Nicotiana【14】


過程には色々問題があったにせよ、昨日発見されたデータベースのおかげで作業が進んだのは確かだが、その管理人が不在となった後、それを引き継いだ人間がいない以上『そこから先』が待っている。具体的に言うと、放置されていた段ボールの中身を、順番にビニールシートの上にぶちまけて、内容を確認していく作業だ。
少しでも早く終らせてこのカオスを抜け出したい山崎は、早々に朝食を済ませると資料室に篭っていたが、それでも一人では限界がある。巳の刻を過ぎて、のんびりと沖田が到着したとき、山崎の周囲はまさに『足の踏み場だけがある』状態であった。

「どうしたんですかイ、コレ」

その惨状に、沖田は入り口から一歩入った瞬間、立ち尽くす。

「その辺に獣道残してあるから、そこから入ってきてください。どの書類がどの棚に入るか分かれば、それを沖田さんに片付けて貰おうと、ごそごそしてたらこんなことに」

「あぁ、俺ぁそれしか分かんねぇからな」

そう呟きながら、なにげなく足元の一枚をめくって、沖田は顔をしかめる。添付されていたのは、司法解剖中の内臓写真か、レイプの犯行現場か。いずれにしも見て楽しいものではない。

「事件ごとに分けているはずだから、いくつもの箱にまたがって資料が散っていることはないと思うんです。まとまったら知らせますから、ファイリング頼みます」

明らかに仕事量の配分が不平等だが、こうとしか割り振りようがない。隊長職にある以上、沖田も多少の書類作成はするにしても、その書類の行く先は副長室。その書類を最終的に整理したりする役目は、副長助勤の監察方に回ってくる。
監察は雑用係じゃないと言い返したくなるときもあるが、そこでうっかり拒否した日には『でしたら、俺がやります』と別の同僚が名乗りを上げて、土方の心証ポイントを稼いでいく。そんなことはさせまいと『分かりました!』と口先だけ元気いっぱいに引き受けて、後で落ち着いたらやろうと考えた監察方各々が、揃いも揃って森のリスのごとくまるっと忘れて放置した結果が、これである。

「くっそぉ。これ箱に戻して蓋に事件ナンバーだけ書いたら、他の連中にも手伝わせてぇな」

纏めた書類をトントンと机の上で叩いて揃え、ファイルに挟み込む。

「沖田さん、これお願いします」

「あいよ」

沖田が鼻歌を歌いながら歩み寄ってきた。

「ずいぶんとご機嫌ですね」

「分かりますかイ? ごらんなせぇ、これ」

問いかけに満面の笑みで沖田は懐を探ると、チャラリという金属音とともに、金の鎖に下がった指輪を引っ張り出す。

「どうしたんです? えらく可愛らしいですね」

「昨夜近藤さんに貰ったんでさぁ。婚約指輪ですぜイ。作業してて引っ掛けちまったらと思って、今日はこうして首に下げてんですがね、これなら隊服着てても、中につけてられるでやんしょ?」

指先に軽く指輪を引っ掛けて、ほんのり頬を赤く染めた姿は、まるっきり恋する乙女である。

「そうですね。局長がくれたってことはちゃんとしたブランドなんでしょう?」

なにげなく聞き返した次の瞬間「ちっと見て来まさぁ」と、山崎が止める間もなく、沖田は部屋を飛び出して行ってしまった。

再び一人になった山崎は、ぱらぱらと資料を確認するために捲っているが、内容は頭に入ってこない状態だった。

相変わらず別々の部屋で休んでいる近藤と沖田と違って、自分と土方は襖一枚挟んだだけの距離で夜を明かすだけでなく、互いの温度を感じあった夜もあったのに。
手段はどうあれ働きだけは認めさせても、自分達のところは全く進展がないどころか、土方の態度は依然変わらない。原田の言葉ではないが、追えば逃げる、逃げれば追う恋。本当に嫌だというのならば、土方が自分を傍に置いてくれる事もなければ、それ以上になることもないことは分かっている。だったら自分はこれ以上、どう動けばいいのだろうか。

ぱたぱたという足音に、山崎はハッと我に返る。

「ケースと保証書持ってきやしたぜ。見なせイ、可愛い入れ物でやんしょ? で、有名な店ですかイ?」

駆け戻ってきた沖田の差し出す箱を受け取ると、中のケースと保証書を見る。

「“die Tulpe”ディ−トゥルペ。あぁ、一点ものとか扱ってる店ですよ」

保証書の住所と入れ物の絵で、どこの店かすぐに判断して答える。

「やっぱりこーいうのって、結構高ぇんだろ?」

「確実に、これは高いと思いますよ、石のランクも高いだろうし。それにしても、沖田さんのところはそんなところまで話が進んでるんですね」

受け取ったものを戻しながら、山崎が漏らした呟きに沖田が「おめぇんとこはどうなんでイ」と問い返す。

「結果が出る前に男に戻っちまったら、折角この身体になった意味もなくなっちまうだろイ。どうせなら、二人揃って幸せになんねぇと」

「その幸せの形が、俺と沖田さんで一緒なのかなって、ちょっと考えてたんですよ。何故、土方さんが今まで妻帯しなかったのかとか色々なことを考えていると」

山崎と土方が、最後の一歩を踏み出せない最たる理由。それは沖田も察していたらしく、フッと苦笑を漏らした。

「分かってまさぁ。姉上のことがありやしたしね。俺だって、分かってた。いつ死ぬともしれねー身で、野郎が姉上を受け入れるわきゃねーってことぐらい。分かってた。野郎が姉上の幸せを思って、拒絶してたことぐらい。子供の頃の自分はそれが分からなかったが、今ならちゃんと分かる」

それは、山崎に語りかけているというよりは、呪詛の言葉のように響いていた。
周囲の気温がシンと下がったようで、山崎は身震いする。

「お、沖田さん?」

「でもよ、姉上とはちげーだろ、俺ら。同じ戦場で肩並べて、それこそ一緒に地獄の底までついて行ける。オメェはそうは思わねぇか?」

沖田の鬼気迫る表情に圧倒されかけた山崎であったが、その問いかけにはコクコクと首を縦に振った。
どんな形であろうと、あの人の傍に居たい。それは山崎も同じ想いだったから。たとえ世界の全てが土方の敵に回っても、自分だけは味方でいたい。

「俺も、土方さんとなら、どこまでも付いていきますよ」

「だろ? だったら、頑張りなせぇ」

ふと表情を和らげた沖田が、ポンと山崎の肩を叩いてやった。





当初はなんとも思わなかったものの、資料を整理しながら冷静に考えてみれば、どうして資料室の片付けと沖田の婚期とが繋がるのか、その根拠が山崎には理解できない。多分、沖田のモチベーションのために適当にでっち上げた理由付けだろう。
既に、作業は数日に渡っている。やがて、案の定というべきか、手が空いてしまう時間が長くなるに従って『まだか』『暇だ』と沖田が訴え始めた。

「暇ってか、まだ仕事残ってるんですけどね。これを片付けて貰わないと」

「でもそれ、まだ時間かかるんでやんしょ?」

確かに、ぶちまけられている途中経過レポートや監察の暗号メモは、まだファイリングを頼める状態ではない。

「ケータイ鳴らしますから、屯所ん中で遊んでてくださいよ」

「遊んでろったって、このカラダじゃそうプラプラできやせんぜ」

そう口答えをした沖田は、押さえつけられて多少平たくはなっているものの、ぽむぽむという擬音がふさわしい胸元を数度叩いてみせる。

「んじゃ、検閲でもしててください、そこの」

指差した先に積んであるDVDは、明らかに表の市場には出回っていないシロモノのようである。

「エロしかねーんですかイ。体が火照ってきたら、責任とってくれやすかねぇ。土方コノヤロー貸してくれるとか」

「違法フーゾク摘発した時に押収したオモチャありますから。使用後に戻しておいてくれればいいですよ」

半ば予想していた言葉だっただけに、山崎は表情一つ変えず、そこ、と机の下のダンボールを指差し『動作保証はしませんけど』と続ける。

「冗談、バージンが無機物なんて、願い下げでさぁ」

「だったら殺人フィルムでも見ます? 昨日見つかったので検索すれば、どこの資料に楽しい動画が付いてたか検索できますよ」

「やっと片付いたものをまた散らしたくはねぇし。それもそれで興奮しちまうし。なんか他にねぇの?」

「血で興奮するって、ホオジロザメですか、アンタ。それに一応資料室ですから、その辺の適当に漁ってみててくださいよ。でなかったら、テレビだって何かやってるだろうし」

「いやぁ、ドSの血が騒ぐってーの? お、銀玉腐人の再放送やってら」

適当にチャンネルをかちゃかちゃと弄って、見つけたそれに落ち着いたのか、ようやくおとなしくなってくれたので、山崎もまた仕事に戻ったのだが、しばらくして「実際んとこ、打たれ弱いガラスのSですよね、沖田さん実際のとこ」と呟く。

「ガラスいうな、この真正隠れドSが」

「隠れドSで結構です。監察なんてやってると、自然とそーなってくるんですよ」

「あぁ、お前ら土方さんに命令されりゃ、何でもするもんな」

「『性急な尋問』の手伝いだって慣れてますからね。そこで逃げたら、副長からの評価も下がって、寵愛争いというか水面下の争いにも勝てませんから」

「そーいうこと言ってるから『監察方は土方ハーレム』とか言われんですぜ? あんだけ無茶言われてもついていけるお前らがホントすげーや。俺にはちーっとも分かんねえし、そんなんに比べたら、近藤さんの方がよっぽどいい男でさぁ。誠実で優しくて、ちんこもデカくて。譲ってはやりやせんけどね」

「ちんこデカくて、ってとうとう味見したんですか?」

「生憎とまだ味見はさせてもらってねーけど、風呂とか便所で見てるじゃありやせんか。土方さんのがこんぐれぇなら、近藤さんのはこんぐれぇ」

などと、手でその形を示す沖田に、山崎は仕事の手を止めて「だったらなおさら、覚悟決めといた方がいいですよ。前も言ったと思いますけど、最初って、すっげぇ痛いですからね。涙ちょちょぎれるくらい」と、言い放つ。
日々土方のサンドバッグにされていてもケロリとしていられる山崎が言うのだから、よほどの痛みだろうと思う反面。

「でもよぉ。オメェのそのつるつるのカラダ見てっと、それで余計に痛かったんじゃねぇかなんて思ったりもすんだけどよ」

「まぁ、土方さんがあんまり巨乳好みじゃないみたいだから、つるつるでもいいのかな。自分で言ってて悲しくなってきた」

「いや、胸だけじゃなくって、下の方も」

一瞬の沈黙の後、呟くように言われた言葉に、はっと山崎は下腹部を押さえる。

「気づいてたんですか」

「んなもん一緒に風呂入ってりゃ、イヤでも気づくだろうが」

「そのうち、どうにかなる………んでしょうかね」

「毛生え薬でも塗るか?」

「なんか痒くなりそうですよね」

うっかり墓穴を掘ってしまった気がして、山崎は深い溜息を吐く。

「でもそれとこれとは、別問題だと思いますよ。土方さんと違って、局長ってそういうことに関しちゃ慣れてないでしょうし」

「確かになぁ。近藤さん、シロートドーテーだろうしなぁ。だから、最初は土方コノヤローを借りて」

「ダメダメダメダメ! 絶対駄目っ!!」

冗談にしては、その沖田の顔があまりにも真顔だったので、慌てて山崎は拒否する。第一いつぞやの夜、実際に沖田は土方に迫ったではないか。

「だって、オンナの扱い、慣れてそーじゃん。それに近藤さんほどデカくねーし」

「副長のんは、俺専用なんですっ!!」

「けちけちすんなや。減るもんじゃなし。どうせ、監察の他の連中だって使ってんだろイ」

「でも駄目なもんは駄目なんですっ! もう、おとなしくテレビ見ててください!」

結局、午後もそんな状態で、沖田は茶を啜りながら『昼下がり若妻劇場・腹と釦』に始まり、延々とドラマの再放送を眺めていた。この時間帯から夕方のニュースが始まる頃合までは奥様の憩いの時間なのか、どのチャンネルを回しても、そういった番組がたくさんあって、暇つぶしにはもってこいだ。

「愛襲のガメラ、懐かしいですねイ」

「昔、流行りましたよねぇ」

答える山崎の手元でバチンバチンとホチキスの音がして「これ、そこに乗っけといてもらえます?」と、束が差し出されたのを受け取って、またテレビ画面に意識を戻そうとしたその時。
ドスドスという足音が聞こえてきた。

「おーぅ、お前らはかどってっかー…って、すげぇ状態だな」

振り向くと、近藤が戸口から中を覗き込んで、苦笑いを浮かべていた。

「これだって、かなーりはかどったんですよ。後は、箱の中身の分類だけで」

「ザキが頑張ってんのは、よーっく分かるけどよ。総悟は何してんだ?」

「俺は、出番待ちでさぁ。山崎じゃねぇと、書類分類できねぇですから」

テレビの前に据え付けた椅子の上に、体育座りをした沖田が、ひらひらっと手を振ってみせる。

「ここは監察方のテリトリーだからな、しゃあねぇな」

確かに、この惨状をつくり出したのは自分達だという自覚もあるだけに、山崎には反論の余地もない。筆頭格を名乗るからには、同僚がやらない責任が回ってくるのは宿命だというのも、この数日で身に沁みた。

「それで、局長どうされました? 何かお探しの資料でも?」

「探し物じゃねぇよ。さっき連絡があってよ、見廻組の連中がこっち来てるってんだ。それでトシが戻り次第、行ってこねぇとだからよ。焦らしちまって悪ぃが、すぐに風呂入ってくんねぇか?」

それでこんな時間に、非番でもない近藤が居るわけだ。

「大丈夫でさぁ。爪先までぴっかぴっかに磨きかけて、旦那サマのお帰りをお待ちしてやすから。すぐ支度してきやすね」

とん、と椅子から飛び降りると、書類の間の獣道を飛び跳ねるようにして戸口まで辿り着いた沖田は、ぱたぱたと自室に向かって駆け出した。

「こんな時間に呼び出されるってことは、その後は接待ですかね?」

「今日は、総悟と一緒に飯食ってやれるかと思ってたんだがよ。期待してたら、悪いことしちまったなぁ」

このままここを離れるわけには行かないので、とりあえずぶちまけたものを元の段ボールにばさばさと放り込んで戻していた山崎は、沖田の後姿を見送る近藤を、無意識に土方と比較していた。それに気付いた山崎は、自分のその考えを打ち消すように、数度頭を左右に振る。

「仕事なんだから仕方ないって、分かってくれますって。そうそう見せて頂きましたよ。指輪あげたそうじゃないですか。おかげで朝から沖田さん、ご機嫌で」

その言葉に、へらりと近藤の顔が緩む。

「んだよ、見ちまったのか。トシに付き合って貰って、探しにいったんだけどよ。総悟によく似合うだろ、アレ」

何気なくふった話題なのに、山崎は頭を殴られたかのような衝撃を受けた。




土方さんは、他人の付き合いでは宝飾店に行けても、自分の買い物の為には行ってくれないのか。
どんなに欲しいと願っても、絶対に自分には手に入らない。




「華やかでいいじゃないですか。地味な俺じゃ絶対無理なデザインですよ」

感情を表に出さないことに慣れている山崎だったが、声が僅かに震えてしまった。気づかれてしまったかと、そっと近藤の様子を伺う。

「地味は地味なりの良さってもんがあんだぞ。まぁトシはあの通りの奴だからよ、お前も苦労耐えねぇだろうけど」

自分を思いやる近藤の言葉すらも素直に受け取れず、沖田への羨望と入り混じって気分が悪くなってくるが、それを押し殺して、必死で笑ってみせる。

「ご心配なく。待遇が悪いのは、慣れてますから」

今度は『普通』に言えた。

「トシは悪すぎるんだよ。ったく、慣れたって言えちまうのも、どうかと思うけどよ」

「だって沖田さんみたいに、バーンって見た目が変わったならともかく、よーっく見ても分からないレベルですもん、俺。土方さんだって、女扱いしづらいんでしょう」

本当は違う理由もあるのは察しているが、とりあえずそう言っておけば、これ以上追求されることもないだろう。それに。

「でもよ、よく言うじゃねぇか、刺激してリゃ育つ。で、思い出した。頼むから、総悟にいらんこと吹きこまねぇでくれよ。一応はほら、ちゃんと籍入れるまでは、清らかなままでって思ってんだからよぉ」

山崎の狙い通りの方向に、話題を持っていくことができた。

「別に吹き込んでませんって。聞かれたことを答えてるだけですよ、俺は」

「それが悪いんだよ! だああああ、この淫乱コンビがっ!」

「淫乱って言われるほど、俺だって土方さんに可愛がって貰っている訳じゃないんですけど」

「少なくとも、乱れてんでしょぉがっ」

「分かりました、善処します」

善処って、オメェ、そんな政治家の言い訳じゃあんめぇしと、近藤は頭を抱え込む。そんな漫才のようなやり取りをしていると、ぱたぱたぱたと足跡が近づいて来た。

「風呂場に行っても誰もいねぇと思ったら、まだここだったんですかイ」

「おう、今行く。何だ、その網に入ってるの」

戻ってきた沖田の手には、着替えだけでなく、何かがたくさん入った赤い大きな網がある。

「あひる隊長でさぁ」

「今日はダメッ、出かけるって行ったろうが!」

広い風呂が寂しいからと、いつものように水面いっぱいに玩具を放しておこうと持ってきたのだろうが、そんなものを放牧(?)したら、確実にのんびりと浸かって遊んでしまうのは目に見えている。

「んだよ、近藤さんのケチッ」

「ケチじゃありませんっ。ザキ、その隊長さんの群、持ってっちゃいなさい」

「だ、そうですよ。沖田さん」

「ちゃんと返してくだせぇよ」

沖田は渋々、山崎に網を手渡した。




初出:09年02月06日
←BACK

※当サイトの著作権は、すべて著作者に帰属します。
画像持ち帰り、作品の転用、無断引用一切ご遠慮願います。