Nicotiana【16】
「なんですか、これ?」
指先に触れる四角い感触に、キャバクラやホテルのマッチだったら暴れてやると胸中で呟きながら、それを取り出す。
「やる」
報告書を机の上に放り出して土方は興味がなさそうに言うと、胡座をかいて煙草盆を引き寄せた。
「どうしたんですか? 誰かにもらったんですか?」
「いらねぇのか」
山崎はその包みと土方の顔を見比べる。包みに印刷されている店の名前を見て軽く首を傾げ、何かに思い当たって、次第に口許が弛んできた。
「土方さん、ありがとうございます」
「んだよ、まぁ、安モンだから、気に入らなかったら捨てろや」
「やっぱり、わざわざ買ってくれたんですね」
「やっぱりとはなんだ、やっぱりとは」
「だって、局長が指輪買って来た店のすぐ隣でしょ、ここ」
監察方たるもの、管轄内の店の名ぐらいは一通り把握しているつもりだ。山崎は包みを開いて中の髪留めを取り出した。朱鷺色に白い可憐な花があしらってある。
土方はそれをちらっと見て、こっちの方だったかと他人ごとのように呟いていた。まぁ、確かにコイツだったら、向日葵というより霞草の風情だわな。
「だったら何だ」
「墓場まで持っていきます」
「大袈裟な」
「だって」
土方が酔狂に付き合うつもりはないというのであれば、吉村が解毒剤を持ってきてしまえば、山崎は男に戻ってしまう。それは、土方の正妻の座をもぎ取るという自分の最大最後の賭けに負けたことを意味する。
そうなれば、もう何も残らないと思っていた。
でも、この髪留めがあれば。
自分は確かにそんな無謀な賭けをしたのだという証しが残る。想い人のために、命を失うかもしれないというリスクを負って、男としてのこれまでの人生全てを捨てる覚悟で挑み、そうして『女としての自分』に与えられた女物の髪留め。
とりあえず女として受け入れてもらえたということ。それだけで、もう充分かもしれない。局長夫妻んところのように、式を挙げたり写真を撮ったりできなくても。いや、でも写真ぐらいは撮って貰いたいけど、それができなくても。
最悪、何もして貰えなくても。
「なんだよ、泣き出して。泣くぐれぇイヤなら、返せ」
「返しません! 絶対に返すもんですか」
「なんだよ、訳わかんねぇ」
「だって、これがあったら、ずっとあなたと一緒にいるような気でいられるし」
土方は肩をすくめると、煙草の箱から1本抜き出して形の良い唇にはさんだ。
それだけ喜んでくれるのは結構なことだが、それに比例して、過去の恋人に何もして来なかったことへの罪悪感も膨らむ。髪留めぐらいなら買ってやれたのに。火を付けようとライターを神経質にカチカチ鳴らしながら、考え込んだ。
「一緒には、居てるだろうがよ、今でも。おめぇが男でも、女でも、こうして。多分死ぬまで。まぁ、てめぇが女に惚れて妻帯したら、違って来るだろうが。人生なにがあるか分からねぇよ。ぱたっと逢った女に一目惚れるようなこともあるかもしれねぇし。俺なんかに懸想してるよか、よっぽど健全だろ」
まだ酔いが残っているのかもしれない。別れ話をしているんだか、口説いているんだか、土方は自分でもよく分からなかった。
正確に言うと、自分から踏み込んで行くことに尻込みしている。手を伸ばしても、また失うのではないかという漠然とした不安。さっきの酒宴で佐々木に自覚させられなかったら、ずっと目を逸らし続けていられたかもしれなかったのに。
「土方さんのそばに居る限り、それはないと思います。
自分の中であなたが占める割合が、他の全てよりも大きくて。それと。ぱたっと逢った人に一目惚れして、今に至ってます」
「一目惚れなのか? それは知らなかったな。入隊試験の時か? 監察に引き抜いた時か? それ以前には、逢ってないよな」
意外な言葉に、土方は我に返った。記憶を探り、入隊した頃の山崎の顔を思い浮かべ、それと重なる人物の顔を思い出そうとしたのに気付いたのか、山崎がぽつりと呟いた。
「俺、入隊前に上方で、髪が長かった頃のあなたのことを見てるんです。すれ違っただけなのに、何故かその顔が忘れられずにいたのは、くさい言葉で言えば『運命の出会い』ってやつだったんでしょうね。その後、食いっぱぐれなきゃいいや、くらいの気持で入隊試験受けて、別室に呼ばれたときに目の前にあなたがいて、本当にびっくりしました」
「初めて聞いたぞ、その話」
上方といえば、一旗上げようと江戸に出て松平公に拾われ、見廻組で研修を受けていた頃か。真選組結成前だから、かなり昔だ。ミツバを故郷に捨ててきた心の傷も、まだ生々しかった。
「大事な思い出を、人にべらべら話したりなんてしません。それで目の前にいる『運命の出会い』のあなたが、俺をただの隊士ではなく直属の部下として見出してくれたなんて。その瞬間から、この人のためなら命賭けてもいいやって、思ったんです」
「そうけぇ。まぁ、ヤットウの腕とかは使えねぇが、気はきくみてぇだったし、身ィ軽そうで、監察に使えると思ったからな。その点は、俺の目が確かだったと言うことだとしても、まさかお前がそんな気持ちでいたとはな」
「副長にとっては『その他大勢』でも、俺にとってはたった一人の相手でしたから」
煙草を吸うのを諦めて箱に戻すと、土方はまた深く溜め息を吐く。俺をたった一人の相手と言い切るコイツは、俺にとっては何なのだろう、と。
コイツにとっては、俺が一目惚れの運命の相手だというのに、俺はコイツをどう思っているか、答えることもできない。いや、答えることを恐れている。答えてしまえば、自分の中で何かが崩れるような気がしている。
「こんな地味で、あなたに釣り合うかって言われたら、自信ないんですが」
「別に釣り合いとるようなモンでもねぇだろ? そんなこと気にしてやがったのか。俺だってどっちかといえば裏方の仕事で、表に出て派手にやるのは、近藤さんの役回りだと思ってるわけだしよ」
「俺はその土方さんを、少しでもその裏で支えたいって思ってます。部下としてだけでなく、それ以上の意味においても……って思うことが、欲張りなのも分不相応なのも分かってます。俺にはあなたが必要なんです。俺と同じだけの度合いで俺を見て欲しいとまでは、望まないけど」
「悪イが、それは確かに無理だろうがな」
土方にバサッと切り捨てられて、山崎は顔を伏せた。
アタマでは理解できるし、そういう答えが返ってくることは予想していたが、なにもそんなにあっさり肯定しなくても。だが、そのしょげ返った姿に、土方は言いにくそうに「色々切り捨てて、組の仕事をしてるわけだしよ。でも、てめぇにはせめて、こうやって、時間は割いてやってるつもりだぜ?」と、言葉を紡いだ。その配慮が一層、山崎を惨めな想いにさせる。
「分かってます、分かってるんですけど」
「けど、なんだ。ハッキリいいやがれ。この際」
だが、山崎もうまく言葉が見付けられなかった。
ぺったりと座り込んで貰った髪留めの箱を弄びながら、気が抜けたように「俺たちにとっての最善の選択は、このままでいることなんでしょうね」と呟く。
「すまねぇな。もうちっと甲斐性のあるヤツに惚れておけば、そんな思いもさせなかったろうがな。だから、よそにもっと大事にしてくれるヤツができたら、俺ァ引き止めねぇよ。いつ出て行ってくれても」
「引き止めてくださいよ。どんだけ俺が、一方的にしろアンタに尽くしたと思ってんですか」
「なんだよ、頼みもしねぇのに尽くした尽くしたって、恩着せがましく」
「分かってますよ。だから、一方的って言ったでしょ?」
言葉で言い聞かせるのが面倒臭くなったのか、身を屈めて唇を寄せてきた土方の口付けに応えると、山崎は照れ隠しのようにぼそりと「ホントに、なんだって俺、こんなウスラトンカチに惚れたんだろ」呟いた。
「ウスラトンカチで結構だ。それがイヤなら出ていけ。女相手にだって、デキたら責任とるなんて、枕言葉にも言ったことねぇんだからな。言っておくが」
「そういわれるとすっごく嬉しいです。あの、お願いが一つだけあるんですが、聞いていただけます?」
「ん? まぁひとつぐれぇは」
過去の己の甲斐性の無さを思えば、ここで願いを聞いてやるのも罪滅ぼしになるだろうと快諾すると、その言葉を待っていたかのように、山崎はぐしゃぐしゃになった広告を懐から取り出して、土方の前に広げる。
「は? まさか、そらぁ」
沖田が嬉しそうに広げていたカタログや広告の中によく似たものを見た記憶があるだけに、ザーッと血の気が引いていくのを土方は感じる。
「添い遂げるのは諦めても、これだけは諦めきれなくって。だめですか?」
涙目でじっと上目遣いに見つめられて、言葉に詰まる。
「てめぇ、まさか、俺にそんな仮装しろっていうんじゃねーだろーなぁ!」
せっかく盛り上がった気分がガクッと落ちているが、今の状況で断れない空気になってることぐらいは土方にも分かっている
「仮装じゃないですっ! 言い訳用でも何でもいいですから、お願いします!」
「仮装だろうがよ。籍入れるわけでもねぇのに、新郎新婦のコスプレしてぇってんだろ」
「今日び珍しくないですよ、そーいうの。流行らしいって」
「勝手にしやがれ、ド畜生っ!」
「ありがとうございますっ! それも駄目って言われたらどうしようかって、ずっと考えてて、俺………」
満面の笑みで抱きついてきた次の瞬間、すすり上げるように泣き出した。泣いているせいか妙に熱っぽい山崎の背を撫でながら、土方は『やられた』と心の中で舌打ちする。
「あのなぁ、写真館じゃ新郎新婦呼ばわりだし、おめでとうございますとかなんとか、妙に歓迎ムードだし、すっげぇ恥ずかしいんだからな。写真に『Happy
Wedding』の文字を入れますか? とか、ものすごいこと聞かれるんだからな。余計に虚しくなっても知らねぇぞ」
「俺が、どんだけ悩んで、その結論まで持ってったと思うんですか。他のコト全部諦めたんですよ、土方さんは『てめぇが勝手に言ってるだけだろ』って言うかもしれないけど」
「悩んでこんな結論に辿り着く、てめぇのアタマがおかしい」
「おかしいのは百も承知です。なんとでも言ってください」
そのままかなり長いこと、ふたりは違いの心音を感じながら黙り込んでいた。そのまま眠ってしまいそうになった頃、土方がぽそりと「もし、そうなっても、おまえは逝くなよ」と呟く。
山崎はその真意を尋ねることもできないまま、こっくりと頷いていた。
何のためにこの体を手に入れたのか。
最初に自分が望んだものと違う結果になってしまったが、後悔はない。考え抜いた結果が、それだった。だからこそ、山崎は胸のつかえが取れて、とても晴れ晴れとした気持ちだった。
「山崎、この髪留めどうしたィ?」
床の上に座り込んで仕分けをしている山崎の後ろ髪を纏めている髪留めを、目聡い沖田がちょんちょんと突つく。
「昨夜、土方さんから貰ったんです」
「へぇ。中々小洒落たモンよこしやがるじゃねぇか。珍しい」
土方にしては気の効いた真似をする。この様子だと山崎にも何らかの進展があったのだと期待していいのかもしれない。だが、次の台詞は沖田の予想外のものだった。
「あ、そうだ、沖田さんにご報告しておかないと。俺と土方さん、このままで行くことにしたんです」
「は? このままって何? 添い遂げねぇってことですかイ?」
自分は何か聞き間違いをしたのだろうかと、別の言葉を使って聞き返してみる。
「このままでいることが、一番お互いの為になるんじゃないかって、二人で話し合って決めました」
何故、山崎は笑顔でそんなことを言っているのだろうか。いや、そうだこれはきっと耳の中に住んでいる小人サンが悪戯をしているに違いない。
「ちょっと待ちなせぇ。二人で幸せになりやしょうって、仲良くクスリ飲んだんじゃねぇか」
「でも、結婚写真だけは、撮ってくれるって」
山崎は嬉しそうに笑っているが、沖田は納得がいかない。
「体張って潜入捜査までしたのだって、女でもできることを証明する為だろイ? なのに、ここまできて諦めるたぁ、どういう了見でイ」
その問いかけにほんの一瞬の間があったものの、山崎はきっぱりと「足枷には、なりたくないんです」と、言い切った。
「ちっと俺、土方さんに抗議してきまさぁ。大方おめぇが諦めたのだって、土方コノヤローがまた格好つけたこと言いやがったからだろ」
少なくとも、二人で幸せになろうと誓って互いの今まで半生を捨てた、その道行きの相棒である山崎を放り出して、てめぇ一人だけ喜んでいられるほど、沖田も冷血漢ではないつもりだ。その沖田の腕を掴んで、山崎が押しとどめる。
「土方さんなら、朝から出かけてますよ。局長と一緒に江戸城に行くって、言ってたじゃないですか。沖田さんのお気持ちは本当に嬉しいんですが、俺と土方さんで話し合って決めたことです。だから、もう、いいんです」
「バカ言ってんじゃねぇ、オメェはねーちゃんの分まで幸せになんねぇといけねぇんだよ! いつまでもあのバカヤローのこと思い続けて、嫁にも行けなくって、やっと幸せ掴めると思ったら、あんな事になっちまって。ねーちゃんだけじゃなく、オメェまでアイツに泣かされるなんて、我慢できねぇ!!」
叫びながら、沖田は山崎の背後の書棚に一瞬、視線を走らせる。その視線の先にあるファイルの中には『参考人』という形でミツバの写真が収まっていた。
本当は、ちゃんとその墓前で自分と近藤が添い遂げることも報告したかったが、外出禁止令のためそれもままならず、とりあえずと資料整理のドサクサにそのファイルを引っ張り出し、写真の中のミツバに指輪を送られたことと「次は土方コノヤローが、てめぇの可愛い飼い犬を引き取ることになったって報告しやす」とも言ったばかりだったのに。
「泣かされてませんよ。ちゃんと、俺が自分の口で言ったんです。このまま居た方がいいんじゃないかって。俺は男でも女でも、どんな形であれ、土方さんのためにこの命を捧げていければ、それで満足です。こういう言い方しちゃいけないとは思いますけど、お姉さんに土方さんを譲ってもらえて俺、ラッキーだったのかもって。もし土方さんがお姉さんと添い遂げてたら、俺はこの想いを、それこそ墓場まで抱えてかなきゃならなかったけど、どんな形であれ土方さんはちゃんとそれを受け取ってくれたんだし。ずっとお姉さんを思い続けてた土方さんが、ですよ。すっごく幸せです」
そっと髪留めに触れながら、山崎は微笑んでみせる。
「その割にゃ、色々とっかえひっかえ食ってたみてぇだけどな。あの無節操下半身が」
「それは俺もムカつきますが、本人曰く『デキたら責任取るなんて言葉、テメェにしか言った事ねぇ』って言ってくれたから、水に流すことにしました。少なくとも、吉村が解毒剤を持って帰ってくるまでは、女として土方さんの側に置いてもらえるだろうし。男に戻ってもまた、意地で食いついてやりますけどね」
あっけらかんと言い放つその口調に、沖田も力が抜けたようだ。
「オメェ、バカだろ」
「お互い惚れた相手のことに対しては、どこまでもバカになれると思いません? 沖田さんだってよく言うじゃないですか。局長のケツ毛だって愛せるって」
「でも近藤さんは、土方コノヤローと比べモンにならねぇくれぇ、誠実ですぜ」
「ほら、また言ってる。お互い、その人が一番なんだってことですよ」
「そうみてぇだな」
「ところで、昨夜の首尾はどうだったんですか? 純潔は捧げられたんですか?」
「とんでもねぇ。部屋に戻った途端に、ひっくり返って高イビキさ」
「なぁんだ。沖田さんところも、結局、現状維持じゃないですか」
「確かに、俺んとこも『このまま』だな」
なぜか塩っぱい笑いが込み上げてきて、しばらく二人、腹を抱えて転げ回った。
「んじゃ、もーちょいでコレも終わるだろうし。そしたら堂々と土方さんの前でカタログ広げて色々選んでやりやしょうぜ」
「きっと明日には、お互い晴れて自由の身ですよ。そしたら俺、ちゃーんと外出許可もぎ取ってきますから、一緒にきれいなおべべでも買いに行きましょうか」
そう言われてみれば、現在の沖田が所有している女物の衣類といえば、山崎が買ってくれた下着ぐらいだ。女装をする機会にも恵まれなかったので、今まで不自由は感じていなかったが、これからはそうもいかなくなるかもしれない。ちゃんと『嫁』らしい格好だってしてみたい。
「そういやぁ、ちぃと気になったんだが、一つ聞いていいか?」
「はい?」
「お前、この体になった翌日から、女モンの下着履いてたよな。何でそんなモン持ってんでイ? ふんどし仮面に恵んでもらったんですかイ?」
「失礼な。潜入捜査用の衣装です」
「野郎がよくそんなモン買いに行けたな」
「女装した時に買ったり、通販したりでしたけど。そうですよね、下着売場デビューもしないとですよね」
「なんのデビューだ、何の」
「折角だからこう、近藤さんをグッとさせるようなセクシーランジェリーでも買ってきたらいかがです?」
「そういうオメェも、ちょっとは色気のある下着履いたらどうなんでぇ。顔だけじやなく、そーいうとこまで地味にしなくたっていいじゃねぇか」
「それだって、十分に用をなしてるからいいんですっ! こないだも、土方さんが俺のハイレグ、色気があるパンツだって」
山崎が熱心に主張していると、未整理の段ボール箱が棚から豪快に崩れ落ち、山崎の頭を直撃した。悲鳴をあげる間もあらばこそ、中身が床一面に散らばる。
「いだだだぁ! ちっくしょうっ!」
だが、沖田は突っ立ったまま、書類を拾うのを手伝ってはくれなかった。いいんです、そういう人なんです、この人……と呟きながら、空の段ボールに放り込んで戻していく。いや、沖田は凍り付いて動けなくなっていた、という方が正確だ。
「山崎、今、その箱、動いた? だって、何も触ってなかったよな?」
「なにバカな事言ってるんですか。あーいてて。コブできた」
どの事件についての書類なんだろうと、なにげなく一枚拾い上げて目を通した。やがて、その手がガタガタと震え出す。
今夜のうちにあなたを見つけることが出来ればと思いましたが、それも叶いませんでした。結果としてあなたを裏切ったことには変わりはないですが、せめて命だけはお救いしたかった。
今の俺がここにあるのは、あの時見出してくださった土方さんのおかげだというのに……俺はどこかでボタンを掛け違えてしまったのかもしれません。
明日、全てが終わります。
「どうしたイ?」
「篠原、の字です」
真っ青な顔のまま、山崎はその書付けから目が離せなくなっていた。それを引ったくって、沖田も目を通す。
「篠原って、ここの書庫整理してたヤツだろ? そんで、伊東の側近だった。なのに、どういうこってぇ?」
「あいつ、俺と最後まで土方さんを取り合ってたんです。伊東の許に奔った時点で、土方さんのことは諦めたと思ったのに」
だが、その書付けはどう見ても、土方への恋文だ。
「全てが終わります、っていう『明日』ってのは、アレだろうな。伊東のクーデターの。その前日にコレ書いたってぇことけぇ」
その時点では、彼らはクーデターの成功を確信していたろう。妖刀に乗っ取られていた土方は行方不明、沖田は伊東派につき、近藤は伊東を信用しきって掌中に落ちたも同然だったのだから。
多分、クーデターが終われば、篠原は古巣であるこの部屋に戻ってくるつもりだったのだろう。クーデター準備で離れている間にすっかり散らかった部屋を眺め、多分苦笑の一つも浮かべながら、この手紙を書いたのだろう。そして、帰ってきてから片付けるつもりで、適当に箱に突っ込んで……そのままになってしまったという訳だ。
「でもだって、伊東と居るときには、土方さんのこと、呼び捨てにしてやがったし、そんな素振り、これっぽっちも。むしろ恨みに思ってたようにしか見えなかったのに」
「でも、これ見る限り、こいつも土方さんにまだ恋情があったみてぇだな」
「何で今更なんだよ。お前は、土方さんを裏切ったんじゃねぇかよ。確かにお前から土方さんを取っちまったのは、俺だよ。お前には恨まれてると思ってたけど、結局はお前は参謀とも宜しくやってたじゃないか! ヨリ戻す気だったのかよ、ふざけんな! どうして俺の邪魔すんだよ!? お前言ったじゃねぇか、土方さんより参謀の方が、自分を必要としてくれてるって。なのに今更!」
山崎がヒステリックにそう叫んだ瞬間、不意に天井の明かりが点滅した。
「何でィ!?」
何事かと二人が天井を見上げた瞬間、パシッという何かが破裂するような音と共に、視界が暗転した。その闇の中で、ぼんやりとパソコンのモニターだけが蒼白く光を放っている。
「ひぃぃぃぃぃぃぃっ!!」
パニック状態で真っ暗な中ぎゃあぎゃあ騒いでると、資料室に未整理のファイルの追加を届けに来たらしい監察方の尾形がひょこっと顔を出した。
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