あのソフトキャンディはママの味っていうけど別に人肉が入ってるわけじゃない。そういえばジンギスカンキャラメルにもラム肉は入っていない【3】
攘夷志士と思われる賊による、幕府高官の私邸での一家残殺。
祝宴を張っていたところを襲われたらしく、来賓や女中、たまたま追加注文を届けに来た仕出し屋まで見境なく殺されており、その子は主な現場となった大広間の中央で、茫然と立ち尽くしているところを保護されたのだという。
「被害者一家の高官は松平のとっつぁんの知り合いだとかでよ。まぁ、特別に仲が良かったという訳でもなんでもなくて……仲が良かったら、とっつぁんもそこに呼ばれて斬られてただろうしな。でも、その孫の顔ぐれぇは知ってたんだと」
「じゃあ、このガキはそのエラいサンの孫ってことですかイ?」
「いや、そうだったら引き取り手もいたのかもしれねぇが、その孫も斬られてるよ。その乳母の子……つまり、お孫さんの乳兄弟ってぇことになるらしいな」
普段なら決して席を与えられる由もない卑しい身分だが、目に入れても痛くない愛孫の誕生日ぐらいはと特別に同席を許されたのが、かえって災いしたのだろう。しかも、単なる血まみれの殺人現場に居たのではない。その子の正面には母親のものと思われる首が切り落とされて据えられていたのだ。つまり、事件が起きてから、異常に気付いた近隣住人が通報して保護されるまでの間、ずっと己の母親の生首を見つめていたことになる。そんな体験をさせられ、自己防衛反応として記憶が封印されてしまったものらしい。
発見当初は、あまりにも声を出さないので障害児か、あるいは鼓膜でも傷つけられたかと精密検査までしたが、少なくとも身体的原因で喋れないのではないことが判明した。喋られるのならと、かなり根気強くなだめたりすかしたりしながら(児童福祉関係者や精神医療関係者からのクレームが届く前にと)この幼い『事件唯一の目撃者』に事情聴取した結果、辛うじて「みえないおじちゃんが、うごいたらきるって」という証言だけがとれた。
いや、それだけで十分だった。天人開化のこの御時世にこれだけの残虐な要人テロを実行できるのは、奇兵隊に相違ない。みえないおじちゃん、というのは殺人者が透明だったという意味ではなく、盲目であったということだろう。人斬り似蔵こと岡田似蔵は居合い斬りの達人のうえ、奇兵隊に加わる前からその視力を失っている。
「つまり、動いたら気配を察して殺されるからって、てめぇの母ちゃんの生首の前で泣きもせず声ひとつ出さずに何時間も耐えてたってことかい。それで、全部忘れちまったって? 母ちゃんの側から身元は分からなかったんですかイ」
「それが、その母親も身寄りがなかったうえに、私生児だったらしくて届け出てもなかったんだと。それで、そのガキの名前すら分からない状態なもんだから、とっつぁんなんざ、やたら長ったらしいふざけた名前つけてやがって。ええと、なんていったかな、ネオなんとか」
「ねおあーむすとろんぐさいくろんじぇっとあーむすとろんぐじゅにあ」
ぺったりと縁側に座って、与えられていたクレヨンでカレンダーの裏にお絵書きしていた『ねお(略)じゅにあ』が、不意にそう呟いた。近藤と沖田の会話にまったくの無関心を装っていたが、自分のことを話していることは察していたらしい。
だが、それきり笑うでなしにまたうつむいて、空白を埋め尽くすようにちびたクレヨンを動かし続けている。あの鞄が妙にくたびれて色褪せているのは、単に貧しい身分の証かもしれないし、あるいは返り血を浴びたのを何度も漂白して洗濯してされたせいかもしれない。
「ち。えらい陰気くせぇ子だな」
「総悟が相性があわねぇというのなら、無理に引き取らなくてもいい。とっつあんも、孤児院にやるとか里親を募るとか、方法はいくらでもあると言ってくれてるし」
「そうですかい。でも、アンタは覚えちゃねぇかもしれねぇが、俺もこう見えて、昔は陰気くせぇガキでね。身寄りといえば姉上ひとりきりだった。他人事に思えねぇや」
沖田はそう呟くと、縁側に近寄った。
「おい、オメェ。何書いてやがんだ?」
初めて近藤さんが幼い自分に声をかけてくれたあの日も、こんな感じだったかもしれない。遠い記憶が脳裏をかすめる。だが、なにげなくその手許を覗き込んで、ゲッと声が漏れた。事件の心的後遺症で、首が無かったり血が吹き出たりしている人間の絵を描くケースは想定の範囲内だったので、幼子が何を描いていても驚かない自信はあった。だから、絵そのものに驚いたのではない。
余白恐怖症のように何色も塗りつぶしたクレヨンの筆跡がはみ出て、縁側の床板にまで広がっていたのだ。『ねお(略)じゅにあ』は沖田の存在に気付いて手を止め、怯えたように沖田を見上げた。
「あーあ、豪快に汚しやがって。こりゃあ、洗剤つけてこすっても、なかなか取れねぇぞ」
「ご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
どうやら叱られると思ったらしく『ねお(略)じゅにあ』はぶるぶると震えている。涙が零れ落ちそうになっていたが、それを必死で堪えているのが見てとれ、さすがの沖田も苦笑するしかなかった。
「まぁ、別にザキに掃除させっからいいか。ほれ、次の紙やっから、続きはこっちに塗りな。ついでに下に、新聞でも敷いてな」
まだ怯えているその頭を撫でてやりながら、沖田は振り向いた。
「近藤さん。コイツ、こんな性格じゃ孤児院じゃ虐められっ子になるだろうし、あまりにも陰気のうえに素直に泣きもしねぇヒネクレもんじゃ、里親にも嫌われちまいまさぁ。ここはお人好しの俺らが貧乏くじを引くしかねぇみてえですぜ。少なくとも、このしみったれた鞄とクレヨンは、新品を買ってやりやしょう」
「そ、そうか。総悟がそう言ってくれるなら」
近藤はホッと息を吐いた。
「つーわけで、今日から俺らがお前の父ちゃんと母ちゃんですぜイ」
「とうちゃん? かぁ…ちゃん?」
たどたどしい言葉でそう言うと『ねお(略)じゅにあ』は、近藤と沖田の顔を交互に見上げる。
「そうだぞ、よろしくな、ボウズ……っと、まずはクレヨンの前に、名前を付けねぇとな。親の最初の仕事だしな」
「なまえ、あるよ? ねおあーむすとろんぐさいくろんじぇっとあーむすとろんぐじゅにあ」
不思議そうな顔で繰り返す『ねお(略)じゅにあ』に、沖田は苦笑する。
「それじゃ長いから短くて格好いいのをつけるんでさぁ。近藤さんなんかねぇんですかイ」
「ポチタマミケで済む犬猫の名前じゃあんめぇし、一生もんだからなぁ」
胡坐をかいて腕組みをする近藤の傍らに『ねお(略)じゅにあ』を連れて来て座らせると、沖田もそれと向かい合うように腰を下ろす。
なお、ぽちは『小』を意味し、お年玉を入れる『ぽち袋』と語源を同じくするとされ、ミケは文字通り三毛猫の愛称。現在は猫の名前の代表格の『たま』は宝玉のようなという意で、その昔は犬の名前としても使われていた。ちなみに開国直後は『カメ』という名前を犬につけるのが流行したが、その由来は外人が犬を「Come,Come」と呼んでいたのを名前と勘違いしたのだとか。以上、豆知識。
「長いと呼び難いんでさぁ。近藤さん、全角四文字以内でお願いしやす」
「ねおあーむ……?」
『ねお(略)じゅにあ』が指を折って、自分の名前を数えようとし、沖田が「ほれ、字数オーバーだろイ」とからかうように言って、人さし指で小さな額をツンと突ついた。
「うん。じゃあ、ごんべえ?」
「ああ、いいねぇ、ごんべえ」
サラッと承認してしまいそうな沖田に、近藤が慌てた。
「ちょっ、違うから、名無しの権兵衛じゃないから、おめぇはっ!」
「いいと思いますがねイ? ごんべえ。四文字だし覚えやすいし」
「一応、跡取りだし、ただの権兵衛は勘弁してよ」
「じゃあ、かもとりごんべえ」
「かもとりごんべえ? ながいよ?」
ねおあーむ云々が良くて『かもとりごんべえ』が長いというこの子の理屈もいまいち理解できないが「かもとりごんべぇだったら文字数オーバーでもいいんでさぁ」と真顔で言い聞かせる沖田の神経も尋常ではない。
「ちょ、そーこちゃんっ、ダメだから、まっさらな子に冗談通じないからっ!」
「えー? かもとりごんべえがダメなら、父ちゃんがちゃんとしたの、つけてくだせぇ。俺ぁ学ありやせんから、父ちゃんに一任しまさぁ。ところで、俺ァ総子と総悟の、どっちなんですかねイ」
「伊東先生んところも、子供には『ひよ』って教えてんだから、総子だろ」
「そーこ?」
きょとんとした顔の『ねお(略)じゅにあ』に、沖田はゆっくりとした口調で教える。
「よーっく覚えておきなせぇ。父ちゃんの名前が、こんどういさお。俺がそーこ」
「こんどーそーこ?」
「ああ、俺は、おきたそーこ」
「とーちゃんとかーちゃんで、ちがうの?」
「仕事してっときは、かーちゃんは『おきたそーこ』ってんだ。ややこしいかな」
こちらは籍を入れる気満々なのだが、その前に本来の戸籍をまず性転換させなければいけない書類上の都合で、手続きが滞っている。
正確に言うと、カワイイ弟のためならコネを使って戸籍の変更ぐらいなんとかさせようと、鷹久が色々裏から手を回していたのに便乗する予定だったのが、土方にその気が無いということで計画が頓挫し、その巻き添えを食らって沖田の戸籍変更の件も棚晒しになっているのだ。
日常生活に支障は無いし、税法上での扶養者や相続人としての権利が認められていないとはいえ、仮にも幕臣の身、もともと扶養控除の対象になるようなカワイイ年収でもない。おかげで、ついついほったらかしになっていたのだが、いざ改まって説明しようとすると厄介だ。
「仕事してっとき? おなまえ、かわるの?」
「とーちゃんとかーちゃんは一緒に仕事してるから『近藤さん』って呼ばれると、どっちもそうだから、どっちが返事していいか、分かんなくなっちまうだろ? だからお仕事してるときは、かーちゃんは『沖田』なんだ。な? そーこちゃん」
せっかく近藤が汗をかきかき説明したのに、沖田は他人事のように素っ気無く「そーいうことらしいぜ」と言い放ち『ねお(略)じゅにあ』は目を白黒させている。
「で、肝心のボウズの名前、どーするんスか? かもとりごんべえに反対するんなら、代案を出してもらわなねぇと」
「伊東先生の兄上殿は、親の名前から一文字取ったらどうだって言ってたんだけどな」
「一文字取るったって、近藤さんの名前は一文字しかありやせんぜ? 伊東先生んとこの『ひよ』と『ひな』みたいに『いさお』の音だけ貰って、まさお、いさむ、いさじ、とかですかねイ」
「いさじ? どんな字を書くんだ」
「えーと。井戸の井に沙悟浄の沙に、イボ痔の痔?」
「要するに口から出任せか。だったら、俺よりも総悟の名前から取った方がいいんじゃね? 『悟』の字使ってねぇし」
「近藤さん、俺は『総子』でさぁ。今、そう決めたでやんしょ? それにやっぱり息子なんだから、父ちゃんの名前からつけてやりてぇや。なんかねぇですかイ?」
沖田はそろそろ名前付けに飽きてきたらしい。このままでは「もう面倒だから、そのねおなんたらでいいや。そもそも、とっつぁんが付けてくれたんでやんしょ? 略してねおでいいじゃねぇですかイ、近藤ねお」などと言い出しかねない。
冗談じゃない。寿限無ほどではないとはいえ、そんなダラダラと長い名前は何かと不便ではないか。例えば、ブリーフのゴムの部分にフルネームを書いたら、ぐるりと一周してしまうとか。近藤は必死で無い頭を絞った。
「さっき、先生の兄上殿は『勲』の読みを変えた『くん』で『くんぺい』が、ニーソックスだなんて言ってたけどなぁ」
「こんどう、くんぺい?」
確かめるように子供がそう繰り返し、二人を交互に見上げる。
「ニーソックスですかイ。あの人にそんな属性があるとは意外ですが、語呂的には悪くねぇですね。漢字はどう当てやす?」
「平和の『平』だろ、やっぱりよ」
「よっしゃ、これで決まりですねイ。チビスケ、もっぺん自分の名前言ってみろや」
「こんどうくんぺい」
「よしよし。父ちゃんの名前は?」
「こんどういさお」
「俺の名前は?」
「おしごとしてるときはおきたそーこ」
あってる? と不安げな目を向ける子供を、近藤は自分の膝の上に抱え上げ、わしゃわしゃと頭を撫でる。
「すげぇぞ、勲平。ちゃんと言えたな」
「あの兄貴が付けたようなもんだって聞いたら、土方コノヤローがさぞやヘソ曲げるでやんしょうね」
「そんなもん黙っておけばいいじゃねぇか。大体、源さんあたりに名付け親を頼んでみろ。いつまで経っても決まんねぇどころか、決まったら決まったで、なんらのノ守かんたら之助うんだら衛門ノ丞なんて、えっらく仰々しい名前にされっぞ」
「確かに。それだったら、ねおあーむすとろんぐの方が、遥かにマシですねイ」
貧乏道場時代の門下生にして組の古株、井上の好々爺然とした顔を思い浮かべて、さすがの沖田も苦笑した。
年下の師匠にして上司でもある近藤が嫁を娶ると聞いて、我が子のことのように喜んでいた。土方のところに子ができたことに刺激され、子供はまだかと近藤夫妻を一番うるさくせっついたのも、井上だ。今回、跡取りを得るとなれば、井上にとっては心の初孫も同然。さぞや張り切るであろうことは、想像に難くない。
その様子をきょとんと見上げながら、勲平は首を傾げて「なづけおやってなあに」と尋ね、沖田の袖を軽く引いた。
「名前を付けてくれた奴のことでさぁ」
「いま、とーちゃんとかーちゃんがなまえつけてくれたよ?」
「えっと。なんてのかな。んーっと、俺らとは別の親なんだ」
「おや?」
「新しい親は俺らで、それとは別の親ってことだ」
「さっきのおじちゃん?」
「そうだ。さっき、玄関で逢っただろう? あのひとだ」
「ふうん」
勲平はなにやら自分なりに納得したらしく『あたらしいおとーさん、あたらしいおかーさん、べつのおとーさん……』と、ぶつぶつ口の中で繰り返している。
「まぁ、そう思ってりゃ間違いありませんやね」
沖田が頷いた時『沖田隊長、お食事の支度が出来ました』と障子の向こうから呼びかけられた。反射的に、沖田が「今、行きまさぁ」と返事をする。
「な、ホントに返事しただろ?」
近藤が膝の上の勲平に問い掛けると、こくりと頷いた。
それから一刻ほど後。
「ひなのおはなはんばあぐ、ぱぱしゃんがたべちゃったあああああああ」
参謀室では、陽向が畳の上にひっくり返って、手足をバタつかせて泣き喚いていた。遺伝的に身体能力が高い上に、武芸に秀でた隊士どもが遊び相手では、毎日が武者修行のようなものだ。いくら幼女とはいえ本気で暴れられたら、女の細腕では抑えることも宥めることもできない。ましてや今回は、唯一力ずくで押さえ付けられる筈の父親が火種なのだから、フォローのしようもない。
「だから、お前が食ったことにしておけば良かったんだ」
「俺が、娘が一生懸命作ったハンバーグを食べる訳ないでしょう」
「どうせ、俺が食わなかったら、拗ねてゴミ箱に棄てただろうが、アレ」
「どっかの兄上様のせいでね」
「だから、それは済まなかったと何度も言ってるじゃないか」
「大体、屯所に来させないでくださいよ。毎回毎回、あの人が来たらロクな事がないんだから」
「ちゃんと言ってるよ。でも、兄上も土方君に似て、強引なところがあるから」
大人同士で責任のなすり合いをしているうちに、一番根性のない伊東が泣き出してしまう。こうなると泣いたもの勝ちだ。さすがの鬼の副長も鼻白んで二の句が告げなくなるし、鼻水まで垂らして一所懸命泣いていた筈の陽向までモソモソと起き上がって「おかーしゃん、オトナはないちゃらめでしゅよ?」と、伊東の着物の袖を引く。
「似てねぇ。ちっとも似てねぇぞ。俺ぁ、アイツほど腹黒くねぇ」
それでもぼそりと納得いかないように呟くと、土方は陽向を抱きかかえた。おもむろに陽向が放り出していた縮緬の手提げを指差し、その意図に気付いた山崎が手提げを拾い上げて、中に入っていたちり紙を差し出す。
「陽向がお手伝いしたのか? 道理ですっげぇ、うまかったぞ」
ドロドロに汚れた顔を拭ってやりながらそう褒めてやると、血の繋がりはなくても蛙の子は蛙。陽向はコロッと機嫌を直して「しょれはママとひなが、がんばったかやでしゅ。ママ、また、ちゅくるぅ」と、先ほどまでのヒステリーはどこへやら、今度は「はんばぁぐぅ、おはなはんばぁぐぅ」などと調子っぱずれに歌い始めた。
「はいはい。もう夜だから、お歌は明日ね。ハンバーグ、今度は土方さんとデコの分も作って、皆で食べようね」
山崎がそうあやして、ようやくその場が収まった頃。ぺたぺたと複数の足音が近づいてきて、部屋の前で止まった。
「ザキィ、皆、揃ってやすかイ?」
返事を待つことなく、すぱーんと障子が左右に開かれる。
「総悟、他人の部屋を開ける時は、ちゃんと返事を待てと、何度言ったら!」
「土方さんの淫乱部屋が留守だったから、今日は珍しく子供部屋に集合かと思って。家族揃ってンのに、見られちゃまずいこともしてねぇでやんしょ?」
元々の仲が悪かったせいで、私室も兼ねた副長室と参謀室は渡り廊下を挟んで離れた位置にある。業務上の必要もあって、深い仲になった後も部屋を移していなかったのだ。淫乱部屋と子供部屋とは、日頃の利用状況を一言で表現した見事なネーミングだが、土方は露骨にイヤな顔をしたし、近藤も「こら」と小声で嗜めて沖田を小突いた。
「あいた。間違ってねぇのに。ともかく、ウチんとこのガキお披露目に来やした」
「近藤君も一緒か。山崎君、座布団出してあげて」
伊東に言われるまでもなく、山崎は勝手知ったるなんとやらで素早く押し入れを開けると、防虫剤の匂いが微かに染み付いている座布団を抱えてきて、近藤一家の前に敷く。下っ端の悲しい習性といわれれば否定できないが、部屋の主に用意させたところで、ふすまを開けた途端に中身が雪崩れになるのが関の山。間違いなくその片付けを命じられるのだから、たとえ下女扱いが腹に据えかねたとしても、先回りして動いた方が手間が少ない分だけマシというものだ。
「すまねぇなぁ、遅くに。とりあえずさっさと報告した方がいいかと」
「ま、アンタの性格じゃ、黙ってらんねぇよな、近藤さんよぉ」
近藤がどっかと土方の正面に腰を下ろした。
土方は膝に娘を座らせており、その左右に伊東と山崎が控える。正確にいうと、伊東は土方の真横、左手側で、山崎はその反対側の、やや後ろに下がった位置だ。別に打ち合わせた訳でもなかろうが、その位置関係はそのまま、このいびつな親子関係を映しているように見えた。
近藤はふと気になって沖田の方を見やると、沖田は何も考えていないようで敷かれたままの座布団に腰を下ろし、もう一枚の座布団を勲平の頭に被せていた。座布団を落としたらいけないとでも思ったのか、勲平はそのまま固まっている。
「こら、総悟」
「へい?」
「それ、下ろしてやれ。あーと。要するに、だ。一応は家族が増えたちゅう、いい報告だしよ。皆には明日ちゃんと話すけどよ、まずはトシんとこに報告しねぇとよ。山崎にも支度手伝ってもらっちまってるし」
「あぁ、コイツはそーいうことしか役に立たねぇんだから、好きなように使ってくれや」
「ちょ、そーいうことしかって何? 俺は副長のためにしか働きませんっ!」
山崎の猛抗議をさらっと無視して、土方は「で、ボウズ。名前は?」と畳みかける。
「こんどうくんぺい」
頭から下ろした座布団を抱きかかえながら、勲平は覚えたての名前を答えてみせた。
「くんぺい、はどういう字を書くのかね?」
『くん』に相当する漢字が思い浮かばなかったのか、伊東が尋ねる。
「近藤さんの『勲』に平和の平でさぁ」
沖田の返事に、伊東は土方と顔を見合わせた。
赤ん坊でもないのだから、本来の名前があるだろうに、偶然、同じ文字がついていたのだろうか。あるいは、里親に因んであらためて名前を付けたということだろうか。だとしたら、どういう事情があるのだろう。
「ふうん、悪くないね。勲平くんは、何歳なのかね?」
気まずさを払拭するように、伊東が話題を逸らそうとしたが、勲平は言葉に詰まって、おろおろと近藤を見上げた。
「とーちゃん、なんさい?」
「俺? さんじゅ……」
「アンタじゃねーよ。ボウズだ、ボウズ」
近藤は自分の勘違いに気付いたが、順を追って説明するつもりだったために、この番狂わせにどう対処したものか途方にくれてしまった。ああとかううとか、唸っているだらしない亭主を尻目に、沖田が「こいつ、過去の記憶全部落っことしてきちまってんでさぁ。何歳にしやす?」と、バサッと一言で片付けてみせた。
「記憶落っことしてきたって? 過去の記憶がないってことですか? 一体、どういう身の上の子なんです?」
第一報で養子にすると聞いている山崎は、漠然とどこかのやんごとなき身分の子供だろうと想像していただけに、戸惑いを隠せなかった。いや、それは土方も同様だ。伊東も兄からその子について何も聞かされなかった。
しかも、沖田はそれ以上の説明をするのは面倒だったらしく「あとはヨロシク」とばかりに近藤の背中をバシンと叩いて、知らん顔をしている。
一方の近藤も、どうフォローしたものか考えがまとまらず、結局のところ「詳しい事は、後で資料見せるから、取りに来てくれや」と言うしかなかった。
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