あかりをつけましょ【2】


しばらくその言い争いを眺めていた原田だったが、やがて一休さんよろしく禿頭をくるくると撫でると「ザキちゃんが『宮中の伝統だから左が上位』ってのは正しいぜ。伝統に基づいて飾るのならそれでいいんだがよ、先生の言ってることもまた正しいんだな、これが」と、きっぱり言い放った。
予想外の答えに、全員驚いた表情になる。

「先生のご出身は常陸で、ザキちゃんが河内だったな。そっちのご両人は?」

「俺も尾形も西海道ですが。そういえば、原田隊長は伊予でしたよね? それが何か、関係あるんですか?」

「大有りなんだ、これが。俺ぁ出こそ伊予だけど、どっちかってぇと、武州に居た方が長くてよ。それで知ったんだけどな。立ち位置が、東と西で逆なんだ」

「「え?」」

常陸は関東、河内は関西で、西海道は九州に相当する。伊予は四国の一藩だ。
大雑把に言えば、伊東が『東』で、山崎、篠原、尾形は『西』の出身ということになる。頭の悪いヒヨコとその他の対立かと思っていたが、単純に東西対決だったと解釈すれば、この構図にも理屈が通る。

「ほら、東は侍が多かっただろ。だから刀抜くのに使う右側が空いてた方がいいってのもあって、いつのまにか右が男雛になったんだとさ。だから、右でも左でも、どっちも正しいってこった。要するに、そこんちの好きなように飾り付けりゃいいんだ」

だから近藤の結婚式もそういう位置関係だったのか、なるほどと頷きあったのも束の間、山崎が「んじゃ、うちは伝統重視で!」と宣言し、すかさず伊東が「何を言っているんだね。東は女雛が左だと、今、原田君が言ったじゃないか」とやり返して、舌戦が再発した。
沖田がハーッと溜め息を吐く。

「原田さん。だからアンタを呼んできたんでさぁ。いいから、ハッキリどっちかに決めてやっておくんなせイ」

「あぁ、そうか。だったらよ、俺らはヤットウやってんだから、サムライの置き方にすりゃいいだろ」

ヤットウとは剣術のことだ。確かに『真選組の屯所内で飾るのだから、サムライ式で』という理由には、圧倒的な説得力があった。

てっきり自分の味方をすると思われた原田が逆転判決をしたことに、山崎はすっかり白けた様子で「尾形、そっち男雛でいいんだってさ」と、熱のない声で指示を出した。原田は毛の無い頭をしきりに掻いて「ごめんな、ザキちゃん。悪気は無いんだ、ただ、ほら、俺らサムライだろ? だから、公平に考えたらそうなったってだけで。なぁ、怒らないでくれよぉ」と弁解する。
一方、とりあえず主張が認められた形の伊東も、釈然としないものが残るらしく「なんだかすっきりしない、僕の常識が否定されたみたいで」などと、ぶつぶつ言っていた。

陽向はそんなオトナげない大人達を眺めていたが、何かを思い付いたらしく、とことこと母親二人に歩み寄ってその服の裾を掴んだ。

「あのね、あのね」

「なんだい、ひな?」

「こんど、ささきじぃじのおうちにいけばいいのでしゅ。じぃじのおうち、ずーっとにしだから、ちがうおひなしゃまがいましゅ、きっと」

予想外の言葉に、一同は吹き出す。

「佐々木殿の名前が出てくるとは。ひな、よく覚えてたね」

佐々木じぃじとは、真選組同様、松平片栗虎傘下にある武装警察・京都見廻り組の組長・佐々木只三郎である。真選組にとっては兄貴分に当たる組織で、時にはライバルとして競い合い、時には捜査協力や情報交換をする関係であるだけでなく、その幹部らには何かと世話になっている。

「あい、くましゃんにも、また、あしょんでもらうです」

くましゃんとは、その片腕の熊井不信郎で『名は体を現す』という言葉の通り、熊のごとき髭面で巨漢のムサ苦しいマッチョマンだ。威圧感いっぱいの外見だが、陽向は怖がるどころか、よく懐いているようである。

「おがおじちゃー。あい」

五人囃子を尾形に手渡そうとした陽向だったが、その手が滑ったのか、人形本体でなく頭だけを持ってしまった。
その結果、ぽろんと胴体が外れた。転がった人形の胴体は、勲平の足許で止まる。

「うわあああああああああああん!」

既にビビりモードに入っていた勲平は、そのショッキングな光景に悲鳴を上げて泣き出した。
たかが人形で大袈裟だなぁと笑おうとした篠原だったが、何かを思いだしたのか、素早くそれを拾い上げると「ボサッとしてんじゃねぇ、ボケザキ。寄りに寄ってこの子に、こんなん見せたら駄目だろうが」と詰りながら、山崎に放ってよこした。
その篠原の対応に、伊東と原田は一拍置いて「ああ」と呟いて複雑な表情を浮かべ、沖田は訳が分からないままに「男の子がこんぐれぇで泣くんじゃねぇよ」と息子の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

一方、山崎は、篠原の罵倒が聞こえなかったふりをして、人形の首を捩じ込みながら「あーあ、首ちょんぱ。お人形持つときは、頭持っちゃだめって、いつも言うの、分かったよね?」と、娘に言い聞かせていた。

「あい、ごめんなしゃい。いたいのいたいの、りんたんのとこにとんでけぇ!」

陽向が元気よくそう唱えて、直した人形をさする。

「ああ、本当だね。お人形の痛いの、治っちゃったね。ほら、もう大丈夫だから、勲平君もこわくないでしょ?」

しかし、いくらなだめすかされても、勲平は目に涙を溜めて、いやいやと頭を振るばかりであった。





それから数日後。

「新井は居るか?」

珍しく土方が直々に大部屋に顔を出して呼び出した男の名を聞いて、ほとんどの者が「はぁ?」と怪訝な表情を浮かべ「そんなヤツいたっけか」と顔を見合わせた。

「逆雄ですか? アイツなら資料室にいますよ。篠原の手伝いで、資料のデータ入力してる筈です」

監察方の古株、吉村折太郎が、額にかかる長い前髪をかき上げながらそう答えたのを聞いて、一同はようやく「そういえば、監察方にそういうヤツがいたっけな」と思い出した。

「副長自らご指名とは。何か特別な任務ですか?」

「特別というか。今から出張に行くから、その従者として連れて行く」

「そんな御用でしたら、俺がお供しますのに。いや、自分がついていくともっと激しく自己主張するのが一匹、居るでしょう。なんだって、わざわざ新井を?」

吉村がそう畳み掛けると、土方は露骨に顔をしかめて「消去法だ」と吐き棄てた。
アレと何か喧嘩でもしたんですか、それよりもそもそも今日は確か……とは、吉村は敢えて聞かない。余計な詮索をして逆鱗に触れるようなことはすべきではないというのが、長年このワガママな上司に付き合ってきた吉村なりの処世術だ。それにどうせ、土方が出ていった後に「アレ」が血相を変えて駆け込んで来るだろうから、そっちに聞けばいい。
廊下を渡る、ドタドタと賑やかな足音。バーンと勢い良く木製の引き戸が開かれる。

「新井は? 新井逆雄はこっちに居る? 土方さんが探してたよね?」

ほうら、来た。

「副長なら、たった今、出てったぜ?」

「ええっ、やっぱ逃げたのかよ! ちょ、引き留めてくれよぉ、今日ぐらい居てくれないと、さすがに格好がつかないってぇのに!」

そう喚きながら、山崎が足をドンドンと踏み鳴らして悔しがっている。
文字通りに『地団駄』を踏む人間って初めて見たなぁ、などと妙なことに感心しながら「逃げたって……オマエ、副長と喧嘩でもしたのか?」と、尋ねる。

「そんなんしませんよ。ああ、もう、こんな日に限って、あの忌々しいオニーサマが来やがるんだから!」

なるほど、それで逃げたのか。
だが、そこで吉村が「だったら、ホントについさっきだったから、まだ資料室に居るんじゃないかな」と教えてやる前に、山崎は「ああん、ちくしょう、どうしよう」と喚いて、嵐のように駆け去ってしまった。






新井はキーボードの上を走らせていた指を止めて、美貌の上司を見上げた。眼精疲労で見えた幻かと思ったが、目を擦ってみてもその姿は消えなかった。

「今日? 出張? 日帰りですか?」

「泊まりたきゃ泊まってもいいぜ」

「泊まりたいというか、どこへ出張なんですか? 日帰りでもいける距離なんですか?」

「そうだな、どこに行くかな」

煮えきらぬ態度で煙草を内ポケットから引っ張り出し、キョロキョロと灰皿を探す仕草を眺めているうちに、新井はようやく相手の意図を察することができた。

「デートのお誘いですか?」

「需要と供給さ。俺は今日一日外出がしてぇ。オメェもそれにまんざらでもねぇ。結構な話だろ?」

我ながら未熟だと思うが、頬が赤らむのが自分で分かった。灰皿を差し出す指先が、微かに震える。
研修生時代からの古い付き合いだという吉村や、すっかり古女房気取りの山崎だけではなく、監察方の連中は、皆どこかで土方にホダされ、惚れた弱味につけこまれてコキ使われている。新井だって例外ではないのだ。
ただ、正式に入籍していないとはいえ妻子がいる身になってしまい、もう自分が入り込むだけの余地は無いと諦めていただけで。かといって、同僚の服部文雄のように、新たな恋を求めて積極的に合コンに行きまくるほど、開き直ることもできなかった。できるのはせいぜい、与えられた仕事に盲目的に打ち込んで「よくやったな」と褒められるのを期待するぐらいで。

「でも、なんで俺に?」

「別に。消去法で。オマエが一番、面倒なさそうだし」

あまりにも酷い扱いだが、それでも選ばれた嬉しさに口元が綻ぶのだから、自分でも末期だと思う。

「泊まりが良いと申し上げたら、そうして頂けるんですか?」

「外泊届けは出して貰うけどな」

泊まりでもいいって? 突然、降って沸いた僥幸に目眩がした。これは疲労で悪い夢でも見ているか、あるいは趣味の悪いドッキリ企画に巻き込まれたか。口の中がカラカラに渇いて、何回もツバを飲み込む。

「外泊届け、出します」

ようやく絞り出した言葉はそれだった。
未入力の書類の束はまだ山ほどあったが、千載一遇のこの好機を逃したくはなかったのだ。






「たかおじちゃ、いらっしゃいませ」

桃色の振袖に朱色の被布を重ねた装いの陽向が、伯父の鷹久に駆け寄る。

「今日も可愛い着物だね。はい、お土産の長寿庵の桜餅だよ」

「おかーしゃーん、さくらもち、もらいまちたー」

竹籠を抱えてぱたぱたと駆け戻る。
いつもは書類の乗った文机などが置かれている参謀室はきれいに片付けられ、代わりに祝い膳が並べられていていた。本来なら女の子の節句なのだが、せっかくだからと、沖田と勲平も招かれている。

「兄上、お忙しいのにありがとうございます」

「他ならない陽向のお祝いだからね、何をおいても駆け付けるさ。ところで、土方君の姿が見当たらないようだが」

鷹久のその言葉に、その場にいた全員がぎくりとする。

「パパしゃん、おちごとって」

「一人娘の大事な祝い事だというのに不在とは、彼はいつになったら父親としての自覚が出てくれるのかね」

一人前ずつの料理が詰まった重箱の紐を解いて並べながら、山崎が「いえ、本当に急に入った任務で、仕方なかったんです。実は自分も任務の合間を縫っているので、こんな格好で」と、必死で弁解する。
伊東も「同席できずに申し訳ない、兄上殿にはくれぐれも宜しくと、土方君が」と口添えしたが、なにしろ土方の日頃の行いが悪すぎて、信憑性がまったく無い。

「ふうん? せっかくの祝いの席に座を白けさせてもナンだから、鴨の言葉に免じて、一応、そういうことにしておこうか」

信じていない。
鷹久の反応は、山崎と伊東の必死のフォローを丸で信じていない。
だが、それがまごうとこなき真実でもあるので、山崎は針の筵の気分であった。

「たかおじちゃ、みてみてぇ。おじちゃにもらったの、ちけたのー」

気まずい雰囲気を打破したのは、陽向であった。
伯父の膝にちょこんと尻を乗せ、先日買ってもらった髪飾りをアピールする。

「うん、よく似合って、可愛いよ」

この期を逃さず、山崎は静かに部屋を抜け出した。

(土方さんのばかぁぁぁぁ、俺まで居づらいじゃないかぁぁぁ)

心の中で罵りながら、副長室に駆け込んで、書類の整理を開始する。土方が日頃溜め込んでいる分もあるが、それ以上に多い気がする。というか、これ、新井の分じゃね? 新井が入力して整理しておくべき分じゃね? あの野郎、まさか途中でほっぽり出していきやがったか? ともかく鷹久が帰るまでの数刻、ここに篭るのが一番だろう。






「おや伊東殿、いらっしゃいませ」

最後の甘味を食べ始めた頃、近藤がふらりと現れた。

「お邪魔しているよ、近藤君」

「毎年思いますが、本当に見事な人形ですな」

「いえいえそれほどでもありませんよ。格式にふさわしいものを選んだまでです」

「さすがは伊東先生の兄上、素晴らしい感性をお持ちですな。今年は、うちにもボウズが来ましたから、やはりちゃんと節句は祝ってやらないとと思うのですが、どういった飾りを選んだらいいんでしょうかね」

その言葉に鷹久の手が止まる。

「端午の節句は、桃の節句よりもバリエーションがありますからね。武者人形から童子人形、兜飾りもあれば鎧飾りもあり。失礼ですが、近藤殿の御実家では、どういった飾りを?」

「いやぁ、お恥ずかしながら貧乏道場だったもんで。ウチにあったのは年季の入った兜と武者人形で。やっばりコイツにも同じような感じにしてやりゃいいんですかね」

その『人形』と言う言葉に、勲平がぴくっと反応する。

「それは近藤殿のお好みでよろしいのでは? 我が家では、鎧飾りを飾っておりますよ。それと、息子が生まれた際には、妻の実家から童子人形が届きましたな」

妻の実家、という言葉に、桜餅を葉っぱごともっさもっさと食らっていた沖田が、視線を上げる。

「センセイしつもーん。俺ぁ、天涯孤独でそんなもん送ってくれる身寄りがねぇんですが、そーいった場合はどうしたら良いんでやすかね」

別に揚げ足をとったつもりはないのだが、この雛人形が届いたのも『母方から贈るという慣習だから』という理由だったのだから、妻である自分の側が支度すべきなのだろうか、と素朴に考えただけだ。
だが、天涯孤独だの身寄りが無いだのというショッキングな言い回しに、鷹久は少なからず肝を冷やしたとしたようだ。

「そうですね。あくまでもそう言われているだけで、必ずそうしなくてはいけないと決まっている訳ではありません。ご夫婦で相談されてお選びになられたらよろしいのでは?」

そこはエリート、模範的解答でサラリと逃げる。
だが、沖田の質問の意図は別のところにあったようで「どうせ俺が支度するんだったら、土方さんとこに負けねぇような、目いっぱい豪勢なのにしてやりたいだけでさぁ。人形でも鎧兜でも」と、畳み掛けてきた。

「ああ、そういうことですか。それだったら、懇意の業者に五月人形のカタログを送らせましょうか」

お手数をおかけしてかたじけないと、丁寧に頭を下げたのは近藤である。

「そーいやぁ、端午の節句はあの土方コノヤローの誕生日だっけな。ついでだから、あれが霞むぐれぇ、どでかい人形飾って、ド派手にパーティしましょうぜ」

沖田は妙にノリノリになっているが、当の勲平は雛壇から離れた位置に縮こまって座り「人形、怖い。いらない」と呟いた。
どうやら、先日の一件がトラウマになっていたようで、せっかくの雛人形にも近づこうとしない。

「おや。勲平君は、人形が嫌いかね? なら、鎧兜がいいかな。あと、鯉のぼりと」

「鯉のぼりなら、大部屋にたくさんありまさぁ」

沖田がボソりと呟いたが、部外者である鷹久には意味が通じなかったらしく、その発言はスルーされた。




初出:09年05月05日
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