Nicotiana【6】
「土方さん。ちょいと内緒で調べて欲しいことがありやして」
それから二、三日後。
珍しく沖田がやけに神妙な顔で部屋に来たかと思うと、夕飯も終わったというのに隊服のベストとスラックス姿のまま、文机に書類を広げている土方の隣に、ちょこなんと正座した。
「ン? なんだ? 俺ァ忙しいんだぞ」
どうせロクなことじゃないだろうと思いつつ手を止め、書類をトントンと揃えて文机の隅に置くと、沖田の方に向き直ってやる。
沖田の顔が、記憶にあるよりもずっと下方にあった。そして、さらに視線を下ろすと、単衣の衿からは、以前には存在していなかった膨らみと、その圧力とけなげに戦っている白いサラシがのぞいている。
「ほれ、見えてる、見えてる……どうしてこう、ザキといいテメェといい、妙に無用心なんだ。今のカラダは野郎じゃねぇんだから、もう少しキチッと衿締めておけや」
呆れ顔でその胸元に手を伸ばし、衿を掴むと軽く引き上げて、サラシが隠れるようにかき合せてやる。その土方の手に、沖田の華奢な指がそっと重なった。
「俺の身体……ヤれますよね?」
「はぁ?」
「山崎のん、胸が足りねぇだけじゃなく、あっちも不完全らしく、小さくて入りにくいって聞きやした。まぁ、土方さんの粗チンならソレでも不都合ねぇのかもしれねぇが、近藤さんのはアレだから」
「粗チンは余計だ。そして、アレだのソレだの、訳わかんねーよ」
こいつら……一緒に女に変化した者同士、妙に仲良くつるんでいるようだが……ふたりして何を話しているかと思えば、ろくでもないことを。まぁ、女のナリとはいえ中身は野郎なのだから、会話が多少下品でも仕方ないのだろうが。
「そんなもん、てめぇで検分したらどうだ」
「だって、俺、女のんがどんなのか、よく知らねぇもん」
沖田がしれっと言った。
土方は一瞬言葉を失い、思い当たってため息を吐く。
「そら、てめぇに女ァ教えてやろうと思って、昔、遊廓に連れて行ってやったのに、そこで食わねぇからいけねぇんだ」
「そんなん、何年も昔じゃねぇですか。純真な少年が、いきなり毛むくじゃらで赤黒いのんがパックリ口開けた観音様とご対面じゃあ、食う食わねぇもないもんだ」
「女なんて、そーいうモンなんだよ」
「もし俺のんが、あんなグロテスクだったとしたら……近藤さんに好いてもらえるかどうか、自信ねぇよ」
土方は軽く嫌な予感がして、隊服の内ポケットの辺りを探る。煙草が欲しかったが、こんなときに限って、切らしているらしかった。ち、山崎め、いつもは残二本ぐれぇで補充して……ああ、今の状態では使い走りにも行けねぇのか。まだ、監察の補欠要員のメドは立っていない。
「そんで? 俺にどうしろって? まさか、代わりに検分しろとか言うんじゃねぇんだろうな」
「そのまさかでさぁ。こんなこと、他には頼めねぇし」
「まぁ、確かによそでは頼めねぇだろうな。つか、俺にも頼んでくれるな……といって、そのままオン出したらどこで何しやがるか知れたもんじゃねぇな……しゃあねぇ。近藤さんに迎えに来て貰わぁ」
げんなりと吐き棄てて立ち上がると、ふすまを開けて部屋を出て行こうとする。その肘を背後から掴まれた。ぐりっと関節を握り込まれると、指先まで電撃に似た衝撃が走る。
「いでぇっ……!」
「恥をかかせねぇでおくんなせぇ。俺が珍しく下手に出ていやがるっていうのに、土方コノヤロー」
「全然、下手じゃねぇだろ、そらぁ」
振り払って腕を抱えて呻いていた土方だったが、立ち直って振り向くと、ギョッとした。
いきなり視界に飛び込んできたのは、サラシを外した沖田の胸元だった。真っ白い肌にサラシの痕のピンク色のラインが走っている双丘が抑圧から解放されて、今にもはみ出しそうにのぞいていたのだ。
己の両手でその襟元を掴んで、さらにぐいっと押し広げると、その柔らかそうな肉がぷりんぷりんと揺れた。
「なんのマネだ」
「ンー……女の武器?」
「いくら近藤さんがエロゲーマニアでも、テメェまでエロゲーの真似なんざしなくていい」
そう毒づきながらも、土方が半歩下がって息を詰めたのは、解放された沖田の胸元から、篭っていた甘い香りがもわんと立ち上ってきたのを感じたからだ。
「そんだけ見事な乳だったら、近藤さんだって問答無用で好いてくれるだろうよ」
「乳がこれで、アッチの方がガッカリだったら、余計に失望させちまうじゃねぇですか」
「そんな大事なモンを、本命差し置いて別の男に検分させようってのも、どうかと思うぞ」
「だから、内緒で……って言ってるじゃあねぇですかイ」
鼻を鳴らすような甘ったれた声をあげて、沖田がしなだれかかってくる。
「ねぇ、俺、ねーちゃんに似てる? それともねーちゃんより色っぽい? おっぱいは、ねーちゃんよりデケェですぜイ」
「テメェ、こんな状況でミツバを持ち出すな」
「何おっかない顔してんでイ。アンタ、いつまでもねーちゃんに拘ってるみてぇだけど、ねーちゃんは自分に構わずに前向いて歩けって、言い残したんだぜ。ねーちゃんを大切に思うんなら、その遺志を踏みにじんじゃねぇよ」
あまりに反論の余地がない正論に土方はグッと詰まるが、だからといって、その弟……変化しているから、妹というべきか……それも、よそに嫁入りしたいと言っているはずの生娘に手を出してイイという理屈にはならない。
それとこれとは、話が別だ。
「まことしやかなこと言ってやがるが、てめぇ今、単にサカってるだけだろ」
「あれ、バレやした?」
山崎はさすがに何度も女体化を経験してある程度慣れてきたようだが、沖田は若い分、自制がきかないのだろう。そして、放っている誘淫成分の量も。近藤じゃないが、フルフェイスの防毒マスクでもないと、太刀打ちできそうにもない。
後ずさる土方の背中が、ふすまに当たる。後ろ手で必死で引き手を探るが、なぜか見つけられない。次第に脱力して、身体がずるずると滑り落ちると、沖田がニィと笑ってその膝にのしかかって来た。
「だからって、なんだって俺なんだ。日頃から殺そうってぐれぇに、俺ンこと嫌いなんだろうが」
「まぁ、一応そういう設定になってますけどね……ほら、土方さん、女の扱いが慣れてるっていうし」
「設定いうな……てめぇ、どうなっても知らねーぞ」
「バレなきゃ別に構いませんや。ああ、でも、痛くするのは勘弁してくだせぇ。俺ァ打たれ弱いガラスのSなんで。あと、口吸われんもイヤだなァ」
「ち。勝手なこと言いやがって」
ため息をついて腕を回すと、色素の薄い髪を撫でてやる。沖田は撫でられるのが気持ち良さそうに、うっとりと目を細めた。
この期に及んでも、一応、どうやって逃げようかは考えているつもりなのだが、腕の中の仄かな熱と質量が心地よくて、ともすると頭の中が白く霞みそうになる。
「いぎゃああああああっ! らめぇええええええええええええっ!」
そこに、障子を突き破らん勢いで、山崎が転がり込んできた。
「ちょっ、沖田さん、なんだって沖田さんが、俺の土方さんに迫ってるんですかっ!」
「マテ。いつ俺が、てめぇの所有物になった」
「オイいいいいいいっ! 土方さんもツッコむの、そこかぁあああああっ!」
「いいから、喚くな。誰か来たらどうすんだ」
うんざりといった表情で、土方は沖田を左腕に抱きかかえたまま、傍らに落ちていた座布団を掴むと、バフッと山崎の顔面に投げつけた。
だが、山崎が乱入したおかげで、室内に風が入り込み、甘ったるい空気が流されたのは幸いだった。新鮮な空気を吸い込んで頭がスッキリしたようで、なおも甘えかかろうとする沖田を、なんとかポイと膝から放り落とす。
「まったく。いくら近藤さんがヤってくれないからって、寄りにも寄って土方さんなんて……サカってるんなら、オトナのオモチャでも使えばいいじゃないかぁ!」
「だって、そんなもん痛そうじゃねぇか。第一、持ってないし」
「要るんだったら、いくらでも押収品が資料室にありますよっ! 教材に裏ビデオとか。それで我慢してくださいッ! ともかく土方さんに手を出すのは許しませんからっ!」
「サラッと言ってるようだけど、押収品を私物化したら横領罪になりやすぜ? つか、監察方の資料室って、何の資料集めてやがんでイ」
ぎゃあぎゃあ騒いでいるのを横目に、なんとか冷静さを取り戻した土方が、内線電話の受話器を取り上げる。何回かコールしても出ないので、局長室に居ないのだろうかと、今度は携帯電話の方にかける。
「もしもし? 俺だ……ヲイ、近藤さんよ。沖田来てんぞ、こっちに」
『えええええっ! 総悟の部屋に居ないと思ったら、お前んとこ? なんでだよ!』
「知るか。アンタの躾がなってねぇからだろ。いいから連れ帰って、あのメス犬に、しっかり首輪でも付けとけ」
『メス犬って何ッ!? ちょっ、なんかあったの!? なんかやらかしたのぉおおお!? オイ、トシぃいいいいい!』
さらに何か言いたげに、近藤が受話器の向こうで喚いているのを叩き切った。
土方は、フーッとため息をついて内ポケットを探るが、煙草を切らしていることを思い出し、灰皿から、やや長く残っていた吸い殻を拾い上げてリサイクルすることにする。やや湿気て火がつきにくい吸い殻と格闘していると、それに気付いたのか、ふたりが「ちょっ何、他人のような顔してるんですかっ!」「誰がメス犬だ土方コノヤローというか、俺がメス犬なら、こいつはバカ犬じゃねーか」などと、まとめて迫ってくる。
そこに、バタバタバタ……と暴力的なまでに慌しい足音が近づいてきた。すぱーんと障子が勢い良く開く。
「そぉごーーーーーーっ!!」
血相を変えて飛び込んできたフルフェイスの防毒マスクに「お、きたきた、助かった……近藤さん、コイツを連れて帰ってくれ」と言って、沖田の身体を押しやった。もう、あのマスクにツッコみを入れる気力は無い。むしろ、自分も1個装備すべきだろうかと、かなり本気で考える。
一方の近藤は大きな掌でその両肩を掴むようにして、沖田を抱きとめるなり「総悟、大丈夫か? トシに何かされてないか?」と、喚いた。
「……って、そっちかいいいいいっ!」
いくら総悟の身を案じていたからといって、ソレは無いだろう。
もちろん、実際に危うく手を出しかけていたので、土方の顔は真っ赤になっている訳だが。
「土方さんには、まだ何もされていやせんぜイ」
「まだって何ソレ、そーごくん、まだって?」
「土方さんはツレなかったんですが、危うく、山崎にオトナのオモチャで犯されるところでやんした」
「は、はぁ!?」
「いや、そのソレはその……あははははははっ……と、とにかく局長! 沖田隊長のテイクアウトをお願いしますっ!」
「まぁ、よく分からねぇが、トシは未遂ってことだな。トシにさえ手ェ出されてねぇんならいいんだ。総悟の貞操が無事で良かった」
「ちょっ、近藤さん、俺にさえって、何その基準!」
「うるせぇ。てめぇは眉ひとつ動かさねぇで、おにゃのこ剥いて検分するようなやつじゃねーか」
「いや、それはその必要があったというか……大体、中身は男じゃねーか!」
近藤はその土方の必死の抗議を華麗にスルーして、沖田を軽々といわゆる『お姫さまだっこ』の形に抱き上げる。沖田はそのガスマスクが不満らしく、手を伸ばしてそれを外そうとじたばたしていたが、近藤はそれには構わずに「邪魔したな」と言い残して、開けっ放しの障子から出ていった。
「ち。山崎、てめぇも出てけ」
「なんで俺まで邪魔にするんですかっ、折角ふたりきり、夫婦水入らずタイムになったのに!」
「なんでじゃねぇよ。つか、何が水入らずだよコノヤロー……俺ァ、まだ仕事が溜まってんだよ。邪魔だ」
「だって、ホントに何もなかったのか検分させて貰わないと、俺、心配で帰れません。だってほら、スカーフが乱れてるし」
そう言うと、血相を変えて膝でにじり寄った山崎が、土方の胸元に手を伸ばそうとする。さすがにしつこかったか「検分って何だ、検分って。てめぇもサカってんのか?」と、軽く頭を引っ叩かれた。
「……でっ! DVだ、DVッ! ドメスティックバイオレンスですっ!」
「うるせーよ。まったく、総悟とふたりしてロクでもねぇ」
「何をしてらしたんです?」
諦めて、山崎は散らばっている資料を覗き込んだ。要するに、これをなんとかしないことには、土方は構ってくれそうにもないということか。
「つか、何この書類……インボイス?」
どうやらそれは、輸入関係の書類の写しであるらしいのだが、見慣れない記号と凄まじい数字の羅列に、山崎はクラッとめまいがしそうになる。
「通関の知り合いから、こっそり写しを貰った。攘夷志士ともつながりがあると噂されてる商家の、ここ数年分の輸入実績なんだが、急激に扱い量が増えてるとか、項目が変わってるとか、そういう変化がみられねぇかと……つまり、回鍋肉との繋がりが最近できたものだとすれば、それに伴ってなんかの変化が出るんじゃないかと考えたんだがな」
「はぁ」
「ほぼ同じ時期に活動が活性化した天宙組と、新規参入してきた回鍋肉に、なんらかの繋がりはねぇかと思ってよ。なんせこれらを平行して別々に追うのは難しいし、かといって、助太刀の駄賃に手柄を見廻り組にくれてやるのも業腹だ。関係ありそうな勘ばたらきはあるんだが……同一のヤマとして両方真選組で扱うんなら、つるんでる根拠を示せと、こないだのレポートを見たとっつぁんが言い出して。それで、この平松屋に目ェつけたんだが、そう簡単には尻尾を出してくれねえな」
監察方には、そういう情報処理が得意な奴も居た筈なのだが……いや、本来ならば、その手の資料は日頃からキチッと分析してあって、土方が「オイ」と言えば「ハイ」と答えて、パッと出て来なくてはいけない。
「副長……吉村に戻って来て貰った方が良くない? 俺のカラダの解毒剤なんか要らないから」
「うるっせぇな……ち。せめて篠原が居たらなァ」
「じゃあ、俺が現場復帰しますから、尾形あたりにさせたらどうです?」
「それも却下だ……どうしても仕事したいんなら、資料室の整理でもしとけや。おめーら、分類も分析も整理整頓も、篠原に全部押し付けてただろ」
「そーいえば、アレが居なくなってからは、資料室もすっかりただの倉庫になってますものね……でも、いくら俺が地味でも、あのカオスと独り闘うのは、ちょっと」
「ち。役に立たないヤツめ……そうだ、どうせなら、これ、おめぇがやるか?」
「済みません、俺そーいうのも、大の苦手です」
「……俺だって、数字が得意でやってんじゃねーよ。まぁ、おめぇにこーいう仕事は期待してねぇが……それにしても厄介だよな。数字が単純に増えた減っただけじゃ、単に業績が好調で、なんてつるりと逃げられるしな。帳簿に載ってこないような取引があれば、そいつがアヤシイわけだが」
苦笑いすると、机に向き直る。
その背中が妙にくたびれているようで、山崎は、もうこれ以上は休んでいられないという切羽詰まった気分になった。もちろん、書類仕事でも手伝ってやれば、少しは楽にしてやれるのは分かっている。だが、それよりも、もっと効率的な仕事の仕方がある。自分の得意分野は潜入捜査だ。
この身体でも出来ること。いや、この身体だからできることがある。
「じゃあ、俺……戻りますね」
今晩は一人になって、じっくり考えてみよう。どこに潜入して何になりきれば、求める情報が得られるか。
「おう、おやすみ」
土方は書類に視線を落としたまま、ボソッと答えた。
「副長も、ほどほどに眠ってくださいね」
それに対する返事はない。返事をするのも面倒くさかったのか、それともほどほどになんぞ眠れないと思ってあえて答えなかったのか。廊下に出ると、原田とすれ違った。
「副長、まだ起きてたか」
それに軽く頷く。こんな時間に原田が副長室を訪れるなんて珍しいなと思うが、それについて尋ねる前に、向こうからパタパタと駆けてくる賑やかな足音に気付いた。
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