※当作品は『バラガキ編』前に書いたため、佐々木及び 見廻り組はオリジナルとなっています。ご了承ください。
あかりをつけましょ【1】
どこぞの製菓会社の陰謀から始まったイベントを過ぎて間もない頃。今年も真選組の参謀室に、大きな箱が大量に運び込まれた。
「尾形ぁ、そっち押さえてはめ込んで」
「もーちょい、そっちに動かして」
「あと三寸ぐらい壁から離さないと、こっから先の作業できないから、移動して」
通常勤務の合間にやれと土方に命じられたのは、今年もまた監察方の虐められ子、尾形鈍太郎だった。それに付き合うのは相方の篠原進之進で、そして当然のように山崎退が加わる。
分解して運びこまれた枠組みは、組み上げると六畳近いうえに、一番高い部分の高さは六尺を軽く超える。その木枠に板を渡していくと階段状になるのだが、一刻近くかかって組み上げるまでが一苦労である。
「山崎君、これ渡していいかな?」
組み上がるのを待ち構えていた伊東が、赤い大きな塊を廊下から引きずって来た。
「ちょっと待って。尾形、脚立あがって、しのは尾形んとこまで毛氈のそっち側、引っ張って。デコは俺ん方に引っ張ってきて」
各々ポジションに付いてその赤い敷物、いわゆる毛氈(もうせん)を壇の上に敷き詰めようとしたところで、毛氈が引っ掛かった。振り向けば、その上に幼女が倒れ込んでじたばたしている。武装警察というモノモノしい肩書きの真選組の屯所にはまるで似つかわしくない存在だが、この娘こそが今回の節句の主役であった。
「ママー」
どうやら彼女は、転がって遊んでいて髪留めが毛氈の端に絡まったらしい。
この場合、誰が救出に行くのか。必然的に「ママ」と指名を受けた山崎だろうと、一同の視線が集中する。ため息を吐きながら山崎は一旦脚立を降りて網に引っかかった幼女を救出し、再びポジョンについた。
「ひな、これ敷き終るまで離れててね」
「あい!」
ひなと呼ばれて、幼女は元気よく返事をする。名は伊東陽向という。ひなたと読み、愛称は「ひな」。姓からして伊東と血縁関係があるのは明白なのだが、その子が何故、山崎を「ママ」と呼ぶのかといえば、語れば長ぁい事情がある。もちろん、山崎が伊東の子どもを孕んだ訳ではないし、その逆でもない。
それはさておき、今度は無事に段の上まで毛氈を持って来ることができたので、それを動かないように赤い画鋲で固定する。
「やっと出来たね」
嬉しそうな声をあげたのは、毛氈を持ってくる以外、何もしていなかった伊東だ。
ただでさえ非力なうえに片手の自由が利かなくなっている伊東に、なにか作業をしろというのはどだい無理な話だと分かっているが、寒い中で汗をかいて働いていた三人としては、つい恨めしい目で見てしまう。
「でもここからが長いでしょ。後は飾っていくだけとはいえ」
「おてちだい」
張り切って手近な箱を開けようとする陽向を、山崎が慌てて押し留める。
「順番にやっていかないと、空き箱すら戻せないんだから、これ」
昨年適当に開けて痛いめにあった山崎の言葉に、伊東は別の箱に伸ばしかけていた手を、そっと引っ込める。
「最初に一番上の畳敷いて、雪洞(ぼんぼり)。下のほうのお道具並べてから屏風(びょうぶ)立てて人形の順だけど、人形の飾りもつけないとなんだよな」
「高いとこは、必然的に俺ですね。山崎さんにお道具並べてもらうのがいいのかな」
「それじゃ僕は篠原君と、人形を出しておくよ」
大きい箱の中に幾つも詰められた小箱の中から出てきた道具は、どれも贅をつくしたものばかりである。艶やかな漆塗りの重箱や鏡の表面を飾るのは、御所車と花の蒔絵。色のついた部分は貴石を砕いた粉で描いてある。茶道具は備前の青磁、添えてある茶杓も煤竹で作られていて、実際に使うこともできる代物だ。
道具だけでなく、ひとつひとつ柔らかな和紙に包まれて収められていた人形達も、高名な人形師の作品であるのに加え、その大きさも普通のものよりもふた周り以上大きい。その髪には人毛が使われ、着物も全て西陣だという。
「毎年思いますけど、すごいですよね、この雛人形」
三人官女の紅が塗られた口が半ば開いて、そこにしっかりと歯が生えて居るのを少々気味が悪いなと思いながらも、篠原は小物の箱の中から長柄銚子を拾い上げて、その手に持たせる。
「将軍家の姫君と同じくらいのランクのものらしいけど、よく分からないや」
伊東のその答えに『よく分からないじゃないだろう!』と、全員が心の中で突っ込む。
この雛飾りを贈ったのは他ならぬ、伊東の兄・鷹久である。
雛飾りは『母方』の実家が贈るというしきたりがどうのと言って、幕府内の行事ごとを執り仕切る役職にある己のコネをフルに活用して、陽向の初節句の時にこの豪華すぎる代物を送りつけてきたのだ。
「伊東の名に恥じないものを用意させたよ」とこともなげに言ってのけ、伊東も(自分のものでないにせよ)生家にそういった類のものがあるのを普通に見て育ったせいか、罰当たりにも『大きな段飾り』程度の認識しかないようだ。
大人たちが支度をしていくのを、部屋の片隅にちょこなんと座って眺めていた陽向だったが、やがて退屈したのか「ママー、うししゃん」と、最下段の牛車を指差す。
「いつも言うけど、ゼンマイ巻き過ぎないようにね」
山崎がそれを部屋の片隅においてやると、陽向は嬉しそうに台座につけてあるゼンマイを回す。しばらくして音楽が流れ出し、それにあわせてカラクリの牛が首や尻尾を動かす。
「あくぁりぃをとぅけまぁしぉぼぉんぼーいりぃ」
そして歌いだした陽向だが、その歌はいつものように激しく調子っハズレである。
「山崎さん、ひなちゃんのあれ……歌ですか?」
下段三段の道具を並べ終えた尾形がなんとも言えない表情で尋ね、山崎は深い溜息を吐く。
「両親の音痴が、完全に遺伝した。耳も頭もちゃんとしてるのに、あの子」
「むぅたりなぁらんぅでぇつましぃぐぁお」
山崎のそんな懊悩など知らぬ陽向は、嬉しそうに歌い続ける。
「音痴なんですか? でもそういえば確かに、あのひとがカラオケとかで歌ってるの聞いたことないや。そういうガラでもないですしね」
当の『両親』の片割れを目の前にしているだけに、尾形の声はひそみがちになる。
「そそそ。何とか矯正させたいから、あの子の前で色々歌ってるんだけど、なかなか頑固なDNAらしくて。長ぁい勝負になりそうだよ」
つまり、この幼女と山崎の間に、血縁関係は無い。
伊東と……山崎の想い人であり、正式ではないとはいえ『夫』であった筈の、土方との間にデキてしまった子であった。
いくら否定しようとしても、陽向の雪の肌に濡羽色の髪、ぱっちりとした睫毛の長い目は土方に生き写しであったし、性格もやんちゃで負けず嫌いなところがそっくりだ。一方、翡翠色の瞳と頭の回転の良さは、伊東譲りであろう。さらにどちらもフォローできない音痴ときたもんだ。
どうしてこんなことになっちゃったんだろ……山崎は再び深い溜息を吐くと、篠原の傍へと歩み寄り、装飾をつけた人形を受け取った。
「えっと、自分から見て左がジーサマだよな?」
「右大臣と言いたまえ。ひなが間違って覚えるじゃないか」
ツッコみを入れた伊東の語尾が少々きつかったのか、きょとんと陽向が顔を上げるが「なんでもないよ」と手を振ってやると、またカラクリ牛と一緒になって首を回し始める。
年に一度しか出さないものをイチイチ覚えてなんて居られるかと、ぶつぶつ呟きながら手渡される人形を定位置に置いていくが、なにぶんにも雛壇のサイズが大きいので、身の丈五尺六寸の山崎では脚立を使っても中央部分に手が届かなくなった。
従って官女から上は、ここにいる中では一番背の高い尾形が載せていくことになる。
「さてと。女雛ください」
交替した尾形が、なにげなく正面向かって左側に人形を載せようとする。
「女雛じゃないよ。そっちは男雛だよ」と、唐突に声をかけられて、尾形は振り返った。
「え? こっちが女雛じゃないんですか?」
左右に首を振る伊東の隣で、篠原はうんうんと上下に振っている。判断に困った尾形は山崎に視線をやったが、山崎も「デコ、頭ボケて、右左も分かんないんじゃね?」と、突き放した。
素女丹という仙薬を飲んで女体化した山崎と沖田は、基本的な体格にさほど大きな変化はなく性格も記憶もほぼ男の頃のままだが、なぜか伊東だけは別物を服用したのか、身体がふたまわりほど縮み、記憶もかなりスッ飛んでいた。山崎は、それを当てこすったのだ。
「君まで、そういうことを言うのかねっ!」
「だって、三人が右が女雛って言ってんだから多数決でしょ。俺も、ガキの頃からそういう風に見てきたもん」
「そうですよ、先生。アホザキはともかく、この俺が記憶違いするわけないでしょう?」
監察方の資料室の主にして参謀祐筆(秘書)でもある篠原がそう言い張ったのだが、なおも伊東が「でも僕が見たのは、こっちが男雛だった」と、食い下がった、その時。
「ずいぶんと賑やかじゃねぇか。おっ、できてるできてる」
廊下から別の人間の声がして振り向くと、男の子の手を引いた沖田の姿がそこにあった。
その男の子は、体格からして陽向よりも年かさは上のようだが、おどおどと人見知りする姿はまるで嬰児のようだ。彼の名は勲平、局長・近藤勲の養子である。松平片栗虎が拾ってきた子で、近藤が貰い受けたというシロモノだ。
「チビがホンモンの雛人形見たことねぇってからよ。そろそろ出来上がった頃かと思ってきたんでやすが、まだ肝心なもんが座ってねぇのか」
「いいところに来てくれたよ、沖田君」
がしっと沖田の手を取って、伊東が諦め悪く畳み掛ける。
「向かって左が、男雛だよね? みんな逆だって言うんだよ」
「はぁ?」
唐突に巻き込まれて、沖田が呆気にとられていると、山崎が「いえ、だから、お雛様の配置のハナシなんです。そうだ、沖田さん、お姉さんが居たんですから、記憶にありますよね。どっちが正しいか」と、補足してやった。
沖田はウーンと視線を宙にやって、記憶を探る。
「ねーちゃんのは、そこの文机くらいの大きさしかなかったから、よく覚えてねぇけど……でも確か、結婚式の時の新郎新婦の位置と同じって、聞いたことありやすぜ?」
一同、大々的に行われた局長の結婚式を思い浮かべた。
局長が左で、バナナが真ん中で……ってことは、左にお内裏様?
「ほら、僕があってるじゃないか」
伊東が誇らしげに胸を張るが、山崎はどうにも納得がいかない。
「でも絶対違いますって。俺が子供のときから見てたの、左に女雛だもん」
右だ左だと口々に言い合うが、全く結論は出ない。手伝う気の全くない沖田は「どっちだっていいじゃねぇか。早く飾ってくんねぇと、チビに完成品、見せられねぇじゃありやせんか」と、苛立たし気にせっつく。
そこで篠原が「ちょっといいですか?」と、片手を軽く挙げた。
「『北面』っていう言葉がありますよね。あれは、臣従することを意味しています。そして、この南に向いたときに日の出の方角である左、つまり東が『上座』で、日没の方向の西になる右手側が『下座』に相当します。宮中の儀礼を模した雛人形も、その上座である左側に……男尊女卑といえば男尊女卑ですが……男雛を置くのが、伝統なんです。常々先生は、ひなちゃんにはきちんと物事を教えなくてはいけないとおっしゃっているのに、おかしいじゃありませんか」
さすがは参謀の腰巾着もとい懐刀、伝統と由来を持ち出して理詰めの説得にかかると、山崎がすかさず「そうそう。だから、左大臣の方が偉いんだろ?」と、追撃した。
だが、伊東も負けじと「でも、右に出るものはいないとか、右腕になるとか、右にならうとかの、右が優れた意味って言う言葉は
あるけど、左は『左前』とか『左遷』などの劣る意味の言葉しかないよ?
それだから、男雛は右に置くものなのではないのかね」と、別の理由をひねり出す。
よくもまぁとっさにそれだけと呆れるばかりの知識量のうえに、端から聞く限り仮説としては矛盾がない。どちらももっともらしく聞こえるだけに、どうしたものかと尾形はおろおろするばかりだ。
一方、沖田は考えるのも面倒だとばかりに「実際に人間が並ぶ訳じゃなし、間違っても死ぬ訳じゃねぇんですから、誰かに適当に決めてもらやいいじゃねぇか」と、中ば投げやりな口調で吐き棄てた。
「そうですよ、ちょっと俺、探してきますね」
それを聞いて、名案とばかりに山崎は部屋を飛び出していった。
食堂か休憩室にでも行けば、多分非番か休憩中か、あるいはサボリか、ともかく誰かがいるだろう。
「とかいって、山崎君のことだから、自分達に有利な答えしてくれる人連れて来るんだ、絶対に」
ぼそっと伊東が毒づくが、それでも誰かに仲裁してもらわないことには、この議論は終らない。
「おひなさま、近くで見てもいい?」
それまで黙っていた勲平だったが、ふと子供らしい好奇心が湧いたのか、沖田の袖を引っ張って訴える。
「そうだな。男雛と女雛は、段の上に乗せちまうと遠くなっちまうから、今のうちにじっくり見せてもらいなせぇ」
「うん」
勲平は、伊東の手元に置いたままだった男雛の傍にちょこんと座ると、上から横から色々な角度からそれを検分する。
「すごいきものだね」
「昔の宮中を模して作ってあるんだよ。宮中って言っても分かんないか。そうそう、将軍様とお嫁さんと、そのお世話をする人たちのお人形でね。尾形君、女雛をこっちにもらえるかな? あと官女と五人囃子も」
水を得た魚のように、伊東が延々と披露する薀蓄を、子供ふたりは素直にうんうんと聞いているが、篠原などは顔が見えない位置で「また始まった」と面倒くさげな溜息をつき、沖田も聞いているフリをして、完全に右から左へ受け流している。
「だからこうして、女の子が元気に大きく育っていくことのお祝いをするのが、雛祭りなんだよ」
しまいには厄払いの紙人形や流し雛といった、千年にも渡る壮大な『雛人形の歴史』の講釈にまで発展するのだが、勲平はそれもしっかりと聞いている。
「きれいなおにんぎょうだから、どんぶらこってしないんだね」
子供なりに納得をして、あらためて女雛をじっと見詰めていた勲平だったが、不意にビクッと後ずさった。何事かと沖田も顔を近づけてみると、半ば開いた女雛の口元から白いものが覗いている。
「おや。見なせぇ、歯が生えてまさぁ。ねーちゃんのにはなかったのに、生えてきたのかなぁ」
沖田の言葉に伊東が「それだけ精巧だと言いたまえ。ちゃんと魂を入れて作ってある品だからね」と、妙に誇らし気に口を挟む。
生きた人間のように精巧に塗り分けされた人形の瞳に見つめられ、勲平は「うぁあああああああっ!!」と盛大に悲鳴をあげて沖田の背中にかきついた。何故、勲平がパニックに陥ったのか分からず、大人達はうろたえる。ひとり冷静なのは陽向で「こんなきれいなおにんぎょうなのに、くんぺーはおかちいでしゅねぇ?」と、首を傾げていた。
「あー? タコのおいちゃんだぁ」
間延びした陽向の声つられて、一同が障子の向こうに視線をやると、山崎ともうひとり、特徴的な人物がのっそりと立っていた。
「何かと山崎君を庇う原田君じゃ、公正な審判をしてもらえないじゃないか」
ジャッジ要員としてつれてこられたのは、男だった頃から山崎と親しかった十番隊隊長・原田右之助で、伊東は自分の予想が外れていなかったことを確信する。
「タコのおいちゃん、いらっしゃいませぇ」
にこにこと手を振る幼女の姿に「おぅ」と原田の目尻が下がった。
原田にしてみれば、陽向は副長と参謀の娘というよりも、マブダチ・山崎の愛娘なのだろう。タコと言われようがハゲ頭を叩かれようが、可愛くて仕方ないらしい。陽向の頭を撫でてから、ふと視線を雛壇にやり、アレッという表情を浮かべた。
「ザキちゃんがちょいと来てくれっていうから、雛壇でも組み上げられなくなったのかと思ったけど、ちゃんと形になってるじゃねぇか」
この時期には山崎らが雛人形の設営をしているということ、そして父親の土方が手伝いを一切していないことを知っていただけに、原田はてっきり男手が必要な事態にでもなったのかと、早とちりしたようである。
「それは毎年やってるんだから、問題ないよ。男手だって、尾形とか居るしね。ちょっと頼りないけど」
「だったら何だよ?」
文字通りの『いいお友達』になってしまった立場としては、己の男らしさをアピールする絶好のチャンスと張り切っていただけに、少々拍子抜けしたようだ。
「実はね、原田君。男雛と女雛の並びについてなんだけどね、僕は、向かって左が男雛で女雛は右だって思うんだけど、皆違うって言うんだ。だってそうじゃないか、雛人形の並び方は、結婚式の立ち位置と一緒だって沖田君は言うし、実際に、近藤くんが沖田君の右に並んでる写真を見せてもらったことが」
立ち上がって原田に力説する伊東だが、山崎がその言葉を、心底あきれた口調で「だから雛人形のルーツは宮中なんだから、左が上位に決まってるでしょ。頭ン中までひよこなんだから、全く」と遮る。
「まぁまぁ。ふたりとも落ち着けや。そんなことで揉めてたのか」
「大事なことだよ。子供が間違って覚えてしまったら、困るじゃないか」
「ちなみに去年はどうしたんだよ? これ飾るのだって、今年初めてじゃないんだからよ」
原田に言われて、一同、そういえばと視線を宙にやった。やがて思い当たったのか、各々「あー」と間の抜けた声を上げ、山崎が代表して「そうだよ。去年もおかしかったんだよ」と切り出した。
「ほら、去年はデコもひなも風邪引いたりしてて、雛人形出すのが遅くなっちゃって、雛祭り直前に出して。俺がちゃんと置いた筈が、気がついたら逆にされてた」
「逆になってたから、僕が直した」
「おまえかぁああああああああ!」
「何やッてんだよ、だからバカザキだっていうんだ。このバーカ、バーカ」
ぼそりと篠原が吐き棄てた。
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