Nicotiana【7】
篠原が居ればなぁ……と、何度めになるか分からない愚痴を胸の内で繰り返しながら、土方はため息をついた。
まぁ、もっとも、アイツが居たら今回の事態はまた、まったく違う方向に流れていただろう……伊東の許に奔る迄は、よく懐いていた……どころか、物静かな外面とは裏腹に、嫉妬深いところもあったから。
『ザキだから、女になったのを手ェつけたんですか? それとも、誰でも良かった? 例えば……俺だったら、どうでした? 抱いてくれました?』
最初の人体実験の被験者に、自分を選んでくれなかったことが相当不満だったのか、そう詰め寄られたことがあった。それに対して、土方は『そいつぁ、なってみねぇと、分からねぇな』と答えるしかなかった。答えようとすれば、単なるフェロモンの影響下だと言い切れない部分……山崎を正直、どう思っているのか……それを明らかにすることになる。
ただの部下というには狎れ過ぎてしまっている関係、だが恋人とはまだ、認めたくない……遊び相手? ストレス解消の道具? 便利に扱い過ぎている気もするが、それでも黙って傍らに居続ける空気のような存在。
篠原もそれ以上は追及せず……黙って、身を引いてしまった。彼の不貞を責める権利は、自分には無い。ただ、済まないことをしたと思うだけで。
『副長にとって、山崎は一体、何なんですか?』……その問いに、土方は未だに答えることができない。
それにもう、今となっては答えたところで、どうしようもできないことだ……首を振ってその記憶を追いやると、再び筆を走らせる。それからどれほどの時間が過ぎたのか、やがてカラリと障子が鳴った。
その音を背中で聞いただけで、土方は振り向いて相手を確かめることもせずに「俺ァ、忙しいんだ、後にしてくれねぇか」と、答えていた。
「そうはいくかよ」
吐き棄てた声の主が意外だったのか、土方はようやく手を止めた。
「原田か」
「おう……まぁだ仕事してんのか」
「ああ、こういうのが得意そうなヤツ、ひとりふたり居たら、こっちに回してくれや」
「俺んとこは荒っぽい連中ばっかりだから、ご期待に添えるようなヤツはいねぇな。そんなに忙しいんだったら、山崎をタナざらしにしてねぇで、使ってやればいいんだ」
「さっき、頼んでみたんだが、こういう仕事は大の苦手なんだとよ。俺だって得意じゃねぇんだがな……なんか用か?」
居座りそうな気配に、半ば諦め顔で手を止める。
いや、すっかり煮詰まって、これ以上分析をしてみても無駄かもしれないと思い始めたところだったので、むしろ「渡りに船」だったのかもしれない。
「まぁ、用というか、話……なんだがな。コーヒーいるか?」
原田に缶コーヒーを差し出され、受け取る。
「おう、サンキュ……無糖が良かったな」
「奢ってもらっておいて、贅沢言うな」
さすがに缶コーヒーにはマヨネーズを混ぜられないのか、土方も普通の仕種でプルトップを開けると、素直に口をつける。
「んで? 話ってなんだよ、原田」
コーヒーを飲めば自然と煙草が欲しくなるものらしく、土方は2センチほど吸い残しが残っている吸い殻を灰皿から拾い上げると、唇に挟んだ。
「山崎のことなんだが……アレ、今のカラダ、女だろ」
土方の動きが止まった。ぽろっと煙草が口から落ちて、畳を焦がす。数拍してから慌てて拾い上げた。
「いつ、知った?」
「何日か前だな。本人に聞いたところじゃ、アレが変化した翌日だ」
「しゃべったのか?」
「いや。こないだ、剣の稽古をつけて欲しいとか、珍しく言い出してよ。そんで手合わせしたんだが、どうも筋力がねぇというか。そういえば、身の丈も縮んだような気がして、どういうことか問い詰めたんだよ。まぁ、おめーらは、局中では内緒にすると決めてたそうだが……アイツが口割ったことは、怒らねぇでやってくれ」
「やけに庇うじゃねぇか。まぁ、よくつるんでた仲みてぇだから、魚心ってやつかもしれねぇが」
「茶化すな。まぁ、俺はいいんだ。別にアイツが男だろうと女だろうと、な。だけどよぉ、本人は『隊服着てたら胸なんて分からないから』なんて軽く考えてるようだけど、お尻とかやっぱちょっと丸いもんな。そのうち、誰かが気付くぞ。丘さんなんかはノンキに『ちょっと太っただけじゃないの?』って、トボけてくれっけどよ」
「ち。だから、あの格好で屯所をチョロチョロすんなと言ったんだ」
総悟はあの巨乳が目立つというので、あまり部屋から出て歩かないようだ。あえて言うなら便所と風呂と……あとは、さっきここに押し掛けて来たぐらいか。だからこそ、ちょっと部屋に居ないというだけで、さっきは近藤があれだけ必死になって捜し回ってた訳だし。
まったく。大体、なんでそんな時に、剣の稽古なんだ。山崎の阿呆が。
「チョロチョロも何も、アイツ、大部屋で寝る訳にもいかねぇんだから、アンタの部屋にでも置いてやりゃあいいじゃねぇか」
「ンなもん、どーせ、総悟の部屋にでも居るんだろ」
「そーご?」
「……あ」
沖田まで女体化していたとは知らなかったらしい原田が唖然と口を開き、土方は頭を抱える。やっぱりニコチンが切れると頭の回転が悪いったらない……後で、コンビニにでも買いに行こう……当分は使い走りしてくれる子もいないから、カートンで。
「そういえば最近、総悟を見かけねぇとは思ってたがな」
「まぁ、そういう訳なんだが、深く追及しねぇで、口をつぐんでてくれ。今抱えてるヤマで手いっぱいだから、あまり余計なトラブル抱え込みたくねぇんだ」
「それだったら尚更、山崎を目の届くところに置いておけよ」
そう言うと、原田は懐から煙草入れを取り出した。
土方の視線に気付いてその小箱を差し出し、1本抜かせてやる。
「そのうち、アイツのカラダが男か女か賭けようぜとか、剥いて検分しようとか、言い出す輩が出ても知らねぇぞ」
思いがけない言葉に、吸い込んだ煙草の煙がヘンな所に入ったらしく、土方はむせ込んだ。拳で己の胸を軽く叩きながら、突発的な咳が収まるのを待つ。原田は煙草を燻らせながら、それをしらっと見下ろすばかりで手を貸そうとはしなかった。
「そんなバカなこと……」
「てめぇがほったらかしにしてたら、充分あり得るだろ。ただでさえ男所帯で、週末にゃヘルスだのソープだの行って、有り余ってるのんを抜いてるような連中なんだ。冗談半分で剥いて、女だったりしてみろ。いい玩具にされんぞ」
咳が収まっても、土方は数拍の間、口に手を当てて考え込んでいた。
脳裏に、山崎が暴行されている姿でもよぎったのかもしれない。おとなしくその場を適当にやりすごすなんて知恵も働かずに、土方以外の男には指一本触れさせまいと必死で抗うだろうことは、容易に想像がつく。そしてその抵抗が、雄の本能を刺激して余計に嗜虐心を煽るに違いないことも。なにせ、自分ですらついさっき、沖田のフェロモンに陥落しかけたのだ。
唐突に内線電話を取り上げて、一番隊隊長室にコールした。五、六回呼び出し音が鳴っても、返答が無い。頬を強ばらせながら、続けて局長室にかけてみる。今度は即、受話器が取り上げられた。
「こんな時間にすまねぇ、その……ザキ、そっちに居るか?」
『あん? いや、ここにゃ居ねぇよ?』
近藤の声がくぐもっており、シュコーシュコーという雑音が混ざるのは、マスク越しだからだろう。
「……その、総悟に代わってくれ」
『おう』
やはりコイツらは一緒にいるのか、まぁ、連れて帰っているんだから、当たり前といえば、当たり前だが。背中に原田の視線が突き刺さってるのが、痛いほどに感じられる。
『なんですかイ。今、イイトコロだったってーのに、野暮ですぜイ』
「山崎は、テメェんとこに泊ってんじゃねぇのか?」
『山崎? 確かに初日は一緒でやんしたが、あとはアンタんとこでやんしょ? どうしやした、犬も食わねぇなんとやらで逃げられて、探してるんですかイ?』
けろりと言われて、土方は唖然とする。辛うじて「邪魔したな」と声を振り絞ると、受話器を置いた。
さっき、山崎がこの部屋を出て行く時、なんと言ってたっけ? 戻りますね、と言ってたよな。大部屋の訳がない。てっきりあれは、総悟の部屋にでも泊りに行くのだろうと思っていたが。
「まぁ、どうせそんなこったろうと思ってたがな。おめぇがそうやってほったらかしにして顧みねぇってんなら、アイツ引き取ろうか」
原田に声をかけられて、フリーズしていた土方が、ようやく我に返る。
「引き取るって……十番隊で、か?」
「俺が、さ。てめぇみてぇな冷血漢にいいように振り回されてちゃ、アイツも気の毒だろうがよ」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
振り向いて、宙に漂う紫煙と、その向こうに霞んでいる坊主頭を眺める。
「別に、アイツは俺の所有物でもなんでもねぇんだから、俺が『ハイどうぞ』と言えるもんでもねぇだろ。勝手にしろや……まぁ、本人の意志もあるだろうがな」
口の中が乾いて、口蓋にへばりついている舌を剥がすようにして、ようやくそれだけ言えた。もし、それで山崎が原田に乗り換えたとしても、それこそ自分にそれを責める資格も、引き止める権利も無い。
自分は、誰かひとりと選んで結ばれるつもりなんか無いのだから。いっそ、その方が本人にとっても幸せな筈だ。篠原の場合は……可哀想なことをした結果になったが、原田なら大切にしてくれるだろうし。
「本人が了承すれば、俺が引き取ろうが、誰にどうされようが、勝手だと……そういう訳か。つくづく情のねぇヤツだな、てめぇは」
薄情上等と切り返したいところだったが、なぜか「ま、山崎はそんなこと、了承なんかしねぇと思うがな」と、答えていた。
もしそうなった場合、引き止められないのは分かっているが、それでもアイツだけは出て行くことは無いはずだという根拠の無い確信。だが、篠原に対してだって、そう信じて甘えていて……そして裏切られたのではないか?
ち、と原田が舌打ちした。
吸っていた煙草を灰皿に押し付けると、さらに何か言いたげであったが、太いため息をつくと立ち上がり、縁側に出た。
「……邪魔したな」
「コーヒー、ごっそさん」
「さっきの話、真面目に考えておけよ。アイツに何かあってからじゃ、遅いんだからな」
そう捨て台詞を吐いて、原田が足音も荒く立ち去る。
土方は憮然とそれを見送っていたが、ふと、懐の辺りに手をやる。
「煙草買いに、コンビニにでも行くか」
そのついでに、山崎を探してやるか。
別に原田に言われたから気になったという訳じゃねぇんだがよ、と自分に言い訳をするように呟くと、土方は重い腰を上げた。
賑やかな足音の主は、叶禀三郎であった。
細身であどけない顔立ちは、黙っていれば女装のひとつもさせてみたくなるような美男子だが、一度口を開けば妙に甲高い声で、テンションがやたらと高い。しかも、今の山崎にとっては、非常に厄介なことに。
「ねぇねぇ、丘さぁん、あっちの方に、おぱーいの気配があるんですぅ!」
日頃は昼行灯のような抜けっぷりのくせに、どういう訳か、おっぱいのことに関しては異常な嗅覚を持ち合わせているらしい。
「はいはい。屯所は男所帯ですから、おぱーいなんてありませんよ、禀ちゃん。さっさと大部屋に戻って寝ましょうねぇ」
「そんなことを行っても、分かるんですぅ。こう、おぱーいの気配がピピピッて」
「女性が入り込んでいるとでも言うんですか? それとも女性の死体が埋まっていたりとか? それはそれで事件性がありますねぇ」
どっ、どうして分かるんだよぉおおおおお!
山崎は慌てて、ここ数日のねぐらにしている納戸に逃げ込み、内側から突っかい棒を立て掛けた。
最初は監察方の御用達になっている資料室で寝泊まりをするつもりだったのだが、想定以上に埃が酷かったのと、乱雑に積み上げた資料の山が今にも崩れてきそうだったのと、監察方の連中が思ったより頻繁に(仕事のためだけではなく、一服しに来たりなどで)出入りしていると気付いて、急遽、この納戸に私物入れの行李を持ち込んだのだ。布団はさすがに大部屋から担ぎ出すことができなかったので、蓆で代用している。寝心地はすこぶる悪いが、劣悪な環境は潜入捜査や張り込みなどで慣れっこだ。
屯所の北側の隅にあるこの納戸は、その存在すら忘れられているらしいのだが、扉の向こうの気配は確実に近づいてきていた。
「ほら、こっちには誰もいないでしょう?」
「んー……でも、こっちの方なんですよぅ。こんな時には……タララ、ラッタラー!」
なに? なんなんだよ、何を出したんだ?
激しく気になるが、扉の隙間からのぞいたりして、その物音で気付かれたら元も子も無い。山崎は、じっとりとイヤな汗をかきながら、逆になるべく扉から離れた位置に貼り付く。
「ただの針金のようですが?」
「これ、おぱーいが近くにあると、ぴこーんって反応するんですぅ」
「なんでしたっけ、それ……ダウンジングでしたっけ? そんなもんで分かるんですか?」
叶の暴走を止めてくれるかに思われた丘だったが、いつの間にかすっかり面白がっている様子だ。
(ひどいよぉ、丘さぁああああああん!)
薄い戸板一枚向こうの廊下で、ぺたぺたと足音が行きつ戻りつしている。
「あ、ほら、今、ぴこーんってしました!」
「おやおや、本当ですねぇ。アナタ、そんな特技があるのなら水道課にでも行ったらどうですか? 重宝されますよ」
「水道課に、おぱーいはありませーん」
「ここにだって、おぱーいはありませんよ」
「でもだって、ぴこーんてしましたぁ! おぱーいが電波を出してるんですぅ!」
「出るんですか、おぱーいから電波なんて」
「出ますよぉ。だって、携帯なんかも電波が悪いときは、おぱーいに挟むとビンビンになるんですから」
「んなもん、出るかああああああああああああああああっ!」
山崎は、思わず大声でツッコんでしまっていた。ヤバイと思って己の口を塞ぐが、もう遅い。
「おやおや、こんなところに物置があったとは」
「今の声、山崎さんでしたよね」
「そうですねぇ。でも、禀ちゃん。山崎ちゃんにおぱーいなんてありませんよ」
「分からないですよぉ。前におぱーいできたことあったじゃないですかぁ!」
「まぁ、そういえばそうでしたねぇ」
戸板がガタガタと鳴る。
あの細腕のどこにそんな腕力があるのか、突っかい棒どころか戸板ごと外してしまいそうな勢いに山崎は恐怖すら覚えて、いやいやをするように首を振りながら、せめて少しでも奥へ逃げ込もうと膝で這うようにして後じさる。
「やーまーざーきーさーん! 事実を究明しましょーよぉ!」
「じょ……冗談じゃないっ!」
「あれー? 事情聴取、拒否ですかぁ? じゃあ、セーアツ行使していーですかぁ?」
「よくねぇええええええっ!」
「セーアツ行使しまーすぅ」
制圧とは、事情聴取などの際に被疑者が暴れるのを取り押さえたりする、いわば公務執行の一環なのだが、この場合、微妙に用法が間違っているような気がする。
ガンッと戸板が蹴破られた。
山崎はもう逃げ切れぬと観念して、頭を抱え込むような姿勢に身を丸めて、目を閉じていた。そのまま、数拍が過ぎる。恐る恐る目を開けると、丘が叶を羽交い締めにしていた。
「お……丘さん」
安堵のあまり、思わず涙目になる。
「感謝するんなら、原田君にしなさいね。禀ちゃんに注意しておくように私に告げたのは、原田君ですから。いけませんよ、そんな土間で寝て、嫁入り前の身体を冷やしたら」
「嫁入り前って……し……知ってたんですか。つか、原田さんから聞いた?」
「いえ。でも、禀ちゃんのおぱーいセンサーは正確ですから、多分そうだろうと」
薄々勘付いていたとは、敢えて言わない。
愕然としていた叶が我に返ったのか「はなしてくださーい! おぱーいが目の前にあるのにーっ!」と喚いて暴れ始めたので、丘はその痩身を肩に担ぎ上げた。
「お、丘さん……どうせ止めてくれる気があるんなら、もっと早く阻止してくれたら良かったのにぃ」
「あははは。そうでしたね。いや、まさかホントにこんな場所にいるとは思わなくって……じゃ、失敬」
丘が悠々と戻っていく。廊下向こうで、騒ぎを聞いて駆けつけて来たらしい原田の喚き声が聞こえた。
「……まぁ、無事でしたから、今日はもう戻りましょう。こんな時間に寝所に押し掛けるなんて、野暮天もいいところですよ」
丘がおっとりとそう言って、原田も追い返す。
「それにこの子、意外と腕力があって、私ひとりじゃ骨なんですよ。手伝ってくださいな」
山崎はしばらくの間へたり込んでいたが、動悸が収まるとのろのろと立ち上がった。戸板に蹴破られた穴が開いているので、とりあえずガムテープで適当に補修することにする。
結局、土方はコンビニから帰ってきてから屯所中を捜し回ったのだが、山崎を見つけることができなかった。携帯電話にかけても『ただいま、電波の届かないところにいるか、電源が入っていません』とアナウンスが繰り返されるばかりだ。
しまいには、思いあまって近藤の部屋に顔を出し、防毒マスクを奪おうとする沖田と守ろうとする近藤が取っ組み合っている現場を目撃してしまった。
「何してんだ? 新手のプレイか?」
「うぉおおおお、良く来てくれた、トシケテ、総悟に襲われるぅ!」
「んだよ、トシケテって。妙な略語、作ってんじゃねーよ」
「だってぇ総悟がぁ……いや、正確にはあのフェなんとかってのが、くらくらして、正気を失いそうになるんだよぉ……トシ助けてぇ!」
「だから、失ってもいいって言ってやすのに」
総悟は、ぷぅっと可愛らしく頬を脹らせている。火照る身体を持て余して、土方の部屋にまで押し掛けてきたほどなのだから、相当欲求不満なのだろう。
「トシ、こいつなんとかしてくれよぉ」
「知るか。アンタの嫁なんだろ。慣れろ。あるいは解毒剤が届くまで我慢しろ」
正直、今の土方は犬も食わないナンとやらに関わっていられるほどの余裕はない。
「面倒だから、いっそ、いっぺんヤっちまったらどうだ、近藤さん。責任とるにせよ、とらないで元に戻すにしろ、別に大した問題はねぇだろが」
「おっ、土方コノヤローの分際で、今、いいこと言った!」
「よくねぇよ! トシまでそんなこと言って! 総悟は未成年なんだよ、バージンなんだよ、嫁入り前の娘なんだよ! ちゃんと嫁にしてやるまでは待てって言ってるのに、ホントに聞き分けのねぇ……まぁいいや。俺ァ、やっぱり同じ部屋で寝てて、貞操守れる自信ねーよ。トシ、ついでだから、コイツを部屋まで送ってやってくれねぇか?」
そう言いながら、近藤は有無を言わさずに予備の防毒マスクを土方に差し出したものだ。そのマスクに「手は出すなよ」と釘を刺されていることを感じ、土方は(先程の後ろめたさもあって)、片頬を引き攣らせた。
沖田を一番隊隊長室に放り込んで、自室に戻る。
原田に言われたことは気にかかるが……本人が居ないのだから仕方ない。多分、どっかに潜り込んでいるのだろう。俺が探して見つけられないということは、相当、巧みに隠れているのだろうし、もし何かあったとすれば大声で喚いて騒ぐだろうから、すぐに分かるはずだ。あるいは、同意の上で騒がずに受け入れているのならば、それはそれで自分にはそれを止める義理も権利もねぇ。いや、それでそっちに乗り換えてくれるんなら、結構な話じゃねぇか……などと、無理矢理ポジティブな理屈をひねり出しながら、布団に潜り込んだ。
それでも、その晩は寝苦しかった。
ち、原田のヤツ、余計なことを吹き込みやがって。
寝つけずにさんざっぱら寝返りを打った挙げ句、諦めて起き上がって煙草に火をつける。そのくせ、文机に向かう気力は無かった。
その事に気付いたのは今朝になってからだった。
女の身体になってから一度も着ていなかった『仕事用』の着物を着ようとして、違和感に気が付いた。
元々何かを仕込むことが出来るように、袂や胸元などに外からは判らないような収納を作ってある着物だが、襟元の僅かな解れに指が引っかかった。
「……あれ……」
どこかに引っ掛けでもしたのだろうかと目を凝らしてみると、普通にほつれたのであれば残っているはずの糸が見当たらないだけでなく、一度解いて縫った痕がある
「……げ」
慌ててその中に指を突っ込んで中を探るが、指に触れるものはない。
そういえば土方が吉村に何かをそっと手渡していた気配があったが……今思うとあれは、ここに隠しておいた素女丹入手に必要なルートのメモに間違いない。
「あれがあったら……ホントに解毒剤、見つかっちゃうじゃないかっ!!」
素女丹を作ったと目される宇宙海賊……この組織と繋がりがある場所を見つけ出して潜りこんだ結果、クスリの入手に成功したのだから、多分その読みは外れていないのだろう。
そいつらのアジトに入り込んだ時の情報や、最初に真選組に薬を持ち込んだ天人・ジョルジュの屋敷のセキュリティーロックの解除方法や、学者センセイの屋敷の金庫の鍵の番号に至るまで、蚤のような字でぎっちりと書き込んであるだけでなく、監察にしかわからない暗号を使ってるのも、同じ監察の吉村にはやすやすと解読できてしまう。
あの場で飛びついてでも、あのメモを取り返すんだった。いやいっそ、飲み込んでメモの存在そのものを消して、また一から調べ直せば……ってのも難しいよな。それ以上に、これで男の身体に戻された後に、性懲りも無く再び飲んだりした日には、今度こそ土方の堪忍袋の尾がブチ切れて、問答無用で除隊……いや俺の場合は機密事項握っているから、多分殺処分されるんだろうなぁ。そうなった時は、願わくば土方さんの手で……じゃない!
そういう意味で、今回は間違いなく自分にとっては、最大最後の賭けだ。
その賭けの道連れに沖田が居るのは不安といえば不安だったが、どうやら向こうはうまく行っているようだし……それでこっちにいい影響を与えてくれれば、いや与えてくれるのだと信じたい。
もしかしたら副長、吉村に渡す前にどこかに書き写してるんじゃ……?
前にも、偶然土方が取っていたメモによって、機密事項の完全消失が防げたということがあった。それを期待して副長室に乗り込んでいこうかと一瞬考えるも、思いとどまる。なにせ、土方には『きっちりと沖田を見張っておけ』と言われているのだ。
しかし、あのクソ生意気な胸が目立つからと、当人は部屋でおとなしく……否、出歩けず、火照る身体を持て余して悶々としているようなので、この調子なら沖田を残して一日屯所を空けても、大丈夫の筈だ。だが、土方にそれを馬鹿正直に報告して『外出禁止。副長命令だ』なんて改めて厳命されたら、沖田に頼まれているモノの買出しという名目で、調査の下見をしてこようと考えているのもパァだ。
それともう一つ。
昨夜ここが叶にばれてしまっているのだ。
沖田ではないが、叶も目を離したら何をするか分からないのと……あの謎のおぱーい電波受信能力で、自分が屯所のどこに隠れていても探し出してくるに違いない。これで迂闊に、のこのこ朝飯なんて食いに行った日には、食堂でまた「おっぱい!おっぱい!」と大騒ぎになるのが、目に見えている。
「……駅で、うどんでも食うしかないかな」
土方には戻ってきたら聞けばいい。
そう思うことにして、山崎は手早く身支度を済ませると、一人屯所を抜け出した。
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