Nicotiana【10】
満月が明るい夜だった。
大橋の朱塗りの欄干にもたれて荒い息を吐いていた土方だったが、ふと思い出したように、だらりと片手に下げていた刀を血震いして、鞘に納めようとする。だがそれは、途中でひっかかって鞘の奥まで入らなかった。あまりに激しい斬り合いに、刀身が曲がるかどうかしたのだろう。
「攘夷志士、二名確保。五名は抵抗したから斬り捨てて……後は逃げた」
刀のことは諦めて抜き身のまま、腰帯に巻いていた小型無線を取り上げてそう報告すると『ちょおおおおっ! 全員確保って言ったじゃん! それも生存者の方が少ないって、トシ待ってよ、それぇえええ!』と、喚く近藤の声が返って来た。
「仕方ねぇだろうがよ。予定外に手薄なところで鉢合わせしちまって、こっちも怪我人が出たんだ。下手に生け捕ろうとしたら、殉職者が出ただろうよ」
『知らねぇからな。松平のとっつぁんに叱られたら、オメェが行って言い訳してくれよ、俺ァごめんだ』
「分かってらぁ。現場で指揮を執って、人員の配置を読み誤ったのは、俺だしな」
総悟がフルで使える状態なら、いくら人数が少なくとも、こうはなっていなかったかもしれないがな……という愚痴は呑み込んで、無線機の電源を切る。
男の身体でなら、うまくやってくれたかもしれない。ちまちまするのが面倒だとバズーカーをぶちかまして、現場をメチャクチャにしてしまう可能性もあったが、少なくともアレひとりで一師団並の働きをしてくれた筈だ。
その剣筋の冴えは、女になったからといって侮れないものがあることは認めるが、今回のこの捕り物に連れてくることは、さすがに躊躇された。
「副長、血……」
「あん? ああ、ドジったな」
手の甲から肘にかけて、紅い線が走っている。土方は思わず、掌を眺めて自分の指がちゃんと五本ついているか確かめてしまった。こういう現場には、鍔迫り合いの勢いや、自分の剣に誤って触れたりなどが理由なのか、いくつもの手指が斬り落とされていることがあるという。
「土方、すまねぇ、遅れた」
駆けつけた部隊の隊長の頭が、月光を浴びてぬらりと光っていた。
あの坊主頭は原田だろう。だとしたら、十番隊か。
「いや、おめぇらが出張ってた現場はこっから二、三町は離れてたろうが。よく来てくれた」
「なぁに、これぐれぇ……じゃあ、後片付けと、あと、生け捕ったヤツらの尋問は、俺らが引き受けた。丘さんが七番隊率いて逃げた連中を追ってる筈だ」
「頼むぞ。あと、こいつらの面倒もみてやってくれ。怪我人がいる」
「怪我人がいるって……おい、おめぇも血ィ出てるぞ」
「こんなもん、かすり傷さ。鷹島屋でぱーとの機械扉に挟めただけだ」
同行させた隊士らの世話もまるまる原田に押し付けて、土方はふらりと現場を離れた。
屯所に戻ると、まっすぐ自室に入る。
刀を片付けたら、着替えて風呂にでも入ろう、その前になんか冷たい飲み物でも。
そう思って、ふすまを開けた土方は、一瞬ぽかんと立ち尽くした。
湯上がりらしく、浴衣姿で首に手拭いなんぞ巻いた女が、扇風機の前で麦茶片手に涼んでいたのだ。振り向いて「ああ、お帰りなさい」と声をかけると、崩していた膝を直して正座する。
「……山崎か」
濡れた髪が、生乾きのまま、微かに上気している額に貼り付いていた。その髪の匂いなのだろうか、室内には石鹸の残り香ような薫りが仄かに漂っていた。
「なんの用だ?」
「ちと副長に報告したいことがあって、お帰りを待ってました」
「疲れてるんだ。後にしてくれ。これも……研ぎに出させるのは、明日でいい」
ぶっきらぼうに言うと、歪んだ刀を床の間へ放り出す。ガラン、という音に反応したのか、山崎の肩がビクッと震えた。
こわごと見上げながらも、コップを文机に乗せるとにじり寄って来て「あの、副長、手、血ィ出てますよ」と囁いてくる。その山崎の態度が、妙に土方の神経を逆撫でした。
「なんか、冷てぇモン、飲みてぇな」
「その前に、その傷、手当てしましょう?」
「飲みモン」
そう言いながらも、自分が何をしようとしているのか、何に突き動かされているのか、まったく自覚できないまま、無意識に山崎の手首を掴んでいた。ふわっと妙に甘ったるい体臭が感じられる。くらっとめまいがした。
「ああ、確かに血は止まりかけてますね。じゃあ、なんか取って来ますから、この手離してくだ……」
さいね、と山崎が言い切る前に、掴んだ手を力一杯引くと、倒れた女の身体を畳に押しつけていた。
血を見た直後は、サカるとは聞いていたが。
男だった頃も、割と容赦なくぶん殴られていた筈だが、それを上回るかもしれない圧倒的な力で押さえ込まれ、浴衣を剥ぎ取られては「あれ、飲みものは要らないんですか」とツッコむどころか、抵抗ひとつできなかった。
「ちょっ……副長ッ……土方さんっ、落ち着いて。逃げないから、落ちついて」
せめてそう囁きながら両腕を回して、広い背や汗ばんでいる髪を撫でてやるが、それで落ち着くどころか「やかましい」と低く呻いたかと思うと、そのうるさいのを塞ぐといわんがばかりに、乱暴に口を吸われた。割り入れられた舌が、唇を、歯列を、無遠慮に舐めあげ、掻き回す。混ざりあってどちらのものとも分からない唾液が、呑み込むこともできずに溢れて唇の合わせ目から零れ、顎から首へと伝い流れた。
「……ふぁッ……はぁ……」
唇が離れた時には、接吻で劣情を掘り起こされたのか、山崎の目も半ばトロンとしていた。
「土方……さ……ン」
だが、その呼びかけには応えず、腹の上に覆いかぶさったまま、片手を腿の間に割り込ませてきた。
「痛ッ……! いきなりは、無理ッ……!」
山崎が、土方の肩にしがみついて訴える。
その隊服は、返り血でも浴びたのか、ひどく生臭い匂いがしている。良く見れば、真っ白い絹のスカーフにも赤黒い染みがついていた。山崎も真選組隊士の端くれ、血を見て怖いというつもりは、さらさらないが。
せめて、ひとっ風呂浴びて、血を洗い流してきたら……という言葉は、強引に指が押し込まれた痛みにかき消された。無理矢理に花心を押し広げ、その内側の微かなぬるみを指にすくいあげる。くちゅくちゅという濡れた音がやたらを大きく聞こえ始め、その指の動きに押し出されるように、山崎の喉の奥から、意味をなさない声が漏れる。
角度が変わってせめて少しでも楽になればと腰を微かに浮かせると、そこにつけ込むようにさらに奥へと捩じ込まれた。やけに幼い造りのそれは、内側も小ぶりにできているのか、指先があっさりと最奥へと届く。
「いっ……イッ……」
「痛いのか? それともイイのか?」
尋ねはしてみるものの、山崎の返事を聞く気はなかったようで、軽く引き抜くと指の数を増やして、再び押し込んで来た。今度は抜き差しさせるというよりも、入口を割り広げるように、やや手荒く掻き回してくる。音も先程のとは違って、濡れた雑巾でもビタビタと叩き付けるような、えげつないものだ。
「やっ、こんなん、ッ……!」
膝を閉じて拒もうとするが、抗ったことでさらに煽られたのか、そのまま胸乳にもむしゃぶりつかれた。
「ちょっ、歯ァ立てるのは……勘弁してくだッ……ンっ」
下腹部だけでなく、胸にも強い刺激を受けて、身を捩らせる。食いちぎられそうな力で噛みつかれ、強く吸い上げられるのは、決して女を満足させるための愛撫ではない。むしろ食欲でも満たすような一方的な行為だ。
こんなの、土方さんじゃない。
あの人はもっと、優しく抱いてくれた筈で。
その一方で、それでもいい……という居直った気持ちもわいてくる。
それでもいい。どんな形でも、どんなやり方でもいい。この人が欲しい。そのために、この身体になったんだ。もしかしたら命を失うかもしれないという危険を承知で。男としての今までの人生やアイデンティティを、一切捨ててしまう覚悟で。
肝が座ると、痛いだけだった腰の奥から、じんわりと心地よい熱が広がって来たような気がした。胸元で揺れている髪に触れ、血と汗と、そしていつもの煙草の移り香が混じっている匂いを肺いっぱいに吸い込む。弄り回された下肢は、感覚が半ば麻痺しかかっていた。
「ひじ…かた……さ……っ」
無我夢中で名を呼ぶと、不意に、身体が離れた。指も抜き取られ、その喪失感に背を逸らせて喘ぐ。急にどうしたのかと訝ったが、生理的な涙が溢れて、視界がぼやけてよく見えない。片手の甲でそれをごしごしと拭っていると、カチャカチャと金属が鳴る音が聞こえた。
ああ、ベルトを外しているのか。
重たい隊服を脱いで放り投げたのだろう、バサッという音も続く。
状況を理解して安心できたので、山崎はそのまま目を閉じて待っていた。これから与えられるものへの期待で、頬が熱くなる。
あ、それと今、目を開けたら、もっさり白ブリーフとご対面かもしれないし。
これだけ盛り上がった状況で、それだけは御免被りたい。
ひたりと、立てていた膝に何かが触れた。
それが男の掌だと気づくと、途端に身体の中心に視線が注がれているのが感じられた。とっさに膝を閉じようとしたが、その掌に阻まれて叶わなかった。
「どうしたイ。大股広げて。欲しいのか?」
「……意地悪」
その入口に熱いものが押し当てられた。その先端に溢れ出ている蜜を塗りたくるようにしてから、グイと押し込まれるが、微妙に引っかかるような感触がして奥に入っていかない。
「ち。ぐずぐずしてる間に乾いたか」
ぼそっと呟くと、入口に押し当てたまま、花芯に手を伸ばして、くじるように嬲り始めた。その刺激に思わず声が漏れ、脚がガクガクと痙攣する。
「やっ……つよすぎるっ……キツいっ……」
そう訴えて、腰を引いて逃げようとしたときに、ヌッと入り込んで来た。切り込んでくる痛みに悲鳴があがりそうになったのをグッと呑み込んだ時に、脇のあたりに男が手をついたのが察せられた。
山崎が目を開けると、まず見えたのが抜けるように白い首元だった。覆いかぶさってきている男の身体を間近に眺めながら、相変らず色が白くてきれいな肌だと、痛みで鈍りかけた思考の中でぼんやりと考える。
どうせ、俺なんかが女になったところで、この人の色っぽさには適わないわけで。つい、つり込まれるように、片手を土方の胸に這わせていた。
「テメェ、コラ……余計なことすんな」
「だって、土方さんにも、少しでも気持ち良くなってもらいたくて」
「んなこと考えてるってぇこった、まだ余裕ありそうだな」
いや、余裕なんてないです、手加減してください……と言いかけた口が唇で塞がれ、突き上げられる。無我夢中で背中に腕を回してすがりつき、両脚を腰に絡み付けた。肌と肌が密着する温もりが快い。
「ちょっと、首に手ェ回せ」
「……え?」
意図が分からずにきょとんとしていると、背中へと手を割り込ませてきたかと思うや、強引に引き起こされた。番っている部分が抜けそうになって、慌てて首にしがみつく。
「つうッ……痛いっ! ちょっ、これ、奥……まで、くるゥ……ッ!」
「この体位って、Gスポットに当たるんだってな。どうだ?」
「そっ、そんなん、どこにあるか知りませんッ! つか、それどころじゃ無いっスッ! いだぁああっ!」
座った状態の土方の腰に跨がる、いわゆる対面座位の形になっていたのだ。角度が変わり、己の重みでより深く刺さり込んでいく。
「もうダメなのか? まだ全部入ってねーぞ。頑張れ」
「頑張れとか、そういう論点じゃ……やっ、それ以上奥は……壊れ……るぅ!」
腰を両手で掴まれて揺すり上げられ、腰が落ちる度に腹の底に衝撃がズシンと走って、意識が飛びそうになる。ガクガクと首が揺れた。
「このサイズでも、こうやって揺すったら、生意気に揺れるんだな」
「ふぁっ……? やっ、胸、やだぁっ……」
「嫌じゃねーだろ、感じてんだろ?」
珍しく(?)女性の胸乳らしい生態がそそったのか、舌舐めずりをすると屈んで、ぱくりとくわえる。ただでさえ強い刺激に圧倒されているのにさらに追撃されて、思わず手指の力が抜けた。腕が男の首から滑り落ち、身体を支えていることができなくなり、上体が後ろに倒れる。
「オーイ、抜けんぞ……って、大丈夫か?」
慌てて山崎の背に腕を回して支え、朦朧としているのを見てとると、ちっと舌打ちひとつして、抱き下ろし再び横たえてやった。
「俺、もうダメかも……ちいと、休ませてください」
「んだぁ、根性ねぇ。つか、こっちもそろそろなんだ。もう少しふんばれや」
「……鬼上司」
「言ってろ」
ぐったりしている腰を掴むと、愛撫とは言い難い、荒っぽいまでに己のリズムで突上げていく。まるで自分の身体が、射精のための道具として扱われているようで、あまり気分のいいものではなかったが、裏を返せばそれだけ激しく貪るように求めてくれているのだと言えなくもない。
少しでも協力的にしてやろうと、重たく感じる自分の両腿をなんとか持ち上げると、自らの手で抱え上げた。M字開脚というか、カエルをひっくり返したような格好というか。だが、そんな自分の姿勢を滑稽に思う余裕はなかった。
突き上げられる度に漏れる声は、嬌声というよりも機械的に絞り出されるようだ。だが、そんな状態でも、高みへと登り詰めていくにつれて徐々に逼迫してくる。
「あ……出すぞ」
「……あい」
思いッきり奥にぶちまけて……と言いかけて躊躇した。
そんなAVかエロ漫画のようなベタな台詞は気恥ずかしかったのと、それを言うことで、逆に土方に中出しになることを意識させるのはマズいのではないか、という計算が働いたのもある。
ドクリ、と胎内でソレが動いたのが感じられた。
激しい摩擦で内壁が腫れ上がりでもしたのか、妙に感覚が鈍っているために、それ以上の……例えば、放たれたモノの熱などはハッキリとは分からなかった。数拍、いや、もしかしたら、それ以上の時間……土方もさすがにバテたのか、番ったまま山崎の胸に額を押し付けて、ぐったりと荒い息を吐いていた。
「…じ、か……さン……」
これだけ激しく交わっていたら、本当に孕むかもしれないな。そのことへの期待と、未知の体験への不安で、べったりと汗ばんでいる土方の頭を抱き締める。
男山崎、そのときは見事、あなたの血を引いた子を産んでみせます……って、アレ、男じゃないんだっけな。じゃあ、女山崎、か。なんか変なの。
やがて、土方が身体を起こして、番っていたものがズルリと抜け出た。
「……すまねぇ、その……つい、カッとした」
「そりゃ、最初はちょっとびっくりしましたけど……土方さんに抱かれるんだったら、俺、全然かまいませんよ。むしろ大歓迎で」
「そうけぇ」
土方が、長い腕を伸ばして、桜紙の入った桐箱を引き寄せ……そこまでは、いつもとそう変わらない仕種だったが、そこから先の光景に、山崎は我が目を疑った。
だらりと下がった器物にかぶさっている、妙に毒々しい色の皮膜のようなものをくるりと脱がせると、桜紙に包んでポイと放ったのだ。
山崎が唖然としていると、土方は文机の上に載っていたコップを見付けて、それを取り上げると半分ほど残っていたのを飲み干す。
「ちょっ……今の、何ッ!?」
「何って、麦茶。おめぇの飲み残し貰ったが、悪いか?」
「それじゃありません! 今捨てたやつッ!」
「今捨てた……? ああ、知らねぇ訳ねぇだろがよ。スキンだ、スキン」
「そんなん知ってます! え? なに? さっきまでつけてたの!?」
「ああ、まぁ……そらぁ、つけてねぇとアタるだろうが」
「欲しいから、いいんです、アタってもっ!」
いつの間にそんなモン、と言いかけて見当がつく。
土方が服を脱いでいる間、目を閉じて待っていたのだが、どうやらそのタイミングで装着したらしい。道理で、脱いでいるだけにしては妙にゴソゴソしてると思ったんだ。
「ンだよ、畜生ッ! 子種搾り取るチャンスだと思ったのにッ! アタったら責任取ってくれるって、アンタ、言ってたじゃんかよぉ!」
喚いて、手当り次第に箱枕だの、文机の上のものだのを掴んで、土方に投げ付けた。その幾つかが障子にぶつかり、唐紙を突き破って中庭へと飛んでいく。
「子種って、おまっ……つか、ぎゃあぎゃあ騒ぐな、こんな時間に迷惑だろうが」
誰かが不審がって駆けつけでもしたら、山崎が女であることがバレてオオゴトになると、慌てて胸に抱き込む。
「だって俺……土方さんの……欲しいから、すっげぇ痛いの我慢して、頑張ったのにっ!」
そこまで言うと、なんだか自分が情けなくなってきて、山崎は泣き出してしまった。土方は、まさか相手がそこまで思い詰めていたとは想定していなかったので、どう慰めたものか途方にくれてしまう。
「ああ、悪かった。痛かったか。ごめんな」
珍しく素直に謝罪してくれるのは嬉しいけど、謝ってもらうポイント、そこじゃないです……と、山崎は切り返したかったが、しゃくりあげて声がろくに出てこない。ただひたすら抱き締められ、背を撫でる大きな手の温もりを感じているうちに、フウッと意識が吸い込まれていった。
そこは、朱色の桟と黒い床柱が妙に印象的な部屋だった。
衝立てには流行画家のものだというゴチャゴチャした動物の戯画が極彩色で描かれており、それとは対照的な真っ白い寝具が敷き述べられていた。その手前には、やや髷の歪んだ髪に、派手なかんざしを刺した女が座り込んでいる。
「お久しゅうござんすね」
ここはどこだろうとか、いつのまにこんなところに来たのだろうという疑問はなくもなかったが、なぜか無意識に「ああ、近藤さんの道場に行くようになってから、あんまり花街の方に来る機会って、なかったもんな」と、答えていた。
冷静に考えれば、その言葉が時制的に誤りなのは明白なのだが、実際に口に出してそう言うと、不思議とそれが当然のような気になってくる。
煙草を取り出して吹かすと、馴染みの妓はずいっと膝でいざり寄って来た。幾重にも重なった派手な袷の裾が割れて、その奥の緋色の腰巻きまでもがちらりと覗いている。だが、太股がむっちりとしたタイプならいざ知らず、その痩身の妓には、子どもが着物に着られているようなちぐはぐさが漂っていた。
「オメェ、もう少し太った方がいいんじゃねぇか? ちゃんと喰ってるか?」
煙草を盆に戻しながらそう尋ね、細い腰に腕を回して抱き寄せると、妓はその問いには答えず、逆に「道場に、好い人が居るの?」などと質問した。
「好い人というか……年頃の娘はいるが……でも、そんな仲じゃねぇよ」
ミツバを思い浮かべながら「……まだ、な」と、胸の中でつぶやいていると、妓はニコッと笑って両腕を首に回した。膝に乗り上げてくるその身体は、あまりにも軽くて脆そうだ。妓が、そこだけは不自然なほどにふっくらと丸い胸乳を擦りつけるようにしながら「良かった」と耳元で囁いた。
「実は、うち、ややこができたみたいで」
「まぁ、そんな商売をしてたら、アタることもあらぁな」
「多分、十四郎はんの子でござんす。ほら、前に上げ底が外れたことがあったでござんしょう?」
上げ底とは、固く丸めた紙を詰めて蓋をするという、遊女の避妊法だ。そんなことあったっけと、首を捻る。
「だから、うちを身請けして?」
「はぁ!?」
ドッと嫌な汗が全身に吹き出してきた。
つい最近までひとつところに落ち着かず放浪していた自分が、遊女を落籍させるだけの大金を持っている由も無い。いや、よしんば支度ができたとして、突然この女を娶れるものなのか。
「んなガキ、適当に産んで棄てりゃあいいじゃねぇか」
「酷い、十四郎はん、あなたの子なのに」
女の口調がいつの間にか、郭言葉からお里の言葉になっていた。
どことははっきり分からぬが、どうやら上方らしい、はんなりとした抑揚。その柔らかさとは裏腹に、急に腕の中の身体が重く、冷たく感じた。首に巻き付いた腕が大蛇のように、喉を圧迫してくる。ギョッとして見下ろしたその目はいつになく爛々と光を放ち、唇が血のように紅い。女の腹部がむくりと動き、別の生き物のようにむくむくと膨らんでいく。
「……うぁああああああああっ!」
その異様さに、思わず突き飛ばして、後じさって逃げようとする。開こうとした障子に向こうに、何かの気配があった。一瞬躊躇ったものの、一気に開いて縁側にまろび出ると、そこには血まみれの肉の塊のようなものが転がっている。
「あなたの子なのに」
背後から呻くような低い声がのしかかってくる。確かに産み落とされたばかりの嬰児に見えるその肉塊が、ひょいと首をもたげた。
「ス・テ・ナ・イ・デ……」
低いような、高いような、中間域を取り払ったような不自然な声。だが、その声にどこか聞き覚えがあった。
連れて行って、十四郎さん。
「しらねーよ」
その赤黒いものがみるみる膨れ上がり、血まみれの女の姿と化していく。痩身の女が肩を震わせるや、ゴフッと血を吐いた。その血が跳ね上がり、白い障子を点々と染めただけでなく、べったりと頬にまでかかる。
「しったこっちゃねーんだよ。お前のことなんざ」
それは、自分の声の筈なのに、どこか遠くで聞こえたような気がした。
酷い、十四郎さん。
ガバッと、土方は身体を起こした。
一瞬、ここがどこか分からなかったが、副長室だと気づいて、ため息を吐く。まだ夜が明けたばかりで薄紅色を帯びている朝陽が、破れた障子の穴から差し込んで来ていた。
「……夢か」
まるで水でも浴びたように、大量の汗をかいている。
デキたから身請けしろと迫られたところまでは、身覚えがある。結局、ただ月のものが遅れていただけだったらしく、身請け云々の話は流れて、事なきを得たんじゃなかったっけか。若くてやんちゃをしていた頃の、ほろ苦い思い出だ。あの妓の名前も、今は忘れてしまった。
何故そんな昔話を蒸し返したのだろうかと、煙草盆を引き寄せようとして、隣で寝こけている山崎に気づく。それも、寝相が悪いのか夜着がはだけて、薄い胸がぺろんと丸出しになっている。その胸にいくつか咲いている鬱血の痕を見るまでもなく、昨日の痴態とその後の諍いを思い出した。
「冗談じゃねぇ」
つぶやくと、手を伸ばして山崎の襟を直し、あるかなしかの胸乳を隠してやる。
今さら自分が妻帯するなんて、考えたこともなかった。第一、そんな甲斐性があれば、その前にミツバを江戸に連れて来ていたはずだ。互いに惚れあって、それでも添い遂げられないと分かっていたからこそ、武州に置いてきた。そして、よその男の元に嫁いで、幸せになってくれればいいと。
そのミツバを差し置いて、自分が誰かと結ばれるだなんて、あり得ない。子どもだの、結婚だの、家庭だの、そういったものは、とうに自分の人生には縁がないものと諦めていたというのに。
なのにコイツは、あっさりとそれを覆そうとしやがる。
深くため息をつくと、土方は煙草を吸うのを諦めて、起き上がった。
たまには無心に竹刀でも振って、健康的に汗でも流すか。昨日だって、そうやって発散させておけば、ロクなことせずに済んだのかもしれねぇし。
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