素女丹騒動記外伝/中


「今のはお前が悪いぞ、総悟」

その声と共に、不意に、畳みがパタンと持ち上がった。山崎が驚いて小さく悲鳴を上げ、とっさに土方がその山崎の腕を掴んで、自分の傍らに引き寄せた。まったく、副長室でも油断ならねぇってのか。
畳の下からは、日頃のストーカー技術を遺憾なく発揮した近藤が、ニュッと顔を出す。

「総悟、おまえは漢として、おっぱいに対する敬意がなっていない」

「近藤さんの好みは、巨乳ロリータだと思ってやしたが?」

「甘いな、総悟。人は常に進化し続けるのだ。お妙さんとの出会いによって、俺はつるぺた幼女体型にも深い敬愛の念を抱くことができるようになったのだ」

「すげーや、近藤さんが轟音立てながら、ただのエロゲーマニアからペドフィリアへの進化を遂げていくのが、手に取るように伝わりまさぁ。明日の瓦版の見出しは、真選組局長児ポ法で逮捕、ですかい?」

「・・おめーら、そういう会話はよそでもできるだろ。わざわざひとの部屋くんなや」

「だから、俺は昼寝をしに来たんでさぁ」

「俺はその、局中の風紀が乱れないか、局長として心配して見に来ただけだ」

近藤も沖田も、限りなく真顔だから始末が悪い。
土方はハーッとため息をついて「あーそうけぇ。俺らは仕事だから、遊んでやれねぇからな。適当に飽きたら帰れ」と、吐き捨てるしかなかった。山崎もそろそろと土方の傍らに寄って「これはマル秘扱いになっているので、とりあえず副長が開封して目を通してください。こっちの束は俺が見ます」と、仕分けた書類を差し出して、仕事に入ろうとする。

「だーかーらー・・目障りなんだイ、そこのメスイヌがっ!」

沖田がイライラと山崎の衿首を引っ付かんで、引き倒した。

「総悟ッ! おっぱいをそんなに乱暴に扱っちゃダメだって!」

「ちょっ、局長、別に今、胸に攻撃された訳じゃないから。というか、なに? そのおっぱいって呼び名!? 俺の呼び名なのっ!?」

「ち。分かりやした。近藤さんがそこまで言うンなら、メスイヌのおっぱい略してスッパイということで」

「ちょっとおおおお! 何の話ッ!? それ、なんの話してるわけっ!? 山崎って名前がちゃんと有るから、俺ッ!」

「うるっせぇって言ってんだよ、スッパイふぜいが」

「いや、だから何その呼び・・ヒッ」

近藤が止める間もあればこそ、沖田は山崎の胸を潰すように膝をつく形で馬乗りになり、小太刀を抜いていた。

「土方さん・・アンタ、こいつが他のんにヤられるのがイヤなんだろ? そんなん簡単なことですぜい? ふた目と見られねぇぐらいに顔潰しちまうか、この余計な脂肪の塊をぶったぎってしまえばいい。なんだったら、子袋だってえぐっておいてやりまさぁ」

ひたりと、刃先を山崎の頬に当てる。沖田はククッと喉を鳴らすと、唇を舐めた。その舌が異様に紅い。

「切り取ったのは、局長に献上しまさぁ。好きなんでやしょう? おっぱい」

「あ、いや、その、おっぱいはテイクアウトには不向き・・てゆーか総悟、落ち着け・・・トシもなんとか言ってやれよ!」

「“なんとか”」

「オイいいいいっ! トシぃいい!」

「・・ふっ、副長ぉおおおおおお!」

沖田が唇の端をニィッと吊り上げて、小太刀を持つ手を振り上げる。だが、その白い手首が翻って鮮やかな下降軌道を描き始める寸前に、土方がボソッと「やめておけ」と、振り向くどころか、封書を開ける手を止めもせずに吐き棄てた。
その声色に何を感じたのか、沖田の指の動きは優雅さを一瞬失い、小太刀が鳥のようにパッと飛び出した。自由落下と慣性の法則に従い、小太刀はクルクルと回転しながら床に落ち、最後は山崎の頬を掠めて畳みに突き立った。

「・・なんだっていうんだい、まったく、アンタ・・ッ!」

苛立たしげにそう呟くと、その小太刀に掴み掛かり、もう一度振り上げて、振り下ろす。
今度は顔からやや離れた着地点であったが、その代わりに小太刀の柄までぐっさりと突き刺さっていた。小太刀はそのままに、沖田はパッと立ち上がると、愛刀菊一文字を抜いて、土方の背に向かって構える。

「そんなに、女の方がいいんですかイ? それとも山崎だから?」

「さっきも言ったが、俺らは今、仕事だから遊んでやれねぇんだ。悪いな、総悟」

「・・ち。土方の分際で良識ぶりやがって。アンタ、コイツ庇ってるふりして、結局、自分がヤりてぇだけなんだろ?」

そう決めつけると、八つ当たりがてらに床の間の柱に斬りつけてから、刀を戻してバタバタと出ていった。その足音が遠ざかると、土方は指が白くなるほどの力で握りしめていたペーパーナイフを、無表情のまま文机の上に放り出した。

「だっ・・大丈夫だったか? おっぱい?」

「ええ、大丈夫でしたが・・・って、局長、おっぱいって誰? 俺、山崎っすから」

「まぁ、しかし、総悟のことを悪く思わないでやってくれ、おっぱい。あいつぁ、幼い頃に母親を亡くしている上に、あの性格でカノジョなんてできた試しがないから、おっぱいに対するロマンや愛情を感じることなく育った、可哀相な身の上なのだよ、おっぱい」

「もしかして局長、おっぱいって言いたいだけっすか? それとも今の俺の人格、おっぱいしか認められてないんすか? 俺の全人格は、おっぱいに負けてるんすか?」

「つるぺただからと落ち込むな、おっぱい。幼女には幼女の萌えがある」

「いや、別に今、サイズの話してないから。というかその発言、児ポ法的に完全にアウトだから。そして俺が山崎だって言ってるの、聞いてます?」

そして、沖田と入れ代わりに、河合がひょっこりと顔を出した。

「副長。これ、山崎の着替え。一応、隊服と私服と両方」

「おう。すまんな。山崎、隊服着ておけ。それで見苦しくなくて済む」

「み・・見苦しいんですか、俺は」

「・・・それと、幕府のお偉いさんと杉田乱伯って学者さんがいらしたんですが、お通ししてよろしいですよね?」





編み笠を脱いだ高官は、ジョルジュ長岡と名乗った。
一見、地球人のように見えたが「レポートは読んだよ。症例を聞いて、それに類いする方面に絞って再び検索したら、それらしいものが浮かんでね。お手柄だよ」という第一声の妙に甲高い声で、実際には天人らしいと知れた。

「そいつぁ、どうも」

本当は見当がついていたけれども、人体実験に踏み切れなくて、こっちに「正体不明の薬」として回したんじゃないか? そうでなければ、レポートを送ってからのこのレスポンスの早さは解せない。もちろん、それを追及しても何の得にもならないので、黙っておくけれども。

「それらしいもの、ってのが何なのか迄は、教えて貰えねぇのかな。こっちは殉職覚悟で身体張って調査したんだ。それぐれぇ、知る権利ありそうなものだがな」

「ト、トシ、高官に向かって、失礼だぞ」

「てゆーか、副長、ホントに俺が殉職する可能性込みで、飲めって言ったわけだ」

「いいよ、構わんよ。はっきりしたことは言えないが、天人のある一部族のために・・というか、その部族を不当に利用するために開発された非合法な薬だったらしい、ということぐらいまでは、教えてもいいだろう。地球人にも似たような作用があることは、初耳だったがね・・こちらの隊士さんかね?」

「は、はい」

「ふーむ。一見、そう大きな変化は見られないようだが・・より詳しく調べたいので、連れて帰っても構わないかね?」

山崎が、チラリと土方の方を見やる。土方は憮然とした表情のまま、煙草を燻らせていた。

「なるほど、幕府の方で保護して貰うんなら、心配ねぇだろ。なぁ、トシ。ここにおっぱいを置いていても危なっかしいし」

「もしもーし、局長・・だから、俺、おっぱいじゃないって」

「いや、いくらつるぺたでも、フツーに隊服を着てても目立たないぐらい地味なサイズでも、立派なおっぱいだ。誇りを持て」

「持てません。つか、そんな後ろ向きな誇り、持ちたくありません」

「そういうな、おっぱい。おまえの平たい乳でも必要とされているお方がいるんだ」

「おお、さすが局長殿、話が早い」

「・・いや、断る」

合意しかけた近藤とジョルジュの会話を遮るように、ボソッと土方が呟くと、煙草を灰皿に押し付けた。

「こいつぁ、確かに身体張ってくれたが、アンタらのモルモットな訳じゃねぇ」

「トシ、そんな言い方は・・」

「詳細な情報も渡さねぇで、人の部下を連れ去っていじくり回そうってのは、いくらお偉いさんでも、フェアじゃねぇだろ」

「ああ、そうだね。一本取られたね。その通りだよ・・じゃあ、せめて血液と粘膜のサンプルだけでも、取らせてくれないかね?」

粘膜と聞いて何を想像したのか、真選組一同は顔を見合わせる。

「ここで? 脱ぐんすか?」

「いやいや、口の中の粘膜で十分じゃよ」

からからを笑いながら割り込んだのは、枯れ木のような学者センセイだった。持参した木箱を開くと、注射器だの鉗子だのメスだの、その他にも訳の分からない器具がぎっしりと詰め込まれていた。それを見て(もしかして、詳しく調べるって、解剖のことだったんじゃ・・)などという疑惑が、ふっと頭をよぎったものだ。





「結局・・あんまり進みませんでしたね、書類」

「そうだな。まぁ、邪魔が色々入ったしな・・ちょっと、休憩」

土方が筆を置いて、畳の上に倒れ込んだのは、もう子の刻だった。当然、晩飯も風呂もコロッと忘れている。飯・・食堂にはもう片付けられているだろうし。どっかに食べに行くにしても、この時間だし。

「ピザでも頼むか・・交際費かなんかで落とそうぜ」

「河合が認めてくれますかねぇ?」

「お前、色仕掛けで何とかしろ。あのトンボ眼鏡に胸でも触らせておいたら、領収書通るだろ」

「俺の胸って、デリピ代程度の価値なんですか? つか、そんなことして良いんですか?」

「冗談だ。間違ってもそんなこと、すんな・・腹減ったな。マヨネーズでも食おうかな」

「食うって、まさか、ボトルから直接吸うつもりじゃないでしょうね・・とてもじゃないけど、俺、それにはお付き合いできません」

「慣れるとうめぇぞ」

「そんなの、慣れたくないです」

とりあえず、ここでうだうだしていても埒があかないからと、山崎が(さすがにこの時間になったら誰も居ないだろうと)ふすまに近づいて、カラリと開く。その途端に、ふすまに耳でも当てていたらしい数名がドッと転げた。

「うわっ・・局長!? 原田さん?」

「てめーら、ヒマだなオイ。マジでいい加減にしろや、こっちは仕事が終わらねぇわ、腹へってるわで、気ィ立ってんだ」

台詞の後半は、かなり素の発言なのだろう。
腰の長物をベルトから抜き、鞘のまま床に突き立てるようにして、むくりと身体を起こした。いかにも面倒くさそうに立ち上がるが、刀を掴んでいる左手はパチンと鯉口を切っており、ぷらんと垂れた右手も、いつ柄にかかって翻るか分からない雰囲気をたたえていた。

「あ・・いやいや、その飯のな、飯の差し入れだよ、トシ。何がいいかなぁ、と」

「そうそう、ねぇ、局長」

土方の殺気に、近藤らはじりっと後ずさる。

「差し入れ、ね。あんたらのおごりで、店屋モンでもとってくれんのか?」

「あ、そ・・そうだな、まぁ、それでもいい。その、何が良い?」

ウソつけ、見え透いたこと言いやがって・・とは思うが、さすがに近藤相手にそんな暴言は吐けない。

「じゃ、ピザ頼んでおいてくれや。マヨネーズたっぷりかかったやつ」

そう言うと、刀をベルトに戻し、ボケッと突っ立っている山崎の腕を掴むと、近藤らの隣をすり抜けてスタスタ歩き出した。

「ふ・・副長?」

「ピザが届くまで、四半刻はかかるだろ。その間に風呂入るか」

「風呂? 一緒に?」

「犯されてぇのか、馬鹿。表で待っててやるから、とっとと洗って来い」

時間帯が時間帯だけに会話がスレスレな感じもするが、山崎もそこにはツッコまず、黙ってついて歩いた。

「副長。俺ね、ちょっと嬉しかったんです」

風呂場までやけに長く感じて、沈黙が息苦しくて、ボソッと口にしてみる。

「ン? 何がだ」

「あのまま、引き渡されるんじゃないかって思ってたから。副長も、屯所から離れろ離れろって言ってたし」

「ああ、あれな。なんとなくあの天人が気に食わなかった。そんだけだ」

「あれが別の人だったら、俺を預けた?」

「・・なに勘違いしてんだかしらねぇが、他意はねぇよ」

「まぁ、そうっすね。すんません」

ちょっとは甘いことを言ってくれるのかなぁと、期待したんだけどな。俺が最後まで護ってやるから、みたいなの。



・・無いか。まぁ、無いだろうな、ちぇ。



別にそういうのじゃなくって、単に上司として責任を感じているとか、女だからエスコートしなくちゃいけないとか、そういうレベルなんだろうな。最初から分かっていたことだけど・・と、山崎は結論づけて、軽く肩をすくめる。

それから、代わりばんこに風呂に入り、熱々のピザがどーんと鎮座して待っている無人の部屋に戻るまでの間、会話は無かった。

「空腹のピークが過ぎちまったな・・このままじゃ、ちょっと喰えそうにねぇや・・そこのマヨのボトル、取ってくれ」

ようやく土方が口を開いたかと思えば、そんな台詞だ。

「副長、それ、余計に気持ち悪そうなんだけど」

「てめぇ、マヨネーズなめてんのか? マヨネーズはなんにでも合うんだよ。マヨネーズがあれば、人生とりあえず、なんとかうまくいくんだよ」

にゅるにゅると、ピザが「黄色いあんちくしょう」になるまでマヨネーズをかけて、無理矢理口に詰め込むようにして食べている土方の仏頂面を眺めながら、山崎は自分まで胸焼けがしそうな気分で、ピザと一緒に届けられたらしい缶のウーロン茶をすすっていた。

なんか、副長・・急に不機嫌になって、どうしちゃったんだろう?
それとも疲れがドッと出たのかな。確かに、ずっとピリピリしていたみたいだし。

「副長、今日はもう、寝ちゃいましょうよ」

「は?」

土方の動きが一瞬止まる。くわえていたピザが、ポロリと落ちた。
そのリアクションに、山崎は、自分が何か変なことを言ったのだろうかと、逆に驚いてしまう。

「いや、あの、なんかお疲れみたいですから、残りは明日、片付けたらいいんじゃないかな、と。別に明日の朝が締め切りとか、そういう緊急の案件も無いみたいですし」

「あ・・ああ、そうだな。確かに今日は、一日てめぇのお守りで疲れた」

土方はそう自分に言い聞かせるようにぼやくと、畳に落ちたピザは(三秒ルール失格に伴い)屑篭に放り、代わりに缶コーヒーのプルトップに爪をかけていた。

初出:07年06月08日
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