あかりをつけましょ【3】


「ああ、そういえば今日は桃の節句ですよね。せっかくのお子さんのお祝い、多少、兄上様が嫌でもご自宅にいらした方が良かったんじゃありませんか?」

そう言いつつも、帰ろうというそぶりが無い辺り、新井も単なるアリバイ作りのためにそう口走っただけなのだろう。台詞とは裏腹に、まるで引き止めるかのように、いそいそと土方の上着を脱がせて衣紋かけに掛けると、部屋に備え付けのポットで茶を汲む。
土方は釣り込まれるようにどっかと腰を下ろすと、勧められるままに湯飲みを手にした。

「どうせ、あのクソ忌々しい“兄上殿”がデーンと居座ってやがんだ。居ても居なくても喧嘩売られるんだったら、あのツラ見ねぇ分、トンズラした方がマシだ」

「おやおや……お父さんを盗っちゃって、ひなちゃんには申し訳ないですけど」

殊勝な口調のその台詞の続きは、しかし「でも『旦那さんを盗ってしまって奥方様には申し訳ない』とは、サラサラ思っていません」である。するすると土方に擦り寄ると、緩慢な仕草でその首に両腕を巻きつけた。
土方が、その腰を抱きとりながら「どっちか、リクエストあるか?」とニヤリと口許を歪めてみせた。監察方の厳しい訓練を受けている部下の身体は、無駄な脂肪が無く引き締まった筋肉に包まれている。

『柔らかくて体温で蕩けだしそうな女の凝脂もいいが、たまにはこういう、しなやかで飴色になめされた革のような肌身も悪くない』……などと考えてしまうところが、子持ちになったくせに土方の腰が未だに定まらない所以なのだろう。

「どっちか、だけですか?」

「そうきたか」

「だって滅多に無い機会ですし。俺、近いうちに、長期の潜入捜査に入る予定ですし」

そういう事情があるのなら、がっつきたくなるのも道理だ。
敵陣に単身乗り込み、なにくわぬ顔で接しながら情報を集めて帰るという潜入捜査には、相当の精神力が要求される。必ず生きて組に戻るという忠誠心だけでなく、潜入先で得た協力者や『仲間』を最後には平然と裏切る冷酷さ、正体が露見したら秘密保持のために自決するだけの覚悟だって必要だ。
ここは、それだけのものに見合う対価……飴と鞭でいうところの『飴』をたっぷり与えておく必要があるだろう。裾を割って脚をなぞり上げると、声をかみ殺しながらも胸元にしがみついて来る。土方は己の唇を、爬虫類に似た仕草でおもむろに舐めた。




だが、その唇に吸い付く前に、土方の携帯電話が鳴った。
しかもピピピという素っ気ない呼び出し音は、業務用だ。誰かのいたずらで美少女なんだかのテーマソングが着うたに設定されている(しかも解除の方法がよく分からなくて、そのままになっている)プライベート用ならともかく、職務上、こちらには何があっても出ることになっている。

「はい、もしもし?」

『アンタ、娘の雛祭りほったからして、どこにいるんですかっ! あの平八は今帰りましたから、さっさと戻って来てください!』

耳に飛び込んで来たのは、こういう逢い引きの場では、絶対に聞きたくない相手の声であった。いつもはタレてる目を精一杯吊り上げている鬼のような形相までが、見えて来そうだ。

「ザキ、私用電話はこっちにかけるなと、何度言ったら分かるんだ」

『プライベート用にかけても、出てくれないじゃないですか』

「そんなことしたら、わざわざ仕事用とプライベート用に分けて、二台持っている意味が無いだろうが」

『そんなのどうでもいいから、すぐに帰って来てくださいね。ひなが待ってますよ』

一方的に喚き散らして、こちらがハイともイイエとも返事をする前に、通話が切られた。ツーツーという電子音を聞きながら、すっかり白けてしまった表情で新井を見下ろす。

「その、あー…」

「お帰りになりますか?」

頬が上気し、まだ熱っぽい呼気を吐いていた新井であったが、泣く子となんとかには勝てないと、早々に乱れた着物を直し始めた。裾は腿までまくれ上がり、肩がまろび出るほどに大きく衿がはだけている。

「どうせ、こんなオチだろうと思ってましたから」

「すまねぇな、今度、埋め合わせてやるから」

土方が抱き寄せて耳元にそう吹き込むと、その吐息にも感じるのかびくびくと体を震わせながらも「では、今度のボーナスの査定、楽しみにしています」と、新井はそう言い放った。

「ぼ、ボーナスの査定ぇ?」

「埋め合わせてくれるんでしょ?」

土方がリアクションに困って固まっている隙に、新井は腕から逃れ、恭しく頭を下げてみせる。
確かに、こういう時の聞き分けは一番良さそうだという理由での人選だったが、こんなにもあっさりと引かれると、かえって拍子抜けした。

「あ、ああ……その、カネでいいのか?」

「他になにか、強請ってもいいのですか?」

俯いたままの新井の表情は見えない。もし見えたところで、中堅の監察方が相手だ。その胸の内を読み取ることはできなかったろう。

「まぁ、確かにな」

残念ながら、確かに今の土方は、新井の思慕に情で応えてやれる立場にはない。それぐらいは理解している。だが、その代わりにカネで報いてやるというのも、極端な話ではないだろうか。もちろん、仕事の評価を給料に反映してやるというのは、普通の職場では当たり前のことなのだが。

土方は割り切れない思いで、まだ半分ほど残っていた煙草を灰皿から拾い上げた。ライターで火をつけて吸い込む。吸いさしの煙草は焦げ臭くて、あまり美味くはなかった。

「帰りにどっかでケーキでも買いますか? 美少女侍だか、美少女戦士だかの。ひなちゃん、喜びますよ」

「そ、そうだな」

「俺、ついでだからもう二三日、ここに逗留してから、そのままシゴト行きます」

ハッとして顔を上げると、華やかな笑顔を見せた新井と視線があった。

「そうか? どうせだから、おまえからケーキ渡してやれよ」

「おとーさんのから方が喜びますよ。これ、ケーキ代の足しにしてください」

財布から抜いた紙幣を、懐紙に包んで渡される。
部下から金を受け取るというシチュエーションへの違和感もさることながら、このままこの部下と会えなくなるのではないかという不安に駆られたが、強引に連れ戻すだけの口実も思いつかないまま、土方はそれを受け取っていた。






ケーキ屋で「美少女侍トモエちゃんケーキください」と言うのは、そっちの趣味が無い土方にとって羞恥プレイか罰ゲームのようであったが、単に美味しいだけの上品な菓子はどうせ、伊東の“兄上殿”が一級品を買っているだろう。ここは素直に(?)子供ウケを狙った方がいい。

「お子さんにですか? ローソクはおつけしますか?」

ローソクってなんだ、ケーキに蝋燭って何のプレイだと一瞬訝った土方であったが、危ういところでバースデーケーキか否か尋ねられたのだと気付いた。

「ああ、雛祭りのついでだ」

勘違いした気まずさに、殊更にブスッとした表情で答えたが、店員はあくまで接客マニュアル通りに「お誕生ケーキでないのでしたら、ローソクは要りませんね。おリボンはかけますか?」と畳み掛けた。

「適当にしてくれ」

新井から受け取った金は使う気になれず、自分の財布から払った。こいつは、あいつが無事に帰ってきた時に、飯でも一緒に食う足しにしよう。
大きなケーキ箱を抱えたまま歩く訳にもいかず、店員に駕籠を呼んでくれるように頼み、店のガラス戸からボンヤリと外を眺める。ふと、ガラスに映っている己の顔が所帯じみてきたように思えて、土方は嫌悪を覚えた。
今の自分は、いくら大義を掲げようとも幼い我が子を残して死ねる自信がない。そんな自分に、部下に死地で戦えと命ずる資格があるのだろうか。一般隊士にはいくら嫌われていい。近藤さえ慕っていてくれれば、自分は憎まれ役で十分だ。だが、直属の部下にあたる監察方の連中は、そういう訳にはいかない。



今の俺はあいつらにとって、なんしても戻りたい『巣』であるだろうか。



やがて、暗い視界に光が浮かび、生き物のようにするすると近寄ってきた。その様はまるで、死神が迎えに来たかのようだ。

「駕籠屋がいらっしゃったようですね」

女店員に促されて、我に返る。
光は人魂でもなんでもない、ただの駕籠屋の行灯であった。




パパしゃん、ひなのぱーちーにいなかった……と膨れていた顔も、ケーキの箱を差し出されて「ともえちゃんケーキ!」と、パッと輝いた。

「新井は? 一緒だったんじゃないんですか?」

尋ねる山崎の表情は底意地が悪い。新井がなぜ帰るのを渋ったのか、土方はなんとなく分かったような気がした。これからたったひとりでの任務に出ようという部下に対して、酷なことをしたのかもしれない。だが、その思案も「ケーキ、にぃにといっしょにたべゆ。パパしゃんにもわけてあげましゅよ?」と愛娘に甘えかかられて、ウヤムヤになってしまった。

「ああ、ありがとう。ひとくちでいいよ」

あーんと口を開けて待つが、陽向は「まだらめでしゅ。にぃにとケーキにゅーにゅーしてからでしゅ」と、かぶりを振った。

「は? ケ−キ牛乳?」

「さいしょのキョーギョーサドーだってゆってまちた」

「おーい。誰か、通訳してくれ」

「にぃにっていうのは多分、吉村君のことなんだろうな。面倒をみてもらって、ひながよく懐いてるから。でも、ケーキ牛乳ってなんだろ? 吉村君は、ケーキにそんなものかけて食べてるんだろうかね?」

伊東も首を傾げるばかりだ。

「まさか、イチゴ牛乳みたいに、ケーキをミキサーにかけてるんじゃないだろうな。あの野郎に直接聞いた方が早そう」

山崎がそう言って腰をあげた。





呼び出された吉村が現れた途端に、陽向が一転「ケーキきって」と言い出したため、結局、ケーキ牛乳の謎は解けないまま、二カ月が経った。






「ひじ……いや、副長、誕生日ケーキどうします? ケーキに『とおしろうくん』って書いてもらいましょうか」

そう言って冷やかすのは、吉村だ。
当然、土方は憮然として「いらねぇ」と即答する。

「プレゼントは僕でいい?」

おずおずと言って、リボンを首に巻いているのは伊東で、山崎がその背後からリボンをぐぃっと引っ張った。

「ぐぇっ」

ゲホゲホと伊東が咳き込むのもお構いなしに突き飛ばして強引に割り込むと「えーっ。俺でしょ、デコはいつもなんだから、スペシャルデープレゼントは俺でしょっ!」と、喚く。

「あれ。今日って、廃品回収日だったっけ」

吉村がそう皮肉ると、その騒動をシラーッと見ていた沖田が手をぽんと叩いて「土方コノヤローを棄てる日ですねイ」と呟いた。

「誰が廃品だコラ。まぁ、この年齢になって今更、誕生日もへったくれもねぇがな」

土方はそうつまらなそうに呟いて「山崎君がいじめた」とべそをかきながら膝にすがろうとする伊東と、「お前が悪い」とそれを押し退けようとする山崎、双方の頭を、犬っころにでもするかのようにおざなりに撫でている。

「まぁ、そうでしょうとも。今年からはアンタの誕生日じゃなくて、ウチの子のお祭りですからねイ。超豪華な鎧武者を飾って盛大にパーティをすることになりやしたから」

「ほう? オメェんとこの鎧武者ってぇのは、中庭のでっけぇハリボテのことか」

「将軍様御用達の五月人形の業者に特別にオーダーしやしてね。変型合体して、空も飛ぶんですぜイ。ほら、やっぱり男の子のロマンは巨大武者でさぁ」

なんかそれ、豪快に間違ってないか? 勲平君はそれで喜んでいるのか? と、全力でツッコみたいところだが、近藤と相談したうえで決めたことなら、他家である土方らが口を挟むものではない。

「そういえば、鯉のぼりはどうすんだ。むしろ、そっちの方がメジャーだろ」

土方は、己の生家を思いだしてそう尋ねた。
5月5日が誕生日である息子のために、風になびくこともできないほど巨大な鯉のぼりを張り切ってあつらえたのだが、親不孝な十四郎ぼっちゃまは、それでトンネル遊びをして泥だらけにした挙げ句、内側から踏み抜いて破ってしまい、それはもう怒られたのなんの。

「だから、そんなの大部屋にいくらだって」

「大部屋に?」

沖田の返事に、土方は首を傾げる。
平隊士らが雑魚寝をしている大部屋に、そんな飾りなんぞある由がない。だが、男だった頃は大部屋の住人だった山崎には心当たりがあったらしく「薄汚いアレですか」と恐る恐る指摘した。
暑い季節ともなれば、野郎共がトランクス一丁で板敷きの間に寝そべっている。その色とりどりのパンツの群れが、河川敷や川に大量に泳ぐ鯉のぼりのようだ、という訳だ。

「なんだ、アレか。みっともねぇ。吊るせ」

「そんなこと言っても、大部屋は冷暖房無いから、夏はキツイんですよ」

「心頭滅却すれば火もまた涼し、だ。俺の部屋だって冷暖房ねぇぞ」

そんなこと言ってもアンタの部屋広いから、風が通って涼しいじゃないですか、そういう理屈なら、デコの部屋の冷暖房外してみなさいよ、アンタどうしてアイツにばかり甘いんですかと小一時間問い詰めたいところであるが、問題はそこではない。
山崎は振り向くと「いいんですか、沖田さん。大切な息子の節句に、薄汚いパンツのぼりで」と、尋ねた。

「じゃあ、パンツは新調させまさぁ」

「そういう論点なんですか?」

「俺ァ、ガキの頃、鯉のぼり頭にかぶって遊んでたら、緋鯉を破っちまってねーちゃんに派手に叱られやしたからね。あん頃は女手ひとりの生計だったから、新しいのが買えるまで赤いフンドシ吊るしてやしてね。だから、パンツでも大した変わりはありやせんや」

沖田の姉・ミツバがどんな顔をしてフンドシを屋根に吊るしていたのか、土方らにはまったく想像を絶した。いや、沖田お得意の口から出任せの嘘かもしれないが、いくら沖田でも、最愛の亡き姉を即興でネタにするとも思えない。それに、考えたくはないが、いくら清楚で可憐で病弱だったとはいえ、ミツバはこの沖田と血のつながった女なのだ。もしかしたらフンドシのぼりの話も本当なのかもしれない。

「じゃ、鯉のぼりはお昼頃から吊るしやすから、良かったら見に来てくだせぇ」

サラッと言い残して、沖田が戻っていった。
吊るすって、本当に隊士をパンツ一丁にして庭に並べるつもりなのだろうか、このドS王子なら『隊長命令』などと言って、それぐらい本当にやりかねない。

どうする、一応、見に行くか? などと気の抜けた顔を見合わせていると、吉村がふと思いだしたように封筒を土方に差し出した。

「そうそう、これを渡しに来たんだっけ。ハイ。新井からの誕生日プレゼント」

「新井?」

あまりにも薄情な話だが、土方はその名をすっかり忘れていた。
もともと地味な存在のうえに、あれからどこぞに潜ってしまって姿を見かけることもなく、連絡も無かったのだから、仕方ないといえば仕方ないのだが。

「中間報告だそうです。何かと治安の悪い花街に奉公に入って、そこの常連の覇天馬とかいう大物に取り入ったとかで。高杉一派にも繋がってる可能性もあるとのことですから、うまくいけば大手柄ですね」

「はん。確かに、何よりのプレゼントだな」

膝の上で猫のように丸くなっていた伊東が、ふと視線をあげて、猫じゃらしにちょっかいをかけるような仕草でその書類に手を伸ばし「僕にも見せて」と強請る。

「でも、これだけの大物になると、新井ひとりでは荷が重すぎるかもしれませんね。服部辺り、応援に出しましょうか」

「服部を出して、オメェらは手が足りるのか」

「監察方の人手不足は慢性症状ですけど、出そうと出すまいと同じ人手不足なら、残った連中がなんとか踏ん張って、手柄のでかい方に回した方が、効率的でしょう」

『なんとか踏ん張る』側の吉村がそういえば、山崎も「服部が抜けたら痛いし、あの新井を助けるのは癪だけど、手柄をアイツにひとり占めされるのはもっとイヤだから、頑張る」と口添えした。

「そうけぇ。オメェらがそう言うのなら、任せる」

土方はそう言うと、膝の上でふんふんと報告書を読んでいた伊東を抱き下ろした。

「そういえば、チビスケはどこに行った? 手ぶらで行くのもナンだから、近藤さんところにチマキでも買って、持ってってやろうや。ザキ、チビスケ連れて一緒に買い物に行くから、探して来て、支度しろ」

「あいっ!」

ご指名を受けた山崎が、満面の笑みを浮かべて元気よく返事をした。





【後書き】本来は雛祭り企画として用意していた小説ですが、後半部を付け足して、端午の節句&土方のお誕生日企画として掲載することになりました。
しかし、設定や伏線の関係上、土方家の家庭の事情だの、近藤の養子の話だのを先にする必要があったため、今回、かなり苦しい思いをしました。自業自得です。
初出:09年05月05日
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壁紙:素材屋Miracle Page より。

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