Nicotiana【22】


あの資料室での『幽霊騒動』は未だ記憶に生々しく、うなされて夢に見そうだ。第一、吸殻と一緒に書付を燃やして、千の風を歌ったぐらいで本当に成仏したのかどうか、今となっては自信がない。

もし化けて出たら。山崎には祟り殺される身に覚えがたっぷりな上に、頼みの亭主はまだ恋情の残っている相手の肩を持つに決まっている。それは断固阻止したい。全俺の全身全霊全力で拒否したい。総力を挙げてお断りしたい。そういえば、今朝のあの猫の爪跡……背筋がゾクッと寒くなる。皆の言う通り、ここはおとなしく諦めるべきなのかもしれない。いや、しかし、だからって。

「そうだ、さっきの綿帽子! 綿帽子かぶったら、化けて出てきても大丈夫かもしれない!」

「何言ってんすか、ザキさん。馬鹿なんすか? 死ぬんすか?」

「あうううううっ」

ご馳走を前に「待て、お預け。むしろ撤回」を食らった犬っころのように、山崎は床にがりがりと爪を立てて喘ぎ、身悶えする。そんな山崎の苦悩などお構いなしに髪結いは嬉々として仕事を仕上げ、ギャラリーはその美貌にため息を吐く。沖田が舌打ちをして、近藤の尻をつねった程だ。

「とりあえず、お手持ちのカメラで撮りたい方は、お先にどうぞ」

撮影技師が、レフ版やカメラの微調整をする前にと、サービスで促すと「え、いいんですか?」などと言いながら、各々が携帯電話だのデジカメだのを取り出す。山崎もこそこそとハンドバッグから携帯電話を取り出したのを、吉村が目ざとく見つけて「よくねぇ、ザキのは取り上げろ」と命じた。
たちまち服部が山崎を羽交い絞めにし、新井がその手から携帯電話をもぎ取ったと思うと、何のためらいもなく折り畳み式の蝶番(ヒンジ)部分を叩き割った。

「ああっ、おっ、鬼ぃいいいいいいいいいい!」

「新井、おまっ……」

日頃はおっとりした物静かな男だけに、その過激な行動にさすがに周囲はドン引いたが、新井本人は「なにか問題でも?」と、ケロリとしている。

「大丈夫ですよ。中の回路は無傷ですから、データはサルベージできますよ。ちょっと今、カメラが使えないだけで」

「今、カメラを使いたいんだよ、今まさにこの瞬間に、超使いたいんだよぉおおおおお!」

悔しさにのた打ち回っている山崎を横目に「トシ、オマエも罪作りだなぁ」と苦笑いをしながら、近藤も携帯電話をおもむろに取り出す。だが、背後から白魚の手が伸びてきて、ひょいとそれを掴んだかと思うと、次の瞬間、バキッと音がした。

「そぉおおおおこちゃああああああんんんっ! これ、そーこちゃんの晴れ姿も撮ってるんだよぉおおおおお!?」

「データはサルベージできるっていうから、心配いりやせんや。それよか、近藤さんが土方コノヤローに鼻の下伸ばしてるのが、我慢なりやせん」

虫も殺さぬような笑顔を浮かべながら、沖田が首ちょんぱ状態になった携帯をつまんで、ぷらぷらさせている。

「あ、あの、じゃあそろそろ撮影の方、よろしいですか?」

恐る恐る撮影技師が尋ねる。

「あ、どうぞどうぞ。えーと、まずは副長のピン写で、それから順に一枚ずつ一緒に撮ってもらって、最後に監察方で集合写真だな。但し、ザキは除く」

吉村の受け答えに、土方は「そんなに撮るのか」とげんなりしたが、化粧で塗り固められているせいもあって、長い睫毛が白い肌に蒼い蔭を落とした憂い顔は、むしろその美を引き立たせるだけだ。何故、彼らが葬式のような黒ずくめの格好なのだろうかと疑問だったが、なるほどこうして『花婿役』に扮するためであったらしい。

「とゆーか、この『企画』分の撮影料は、オマエラで出すんだよな?」

アングルだの背景のスクリーンだのを、撮影技師と助手、吉村とであーだこーだやってるのを見ていて、近藤がふと思い出したように、服部に小声で尋ねる。

「えーと、副長のピン写をほとがら館の見本写真にする許可を条件に、無料にさせたって吉村さんが言ってましたけど」

「マジで鬼だな、オマエラ」

近藤は苦笑いしながら、視線を土方に戻した。撮影が終わって着替えた後も、どの写真をアルバムに収めるか、デジカメ画像を見ながらピックアップする作業が残っていて、これもまた時間がかかりそうだ。だが、こういう楽しい時間(※土方を除く)なら、いくら浪費しても悪くないな、そう思えた。




写真を撮り終えて戻ってみると、どうやら永倉と共に留守を任せていた井上源二郎がポロッと喋ったとかで、屯所全体が祝賀ムードに包まれていた。別に口止めしていた訳でもないし、井上にしてみれば、芋道場時代からの付き合いで弟のように可愛がっていた近藤、土方に嫁ができることが、よほど嬉しかったのだろう。

その日の夕食は、大広間での宴会になった。
近藤、沖田の披露宴はまた別にやるつもりだから必要ないと説明しても「勘定方も、この宴席の費用は福利厚生の一環ということにして、なんとか経費で落としてやるって言ってくれたから」と、井上はケロリとしていた。

だが、土方にしてみれば、近藤のところはともかく自分のところは本気で所帯を持つ気はさらさらないのだから、祝ってもらっても、嬉しくはない。むしろ、幸せそうに笑って応えている『花嫁』の顔を見れば見るだけ、かえってしんどい。
しかも「今夜は初夜ですか?」「今更みたいですけどね」「ニンニクとかマムシドリンクとか、要ります?」などと祝福半分やっかみ半分で冷やかされては、居づらくなろうというものだ。
どうせ明日には元の木阿弥だというのに……唯一、それを知っている吉村も、今回ばかりは甘やかしてはくれず「どうせ今日だけなんですから、開き直った方が楽になれますよ。楽しんだモン勝ちですって」と、気休めにもならない慰め方をするばかりだ。

あまりにも息苦しくて、便所に行くふりをして座敷を出た。




「ちょっ、近藤さんが酔い潰れちまったァ!」

沖田が悲鳴のような声を上げた。
めでたい席だからと、ついついピッチが上がったらしい。

「今夜こそ晴れて初夜って思ってたのに、コンチクショー!」

周囲はゲラゲラ笑っているが、延々とお預けを食らっている沖田にしてみれば、かなり深刻な問題だ。寝ているところを襲おうにも、酔い潰れた場合にはモノが役に立たないのが男性生理というものだ。沖田はかなり悔し紛れに、膝を枕に寝入ってしまった良人の頭をブッ叩いていた。

「そういえば副長、戻ってくるの遅いな。また逃亡したんか?」

原田がアルコールで座った目で、土方が出ていったふすまをジロリと睨み付ける。山崎が「まぁまぁ」となだめながら、原田の御猪口に酒を注いでやった。

「ちょっと見て来ますから、俺」

そっと立ち上がって、大広間を出ようとする。

「おい、もう寝室に行くのか、新婚さんよぉ」

目敏くそれを見咎めた誰かがそんな野次を飛ばし、山崎は「えへへ」と笑って、頭を掻いてみせた。
どうせ副長室あたりで煙草でも吸って拗ねているのだろうと、着物の褄をつまんでパタパタと廊下を駆ける。

「土方さ……いや、十四郎さん、広間に戻っ……」

だが、副長室は空っぽだった。

せっかくの宴会を放り出して、どこに行ったのだろう。
だが、良く考えれば、土方が茶番に付き合うと約束したのは、写真を撮るところまで、だ。それもかなり渋々だった。約束の撮影会が終わったのだから、その後は知ったことではない、というのが土方の本音だろう。

理屈では理解できる。まったくその通りだ。

だが、近藤と沖田があんなに睦まじく、当たり前のように祝福の言葉を浴びているというのに、これではあまりにも自分が惨めで、寂しい。

山崎は部屋の電気もつけぬまま、呆然と立ち尽くす。
そして、無意識のうちに、己のうなじを飾っている朱鷺色の髪留めに手を触れていた。

「押して駄目なら……か」






裏口の木戸をそっとくぐって屯所をから逃げ出していた。
どこに行くアテも無い。誰か顔見知りでも居れば、屋台あたりで飲んだくれて適当にクダでも巻いていれば気が済んだのかもしれないが、そういう時に限って、誰とも会わないものだ。
結局、花街を歩き回り、張見世の格子越しに娼妓を適当に指名して、妓楼にあがり込んだ。

「マリッジブルーってヤツさ」

敵方になった新造にざっくりとそう告げると「それは新婦さんがかかる病でござんしょう」と、ころころと笑われた。

ああ、やっぱりホンモノの女の肌身はいいなと、白粉と香の薫りが混じり合った体臭を吸い込みながら思う。脳の奥が甘く痺れるような、あの独特の催淫効果が無いだけでも、土方にしてみれば気が楽だ。

「あれ、くすぐったい」

新造が鈴を転がすような笑い声を立てて、身をすくめる。それに誘い込まれるように、土方の体が重なり、自然に組み敷く形になった。

「花嫁さんとアタシと、どっちが綺麗?」

「野暮なことを聞くなよ」

美しい容姿を売り物にしている娼婦と、男だった頃の面影を残している山崎では、勝負にもならない。身体だってまさにオトナとコドモの差だ。但し、いくら元が男ということを割り引かなくても、沖田なら彼女に対抗し得たかもしれない。
もちろん、沖田だったら良かったという意味でもないが。

「ふふふ……やっぱりオトコって、外見がイイ方がお好きなのね」

勝ち誇ったように小鼻を膨らませている新造の態度に少々神経を逆撫でされ、やや乱暴に襟元を押し広げると、すぐにぷっくりとした膨らみが溢れてきた。掌を差し入れると、既に先端が堅く膨らんでおり、触れると熱い溜め息を漏らした。あまりに声が大きくわざとらしく聞こえたので業務上の演技かと思ったが、そうでもないらしい。

「嬉しいわ、こんな男前と床入りできるなんて」

そういえば、最近は楼に揚がっても、酒を舐めて娼妓相手に管を巻く程度で、微酔い状態で独り寝することがほとんどだったような気がする。そりゃあ、タダでヤれるオンナが手元に転がっているのだから、わざわざ金払うなんてバカバカしいに決まっている。いや、オンナでなくとも、ただヌくだけの相手ならいくらでも居た訳だし。むしろ、そういう浮き世の煩わしさを忘れる場を求めているのだ。いちいち「花嫁さん」を引き合いに出して欲しくない。

「ああ、旦那ァ」

新造がじれたように土方のベルトのバックルを外すとスラックスを緩めて脱がせにかかり、さらに自分から着物の裾を割ると、土方の手首を掴んで太股の間へと押し込んできた。新造のいささか行儀の悪い振る舞いに軽く眉をしかめ、その最奥が余りに熱くとろけているのに気付く。

「商売道具を安売りするもんじゃないぜ?」

「だって、もう、我慢ができないでありんす」

慣らすも慣らさないも、すっかり花開いてわなないている肉壺は、飢えた食虫植物の毒々しさで息づいていた。先端を当てがうだけで、感極まっているのか悲鳴のような嬌声が上がり、奥から泡混じりの粘液が噴き出してきた。

「早く、早くぅ」

新造が尻を揺すると、あっさりと呑み込まれた。両脚が蛇のように腰に絡み付き、ぐいぐいと恥骨を押し付けてくる。

「アアアアーーーッ」

その甲高い声には、身を貫かれる苦痛の色はなく、ひたすら甘い悦楽の響きに充たされていた。新造が夢中で腰を揺さぶる度に、じゅぶじゅぶと掻き回す音がする。

「オイコラ、なに自分だけ楽しんでるんだ。ちゃんと仕事しろや、仕事」

もちろん、肉棒を熱い粘膜に包まれて、気持ち良くない訳はない。だが、何故か一緒に行為にのめり込む気分にはなれなかった。せっかくのホンモノのオンナなのだから、味わえばいいのに……引き合いに出されて思い出してしまったせいだろうか。腕の中で歯を剥き出し、首を振りながらあらぬことを口走りつつ貪欲に快楽を貪る浅ましい姿を、無意識の内に引き比べているような気がする。ふと、女の足を掴んで、体ごと左側に倒した。女の側にしてみれば、貫かれたまま、右向きに転がった形になる。足が閉じた状態でギュッと締め付ける格好だ。浮き橋に近い形だろうか。

「あ、キツい、それすごく、イイ……お仕事しなくちゃいけないのに、イッちゃう、先にイッちゃうッ!」

催淫物質の影響がない状態はこんなものなのか、それとも、アイツの狭いのに慣れ過ぎて、普通の女のモノだと物足りなくなっているんだろうか……そんなことを考えながら、突き上げていた。ゆさゆさと、胸元の脂肪塊が豪快に揺れる。それとも新造の大袈裟な反応にシラケてしまっているのか。
いや、フェロモンがどうとか、アレがこうとか、女だからというよりも。



認めたくないが、あのバカに、情が移っちまってるのかもしれない。



酔狂だ茶番だ根負けだとさんざっぱら言い訳をしていたが、そうではなく、アイツだからこそ、手を出してしまい、あそこまで馬鹿な真似に付き合う気になったのではないか。
これが他の……例えば、最初に薬を飲ませたのが吉村や尾形だったら多分、結婚の真似事どころか手出しだってしてなかったろう。いや、篠原だったら、手ぐらいはつけたかな。

そう思うと、すっかりその気が失せてしまった。手を伸ばして、閉じた股の間に指を差し入れ、肉芽を探り当てる。

「ア……やん、それ、ヨ過ぎる……イクぅうううう!」

「ああ、イっちまえ、イっちまえ。ちょいと野暮用を思い出した」

「やだぁ、もうちょっとォ……ヒィッ!」

ビクッと女の身体が爆ぜたかと思うと、急にぐったりとした。

「もう帰るの? 旦那、まだでありんしょう?」

土方が脱ぎ散らかした服を拾い上げたのに気付き、新造が跳ね起きる。髷の曲がった乱れ髪を直すこともせずに、男の腰にすがって真紅の唇を大きく開き、まだ硬度を保っていた茎にむしゃぶりついてきた。

「いや、もういいから」

「ン……ッ」

牝の体液と唾液にまみれた上に、口紅までべったりとこびりついた己を見下ろし、土方は露骨に嫌な顔をする。新造の額を押して、離すように促した。

「いいから、おしぼりを貸してくれ。あと、タオルと」

本当に客にやる気が失せたことを察して、新造はいささか娼妓としてのプライドが傷付いたようだが、そこまでフォローしてやる義理はない。新造は軽く肩をすくめると、今度は(多少、職業的に)土方の身支度の世話を焼き始めた。




汗を拭ったぐらいでは、肌身に染み付いた牝の匂いは取れそうにない……母屋の浴場だと誰かに見付かりそうだから、剣道場の更衣室裏の、簡易シャワーでも使うか……と、土方は屯所の敷地内を、忍び足で移動する。ちょいと便所、にしては時間が経ちすぎてるし、屯所を抜けたことはとうにバレてることは分かっていても、つい、こそこそしてしまう。

「……っ! なんだ、猫か」

植え込みの陰にチロリと動いた黒い影に本気でビビり、跳ね上がった心臓を押さえて深呼吸した。
一瞬、山崎に見付かったか、篠原の幽霊でも出たのかと思った。伊東が存命の頃はよく餌付けしていたようだから、多分、ここいらに居ついているのだろう。やたらなつっこく足にまつわりつくのを撫でていると「何処に行ってたンスか」と声をかけられた。振り向くと呆れ顔の吉村だった。怒る気力もないというため息を深々とつくと、おもむろに土方の足元の猫を抱き上げた。嫌がって暴れる猫の頭を軽くポコンと叩くと「ザキ、副長室で待ってますよ」と、むしろどうしようもない子どもに言い聞かせる口調で告げた。




後ろめたさに、障子にかけた手が止まる。

『副長?』

中からそう呼び掛けられ、意を決して障子を引き開けた。

「おかえりなさいませ」

鳩羽紫の着物を脱ぎ、きっちりと隊服を着込んだ山崎の顔からは、先程までの薄化粧は消えていた。
それだけでなく、片時も離そうとしなかった、あの髪留めも。

自分に纏わり付いたままの牝の匂いにも、確実に気がついている筈なのに、正座をして背筋を伸ばしている山崎の表情は変わらない。

「お、おぅ……どうした?」

聞き返した土方の声が上擦る。

「今日は、本当にどうもありがとうございました」

「あぁ……まぁ悪くなかったぜ」

「そう言っていただけるのは本当嬉しいです。副長いわくの『茶番』にここまで付き合っていただけたことにも、感謝しています」

どこに行っていたと喚き、嫉妬に狂って暴れてくれた方が、まだマシだった。山崎の殊勝な態度に、土方はかえって針の蓆の気分になる。仕事の報告だって、もう少し行儀が悪いだろうに、なんだってこんな時に限ってこうなんだ?

「待たせたようだな」

土方も、山崎の正面に居心地悪そうに腰を下ろした。そして、土方が何か言おうと口を開きかけた瞬間に、山崎が深呼吸して告げた。



「クスリ、ください」



土方は息を飲んだ。
クスリとは素女丹の解毒剤のことを差しているに違いない。何と言って解毒剤を渡したものか、女であることを諦めさせたものかと頭を痛めていたが、相手の側から言い出してくれるとは幸い……とは言っても、何故か腑に落ちない。大体、山崎には解毒剤のことは教えていないし、吉村にも口止めしていたはずだが。

差し出された山崎の手がカタカタと小さく震えているのに気付いて『いや、自分は祝賀ムードから逃げ出したのではなく、むしろ、この瞬間に向かい合うことを避けていたのではないか』と、土方は不意に悟った。
仮初の幸せな気分に浸れば浸るだけ、その幕切れがつらくなるから……いや、この終幕に「ホッとする」のではなく「つらいだろう」と感じること自体が即ち、土方自身もこの関係を快く感じ、受け入れつつある証に他ならない。それを認めたくなかったのだ。

「本当にいいのか」

今まさにそれを失うという土壇場になって惜しくなるだなんて、自分勝手にも程がある。それでも、そう念を押さずにはいられなかった。

「はい」

「はい、じゃねぇだろ。本当の気持ちを言ってみろや」

そう尋ねて目を覗き込むと、それまで毅然と顔を上げていた山崎が、不意に視線を避けるように俯いた。ほたほたと落ちた雫が、スラックスの膝に黒い染みをつくる。

『まったく、とんだ茶番に付き合わせやがって。明日からは特別扱いしねぇでキリキリこき使ってやるから、覚悟しやがれ、バカヤロウ』

そう言ってやるつもりだったのに、舌が口蓋に貼り付いてしまって声が出ない。代わりに、懐に手を突っ込んで、吉村が持ち帰ってきた印籠を取り出した。山崎の視線がそれに吸い付く。

「預ける」

長い沈黙の後、ようやくそう言えた。のろのろと、山崎はそれを受け取る。

「その格好に飽きたら飲め」

「飽きたら……で、いいんですか?」

「好きにしろ」

その選択は、また何かから逃げたということになるのかもしれない。だが、イニシアティブを山崎に与えてやることが、今まで向かい合ってやれなかったことへの、せめてもの罪ほろぼしになれば。いや、そうであって欲しい、と考えていた。

「てめぇが飽きるまで、きっちり付き合ってやるから」



今度は、逃げずに。



山崎は何を言われたのか、一瞬理解できなかったようだった。だが、じわじわと意味が染み込んで来たのか、次第に口許が弛んでくる。

「飽きなかったら、一生このままかもしれませんよ?」

「別に、男だろうと女だろうと、大差ねぇだろ、んな平たい胸。どっちにしろ、ずっと俺の隣にいるんだろ?」

「……あい」

さっきまで泣いていたはずが、今度は華やかに笑っていた。その笑顔に「ちょっと早まったかな」と、土方は軽く後悔する。






「新郎新婦のお二方、お話が済んだところで……大広間に戻ってくれませんかね? 皆、待ってますよ」

そこに、吉村の声が割り込んだ。
振り返ると、面白くなさそうに腕組みをした吉村が、開いた障子の桟に背を預けるようにしてもたれている。

「局長とか、酔い潰れて寝ちまった連中もかなりいるんですが……監察の他の連中と、原田さんとかは、頑張って起きて待ってるんですからね。このまま盛り上がって初夜突入なんて、許しませんぜ」

そういうと、くるりと背を向けて先に歩き出した。

「そうそう。別にその解毒剤使ってもらわなくても、俺、別に無駄な仕事させられたなんて、思ってませんからね。押収物の一部は、上方の方の鑑識に回してますから。この騒ぎが落ち着いたら、その結果と一緒に報告書出しますわ」

土方と山崎は思わず顔を見合わせた。
戻れば豪快に冷やかされるのは分かっているが、本当に待っているのなら、行かなければ。ふたりは立ち上がって、その吉村を追った。廊下を並んで歩きながら、山崎が人目が無いのをいいことに、さりげなく土方の指を掴む。

その手が、そっと握り返された。





【後書き】2年越しでようやく完結しました、山崎&沖田にょたネタ……合作した北宮さんの強引なプッシュで完結に漕ぎ着けました。ザキがオトメな部分はほとんど、北宮さんの筆になるところです。俺的には「ないわー」というノリでしたので、かなり素で押しに負けた土方な心境でのリライト&校正作業でした(苦笑)

こんなぐだぐだな作品でも、誰かにお楽しみ頂けたのならば幸甚です。
初出:09年11月05日
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