Nicotiana【21】


原田が戻って来た頃には、新郎新婦は更衣室からスタジオへと移動して(連行されて?)いた。
スタジオ自体はこじんまりとしているが、スクリーンや張りボテのセットがいくつも設置され、壁際には小道具が詰まっている箱もあり、ウェディングに限らず様々なシチュエーションでの撮影ができるようになっているようだ。
ひな壇では既に撮影が始まっているらしく「花嫁さん、もう少し首を右に、あ、顎を引いて。そう、その角度。そのまま動かないでくださいね。花婿さん、幸せすぎてちょっとデレッとし過ぎかな? もう少し、キリッとした顔でお願いします。そうそう、そんな感じであと右肩をちょっと上げて、首は左で、あ、行き過ぎたので逆向きに……」などと細かく指示する声が聞こえてくる。
どちら組の撮影だろうとセットを見やり、それが近藤と沖田だと知った原田は、親友の姿を視線で探した。小柄で地味な姿は見当たらなかったが、長身に紋付袴姿の土方はよく目立っていた。その隣に、白いオバQ的な物体がつっ立っている。

「えーと、ザキちゃん? パックのケロリーメイトとウエダーinゼリー買ってき……」

恐る恐る呼び掛けると、オパQもどきが振り向いた。真っ白い綿帽子をすっぽり被せられ、その下は巨大なカツラ、顔には白粉を分厚く塗られ、おちょぼ口に紅がさしてある。一歩間違えば「おてもやん」になりかねない古風な化粧だが、髪結いが長時間奮闘した甲斐があったようだ。

「ありがと。でも、ゼリーは後で貰うね」

和装なのだから、懐でも袖でも『収納スペース』はふんだんにあるのだが、小道具の蹴鞠を持たされているので、山崎はそれを受け取ることもできないのだ。ゼリーを差し出した格好のまま、原田の口がぽかんと開いた。

「原田さん? これ、似合わない?」

親友に呆れられたと思った山崎が、不安そうに尋ねる。なにしろ土方は、似合うだのキレイだの見違えるだのの類いを言ってくれないのだ。もちろん、普段からそんな歯の浮くような無駄口を叩く人でもなければ、自分が褒めて貰えるような器量でも、そんな立場でもないと分かっている。だが、お世辞でもこういう場では、一言ぐらいあっても良いじゃないか。
もっとも、土方本人にしてみれば「ただでさえ嫌々付き合っているのに、これ以上何を無理強いしようってんだ、バカ犬」というところだろう。浮かれ気味の近藤と違って、土方は嫁を迎えることなんぞ、嬉しくもヘッタクレも微塵も無いのだから、仕方ない。だが原田は数拍の沈黙の後、何かがこみ上げてきたようで、ブワッと泣き出した。

「ざっ、ザキちゃん、きれいになっちゃって。ううっ、すっげぇきれいになってるよぉ。ホントに嫁に行くんだなぁ。ザキちゃん、ホントにあんなサイテード畜生の嫁なんかになっちまうんだなぁ」

「はっ、原田さん?」

「だってよぉ、ずっとザキちゃん、あんなんがいいって、でもあのヤローは見た目だけで、中身はド腐れだし乱暴だしマヨネーズだし瞳孔開き気味だし、でも、ザキちゃん、ずっと尽くしてて、健気で可哀想で、でもそれで幸せだって、あんまりだよ」

どうも、親友として長いこと山崎の恋路を見守っていただけに、今回の花嫁姿には感無量であるらしい。その、娘を送り出す男親さながらの豪快な泣きっぷりは、周囲が「何故今日、瀬尾副隊長がここに来なかったのか、なんか理由が分かるわ」「瀬尾さん、原田隊長のアレ、うっとおしがってたもんな」などと小声で囁きあったほどだ。

「悪かったな、中身ド腐れで。良かったら替わってやんぞ。つか、替われ。頼むわ」

土方が憮然と(しかし、一応は場所柄を弁えて押し殺した小声で)吐き捨てる。

「それ! それがド腐れなんだよ! ちっとはザキちゃんの気持ちを考えてやれよ」

「知るか。この状況がそもそも、俺の意思を全力で無視した結果じゃねーか。いわば被害者の俺が何故、わざわざ加害者の気持ちなんざ考えてやる必要があるんだ」

まぁ、確かにそうなんですが、確かに土方さんは嫌々付き合っているわけですが、そこまでハッキリ迷惑がることないのに。いや、確かに迷惑だろうけど。迷惑してるって分かっていて、それでも強引に推し進めたのは、確かに自分だけれども。

「あの、原田さん、もういいです。ひじか……十四郎さんは今、煙草が吸えなくて、イラついてるだけですから、怒らないで?」

「だってよぉ、ザキちゃん、そんなこと言ってもよぉ」

「そうだな。別にニコチン切れのせいじゃなくて、俺ァ本心からそう思ってるぜ」

「ほれみろ!」

「もう、いいですから、お願いですから、喧嘩しないでください。ね?」

小首を傾げて畳み掛けると、原田がそれにほだされたのか、涙と鼻汁でベトベトの顔を袖口で拭きながら、おとなしくなる。ちょうどそのタイミングを見計らったのか、撮影技師が「じゃあ、お次は土方家の新郎新婦さん、こちらへ」と呼びかけ、ひな壇へ誘った。
撮影助手が忍びのようにするするとふたりの傍へ寄ると、白無垢の裾を踏まないように持ち上げたり、着物の皺をきれいに広げて整えたり、垂れ下がった髪を一すくい、直したりする。あ、すみません、とお礼を言おうとしたときには既に姿を消しており、いつの間にかレフ版を掲げていた。

「うーん。今度はもうちょっと笑顔が欲しいかなぁ。花婿さん、少し笑ってください」

「無理」

土方が憮然と吐き捨てる。その暴言にギャラリーは青ざめたが、事情を知らないほとがら館の関係者はあくまで冗談と受け取っているのか、撮影技師は全く動じずに「花嫁さん、そこの椅子に座って。鞠を持つ指は袖からちょこっとだけ出す程度で……あどけない可愛らしい花嫁さん、ってイメージでね。そんで花婿さんは花婿さんに寄り添って、花嫁さんはそれを見上げて、幸せそうに微笑む感じで。ライトが眩しいかな? ちょっとだけ我慢してね。うーん、まだ眠そうに見えるなぁ。花嫁さん、目ェもうちょっと大きく見開いて」などと、続ける。

「コイツのタレ目は生まれつきだから、それが限界だな」

土方がボソッと貶すと、撮影技師の後ろに控えていた(そして多分、そのタレ目に散々手を焼いていたに違いない)髪結い師が、ブッと吹き出した。

「花婿さんは軽く口角を上げて……いや、もっと自然な感じで。ちょっと硬いなぁ、緊張してますか? 少しリラックスして。うん、左側はいい感じだねぇ、右の口角も同じように自然な感じで上げて、首はもう少し2度ぐらい右に傾けて、あとカメラの方に顔を向けて、肩は逆に左を引いて、あ、行き過ぎたから10度ぐらい戻して」

撮影技師に矢継ぎ早に指示されるまま、二体の『被写体』は、ロボットのように関節を曲げたり伸ばしたり、いつの間にかすり寄って来た助手に小道具を持ち替えさせられたりで「ぐぎぎぎぎぎ」と音がしそうだ。やっとベストショットの角度になったかと思えば「はい、そこで笑って」などと畳み掛けられるのだから、たまったものではない。土方なんぞは「これは、新手の拷問で使えそうだな」と考えることでなんとか気を紛らわせ、その表情が「いいね、今の笑顔、実にいいね!」などと賞賛される始末であった。





ようやく和装の撮影が終わったが、これと同じことを後二回も繰り返すのかと思うと、心底ゾッとする。

「でもよう、トシ。披露宴なんかじゃ、お色直しっていって、もっと短時間で何着も着替えるんだぜ? そーこちゃんなんざ、そんでゴンドラに乗って登場したいとか言ってるんだぜ」

「あり得ねぇ。ただでさえ人生の墓場に向かおうっていう時に、わざわざ好き好んでそんな頓狂な真似するなんざ、あいつら頭がおかしいのか、実はドMなのか、どっちなんだ?」

頭がおかしいわけでもドMでもないと自認している土方には、そんな乙女心なんぞ、理解の範疇を光の速さで超えている。一方の近藤は、理解できないなりに「いいじゃねぇか。せっかくの晴れ舞台なんだから、好きにやらせてやりゃあ」と、鷹揚に構えている。
特に沖田にしてみれば、亡き姉ミツバの分も存分に祝いたい気持ちもあるだろうからよ……とは、近藤は敢えて言わない。言えば、土方に余計なことを思い出させてしまう。

「まぁまぁ、トシ。腹ァ減ってるから余計にカリカリするんだろ。俺のバナナで良けりゃ、食うか?」

「は?」

「バナナ。ほれ」

果物を差し出されて、土方は(そういえば、撮影前にバナナ食ってたな、このひと)と思い出す。俺のバナナなんて、紛らわしい言い回しをしないで欲しいものだ。てゆーか、この人、バナナを何房持ってきてるんだ? 受け取ったバナナに噛り付いて、ようやく一心地ついたところで、先ほどの忍者……もとい撮影助手が「次は、これに着替えてください」と、タキシードを持ってきた。

「これ、着方、分かりますよね? 脱いだ羽織はそのまま渡してくれたら、こちらで畳みます」

ぼそぼそと告げてタキシードを手渡すと、助手は既に消えている。顔から髪から付きっ切りでちやほやと面倒をみて飾り立てる花嫁と違い、花婿の扱いはこの程度だ。

「えーと、ワッペンは外しておいた方がいいな。トシも自分ちのにすりゃ良かったのに」

「ああ、左三つ巴な」

「なんだよ、覚えてたのかよ!」

どうせ写真だけで土方家の嫁にする訳じゃねぇんだから、必要ねぇだろ……とは、さすがに口に出しては言わない。その代わりに受け取った衣装を見て「何なんだよ、このかぶき町でティッシュ配ってるホストみてぇな、安っぽい衣装は。見ろよ、この馬鹿でけぇバックル」と、文句を言った。

「チャンピオンベルトみてぇで、格好いいじゃねぇか、トシ」

「良くねぇ、全然良くねぇ」

その間に、監察方ご一行と原田は、ほとがら館を抜け出して近所のラーメン屋に行ってきたらしく、嫌がらせのようにニンニクの匂いをぷんぷんさせながら戻ってくる。その状態で「うわ、副長、キンキラキンっすね」「銀蝿みたい」などと余計なことを好き勝手に口走るのだから、始末が悪い。

「んだとぉ? 誰が銀蝿だ。そもそも銀なんて単語を聞くと、余計に気分が悪くなるわ!」

ブチ切れかけた土方が、たまたま近くにいたというだけの理由で尾形の胸倉を掴んだところで「はーい、次は白ウェディングドレスの撮影入りますんで、スタジオに移ってくださーい」と、今度は受付嬢が間延びした声をかけた。

再び被写体ロボットとして照明を浴びながら、笑えの笑うなの、右向けの左向けの、寄り添えだの見つめ合えだのと振り回される。

「もうやだ、帰りたい。てゆーか帰っていいかな、帰っていいよな、俺もう頑張ったもん、めっさ頑張ったもん、もう帰っていいよね、帰らせて」

「まだだ、まだ帰るな、トシ。あと一回だ、あと一回着替えて撮影したら、終わるから。もうちっとだけ堪えろ、トシ。俺も頑張るから」

控え室で、花婿二人が麗しい友情を発揮しながら、お互いの肩を叩いて慰めあっていると、最後のドレスアップに勤しんでいる筈の髪結い師が、ひょいと顔を出した。

「何だ? もう花嫁の着替えが終わったのか?」

「いえ、そうじゃなくて、その。土方家のご新郎さん、ちょっと来てください」

「俺?」

はい、と髪結い師がこっくりと頷く。

「何事だ?」

そのただならぬ切迫した雰囲気に、原田も腰を上げて「ザキちゃんが、どうかしたのか?」と、ついて来る。

「実は、ご新婦さんが、髪飾りのことでちょっと」

「髪飾りィ?」

「ご新郎さんからもちょっと説得してくださいよ。ご持参の髪飾りを外したくないって、駄々を捏ねられまして。ともあれ、来てください」

髪結い師の説明によれば、こうだ。もともと、土方家の新婦・さがるは、淡い朱鷺色に白い花をあしらった髪飾りをつけていた。和装はカツラの上に綿帽子をかぶるので、何をつけていようと関係なかったし、白ドレスの時も偶然にも白や銀を基準にしたシンプルで上品なティアラやネックレスなどのアクセサリーとうまく調和していたので、むしろそれを生かすようにとメイクアップしたのだという。

「そうだっけか。そんなもんつけてたのか。テメェは地味だから、全然気付かなかったわ」

「ひどい! 十四郎さんがくれた髪留めだから、絶対これをつけて撮りたいって考えてたのに」

「んなもん、知るか」

ところが、最後のカラードレスは華やかな黄色である。髪結い師としては、是非とも派手な大輪の花をあしらった髪留めをつけさせたい。隣で見ている沖田も、そっちの方が断然華やかで良いと思って薦めるのだが、何故だか頑として聞かない。そこでほとほと弱り果てた髪結い師が、援軍を求めた、という次第。

「そんなワガママ言うぐれぇだったら、そんなガラクタくれてやらなきゃ良かったか? 捨てるぞ」

「嫌です」

「なんでそんなに意固地になってるんだ。予定時間どんだけオーバーしてると思ってるんだ」

「なんでって、愛しい十四郎さんがくれた髪留めだからです。何が何でも、これをつけて写してくれないと、嫌です」

結婚式はしない、それどころか正式に娶ることも、女のまま居続けることも認めないと宣言されている山崎にしてみれば、この髪留めの存在だけが最後の砦だ。誰に何と言われようと、それだけは譲れないと思い込んでいる。そもそも、手足を切られるような拷問をしようと口を割ったりすることが無いようにと鍛えられ躾けられた監察方の筆頭だ。ましてや、その精神力の原動力である土方への愛情に起因しているのだから、そう易々と覆すことなどできやしない。

「おい、ザキ、いい加減にしろ。和装でもさっきのドレスでも付けてたんなら、もういいじゃねぇか」

「和装でもさっきのドレスでも付けさせてくれていたんだから、最後の一着も付けさせてください」

あまりの聞き分けの無さに、一瞬カッとして、相手が女の身体であることも周囲の目があることも忘れて、本気でぶん殴ろうかと思った程だ。手を上げなかったのは単に、この狂犬はどうせぶん殴ったところで決して言うことを聞きやしないと、分かっていたからに過ぎない。

「勝手にしろ」

「はい、勝手にします。だから、これは外しません」

何を勘違いしたのか、山崎がパァッと表情を明るくする。土方は額に手をやって、深く溜め息を吐いた。

「ご新郎さん、説得してくださいって言ったのに」

「悪ぃな、コイツ、日本語通じねぇ。何を言っても無駄だ。それに、どうせコイツの自己満足のためにやってることなんだから、そのガラクタでもウンコでも何でも、コイツの好きなもんつけさせてやってくれ」

「はぁ。ウンコでも、ですか。ご新郎さんがそういう意見なら、仕方ないですね」

髪結い師は釈然としない表情で大ぶりな髪飾りを諦め、代わりにミモザ色の小さな花をあしらったかんざしや髪飾りをいくつも引っ張り出してきた。付け毛で髪にボリュームをつけながら、その黄色い花をちりばめていく。そこはさすがプロの腕前というべきか、やがて朱鷺色の髪留めの白い花と、髪に咲く黄色い花が自然に混じりあった。

「うわぁ、キレイじゃねぇか。これでも十分、すっげぇキレイだぜ、ザキちゃん」

原田が大仰に感歎してみせるが、土方はほとほと呆れ果てて、まともに見ようともしない。

「土方さん、ちっとは褒めてやったらどうですかイ。せっかくの晴れ姿ですぜ?」

「そうだな、髪結いの姐さんの腕前はたいしたもんだな」

「いや、褒めるところが違いますぜ」

じれたように、沖田が土方に訴える。土方が何かを言い返そうと、面倒臭そうな視線をちらりと沖田に流す。ふと、その動きが止まった。沖田はもう既に色ドレスのメイクアップを完了していた。大きな瞳とその下のふっくらした涙袋が、えも言われぬいとけなさを醸し出している。さらに、キラキラ輝く小さなティアラと透き通るような素材のショールで飾った姿は、まるでおとぎ話の妖精のようだ。これが、ドSの王子様改め王女様だとは、とても思えない。その清純そうな姿は、まるで。

「確かにキレイだな。さすが姉弟だ」

「そりゃ、俺がキレイなのは、当然でさぁ……じゃなくて!」

慌てて否定したのは、土方が自分の姿に誰を重ねたのか、察したからだ。土方が本当に見たかったのは、ミツバの花嫁姿だったに決まっている。その隣に立つのが、土方自身であるか他人であるかはさておき、だ。だが、姉には悪いが、いつまでも過去にこだわっていて貰っては困る。そもそも、自分も山崎も、この身体を得るために今まで男として生きて来た人生を捨てる覚悟までしたのだ。
つかつかと歩み寄って、その胸元の蝶ネクタイを掴むと、まるで牛の鼻輪を引くようにして無理矢理に山崎の方に向ける。

「ほれ、よその嫁じゃなくて、あの可愛いアンタの嫁に、なんとか言っておやんなせぇ!」

だが、そんな悲壮な覚悟など知ったことではない土方は、心底うんざりしながら「それは何の罰ゲームだ? ここまで無理強いされると、刑法223条、強要罪だぜ」とぼやいた。いくら着飾ったところで所詮、総悟は総悟か。おまけに、コイツといい、原田といい、揃いも揃って、どいつもこいつも。

「わーったわーった。言えばいいんだろ、言えば。良いんじゃねぇのか、望み通りのヒラヒラ着れてよ」

いかにも投げやりな土方の発言だったが、山崎はどんなポジティブシンキングで脳内補完をしたものか、目を輝かせて「これ、良いですか? 似合ってます?」と畳み掛ける。

「ああ、悪くねぇな。そういうの、何て言うんだったかな。馬子にも衣装、か?」

それを聞いても山崎はニコニコしていたが、沖田は力一杯、土方の足をヒールで踏み付けた。



最後のカラードレスの撮影も一段落したのを見計らい、吉村が「休憩したら、お約束のものをお願いしてよろしいんですよね?」と尋ねた。一瞬、意表を衝かれたのか目を丸くしていた土方であったが、自分にドレスを着せるという企画だと思い当たって、露骨に顔をしかめた。

「あ、じゃあ、花婿さんの花嫁メイク、始めましょうか?」

髪結い師もそうと気付いて、妙にうきうきとした様子で道具箱を引っ張り出す。
散々てこずった花嫁共よりも化粧栄えしそうな上モノの素材を前にして、職人魂が掻き立てられるのだろう。

「ちょ、ちょっと待て。ツラまで塗るとは聞いてねぇぞっ!」

土方は必死でそう喚いて抵抗するが、吉村らががっしと肩を掴んで、鏡台前の椅子に押し込んだ。

「まぁ、あまり厚塗りしなくても、うすく紅を掃くだけでも映えると思いますよ。眉も整える必要なさそうですし」

そう言いながらも、腕が鳴って仕方ないらしい髪結い師は、舌舐めずりせんばかりの表情で、土方の肌の色を見ながら、白粉の粉を調合し始めている。

「絶対、俺より綺麗になると思います」

山崎が力無く呟くと、原田が「ザキちゃんはザキちゃんなりに、キレイでカワイイからいいじゃねぇか!」と、無駄に力説する。

「いや、その、俺は俺なりにって……地味なりに、ってこと? フォローになってません」

さらに沖田は友達甲斐もなく「確かにジミーと土方コノヤローじゃ、勝負にならねぇな」と、トドメを刺すように同意してみせる。いや、下手をすると、この憎たらしい野郎の女装を前に、ホンモノの女になった筈の己も霞んでしまうかもしれないのだ。面白くなさに、沖田は頬を膨らませている。

「まぁ、仕方ないな。トシは美人だからなぁ。あっはっは」

「こっ、近藤さんっ!」

土方が悲痛な声をあげたのは、近藤だけは信じていたのに、という気持ちの裏返しだろう。だが、実際には土方と最も付き合いの長い近藤こそが、彼の美貌を心底思い知らされてきたに違いない。

「いいじゃねぇか、トシ。減るもんでなし、着てやりゃいいじゃねぇか。似合うぜ?」

「減るんだよ。俺の中のプライドとか威厳とかそーいう、大切な何かが、ガラガラと音を立てて失われて行くんだよっ!」

そう喚いている間にも、髪結い師の手によって土方の頭にはすっぽりとウィッグネットをかぶせられ、顔にぺたぺたと化粧下地が塗りつけられている。

「そのメロン怪人のナリで、いまさらカッコつけたって、どうにもなりやせんぜ」

沖田が先ほどの仕返しとばかりに鼻先でせせら笑った。

「うるーせよダリーよもう放っておけよ畜生……今日は厄日だ」

ただでさえ望まない花婿扱いに辟易しているというのに、今度は花嫁のコスプレで玩具にされるのだから、土方にしてみれば微塵も楽しめる余地がない。山崎が「でも、せめて今日は、格好いいままで居てほしかったなぁ」と呟いたところで、何の慰めにもなりはしなかった。

「厄日だなんて、とぉんでもない。サイコーの日じゃないですか」

ここぞとばかりに駄目押しをする吉村に、土方が「おめーらが面白いっつー意味で、サイコーなんだろ」と、恨めしげな視線を投げかける。

「あれ、面白くて、何か問題あったかなぁ」

「眼福眼福」

「ま、ザキさんと副長じゃ、比べようっていう発想がそもそも間違いなんスけどね。月となんとか?」

「そういえば、最近、屯所の池のスッポン見かけないね」

ここぞとばかりに容赦ないのは、監察方一同だ。捜査だけでなく隊内にすら目を光らせる役職である監察方、仲良しグループでいて貰っては困るという上司の意向もあるのだろうが、それ以上にライバルを蹴落として筆頭にのし上がった山崎のこれまでの行いと、人徳の無さがなせる業なのかもしれない。

「分かっちゃ居るけど、分かっちゃいるけどさぁぁぁっ! 少しはフォローしようとか思わないのかぁあああ!」

「トシよ、おめぇ、部下にどういう教育してんの?」

「放任主義」

この妬み僻み嫉みの嵐から察するに、放任どころか過剰な愛情を各々に注いできた結果だという気はしなくもないが、それによる暴走を止めようとしない辺り、確かに放任主義なのかもしれない。

「いいよどーせ。どうせ俺ァ月見草だよ。道端の露草が勝とうとすること自体、間違ってるって分かってるから」

「富士三太郎には、月見蕎麦が良く似合う、ですね」

「なにそれ、誰ぇええええ!? つか、もういい加減に勘弁してください、おまえら!」

「まぁ、勝ち負けじゃねーだろ、そんなんは」

勝負に勝ってもちっとも面白くない土方は憮然とした表情だが、その顔がそもそも美麗なのだから困ったものだ。髪結い師はブラウンの巻き髪のウィッグも用意したようだが、なぜか近藤をも含む一同が揃って、黒のストレートヘアを推した。肩に遊ぶ髪をいく筋かすくい上げて、白金の簪で留めた姿は、凄絶なまでの美しさだ。

「ザキ、じゃあ、おめぇしばらくそっちで遊んでろ。原田さんも好きなだけ一緒に撮ってもらっておけや。どうせだから」

だが、そう言われても山崎は「でも、土方さんがどうなるか気になるし」と、おろおろしている。確かに、200パーセント実現不可能だと思われた土方の女装が拝めるだなんて、まったく人生何が起こるか分からない大珍事だ。一刻一秒見逃したくない心情は、無理からぬところだろう。

「安心しろ、山崎。てめーとは、意地でも一緒に撮らせてやんねぇから。まかり間違ってファインダーの中に入ってきたら、迷わず死ね。すかさず死ね。氏ねじゃなくて、死ね。すっげー苦しい死に方で死ね。むしろ殺す」

吉村が温かい口調で(しかし、笑っていない目で)サラッと言い捨てた。

「ちょっ!? 何でッ!? 俺だって、お美しい副長と撮りたいっすよぉ!」

「山崎さんが写ったら、ボクらの企画じゃなくなるでしょう。絶対にダメですからね」

「そうそう。ザキさんは対象外。いかに監察方の福利厚生の一環としても、ザキさんは除外」

「ここで山崎さんが一緒に映ったら、ホンキで篠原さん、化けて出ますよね」

尾形がポツリと呟き、山崎の顔が凍りついた。




初出:09年11月05日
←BACK

※当サイトの著作権は、すべて著作者に帰属します。
画像持ち帰り、作品の転用、無断引用一切ご遠慮願います。