拾い食いはするもんじゃない【2】
伊東が食堂に来ないのを心配して、参謀室にまで起こしに来たのは、かつての腹心であり祐筆(秘書)である篠原進之進だった。土方が引き取っていなければ、伊東の面倒は彼がみることになっていたかもしれない。例えそれが、恋人や保護者というウェットな仲ではなく、単なる腐れ縁や部下といったドライな関係であったとしても、だ。
「センセイ、伊東センセイ、起きてらっしゃいますか? 今日のメニューは朝カレーでしたよ」
床に膝をついて障子越しにそう呼び掛け、ひと呼吸おいてから「失礼します」と、礼儀正しく両手で障子を引いた。目の前に広がっているパンツの花畑に、黒目がちな瞳を真ん丸くする。
「せ、センセイ?」
立ち上がって、布団が敷かれていると思しき場所へ駆け寄り、そのついでに床に倒れ伏している山崎の頭をゴキッと踏み付ける。
「いだだだだだあっ!」
「あれ、オマエいたんだ? 地味すぎて気付かなかった」
そう言いながらも足を退けようとしない辺り、完全に分かっていてわざと踏んでいる。山崎が男の頃から……ということは、土方と伊東が犬猿の仲だった頃から、その各々の腹心である山崎と篠原も折り合いが悪かった。いや、篠原にはそれだけに留まらない複雑な胸の内もあったろう。わざわざそこで足踏みしてから、畳に足を戻す。
「つーか、なんだってもっさりパンツまみれで寝てんだ。幼女まで巻き込んで」
「いや、片付けようとは思ってたんだけど、つい寝ちゃったんだよ。俺が散らかしたんじゃねぇ」
「オマエ、もっさりフェチなのかと思った。副長も、もっさり白ブリーフだもんな」
つまらなそうに呟いてパンツを掻き集めるや、踏まれた衝撃でまだ起きあがれない山崎の頭に、ばさばさと振りかける。
「やめっ、汚ねっ! これ、デコが男ン時のだろーが!」
「汚いも何も、ついさっきまで顔をもっさり突っ込んで寝てたんだから、今さらだろ。すげーな、オマエ。俺、いくらセンセイを尊敬してても、もっさりかぶるのは無理」
「かぶってねぇええええ!」
「で、もっさりの本体はどちらに? 副長もいらっしゃらないようだけど、もっさり夫婦でご一緒に?」
そう言われて、山崎はガバッと起き上がる。
外出したタイミングがズレていたのだから、ふたりが一緒にいるという可能性をまったく考慮していなかったが、そう言われてみれば外で逢引することは、決して不可能ではない。
「しまったぁあああ! あんのデコすけやろぉおおおお!」
「ママ、おはよー。ひな、いいこでねたよ? おかしちょーらい」
パンツをかぶった陽向が、さらにラナイスの毛布よろしく手元のパンツを食みながら、涙目で空腹を訴えた。
「ああああ、そんなの食べちゃダメだって……なんだって、こんなにいじましくできてるの、この子は……しの、ひなお願い。俺、あのバカひよこ捜してくるっ!」
山崎が猛烈な勢いで部屋を飛び出して行き、残された篠原と陽向がキョトンと顔を見合わせる。
「おかし」
「その前に、朝ご飯。カレーだよ」
とりあえず子供だけでも朝餉を食べさせておくべきだろうと、篠原は幼女の頭に被さっているパンツをつまんで捨てると、ふにゃふにゃした乳臭い手を掴んだ。
朝陽が頬に当たって、とうに夜が明けたことは分かっていたが、自動車のシートでは寝苦しかったのか、どうにも目覚めが悪い。どうせ戻ってもまた、女同士の諍いに巻き込まれるだけだと思うと……いや、伊東が男に戻っているから、女同士じゃないか。余計に始末が悪い……このままフラッと旅に出てしまいたい気もする。もちろん、立場上、ひとたび事件が起こったら戻らざるを得ないが、無線にはまだ何の急報も入っていないし、吉村からの目覚ましコールも無いのだから、もう少しぐらい現実逃避をしても許されるだろう。
土方は何度目かの『二度寝』に入ろうと、両足をダッシュボードの上に投げ出し、アイマスク代わりに脱いだ上着を己の顔にかぶせた。
だが、眠りに入る前にコンコンと窓ガラスを叩く音で、目が醒めてしまった。
「もしもーし、善良な市民の皆さんの邪魔ですよーお宅のクルマが邪魔でここ、通れないんですよー不法駐車ですよーいくら車内に人が居るからって、それは無いと思いますよーオマワリさんに訴えますよーう」
「るっせぇ、俺が警察だ」
罵りながら上着を跳ね上げると『善良な市民』も目を丸くした。
そこに居たのは、土方にとって、自称「嫁」二人の喧嘩よりもうっとおしい相手……万事屋の坂田銀時であった。街中を適当にぐるぐる流して、何も考えずに車を停めたつもりだったのだが、どういう訳か万事屋の路地裏だったらしい。
「んだよ、万事屋か」
呟いて、寝直そうとするあたり土方も心臓者だが、それにムカッ腹を立てて自動車の車体を蹴りつけた銀時も銀時だろう。
「お。やりやがったな、公務執行妨害および器物損壊の現行犯逮捕だな」
「うっせーよ。今テメェ、公務してねーじゃん。寝てたじゃん。ゴミ捨て場に置いてんだから、このクルマ、ゴミだろ、ゴミ」
「こんなバカでかいゴミがあるか、ボケ。こんなん収集車に乗るか。粗大ゴミの週じゃねーぞ」
「だから、資源ゴミにして収集車に積めるように、親切に解体してやるってんだよ」
「むしろ、テメェ自身が生ゴミだろ。轢いてミンチにしてやろうか」
「ブーッ、今日は生ゴミの日じゃありませぇーん」
まるで子供の言い合いだ。
すっかり目が覚めてしまった土方は、寝るのを諦めて起き上がった。
「で? 警察幹部ともあろう身分で、なんでこんなとこで野宿してた訳? リストラ?」
「んなわきゃあるか」
「じゃ、夫婦喧嘩でもした?」
「まぁ、そんなとこだな」
「どっちと?」
「両方」
「もし要らなかったら片方、貰ってあげようか? できればセレブな方」
「コブ付きだぞ」
「こっちも、神楽だの新八だの居るからお互い様だし、みんな子供好きだし」
「家事もからっきしだぜ」
「もともとセレブは、自分で家事なんかしないっしょ。しなくても、ウチにゃ家政婦がいるから困らないわ。なにより彼女、すんげぇ家柄みたいだから、持参金とか遺産とかだけでも、一生遊んで暮らせそうじゃん、俺」
「んだよ、金目当てか。アイツの兄貴はクセモノだぜ」
「将を射んと欲すれば、クサヤのヒモノだろうとメザシだろうと、にぃにぃでも兄上様でもおにーたまでも、なんとでも呼んで奉るよ俺は。そういうとこは節操ないから」
「節操ねぇって胸張っていうことか、ボケが。大体、テメェにだってホレ、あの団子屋の看板娘が居るだろうが」
「いやいやいやいや、アレはだから、ちげーんだって!」
何が違うものかと、せせら笑いながらふと腕時計に目をやると、卯の刻も終わり辰の刻(午前八時)になろうかという時刻であった。
「げっ」
起こせって言ったのに。もちろん「始業時間にはもう少し余裕があるし、別に事件も起きていないから、まだ起こす必要はない」という吉村の配慮なのかもしれないが。
「バカに関わってる暇ァねぇな。俺ァ、ぼちぼちけぇるわ」
ちょうどそのタイミングで「サカタサァン、アホのサカタサン、家賃の集金です」と呼び掛ける若い女の声が届き、銀時も「やべ。フクチョーサンと遊んでる場合じゃなかった」と舌打ちした。家賃回収モードの芙蓉は、いくら銀時相手であっても容赦ない。三十六計逃げるに如かず、だ。
表通りに抜け、辰の刻にあと数拍という絶妙のタイミングで、助手席側に設置されている無線機が鳴った。土方は、右手で自動車のハンドルを操りながら、左手の手探りでアンテナを伸ばす。ついでに音量か周波数か分からないままに適当にダイヤルを弄っていると『……うございまーす、副長ォ、起きてますかァ?』という吉村の声が、ノイズ混じりに聞こえてきた。
「とっくに起きてるわ。もう少し早く連絡しろ。屯所に変わったことは無いか?」
「別に特に。あ、そうそう」
「ん? なんだ?」
「今朝の食堂のメニューは、カレーでした」
「ふざけんな! じゃあ、ちぃと市中見回りがてら、適当に流してから帰るぞ」
「ふざけてませんよ。朝カレーって、健康にイイらしいですよ。大リーガーのチチローも毎朝カレー食べてるって」
「カレーよりもマヨかけて食え、マヨ」
「陽向お嬢様も大喜びでしたよ、カレー」
「ガキはああいうメニューが好きだからな」
かぶき町と言えども早朝は自動車や通行人が少なく、走りやすい。知らず知らずスピードが出ていたが、確かこの辺りはこの時間帯でのネズミ取りはしていない筈だ。万が一捕まったとしても、土方の立場上『公務だった』で通用する。
「ところで、伊東参謀はご一緒ですか?」
「あん? 日夜がどうかしたのか」
「ご一緒でないのなら、イイです」
吉村は強引に会話を打ち切ろうとしたが、土方は強引にハンドルを切って車体を急転回させると「戻る」と言い放った。
「いえ、ゆっくりしてて大丈夫ですよ。どうせひょっこり帰ってきますって」
「いないのか。いつからだ?」
「さぁ。山崎の話では、昨夜、副長が出られた直接、だそうです」
「なんで、いなくなってすぐ報告しねぇっ!」
ただでさえオツムが危なっかしくなっている伊東が、さらにクスリで怪しくなっている状態で何かに巻き込まれた場合、自衛できるとは到底思えない。
「山崎も探してますし、もしかしたら兄上殿のところかもしれませんから、そっちに問い合わせてみますんで、ご心配なさらず」
「あの時間なら、常陸国行きの岡蒸気はとっくに終電過ぎてる。探してるも何も、携帯にGPSついてるから、居場所ぐれぇ、すぐ把握できるだろ」
「あいにく持ち歩いてないようです。副長がわざと携帯を自室に置いていったんですから、持っていく必要はないと思ったんじゃないでしょうかね? あの人、副長と兄上殿ぐらいにしか電話する先、無いでしょ」
「ちっ」
「いなくなって気にするぐらいなら、最初から逃げなきゃいいのに」
「それとこれとは、話が別だ」
無線機の向こうで吉村が溜め息を吐いたのが、気配で察せられた。
もしかして、伊東先生はまだ、あの人に関わりをもっているのではないだろうか。
篠原はふと、そう疑うことがある。梅太郎とかいう偽名で何度か、その戦艦へ赴き、謁見する伊東に随行していたのは、伊東の身体がおかしくなる前のことだから、数年前になる。鴨太郎としての記憶が抜け落ちたのに伴って、あの人のことも忘れてしまったのか、話題にすることが無くなった。篠原自身は直接、彼らと接触する手段を持たなかったので、それから数カ月後、伊東と共に蜂起する予定であった筈の斎藤・藤堂が反乱を起こしたことに、むしろ『まだ、あの計画は続いていたのか』と内心激しく驚いたものだ。
あと一名、熱烈な伊東派と目されていた二木も同盟に加わっていた筈だったが、こちらは反乱にはまったく口を拭って知らん顔を貫いていた。いや、篠原同様、伊東が脱落した後も計画が水面下で続いていたことを知らなかっただけかもしれない。確認したい気持ちもあるが、それが薮蛇になって斎藤・藤堂に連座するハメになるのは御免だった。そうと分かってはいるものの、今回のようにふらりと行方を眩ませてしまう度に、その疑念が首をもたげる。
「梅さま、か」
もしまだ繋がりがあるとして、その連絡手段は何なのか。電話などのノーマルな通信手段は、逆探知や通話記録を恐れて使わないと聞いたことがある。特殊な通信機を与えられているとか? そんなものは見たことが無いが、本人がいない隙に探してみようかとふと思い付いて、篠原は参謀室に立ち寄った。
だが、唐紙障子を開けると、既に先客の山崎が居た。
「あれ、探しに出てるんじゃなかったのか、オマエ」
「副長と一緒じゃないんだったら、別にどうでもいいかなーと思って、適当に引き上げてきた。ついでにあの馬鹿ヒヨコ、どっかで野垂れ死んでくれたらいいのに」
平然とそんなことを口走りながらも、部屋中に散らかったパンツだの着物だのを片付けている。コイツが居るのなら、その目の前で下手に家捜しもできないなと、篠原は肩をすくめた。
「で、オマエはこの部屋に何の用で? ヒマならパンツ畳むの手伝ってよ」
「悪いな。俺ァ、いくら伊東先生を尊敬してても、パンツとか無理だから」
山崎が何か言い返そうとする前に、ピシャリと障子を閉める。
第一、そんな証拠を探してどうする? 内通が事実であるのならば、確実に粛正の対象になるだろう。武士らしく切腹することも許されないに違いない。だが、伊東が処刑されて喜ぶのは、あのバカザキぐらいだ。それは篠原にとって愉快なことではなかった。ならば、この秘密は墓場まで持って行かねばなるまい。
深呼吸をひとつすると、篠原は己の持ち場である資料室に向けて、ゆっくりと歩き出した。
『あの口喧しい兄上殿が関わると、騒ぎが大きくなるから』と吉村を黙らせたものの、山崎も手ぶらで帰って来たうえに、手掛かりや心当たりが何一つ無い。せいぜい、市中見回りの連中に「もし見かけたら即、連絡しろ」と無線で呼びかけてから、フラッと帰って来てくれるのをおとなしく待つしか、土方に打つ手は無かった。
「どうせ、気もそぞろでしょうから」
そう言って吉村が副長室に持って来たのは、割と重要ではない案件の決済書類の束だった。
「これなら、適当にメクラ判押すだけで済むでしょ」
「まぁ、どうせ片付けなきゃいけねぇモンだしな」
あぐらをかいて、文机に向かう。何もできずに待つしかないという状況で、なんらかの作業をして気を紛らわせることは、確かに有効な手段だ。それも、頭をからっぽにして打ち込める単純労働がいい。
「にぃに、あしょんで」
そこに、パタパタと陽向が駆け込んで来た。
「おとーさんは今、仕事中だ……そうだ、ひな。おかーさんがどこに行ったか、知らないか?」
だが陽向は、抱き上げようとする土方の手を逃れると、吉村の足にしがみついて、首を左右に振った。
「にぃに、あしょんで」
「にぃにも今、仕事中だから、ママに遊んでもらいな」
「あのね、おふねびゅーんって」
構って欲しい陽向が、思い出したようにそう言ったが、吉村は「ハイハイ」などと適当にそれを受け流しながら内線電話を取り上げると「おーい、バカザキ。陽向お嬢様が副長室に来てんぞ。引き取りに来い」と、告げていた。
「あのまま真選組に返しても良かったのでは」
眠り込んだ伊東を見下ろして、武市が尋ねる。
高杉は、伊東の指から零れ落ちた煙管を拾い上げ、ポンポンと先を灰皿に叩きつけて、中の灰を落としながら「あのままだと、面倒だからな」と答えた。
「知らねぇ間に三年以上月日が経ってて、テメェに血を分けた娘がいて、しかも旦那が土方だと聞かされたら、発狂するだろうがよ」
「それもそうですが、それは我々の知ったことじゃないでしょう」
「まぁな。だがその代わりに、余計なことを喋りかねん」
「確かに。それに、どうせまた女に化けるでしょうしね」
なにしろ身の丈や体格は、本来のものに戻っておらず、女の身体になる際に縮んだままだ。もっとも、元の身の丈まで強引に戻そうとすれば、相当やせ衰えた姿になってしまうことだろう。質量保存の法則があるために、大を削って小を作ることは可能でも、小から大をひねり出そうとすれば無理が生じる。
「では、術をかけ直してから、返すことにいたしましょうか。確かに、伊東殿の持ってくる情報は、末端の間者とは比べ物にならない精度ですからねぇ」
武市はそういうと、薬効のためにまだ朦朧としている伊東の髪を掴んで強引に引き起こす。半開きの唇の端から、涎が垂れていた。
「土方にまつわりつかせるのは、ぼちぼち勘弁してやらねぇか?」
「お子まで成した夫婦仲が良いのは、自然なことですよ。何より、その方が『効率的』です」
「そうは言ってもその、趣味が悪ぃぜ」
「まぁ確かに、妾がいつも小姑のように同居している環境では、些か住みにくいかもしれませんしねぇ。なら、伊東の兄上殿のところにでもやりますか? そういえば伊東の兄上殿は、幕府でも行事ごとなどを取り仕切っているお役職だそうですねぇ。将軍なんかがお出ましになるお祭りの、克明なプログラムや警備の見取り図なんかが手には入ると、さぞや我々の仕事がやりやすくなることでしょうねぇ。しかも、伊東殿を溺愛しているとのことですから、うまく説き伏せれば、我々のために資金を出させることもできるかもしれません。ふぅむ、これも検討の余地ありですねぇ」
「いや、溺愛も何も、実の兄弟だろ。しかも双生児の」
「高杉様がそんなモラリストとは、存じませんでしたな。しかし、このまま術が解けたまま野に放てば、逆に我々の情報をよそに漏らすことになると、先ほどそう仰ったのは高杉様でしたよね? それともいっそ、女の身体に戻ったところで幕府御用学者の杉田乱伯にでも下げ渡しますか? 子を成すほど完璧に性転換させた我らの技術を得るためなら、どんな機密と引き換えにしてもいいと言い放っていた狂人ですからね。心行くまで切り刻んで解剖してもいいと伝えたら、さぞや喜ぶことでしょう。我々の情報は漏れない、マッドサイエンティストの探究心は満たされる、本人はそれ以上苦しむことは無い、いやはや、三方一両得というヤツですなぁ」
表情ひとつ変えず淡々と言うのが、味方ながら無気味でもある。
高杉は露骨に顔を歪めて「テメェ、本当にフェミニストか」と皮肉ったが、武市は一向に動じることなく「ええ、フェミニストですよ。ですから、幸せな夢を見たまま逝けるように、麻酔には最高品質のクスリを手配してやりましょう」と言ってのけた。
「ああ、そうだ。もう一案、ありました。とある天人なんですがね、実は食用の家畜が地球人に良く似た体質をしていましてね。地球人と交雑させると、味が非常に良くなるとかで。今までは地球人そのものをこっそり現地調達してたそうなんですが、最近は警戒が厳しくて狩りがしにくいということで、この伊東殿の身体を組み換えた技術を、応用できないかと、ね。以前、岡田殿を紅桜と融合させて弄くり回した時の計測データも、有効に活用できることでしょう。つまり遺伝子操作とクローニング技術で、ブロイラーを作るという訳ですな。こちらも、本体はすり潰すことになるわけですが、まぁ、本体はとっくにスクラップ寸前のようですから、これはいわばリサイクルというかリユースというか」
高杉はしばらく考え込んだ。
やがて思い出したように煙管を吸ってみたが、既に火は尽きている。
「土方んところでいい」
「そうですか? 特に最後のブロイラー案は、かなりの稼ぎになりますよ。それに、見た目は地球人とは似ても似つかぬ姿になりますから、罪悪感とか倫理観とかは全くお気になさる必要もありません。手足のほとんど退化した樽状の胴体に、頭部は肩にめり込んだ形で目鼻立ちも定かではありませんし、知能もほとんどありませんから、やがて食われる運命だと理解できなければ、己を不幸だと思いもしませんよ。むしろ、地球で珍獣の肉という触れ込みで売り出せるかもしれませんし」
「俺ァ、土方んところでいい、と言ったんだが?」
「そうですか? もったいないハナシですねぇ」
「うちは商船でも海賊でもねぇ。利益がどうこう、じゃねぇんだ」
「戦争も些かオカネがかかるんですがね……まぁ、高杉様がそれで良いと仰るのなら」
武市が懐から糸を通したコインを取り出して、伊東の前にぷらんと垂らす。伊東の虚ろな視線が、そのコインに吸い付いた。そのコインを揺らし、延々と何事か囁きかける。伊東の首が、こくこくとあどけなく揺れた。
「委細承知なさいましたね? では、また子さん、伊東殿を送って来てくださいまし」
毎度のことながら、来島また子は駕籠(タクシー)を、屯所の正面に堂々と停めさせた。
「はい、ここがアンタのおうち。もう、こっちが呼ぶまで、勝手にウチに押しかけて来たらダメっすからね? 今度ノコノコ来たら、ホントにすり潰されて、ブロイラーにされちゃうっスよ、ひよこチャン?」
子供に言い聞かせるような口調で来島が念を押すと、まだ朦朧としている伊東が、それでも素直にコクコクと首を振った。
「それから、これ、ウチの大将からのお土産。娘さんと仲良く食べな、って」
「娘? 僕に娘が?」
「そ。アタシらのことを忘れたら、それと引き換えにちゃんと思い出せるサ」
菓子折りの入った紙袋を渡されて、促されるままに駕籠から降りる。駕籠はすぐに走り去ったが、伊東は仰々しい大きな墨塗りの看板が懸かった門に気圧されて、しばし立ちすくんでいた
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