Nicotiana【11】
原田から渡された血まみれの『捕縛現場』のポラロイド写真。あんなもん、寝る前に見るんじゃなかった……と、近藤は心から後悔していた。
大体、トシは殺りすぎなんだ。すぐに斬れ斬れって、簡単に言いやがる。生きたまま捕縛された連中は、仲間が目の前でそんな惨たらしく殺されたのを見たショックで茫然自失となっているところを『保護』された……といった方が、正しいのかもしれない。
どうにも寝苦しくて、寝返りを幾度となく繰り返す。中庭の松の枝が夜風にさらさらと鳴るのが、人の話し声に似て聞こえる。いや、あれは松の枝が……と自分に言い聞かせているうちに、どこからともなく、パシンパシンとなる音まで響いてきた。
いいや、あれも違うぞ、ラップ音なんかじゃないぞ、あれは木造家屋の柱などが温度や湿度の条件で鳴るという屋鳴りという現象だから、絶対に幽霊なんかじゃないぞと思いました、あれ、作文?……と、そんなこんなしているうちに、障子の向こうが白々と明るくなって来た。
ああ、もう朝か……起きなければという意識とは裏腹に、もう化けて出るモノもなかろうと、気が緩んでうとうとしかける。そんな時に、近藤は何かがもそもそと、足元で動いてるのに気が付いた。生温かくて妙に柔らかい。ギョッとして視線を下ろすと、その得体のしれない『もそもそ』がどんどん這い上がってくる。
「うぎゃああああああああああっ! ゴメンナサイ、めっさ御免なさい、化けて出るならトシんとこに行ってぇえええええ!」
思わず喚くと「近藤さん、落ち着いて。俺でさぁ」という声が聞こえてきた。記憶にあるものよりも幾分高いが、その独特の口調は間違えようもない。
「はぁ? 総悟かそうか、総悟………………って、えええええっ! おまっ、なにやってんのぉおおお!」
慌てて布団をはぐると、近藤の足の間にちょこんと小さな影がうずくまっていた。しかもその身体がせり上がってくるにつれて、薄い夜着がずりずりと脱げ落ちて、まるで蜉蝣かなにかの脱皮のように、瑞々しくも儚げな諸肌が露わになっていく。
「何って、夫婦の営みでさぁ」
そう言うと、ぽろりと零れ落ちた真っ白い乳房を押し付けてくる。その膚はぬめりを感じるほどに肌理細かく、蕩けそうに柔らかく、それでいて適度なぬくもりと弾力を秘めていた。こういう感触をなんというのだろう……羽二重餅のような? いや、というかむしろ、タレぱんだのような? え? タレぱんだってこんな感触? 触ったことねぇよ。でもしっとりとしてやーらかいって言えばタレぱんだ……つか、あいつはガチョペンの幼虫じゃなかったっけ? え? 何口走ってんだ、俺?
「ちょっ、ちょっとまて総悟……ふ、夫婦って……そんなマッパでっ……それとこのタレぱんにどういう関係がっ!」
「タレぱん? NCタレットパンチプレスがどうかしやしたか?」
沖田は近藤の突飛な発言にキョトンとしたが、まさにその『タレぱん』を両手で下から掬いあげると、近藤の逸物を挟んでプレスしてきた。むにっと柔らかいもち肌が、絶妙の圧力で包み込んでくる。
「……でも、これからなるんでやんしょ? 夫婦に」
「いや、そうは言った、言ったがな、物事にはこう、順序というものがぁああ!」
「順序も何も、夫婦になるんだから、別に問題ないじゃありやせんか。朝飯前にちっと汗かきやせんか?」
「総悟、待て、待て待て待て待て待て待て待て待てぇええ!」
寝起きのせいか、近藤の股間は触られる前から膨れ上がっていたのだが、さらに視覚と触角、嗅覚のトリプル刺激を猛烈に受けたことで、痛いほどにはち切れんばかりになっていた。
だが、さすがに「婚前交渉」はできない、ましてや相手は未成年……と、息を詰めながら精神力で振り切り、沖田の肩を押して引き剥がす。
「汗は、もうかいてるから! もう脂汗やら冷や汗やら、ヘンな汗めっさかいてるからっ!」
「ここはもうひと汗かいてさっぱりと……そっちの準備も万端でやんしょ?」
一方の沖田は、目の前に屹立するモノを間近に眺め『オッサンとかなんとか言うけど、朝勃ちするとはまだ若いな、近藤さん』と、食欲にも似たものがこみ上げてきて、無意識に舌舐めずりする。その表情が、さらに近藤の理性をかき乱した。必死で防毒マスクを取ろうと枕元を必死で探るが、前もって沖田が隠してしまったのか、見当たらない。
「落ち着け総悟、いいから落ち着けっ!」
「落ち着いてないのは、近藤さんでさぁ」
「おにゃのこがそういうこと言って、男の寝床に潜りこんできちゃいけませんっ!」
「別に、これから一生添い遂げる相手なら問題ねぇっしょ?」
「そういう問題じゃないの! 花嫁さんはバージンロードなんだよ、穢れない純白のお姫サマなんだよ! そんな自分から穢れるようなことしたら、らめらめらめぇぇえええええ!」
「だぁって、山崎んとこはヤりまくってるんですぜ。それどころか、デキちゃった婚狙ってるって……おかげで俺、ノロケばっかり聞かされてんですぜ。口惜しいったらねぇよ」
「あっちはあっち、こっちはこっちなのっ……そんなに山崎さんとこが羨ましかったら、山崎さんちの子になりなさいっ! って、俺、なんでお母さんみたいな台詞?」
「……手を出す気にならねぇほど、俺、魅力ねぇですかぃ?」
そういうや、沖田は自分で自分の胸乳を抱くようにした。ただでさえ若さゆえの張りのためにツンと上を向いているバストが、凶悪なまでに盛り上がり、その谷間にこもっていた甘い体臭が、もわんと立ち上ってくる。
「そうじゃない、そうじゃねぇんだ。おめぇは可愛いよ、魅力的だよ。俺だって男だ、すっげぇヤりてぇよ」
「だったら、ヤりましょうや。婚前交渉っていったって、処女膜破らなきゃ問題ないでやんしょ? こう、おっぱいで挟んで、先っちょを舐めてあげやすぜ? エロ漫画とかではよく見る構図だけど、実際には難しいプレイなんだって。でも、俺の胸と近藤さんのモノならできるに違いないって、言われやした」
「誰にッ」
「山崎」
「まーた山崎かっ、あンの淫乱コンビ……余計なことばかり吹き込みやがって……ッ! ともかく、膜破らなきゃいいとかそういう論点じゃなくて、モラルの問題だ。俺ァ、こういうところはキチッとしてやりてぇんだよ!」
「……ドへたれ」
近藤は、これ以上傍に居たら理性が飛ぶと察して、沖田の身体を引き剥がすと、ふすまを蹴倒すようにして廊下まで転がり出た。フェロモンを吸い込むまいと息を詰めていたこともあって、両手を床について、ぜはーぜはーと肩で深呼吸する。
「こんな可愛くて魅力的な据え膳喰わねぇなんて、どうかしてまさぁ」
「頼むから、聞き分けてくれ。おめぇはミツバさんから預かった大切な子なんだ。一時の欲情や気の迷いで汚したくねぇんだよ。ちゃんと順を追って筋通して、幸せにしてやらなきゃあ、いけねぇんだよ。分かってくれよ」
「ねーちゃんはねーちゃん、俺は俺ですぜ?」
「妙なところでヘンな自立心出すな。要は、おめぇを大切にしてやりてぇってコトだ。増してや、今はその、フェ……なんだかってのが出てるんだろ。正気を失ってしまうんだってな。そういう状態で本能で突っ走るだなんて、できねぇよ」
「幸せなんて、そんなカタチにハマったものじゃねぇと思うんですがね」
沖田が、むぅとふくれた。
脱ぎ落としていた夜着を拾い上げる。肩に羽織りかけて、前を掻き合わせた格好で、小首をかしげて上目遣いにじーっと近藤を見つめた。その仕種すら小動物のように愛くるしい。
「とっ、ともかくっ! ちゃんと籍入れて、式上げたら、な。そうしたら腰抜けるぐれぇ、可愛がってやっからッ!」
見つめられて、己の神経の限界が近いと悟って、そう喚くと近藤はダダダダダダッッと駆け去った。
ついにプッツンしたのか、遠くで「トシぃいいいいいっ! トシけてぇえええええええ! ガチョペンの幼虫に襲われるぅうううう!」と喚いているのが、微かに聞こえる。
「近藤さんのドヘタレ! くされ朕子!!」
唖然として近藤を見送っていた沖田だったが、我に返ると、悔し紛れに枕と布団をぼすぼす殴りつけた。
「ちくしょ……オッ」
女性になったとはいえ、沖田のパンチの切れは鋭く、縫い目は容赦なく破れ、布が悲鳴のような音を立てて裂ける。枕のそば殻が飛び散り、布団の羽毛も室内に舞い散った。白い綿毛が、初雪のようにふわふわと降ってきて、沖田の鼻先にもチョンと止まる。それを乱暴に払いながら、ふと、道場で汗でも流そうと思いついた。そうでもして発散させないと、ムラムラしているのはどうしようもない。
ちょうど、山崎がナベシャツとやらを持って来てくれている。こいつがあれば、女だと気づかれずに暴れられそうだ。
たまたま朝練に出ていた新人隊士を、どういう訳か朝から不機嫌な総悟(ナベシャツ着用)とふたりして、おとなげなくコテンパンに叩きのめした後、汗だくになった身体に風呂場で水をぶっかける。心臓が止まるかと思うほど冷たい水に火照った肌を洗わせると、土方は急に腹が減っていたことに気づいた。
そういえば、昨日の晩も、満腹だと斬り合いになったときに動きが鈍るし、腹を斬られたときにも致命傷になりかねないと、わざと食事を控えたんだっけ。
そこから斬り合いで逆上したまま、一発やらかした挙げ句に、神経が昂ってるからロクでもない夢を見て、うなされて。
「ち。バカバカしい」
時計を見ると、どんだけ長い間暴れていたのか、すでに朝飯というよりはブランチの時間帯になっていた。道理で腹も減る訳だ。
そういえば、昨日の報告書も作らなくちゃいけねぇな。大体のところは原田がやってくれているだろうが、放ったらかしという訳にはいくめぇ。食堂でなんか適当に喰ったら、十番隊の詰め所にでも顔出すか……そう思いながら回廊を渡ってると、部屋着姿の山崎が真っ青な顔をしているのに出くわした。
「おう、どうした」
自分を探していたのだろうかと思って尋ねると「気分が悪くて」と呻いた。
「ちいと、今朝から便所と副長室の往復でして」
「はぁ」
やらかした、という自覚があるだけに気まずく「そいつぁいけねぇな。どうした、腹でも冷やしたか」と尋ねる。
「吐き気が止まらなくて」
「え?」
「副長、俺、アタったみたいです」
「……なっ、なんだって!?」
思わず凍りつく。
夢の中の女の顔が、目蓋の裏をちらついた。
まさか。
いや、でも身体は女だし。スキンだって100%安全な訳じゃない。
「……って、ちょっと待て。一晩でそんなん、分かる訳がねぇ!」
辛うじて、そう思いついて喚く。
山崎は一瞬キョトンとしたが、土方が言わんとしたことは察したようだ。
「そうですね、そっちの方は、是非ともアタって貰いたいものですが」
「そっちの方?」
「食あたりです。今朝、小腹がすいてたまらなくなって、朝飯が待ち切れずに食堂に置いてあった、昨日の晩飯の残りのチャーハンをかき込んだら、それが腐ってたらしくて」
「……………………まぎらわしいんだ、ボケ、ごるぁあああああああ!」
悪阻ではないという安堵と、勘違いをしていた恥ずかしさとで、思わず大声が出ていた。いつもなら、ここで脳天に鉄拳を振り下ろすところだが、相手の身体が女であることから、そこは辛うじて踏み止まった。握るだけ握りしめて行き場を失った拳が、青い血管の筋を浮かび上がらせながら、ふるふると震えている。
「ちょっ……怒鳴らないでくださいよぉ……副長があんだけ激しいから、腹減ったっていうのに」
「知るか! 意地汚く腐ったモン食うからだ! つか、食う前に気づけ!」
「だぁって、空腹で死にそうだったんですぅ!」
「そうかよ……で? 医務室には行ったのか?」
「行けますか、この身体を医者に見せろと? 上下から出すだけ出したら、かなりマシになってきたんで、多分、大丈夫だと思います」
「はん。そうかよ」
「そうそう、昨夜、副長にご報告しよとおも……うぇっぷ、失礼します」
そういうや、山崎は口許を覆い、バタバタと便所に向かって駆け去っていく。
せっかく汗を流して爽やかな気分になったのが、一瞬にして台無しだ。土方は山崎の背中を見送るや、力を込め過ぎて痺れ始めている手指を開き、ほぐすように手首を振りながら「はぁーーーーーーっ」と力一杯ため息をついていた。
食堂は片付けられていたので、珍しく厨房に入ると冷蔵庫を漁る。なんか手間のかからないものでも……と思っていたら、丼二杯分ほどの冷や飯がボウルに移されてラップをかけられていた。山崎がチャーハンで腹壊したって言っていたが……他にそのまま食べられそうなものは無い。ボウルの状態でお茶漬けの素をふりかけ、熱いお茶とマヨネーズを山盛りぶっかけた。
食あたりだぁ? そんなもんするか。
てめぇら、マヨネーズ舐めてンのか。マヨネーズにはなぁ、殺菌効果もあるんだよ。マヨネーズの原材料は卵黄と酢と油だ。その酢の成分が、サルモネラだろうと黄色ブドウ球菌だろうと大腸菌だろうと死滅させるんだぜ。そうとも、マヨは最強の食いモンだ。キングオブマヨだ。グレートマヨだ。俺ァ、デザートにだってマヨネーズをかける。
ボウルのまま、箸でそれをぐちゃぐちゃに混ぜると、一気にかき込んだ。
そういやぁ、副長室の障子も直さなくちゃ、だな……一度、部屋に戻るか。その前に倉庫に寄って、障子張りの道具を持って来た方がいいかな。
土方は、空いたボウルをシンクに放り出すと、食堂を出た。
室内は山崎が片付けてくれていたが、障子の修理はさすがにまだのようだ。
文机の上には、十番隊からのレポートが載っていた。昨夜、近藤に提出したポラロイド写真と、手書きのメモを複写したものだった。一晩かけて尋問した内容の速報らしい。原田のところの副官が書いたらしい文字は達筆にして読みやすく、内容も要点をよくまとめてあって、かなり優秀な部下であることが察せられる。瀬尾とか言ったかな、そいつ……障子のりだの、ハケだのを放り込んであるバケツを置いて、そのレポートを手に取り、パラパラと捲る。
あれから、七番隊はさらに三名ほど、逃げた連中を捕縛したのだという。
だが、捉えた連中を尋問してみたものの、どいつもこいつも「天宙組に入れてやるからと、昨日の晩に集められた。募集した男の名前は知らない。居場所も分からない」と繰り返すばかりだった。斬り合いをまともに見たせいで、まともに喋れなくなっているのだろうかと、念のために鎮静剤を打って少し落ち着かせてみたのだが、それでも募集したのは青い目の男だったという話を引き出すのが精一杯だったようだ。
これ以上本当に知らないようなら、そして、実際に攘夷志士ではなく、それに憧れていただけのチンピラであるのなら、明日にでも釈放してやらざるを得ない……と、締めくくられていた。
昨夜の捕り物は完全に失敗だったようだ。
やはり、あいつらのアジトの位置を完全に掴み切れなかったのが敗因か。そして誤認逮捕……それだけじゃなく、何人か斬り捨てている……焦らずに、もう少し時間をかけて情報を精査すべきだったのだろうか。ほぼ平行して、回鍋肉の調査もしているというのに……土方が頭を抱えていると、背後から「あのう、副長……」と、声をかけられた。
「山崎か。後にしてくれ」
女の戯れ言に関わっている余裕はない。だが、背後の気配は戻ろうとせず、畳の上にわだかまった。
「まだ裏が取れた情報じゃないんですが、昨夜の件で」
「あン?」
振り向くと、キチッと隊服に着替えた山崎が、正座していた。
「昨夜の天宙組のダミーを操ってたのは、副長も怪しいとマークしていた豪商・平松不兵衛で、この男が天宙組と回鍋肉の間を取り持っていたそうです。その平松不兵衛の屋敷は……」
土方は、一瞬呆気にとられた。
最近、地球に入り込んだ新興海賊組織、そして一時は衰退したもののここ最近勢力を盛りかえしていた攘夷志士団。どこかでつながりはあるだろうと思ってはいたが、その確証がとれないため、別々に追わざるを得なかったのだが。
「お前、それをどこで聞いた」
「俺独自の調査」
「それ、局長に報告したのか」
「いえ、取り急ぎ、副長にと思いまして」
「バカッ、俺より先に局長だろうがっ!」
そういえばそうだったな、風呂の番までして貰っていたんだから、局長に言えば良かった。自分も気が動転していたんだろうかと、山崎が首を傾げていると、不意に抱き上げられた。
「お姫さまだっこがいいですぅ」
近藤と沖田がイチャコラしてた姿を思い出してそう甘えてみるが、土方は冷たく一言「贅沢いうな」と吐き捨てると、荷物のように小脇に抱えた状態で部屋を出た。バタバタと局長室まで押し掛ける。
「オラ、さっきの話、もっぺん詳しくしてみろ」
畳の上に山崎を放り落として、土方がぶっきらぼうに命じる。近藤(毒ガスマスク着用)はちょうど、松平公に昨夜の報告をしに行く準備のために着替えているところで、沖田(ナベシャツ着用)がスカーフを結んでやっていたのだが、この不意の訪問者に目を丸くしていた。
いや、それだけでなく、近藤の顏がみるみるうちに、マスクごしにも分かるほど真っ赤になって「とっ、トシぃいいい! なっ、なんてことしやがんだ、今のザキはおにゃのこじゃねぇか! そんな扱いって無いぞ。大体、おめぇはコイツに対する扱いがめちゃくちゃだッ!」と喚いたのは、今朝『ガチョペンが、ガチョペンが』と喚きながら副長室に逃げ込んだ時の惨状が、まだ記憶に新しいからだ。
今朝の副長室には、座布団やら文具やら置き時計やら……あらゆる物が乱雑にちらばり、まだ血にまみれた土方の隊服も脱ぎ散らかされていた。室内の空気は、かなり薄れているとはいえ、甘い薫りと雄の匂いが入り混じっており、昨夜この部屋で『淫乱コンビ』が何をやらかしていたのか、容易に想像がつく。
そして、その片割れの、ひとり寝くたれいてた山崎が『……ひじかたさん?』とつぶやいて、近藤の気配に気付いて上体を起こす。その夜着の胸元がはだけて、ほんのりと柔らかく幼いカーヴを描いている乳房と、それに容赦なく刻まれている鬱血……歯型や口吸いの痕……がのぞいた。寝乱れた黒髪に指を梳き入れながら、まだ目が醒めきっていないボンヤリした表情で『ああ、局長、おはようございます』と見上げてくる山崎の目元は、泣き腫らしでもしたのか軽く充血していて……近藤が冷静に見ていられたのは、そこまでだった。
あとは、速攻で回れ右をしてドタバタと裸足のまま中庭に飛び出し、ついでに池にダイビングした。『お妙さん1号』から『お妙さん5号』まで名前をつけられた鯉達と一緒に冷たい水にしばし浸かって、近藤はようやく冷静さを取り戻したという次第。
「そんなもん関係ねぇ。それより近藤さん、アンタ、これから松平のとっつぁんところに行くんだろ。間に合って良かった。コイツの話を聞いてやってくれ」
そこで、山崎はあらためて潜入捜査で調べあげたことを説明する。
別々の動きだと思っていた攘夷志士・天宙組と、宇宙海賊・回鍋肉が繋がっているらしいということ、その間を取り持ってるのが平松屋で、天人の血を引く平松は治外法権である上空の飛行船にアジトを置いていること……そしてその船の名は「赤羽丸」であること。
「ふぅむ……ということは、その船が地上に降りたところを見計らって、この平松ってネズミをしょッ引けば、芋づる式にどっちも片付くってことだな。平松屋といえばかなりの老舗だから、他の攘夷志士だの武器の密造グループだのと繋がってるかもしれねぇし、叩けばいくらでもホコリが出そうだな」
近藤が腕組みをして唸る。
「平松屋の不兵衛といやぁ、天人の血を引いてるもんだか、実はズバリ天人なんだか、目や髪の色が薄い異相をしているという噂ですぜイ……ということは、昨夜捕らえた連中が青い目の男と言っていたのも、平松不兵衛なんでやんしょう。良かったじゃねぇスか、土方さん。昨夜の捕り物も、ゴキブリのウンコほどには成果があったみたいで」
「うるせぇ。それにしても、どうしてそんな重大なことを、今まで黙ってやがったんだ」
「あの、こんなに早く捕り物に踏み切るとは思ってなかったンで、副長にはちゃんとした裏を取ってから報告しようと思ってたんです。いくら当人の口から出た言葉とはいえ、かなり酔っ払っていたから、信憑性に乏しいと思って」
「当人の口ィ!? 酔っ払ってぇ!?」
「あ、しまった」
つい口を滑らせてしまったことに気付き、山崎は手のひらで己の唇を押さえるが、土方の三白眼がギロリと山崎を睨みつけていた。
「副長、い、今のは聞かなかったことに」
「んなわけにいくかボケ」
「まぁまぁ、トシ、そんなに怖いカオしたら、ザキだって萎縮して言えることも言えなくなるだろうが」
そこに近藤が割って入り「まぁ、怒らないから言ってみろ」と、山崎と視線を合わせるようにしゃがみ込み、両肩を大きな掌で包み込んだ。土方が北風なら近藤が太陽、土方が鞭なら近藤は飴といったところだろうか。
「あ、はい。実は、平松屋が宴会を開くというのを嗅ぎ付けて、芸者に化けて料亭・梅屋に潜り込みまして。そこで聞いたんです」
「芸者ァ!?」
「落ち着け、トシ……で、その時に、平松不兵衛に近づいたんだな」
「はい。その、それで不兵衛に、今度は屋形に遊びに来いと言われて、それで船の名も教えてもらって」
「おまっ、ザキてめぇ、ソイツに何もされてねぇだろうなっ!」
「座敷に出ただけだから……直接触られたのは手ぐらいで」
「なっ……直接ってなんだ、服の上からだったら、どこ触られたっていうんだっ!」
近藤が山崎の肩を抱いていなかったら、カッとした土方が山崎の襟首を引っ掴んでいたろう。
「わ。副長、妬いてくれてんですか?」
「そーいうんじゃねぇよ、ボケコラカスッ!」
「ちぇ。たまには少しぐらい、妬いてくださいよ」
山崎がムゥと頬を膨らませ、沖田も「妻を座敷に出して平気とは、さすが鬼の副長。大したツラの皮ですネイ」と援護射撃をする。
「近藤さん、平松の前に、こいつら斬っていいか?」
「いや、らめだから。絶対にらめぇえええええだから。というか、平松も斬ったらダメだぞ、トシ。ここで平松を斬っちゃたら、手がかりがまた途切れて、一から捜査、やり直しになるから。お願いだから、あくまで『確保』にしてね、トシ」
「そうでないと、また婚期が遅れてしまいまさァ」
「婚期は関係ねぇだろがよ!」
「まぁ、婚期はともかく、これで一気に片をつけようじゃねぇか」
近藤がそう言って話をまとめた。
沖田は「大賛成でさァ。このヤマが済んだら、しばらく落ち着くんでやんしょ?」と、笑顔でなにやら冊子を抱えてニコニコしている。
土方は苦虫を噛み潰したような顔になっており、山崎は微妙に複雑な表情だった。
「その討ち入り予定も織り交ぜて報告すりゃ、とっつぁんも昨夜の捕り物については、とやかく言わねぇだろうな。ザキ、報告してくれてありがとうよ。助かった。じゃあ、行ってくる。総悟、パト出してくれ。運転しろ」
「へい」
「じゃ、俺は裏付け調査の聞き込みにでも行ってき……」
便乗して部屋を出ようとした山崎の腰ベルトを、土方がガッシと掴む。
「てめぇはここに正座しろや。ちと小一時間ほど話してぇことがある」
ピィンと空気が凍りつきかけるが、そこに近藤が「話し合いするのは一向に構わねぇが、頼むから俺の部屋でサカんじゃねーぞ。そんときゃてめーらの淫乱部屋に戻ってくれよ」と、声をかけた。それにはさすがに、土方も苦笑いするしかなかった。
それから数日後。
『入咲』からの手紙を受け取った平松は「ターミナルは他の船も多くて、分かりづらいから」というまことしやかな理由付けを信じ込み、手紙の指示通りに赤羽丸を大川に浮かべた。そこを手ぐすねひいて待ち伏せていた真選組に取り囲まれ、当人だけではなく、船に潜んでいた連中ごと、見事一網打尽にされたのであった。
【後書き】山崎の誕生日企画に何も用意していなかったので(ヲイ)、とりあえず仕上がっていた3章分をアップさせて頂きました。次回アップするときには、ラストまで……だといいな。
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