取り、自分の着物を脱ぎ捨てながら、そう言い放つ。
「えーっ、そんなァ」
「何がそんなァ、だ。生娘じゃあんめぇし。つか、出来ねぇなら寝かせろ。いい加減、俺も死ぬわ」
一瞬躊躇いを見せた山崎だったが、腰を引き寄せられれば、土方の昂ぶったそれに、自ら濡れた口を擦りつけた。それでもなかなか腰を落とすことができずグズグズしているので、腰を支えてやっている手を軽く下に押して促してやると、ようやくじわじわと腰を落としていく。
「くっ……その貧乳よか先に、こっちの育成しろっての」
狭い肉の洞を押し割っていく、その圧迫感は快楽だけでなく食いちぎられそうな痛みすら伴っている。腹の底で『マジでコイツ、永倉んとこにでも修行に出してやろうか』と罵りながらも、少しでも緩めてやろうと番っている部分に指を這わせ、充血して膨らんでいる肉芽を摘んでくじってやる。
「ゃ、ぁぁっ……だめ…ぇ!」
反射的に出てしまった声に、山崎はハッとして口を押さえる。
「ダメとかイヤとか、いい加減にしてくれ。じゃあ、ここで辞めるか?」
そう尋ねながら、下から軽く腰を突き上げれば身体を震わせながら、首を左右に振る。
「女の間者が捕われたら、こういう拷問もされるんだぜ? 監察辞めた方がいいんじゃねぇ?」
「辞めません。監察辞めたら俺、用無しなんでしょ。土方さんだから我慢できないだけです」
腰を両手でしっかりと掴んで思いきり引き落とす。何度も掴んだ腰を上下に振るようにして、つき下ろすたびにより奥へと刺さり込んで行くのと同時に、自分で口を押さえる山崎の手の下からは小さな声が漏れる。「ちっとは可愛く啼いてみろや」と、その手を弾き飛ばし突き上げると、一度は鼻にかかった甘ったるい声が漏れるものの、再び頑に己の口を塞いでしまう。
「俺が聞かせろと言ってるんだ。それとも何だ、俺の言うことが聞けねぇのか? ダメもイヤも無しだぜ?」
その言葉におずおずと口元の手を外すのを確かめ、再び突き上げると意味を成していない獣のような声が、その度に山崎の口から零れ、土方の首に縋りついてくる。
「いい声で啼けるじゃねぇか。その声だけでヌけちまいそうだな」といつもよりトーンを落とした声で耳元に囁き、耳殻に舌を這わせれば、腕の中でふるりと身体が震える。
「やだ・・・ぁっ・・・なんか・・・くるっ・・・・ぅ」
「いいぜ、イっちまえ」と囁くのと同時に突き入れれば、ビクッと体が跳ね上がるのと同時に繋がった部分が搾り取ろうとするかのように、強く締め上げてくる。クッと奥歯を噛んでそれをやり過ごすと、山崎の呼吸が整うのも待たずに再び突き上げる。
「んぁああああっ!! だめ…ぇっ…! そんなされると…変になる……ぅっ」
「なってみろ。どこまでおかしくなれるか、見せてみろや」
手を再び下腹部へと這わせてまたぷっくりと充血して膨らんでいるその部分を軽く摘んでくじってやると、悲鳴にも似た高い声をあげ、激しく髪を振り乱し、胎内に飲み込んだ土方を締め上げながら、ビクビクと全身を痙攣させる。
「喚くな。そんな声出されると、出ちま……うだろうが」
先ほど以上の締め上げに小さく呻くと「ください……土方さんの…ほし…・・い…」と、半ば開いた口の傍から唾液が糸のように流れ落ちて、ただ快楽だけ求めている状態で腰を摺り寄せてくる。煽ったのは自分だが、ここまで山崎が乱れた姿を見せるとは。それがすっかり存在を忘れていたあの薬効なのかは分からないが、そんなことなと考える余裕もなく、互いに互いを貪りあう。先に限界が来たのは、山崎だった。
「ばっ……締めんなっ…!!」
再び持っていかれそうになった土方の言葉も聞こえないのか、ぶるぶると身体を震わせていたが、びくりとひときわ大きく身体が跳ねたかと思うと、そのまま動きが止まった。やがて縋り付く手だけでなくずるずると全身の力が抜けていくのを腕の中で感じて、抱き下ろして横たえてやり、腰を引いて抜け出す。
何とか逃げ切れたな……と安堵し、そのまま倒れてしまいたいところを、気力を振り絞って桜紙をわし掴みにする。己のモノを握り込むと、堪えていたものがドロッと吐き出された。丸めた桜紙をポイと屑篭に放る。それこそ何百回も言ったことだが、以前土方のせいで女体化した時ならいざ知らず、勝手に押し掛けてきたバカ犬の責任なんざ取る気は、これっぽっちも無い。責任問題が生じるリスクは、全力で避けなければならない。
ふと振り返ると、山崎がこちらを虚ろな目で追っていた。また『子種を絞り損ねた』と咬みついてくるかと一瞬身構えたものの、ぼんやりとしていただけのようで、髪を指で梳いてやると「俺、すごく幸せかも」と呟いて、心地良さそうに目を閉じる。
「あー…そうけぇ。そいつぁ、結構なこったな」
案の定というべきか、山崎のしているであろう勘違いに察しがつき、それを気付かせない為にも、寝かしつけてしまおうと子供をあやすようにその背を叩いてやれば、やがてその吐息が寝息に変わっていった。
とりあえず、これでクソ面倒くせぇ『オツトメ』が片付いたなと、煙草盆を引き寄せる。そういやぁ、近藤さんとこもサカられて迫られてるだろうが、あっちは首尾よくいったのかね。あの朴念仁がどんなツラでオンナ……といっても所詮、中身はあのドSクソガキ……を抱いたんだろうな。そもそも姫始めって、明日の晩にするもんじゃなかったっけか。もうどうでもいい……煙草を一口、二口吸い込んだところで力尽き、スパッと切り落とされるように、寝入ってしまった。
「ザキぃ。特急一本乗り過ごしちまったから、駅まで迎えに来てくれや」
心地よい眠りから山崎を引き戻したのは、近藤からの着信であった。時計表示を見れば、徹夜の影響もあってか、夕の七つ(午後四時)近い。隣では、土方もまだ裸のまま熟睡している。起こさぬように携帯電話を掌で包むようにして「なんで、俺? 一応、今日は非番なんですけど、俺」と、小声で抗議した。
「一番隊の神山君が迎えに来てくれる予定だったんだが、新年早々、神山君の顔はみたくねぇって、そーこちゃんがワガママをいうもんだから」
確かに、その気持ちは痛いぐらいに分かるので、山崎も「はぁ……なるほど」と答えるしか無かった。
「局長、あとどれぐらいで駅に着きます?」
「さぁ、鈍行に乗ってるからなぁ。あと半刻……ぐれぇかな?」
それぐらいだったら、シャワーを浴びて身支度をしても、十分に間に合うと頭の中で計算しながら通話を切ると、土方が「誰だ?」と尋ねてきた。
「局長です。迎えに来いって。ご一緒に行きます?」
だが、土方は「だるい、無理」と呟くと、ごろりと寝返りを打って、背中を向けてしまった。
「だるいってアンタ……あ、また寝煙草してるし!」
「うるせぇ、キンキン喚くな。頭に響く」
一瞬、ムカッとした山崎であったが、好意的に解釈すれば、それだけ疲れるほど、激しく愛されたということでもあると思いついて、へらりと口元が緩んだ。屈み込んで良人の頬に唇を押し付け「じゃ、行ってきますね」と、囁きかけた。
「うわ、キタネェ。ひとによだれ塗りつけるんじゃねぇ」
「汚いって何? さっきまでアンタ……まぁ、いいですけど。行ってきます」
駅前のターミナルに車を止めて待っていた山崎の目に飛び込んできたのは、着物の裾をずるずると引きずりながら歩いてきた沖田の姿だった
「ちょっ、なんて着方してんですかっ」
「電車乗ってすぐ緩んできちまった」
淡い色をした正絹の着物の裾が黒く変色しているのを確認し、どうやってこの汚れを落としたものか。ベンジンで拭くだけで落とせるだろうかと、ぐるぐると考えを巡らせながら屯所へ戻り、羽織っていた外套を脱がせた瞬間、山崎はさらなる頭痛を覚える。
「沖田さん、女物は対丈で着るもんじゃないって言いましたよね、俺」
全くといっていいほど、存在していないお端折りと、腰に巻かれた帯。そして油断したらぽろりと行きそうなほど緩んだ胸元には巻いただけ状態になっている紐が残っていた。
上に着ていなかったらどれほどの惨事になっていたか、いやそれ以前に俺は着物の着付け方を行く前に教えておいて、小物だって簡単につけられるものにしておいたのに、この半端ない崩れ方はどういうことだ、と山崎は頭の中で自問自答する
「言ってやしたねぇ。緩まないようにって、ちゃんと近藤さんに帯だって巻いてもらったのに、こんなになっちまって」
「だったら旅館の仲居に頼んでくださいよ。きっちり着たいときは、皆そうするんですよ」
「そんなの知るもんけぇ。あ、これ」
ごそごそと手提げから沖田が取り出したものは、本来ならば着物と共に有るはずの紐や帯締めだった。山崎はそれを見て「あああああああ……そりゃあ、着崩れるでしょうよ」と、がっくりうなだれる。
しかし、沖田は『可哀想な晴れ着』や『無視された小道具たち』にはまるっきり関心がない様子で、さらに着物を脱ぎ捨てて肌襦袢姿になるや、男物の羽織袴を身につけ「やっぱ、こっちの方がしっくりくるや」などと、勝手なことを言いながら、テレビなんぞをつける。
こっちはへそくり貯めてようようの思いで(愛する旦那様のいわく『どうせ脱ぐんだから無駄』な)一張羅を仕立てたというのに、この差は何だろうと世の不条理を噛みしめながら、薄情な持ち主の代わりにクリーニングの準備をする。
「そうだ、腹へった」
「だから、その『そうだ、京都に行こう』的なの、やめてくださいよ……お雑煮ならありますよ。食べます?」
視線は液晶モニターに吸い付いたまま、沖田は「おう」と背中で返事をし、リモコンを弄り回してチャンネルを次々に変えている。返事はちゃんと相手の目を見てしろと叱る気力もなく、山崎が溜め息を吐いて立ち上がって障子を開けると、その背中に「あ、雑煮の餅は、先に焼いてから入れてくだせぇ」と声がかけられた。
「え?」
「西っ側の連中は生餅入れてぐずぐず煮やがるから、餅が溶けちまって食いにくいったらねぇ」
それで気づいた。伊予の生まれである原田が、餅について何も言わなかった理由も。ダッシュで台所に行き、雑煮の汁を温め、トースターで餅を焼いたのを放り込む。刻んだミツバを散らしていると「いい匂いするなぁ」と、数名が顔を出したが『具が無いのだから大丈夫だろう』と根拠もなく判断して、そのまま沖田の部屋へ戻った。
「あの、だったらもしかして、出汁もちょっとおかしいですか?」
「ん? 俺はこんぐれぇのが好きだな。こいつぁ、鳥ガラの出汁けぇ」
「あのう、土方さんちのお雑煮って、どんなんか知ってます?」
「俺がアイツの実家の雑煮の味なんて知るわけねーだろ……そういやぁ、ねーちゃんが作ったのん食って、懐かしい味だって言ってたような。確か、カツオと昆布出汁で、もうちっと具が入ってたけど、まぁ、味付けはこんな感じでさァ」
そうか、味はこんな感じ、か。餅ね、餅だけはリベンジさせてもらおう。
「でもよう。無理して、相手んちの味に合わせようとしなくてもいいんじゃねぇの? 逆に、自分とこの味を覚えさせて『オメェのつくったメシでねぇと食えねぇ。一生俺のメシを作れ』って言わせるのも、嫁の甲斐性じゃね?」
「そんなもんですかね」
「オメェは、なんでも土方さんに合わせようとし過ぎなんでさァ。どうせ、奴ァ、何出してもマヨネーズかけるような味覚オンチなんだからよ。ま、俺が近藤さんに食わせてやれるのは、このナイスバディしかねぇけどさ」
けろりと言ってのけると、沖田は「お代わり」と空にした皿を突き出した。
「そうですね。ちょっと気負いすぎたかも。確かに、上方の味を知ってもらうのも悪くないですよね。じゃあ、せっかくだから棒ダラ作ろうっと」
「ボーダラ? なんでぇ。森の巨人けぇ?」
「それはダイダラボッチです……やっぱりこっちじゃ知られてないんですね。タラを甘辛く煮付けたものなんですけど」
例え、神山のように『愛するひとの故郷の味を知りたいと思うものであります』と高らかに宣告することは、土方に対して二千パーセント期待できないとしても、箸をつける前に無残にマヨネーズを振りかけられたとしても。
「ああ、そういやぁ、上方の見廻り組で研修してた頃の正月に食った料理に、そんなのがあったな。土方さんが、マヨネーズによくあうって、喜んで食ってたっけ」
「マっ、ジっ、でっ、すっ、かっ!?」
幸福の青い鳥はいつもすぐ手元に居るのに、人はそれに気づかないのだという。それだったら、最初から作れば良かった。せっかく神山があのバカ高い干物を買ってくれたのに、神山がキモいから、などという理由で、台所に放り出していたなんて。
しかし、勇んで台所に戻った山崎を出迎えたのは「ザキさん、すんません。お手を煩わせても申し訳ないと思って、自分らで作ろうとしたら、餅溶けちゃいました」「だから、焼いてからって言ったのに、永倉さんが」「焼くのが面倒だって、オマエも言ってただろ」などと、責任をなすりつけあう隊士らと、雑煮の汁と餅が混ざり合ったヘドロの鍋であった。
「ええっ、ちょっ、もしかしてペットボトルのやつ、全部使ったの? あれ、薄めて使うんだよ? まだまだいっぱい作れるはずだったのに……っ!」
「そうなんですか? その、あの、スンマセン」
「いいよもう、カツオと昆布の出汁で作り直すから、ちょうどいいや……あと、タラ、どこ行ったの、タラ。ここらへんに干物あったよね?」
「ヒモノって、魚の? 局長のお土産の干物なら、先ほど飛脚のおあにぃさんが持ってきた箱がそこにあるけど……あれはタラじゃないよな」
永倉が指差した先には、アジやカマスの干物がごっそり詰まった木箱が置かれている。
「いやいや、あんな小さいのじゃなくて、もっと大きくて、こう、鈍器になりそうなサイズの」
しばらく顔を見合わせていた隊士らであったが、やがて思い当たったのか「ああ、アレか」と頷きあいながら、中庭の方向を指差した。
まさか……と、恐る恐る、中庭を見やる。嫌な予感は的中していた。
そこに居たのは「オサカナ美味しい? よかったねぇ」などと、のんきなことを口走っている尾形と、高価な干物を振り回して玩具にしている猫であった。
了
【後書き】ネタが生えたのが2007年初秋。そしてここまでたどり着くのに、お正月が2回。
一応当初のテーマは“恋するヲトメの最凶○×計画”で、お正月編は沖田が空手形を取り立てるのが最初の目的でした。
長い期間にわたってお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
そして、かなりリアルで、土方とさがるのようなやりとりをしながらも、ここまでお付き合いいただいたはやとさん、リライトも含めてホントすんません。
(いろんな意味で)手の早いはやとさんに対し、ホント自分が遅筆で、今回も『原稿よこさないとエロシーン削るぞ』とか『ラブラブなシーンが痒い』とか言って尻ひっぱたかれました…ちょっとは夢見ましょうよーぅ…あ、寝て見ろって言われた(滝涙)
原案・共著:北宮 紫 拝
初出:2010年01月01日
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