Nicotiana【3】
「沖田さん、朝ですよ」
呼びかけてくる声と共に、ゆさゆさと揺さぶられる。
「んぁ……あと五分」と、いつものように答えれば「それ、三回目ですよ」と即座に返され、更に激しく揺さぶりにかかってきたため、仕方なく目を開ける。
夕べ遅くまで喋っていたせいで、激しく眠い。
「山崎……お前寝起き良いんだなぁ」
「伊達に監察勤めてるわけじゃないです」
既に着替えだけでなく洗顔も済ませてきたのかすっきりとした顔で、ちょこんと布団の横に正座した山崎は、誇らしげに笑う。
「あーはいはい、それは結構なこってぇ」
むくりと起き上がると、沖田の乱れた胸元から乳房が片方零れた。
「それ、ちゃんとごまかさないとですね」
「山崎、お前は?」
「困ったことに、これでぼぼごまかせるんですよね」
苦笑しながら、山崎は隊服の前を開いて下に来ていたインナーを胸元までめくり上げる。胸の頂点に二枚重ねて貼り付けられているのは、どう見ても。
「おめぇ、何貼ってやがる」
「絆創膏です。ブラジャーするとカパカパするし、しないままでいたらトップが透けるから」
「俺もそれで済ませちゃまずいですかねイ?」
「絶対駄目です。俺と違って、隠しようがないくらい見事な代物なんですから、どうにかしないと便所にも行けませんよ」
そう言われて、未ださらけ出されたままの膨らみを、ぽふんぽふんと自分の手で弄びながら「何かイイ方法あるかイ?」と沖田が問えば、山崎は用意していたらしく、傍においてあった布袋からするりと何かを引き出した。
「まずは駄目元で、コレ付けてみましょうか」
それは女装での捜査時に使っていたブラジャーだった。
何が口惜しいって、今の体にはそのBカップすら余っていて……ここに持って来る前に、そっとトイレの個室で、どれくらい詰め物をしたら本来の役目を果たすのだろうと試してみたところ、厚手のパットを3枚入れてやっと……というあまりにも寂しい状況。今回も、自分はこれに縁がなかったようである。
小さい胸乳にはカパカパでも、ボインを押さえつけるくらいの役には立つのではないかと考えてみたのだが。
「……出した俺が馬鹿でした」
予想以上のぷるんぷるんに弾き返され、押さえるどころかブラジャーとして包む役目すら、ろくに果たすことが出来なかった。
「んじゃ、これ試してみましょうか……」
次に取り出したのはサラシだ。これならば自分でも巻けるだろうと、沖田が受けとって胸元に巻きつけ始めたものの、腹に巻くのとは勝手が違う。きっちりと押さえ付けられないどころか、いつの間にか緩んでくる。
四苦八苦しながらどうにか巻き終わってみれば、当初よりも目立たなくはなったものの、明らかにいつもと違う膨らみと……何よりもその上部に、谷間への入口が出来てしまっている。
「山崎ぃ……なんか収納スペースが。やっばり手伝ってくんねぇ?」
しゅるしゅると解いて足元に落ちていくサラシを巻き直して、あらためて山崎はその強敵と対峙する。
「いわゆる『生娘独楽廻し』の逆でいきます。俺が『お代官様』役で、サラシを押さえて引っ張ってますから、『生娘』はゆっくり自分で回ってください」
それで硬く巻きつけようとしたが、やはり思うようにいかない。姿見の前で二人が溜息をついたその時。
『おーい、総悟、山崎、起きてっかぁ?』
障子の向こうからの声に、二人ともはっとする。
「局長、少し待ってください」
「ちょうどいいや、近藤さんの馬鹿力で巻いてもらった方がいいかもしれねぇ。ちっと入って来て貰えますかい?」
『おぅ。手ぇ塞がってっから、ちょいと戸開けてくれや』
職務上、いつもなら誰かが来る足音にはすぐ気付くのに、それすら分からないほど真剣にあれと戦っていたのかと、山崎は苦笑しながら障子を開ける。近藤の手には食事の載った盆があった。
「おめぇらのナリじゃ、食堂に来れないんだろうと思ったからよ。持ってきてやったぜ」
「さすが近藤さん、優しいなぁ」
山崎に盆を手渡した近藤の傍に、沖田がちょこちょこと、一周だけ自分で軽くサラシを巻きつけた状態で歩み寄る。
「うおぉ………っ!!」
まさかこんなに早くむちむちプリンとご対面とは思ってもいなかっただけに、思わず声を上げてしまった近藤の口を、沖田の手が塞ぐ。
「大声を上げないでくだせぇ……このおぱーいじゃ部屋から出れねぇんで、これで押さえようって思ってるんですけどね。うまく巻けないんでさぁ。ちっと助けてくれませんかぃ?」
残った片手でサラシで半ば隠れた胸元を押さえて、見上げてくるその仕草と表情がまた、近藤の萌え萌えポイントを打ち抜いたらしく、こくこくと藤屋の人形のように、近藤が何度も頷く。
「ふ……普通の巻き方でいいのか」
「上の方から、きつめに巻いてあげてください」
山崎の指示に従い、近藤は震える手で沖田の胸に布を巻きはじめた。
一巻きするごとに余った布を引いて締め上げると、沖田の口からは苦しげな息が漏れ、その度に近藤の手が止まる。
「く……っ。かまわねぇから、ぎゅっとやってくだせぇ」
トン、と近藤の胸に額を押し付けまた小さく息を吐く。
……総悟……ホントに小さくなっちまってんな……。
元々近藤と比べて身の丈が頭半分低かった沖田だが、今あらためて並んで立ってみると、女の姿になったことでさらに小さくなってしまっているのが実感される。
「これで最後だぞ……っと」
サラシの端を押し込み、無事一仕事終えたことに、ふぅと近藤は息を吐く。
「ありがとうごぜぇやす……うーふ……」
ようやく三角山から台地くらいにまで落ち着いた胸元をぱむぱむ叩き、予想以上の苦しさに沖田は浅い呼吸を繰り返す。
「おい、大丈夫か? やっばり締めすぎだろ。せめてメシ食ってからやるべきだったか?」
「食ってから締めると、吐いちまいまさぁ。当分内緒にすんなら、この状態にも慣れとかねぇと」
文机の上に置かれた朝食の前に腰を下ろして、箸に手を伸ばした沖田の頭の上に、ぽむ、と近藤の大きな手が置かれる。
「どうなるか分からねぇけどよ……俺ァ、お前の気持ちはよーっく分かってっからな。それで一晩経ってどうだ? 気分とか悪くねぇか?」
「心配してくれたんでやすか! さすがは近藤さんだ。惚れ直しましたぜ」
「当たり前だろうが。訳分からんクスリ服んじまってんだからよ。一応、地球外のテクノロジーだから……どうなったか気になるじゃねぇか」
「んー……息苦しい?」
山崎が入れてくれた茶を一口飲んで、小動物のように首を傾げた表情はとても可愛らしい。
「そりゃ、こんだけぎぅぎぅに押さえてんだからよ」
近藤が斜め前に座っている山崎にちらりと視線をやり、沖田と見比べていると、それに気付いた山崎が「局長、おっしゃりたいことは、よーっく分かりますけどね」と、ぼそりと呟く。
「いや、ここまで個人差が顕著なのもなぁと思ってよ」
「色々クスリ飲んで、身体慣らしちゃってますからね、俺。それもあって、中途半端に効きづらいんでしょう」
面白くなさそうにそう答えて、山崎はボリボリと付け合せの漬物を齧る。
「おめぇ、そんなことしてたのか」
「ぜーんぶ、土方さんへの忠誠心からやったらしいですぜ」
やはり苦しいからか、飯に汁をかけて流し込むようにして食べていた沖田が、昨夜聞いたことをさらりと暴露する。
「……ばらさないでくださいよ」
「いいじゃねぇか。恥じることじゃねぇだろ。おめぇの地味な努力がどんだけかっての、ちっとは近藤さんにも知っておいて貰ったって、バチは当んねぇぜ。その土方さんは、可愛い部下の様子も見に来ないんでやすか?」
「トシは、松平のとっつぁんに渡しちまいたいレポートがあるって言ってたから、今頃、部屋に篭って仕上げてるんじゃねぇかな」
「けっ。こんな時まで仕事けぇ」
「仕方ありませんよ、仕事の『鬼の副長』ですから……副長、朝ご飯は食べたんですかね?」
「いや、トシと朝飯が一緒だったんだよ。で、午前中にとっつぁんが来るって話した途端に、アイツ、マヨ飯に味噌汁ぶっかけてカッ込むと、飛んでっちまった。で、俺が食い終わっても、おまえら二人が来ねえから、こうして来てやったってぇ訳だ」
「ますます惚れ直しましたぜ、近藤さん。ちゅーしてあげまさぁ」
ふわりと沖田が近藤に抱きつくと、風に乗ってほんのり甘い香りが漂った。
「こらこら、女の子がはしたないことしちゃいけません」
だが、窘める近藤の表情はまんざらでもない様子である。
「あ、俺ちょっと副長の様子見てきます」
その睦まじい様を眺めているうちに、一人仕事をしているという土方の様子が気にかかり、山崎は食べる手を止めて立ち上がった。
「飯食ってからでもいいんじゃねぇのか? トシが慌ててんのも、後で届けるのが面倒だってだけなんだからよ」
「食い差し置いていかれると片づかねぇから、食ってからにしなせぇ」
二人にそう言われ、山崎は朝食を腹に収めると、沖田が食べ終えるのを待って、空食器のトレイを手にいそいそと部屋を出て行った。
「近藤さん、二人きりになりましたねぇ」
沖田がそう言って見上げると、近藤の顔がみるみる赤くなった。第三者の目があった時はそれなりに理性が働いたのだが、そのやせ我慢もそろそろ限界かもしれない。
「じ、じゃあ、俺、仕事があるからっ!」と喚きながら、近藤は転がり出るように部屋を飛び出した。
「副長、おはようございます。山崎です」
副長室の障子の前に膝を付き、中からの返事を待つと、しばらくして「あぁ」とおざなりな返事がした。からりと開けて一歩、中に足を踏み入れると、文机に座った土方を中心に、点々と書類が散っていた。
「ナンバリングしてあるから、その通りに並べてくれ」
書類に落とした目とペンを止めないまま命じられて、山崎は言われたとおり書類を並び替え、ざっと全ページに目を通す。
「この『回鍋肉』って、新興密輸組織ですよね?」
「この間捕まえた奴の口から出やがった。次から次へと、よく出てきやがる」
ぱさ、と新たな書類が山崎の前に置かれる。それを追加しろという意味だと理解して、前後の文脈を見て挿入ページを確認し、もう一度最初から読み直して誤字などがないかも見直す。
「大丈夫だと思います。まだ追加はありますか?」
「とりあえずいい。あ、ホチキス止めしとけよ」
ふぅ……と一息つくと、土方は新たな煙草を咥えて火をつける。
流れてくる煙の香りに、そういえば昨日はこの人が煙草を吸っているところを見なかったなぁ……と考えていたら、不意に声をかけられた。
「あぁ、お前しばらく仕事しなくていいぞ」
予想外の言葉に、えっ? と聞き返す。
「その体じゃ、色々支障があんだろ。監察としても動けねぇだろうが」
「……いや、できなくはないですけど」
筋力がなくなってる分は身の軽さでカバーできるし、上着を着てしまえばいつもと変わらず市中見回りだってできるから、何も問題はないはずであるが。
「何かがあったら、こっちも困んだよ……しばらくおとなしくしとけ。分かったな」
山崎は『何もせず休んでいていい』というのは、土方なりの配慮なのだろうと解釈し、その心遣いに口元が勝手に緩む。
「あい……」
「どうしても仕事がしてぇってんなら、何か任務を考えてやろうか?」
ニッと口元に底意地の悪い笑みを浮かべて言われた瞬間、山崎は勢いよくぶんぶんと頭を左右に振ってしまった。過去の経験則上、それが面倒事だろうことは、ほぼ確実だからだ。
「だったら、総悟が余計なことしねぇように、きっちり様子みとけよ。総悟は何かあっても自衛できっから、外に出てくのはかまわねぇが……屯所ん中を、そのナリでうろうろすんじゃねぇぞ」
山崎を娶る娶らないは置いておくとしても、あの身体である間は、アイツは戦力外とみておいた方がいいだろう……という認識を、土方はしていた。
女だからといって、全く仕事の役に立たないことは無い筈なのだが、その辺りは土方の思考が古いのだろう。
だが、その他のメンツといっても……篠原は居なくなった、吉村を解毒剤入手のために出したとなると……その他の連中では、格が多少落ちる。通常勤務だけでも手一杯で、資料の分析や雑用をしてくれるほどの余裕は無さそうだ。
ち。新人でも引き抜いて便利に使えるように仕込むか。まぁ、山崎が元の身体に戻ったとしても、イザというときの補欠要員に使えるし、即戦力にはならなくても使い走りぐれぇは……と、土方は隊士名簿を広げていた。
「副長、これ、例の、天宙組とかいう攘夷志士のアジトの情報……」
そこに、七番隊隊長の丘三十郎がひょっこりと顔を出した。土方はその報告書を受け取って、ザッと視線を走らせる。
「おう、すまねぇな……なんだ、候補地が数カ所あるのか。このままじゃ、何手かに分かれねぇと捕縛は難しいな、こりゃあ」
「監察方からの情報が入ってこないから、これ以上は絞りきれませんよ」
丘がおっとりとした口調で、サクッと痛いところを突いてきた。
「そいつぁ、心底申し訳ねぇと思ってるよ。今、ちいとばかり監察方が人手不足で。そこで、だ。丘さん、誰か使えるような、気が利く若ぇのいねぇか?」
「えー…居なくもないけど……副長の食指が動くタイプかといわれると、ちょっと」
「人聞きの悪いことを言うなッ」
「だって、なんとなく似たようなタイプで揃えてるじゃないですか、監察方の子って」
「偶然だ」
そうかなぁと、丘は首をひねる。
結構、キャラがかぶってるのが多いような気がするんだけど。それも、あれだけ遠慮会釈なくコキ使っておきながら、全員が土方を熱烈に慕っているのだから、理解に苦しむ。
口さがのない連中は「監察方は、副長のハーレム」とまで言っているらしい。
「こっちだって、人が余ってる訳じゃないんですよ……叶なんてどうです。多少電波だけど、地頭はかなりイイと思いますよ」
「あれはダメだ」
「好みじゃない?」
「そうじゃなくて。あいつぁ変に目立つだろが。監察に使うならもっと地味なタイプだ。第一……」
お偉いさんのコネ入隊だから弄くり回せない、というのは呑み込む。これは、あまり公にしていいことじゃない。
「第一? まぁいいや…分かった。誰かイイ子が居ないか、他に聞いてみますね」
丘がそう言って、副長室を出ていく。土方は障子が閉じるや、名簿の監察方のページを捲っていた。居並ぶ氏名を指でなぞりながら、各々の容姿を思い浮かべる。
「そう言われれば……似てる……のか?」
だが、選んでいる本人に自覚は全く無いのである。
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