素女丹騒動記外伝/上
潜入捜査中の山崎が、急に土方に携帯電話で呼び出されたのは、ほんの一刻前のこと。うまく後で戻って再捜査できるよう伏線を張って、移動して・・・たった今、副長室にたどり着いたところだ。当然、変装用の着替えもメイク落としもするヒマはなかった。
「なんでしょうか」
「これ、飲め」
差し出されたのは、黄色い錠剤とコップの水。
「・・拒否権がないのは甘んじて受け止めるとしても、せめて何の薬か教えてくれません?」
「分からねぇから、おめぇに飲ますんだろーが。よそで絡めたヤマの押収物件なんだがな、幕府の研究所で分析しても分からねぇってんで、こっちに回ってきたんだ」
「オイいいいいい! なんだよソレ!」
「知るか。幕府の上層部は俺らのことを、モルモット並に考えてんだろ」
「そのセリフ、バットでそのまま打ち返して差し上げますよ」
いくら恨めしげに見上げても、冷酷な上司は命令を撤回してくれそうにもない。
せめて冥土の土産に口移しでとの懇願も鉄拳とともに却下されて、山崎は諦めて「ナムアミダブツ」などと呟きながら、一気にそれを飲み込んだ。
数秒間は何もなかった。
さすがに土方も心配そうに山崎を見守っていたが、そのうちに「なんだ、なんでもねぇのか」と呟くと、上に提出するレポートを書こうと、文机に向かおうとした。
その途端に、クラッと来た。
「オイっ、山崎ッ!」
とっさに抱き止められる。それをラッキーと思う余裕もないほどの、息苦しさと内臓が焼けるような激痛に、山崎は獣のような声をあげてのたうった。
いつの間にか気を失っていたらしい。
目を醒ますと、布団に寝かされていた。天井の木目で、そこが大部屋ではなく副長室であることを知る。土方は、背を向けて何やら書類(多分、レポート)をゴソゴソと書いていた。
「起きたか・・覚醒まで半刻ってとこだな」
「えらく冷静に観察してくれちゃってますね」
「命に別状ねぇようだから、ぎゃーぎゃーいうな」
「だからって、アンタねぇ」
カッとして起き上がったときに、自分が土方の黒い着流しを着せられていることに気付く。
「この服・・?」
「ああ、てめぇが寝てる間に、検分させてもらった。もっぺん着せるのが面倒そうな服だったから、とりあえずそれを着せた。誓って言うが、妙なことはしてねぇからな」
「妙なこと?」
「総悟が“機能”も確認しましょうとか言って騒ぐのを止めさせて追い返すの、厄介だったぜ」
「“機能”?」
自分の身体がどうかしたんだろうか? 山崎は己の手を見下ろす。見る限り、別に変わったところはない。ウロコや羽毛が生えた訳でもなければ、指が1本増えたとか減ったということもなさそうだ。手を握ったり開いたりしても、違和感は感じない。
キョトンとしていると、土方は「自覚はねぇのか?」と不思議そうに尋ねてきた。
「自覚?」
「その・・身体の変化というか」
「やっぱ、俺の身体、どうかなっちゃってんですか?」
「てめぇで確かめろ」
そう言うと土方は何故か耳まで赤くしながら、後ろを向いてしまった。その態度を訝りながらも、遠慮なく己の衿を両手で広げて、はだけてみる。
「えええええっ! なっ、なんですか、これはっ!」
「だから、そういうクスリだったんだろ。身長とか、基本的な骨格はそう変わってないがな」
はだけた胸元には、見覚えのない・・いや、見たことはあっても身に覚えはない物体が張り付いていたのだ。左右一対の、脂肪塊の盛り上がり。
まさかと思って、布団をめくって裾も割る・・・そこには、男性として当然あるべき筈の器官が無かった。
「ちょっ・・・どうしてくれるんですかっ、元に戻るんですか、これっ!」
「知るか」
「知るかって、無責任なっ・・・!」
「ぎゃあぎゃあ喚くな、命があるだけありがてぇと思え」
「思えますかっ、そんな無駄にポジティブシンキング! 責任とってくださいよっ!」
思わず土方の前に回り込み、はだけた襟もそのままに、両手で上司の胸倉を掴む。
「どうせいっちゅうんだ、俺に。嫁にでも取れというのか?」
「えっ?」
なんか今、ものすごい発言を聞いたような気がする・・山崎が唖然としていると、土方が面倒くさそうに山崎の両手首を掴んで、やすやすと胸から引き剥がした。
「握力が落ちてるのか?」
「いや、今のは、俺が脱力しただけっす」
そこに、スパーンと勢い良くふすまが開かれた。その向こうには、局長や沖田や原田や・・その他、隊士がワンサと詰め掛けている。
「トシいいいいいい! 今の悲鳴はなんだっ! おまえ、まさか手を出したんじゃっ・・!」
「土方さん、淫行ですかイ。淫行でやすかイ? 淫乱警官懲戒免職ってことで、副長の座は俺が立派に引きついでやりまさぁ」
「うわっ、ホントに女になってんじゃん!」
「ザキちゃぁああああんッ!」
「山崎さぁン、カワイイーッ!」
「おっぱい! おっぱい!」
「・・てめぇらっ! やかましいぞ、コルァっ!」
土方は山崎を自分の背後に押しやると、ぞろりと抜いた刀を正眼に構えて、野次馬目掛けて踏み込んだ。野次馬どもがギョッとして後じさった隙に、素早くふすまを閉じると、鞘に収めた刀を突っかえ棒にした。
「近藤さん、なんでもねぇ。山崎が目ぇ覚まして、ビックリして騒いだだけだ」
ふすまの向こうに向かって、そう怒鳴る。それでもしばらくの間ワイワイ言っていたが、やがて諦めて散会したらしく、静かになった。
山崎は、両手で着物の前をかき合わせて、へたり込んでいた。男の身体でも体格差のある土方の着流しは、こうしていると余計に大きく感じられる。
「ち。だから、喚くなと言ったんだ。分かるだろ、ここぁ男所帯なんだから・・その、てめぇの服に着替えるか、その衿直すか、なんとかしろ」
ガシガシと頭を掻きながら、土方が後ろを向く。
「あ・・・あい」
「ちょうど良かったな、その服。女装で潜入捜査してたのか?」
「まぁ、女装というか、オカマというか・・元攘夷志士の西郷の店に、桂がバイトしてるという情報があったものだから」
「オカマの店・・か。だったら、その身体のまま仕事を継続しろとも言えねぇな、ちっ。吉村に引き継がせるか。あれの女装ってのもゾッとしないが」
「まっ、まさか、そうじゃなかったら、仕事させる気だったんですか!? 鬼ッ、悪魔ッ! 上司横暴ッ!」
「あたりめぇだろ。そんな状態になったら、屯所の中より外の方が、よっぽど安全だ」
オカマ用の服を、女性の体で着るというのも妙な気分だが、何とか身体を包むことができた。情けないのは、女装の自分よりも、本当に女になった自分の方が貧乳らしいということだ。ブラジャーがカパカパするので、一度外した詰め物を、再び押し込むハメになる。
「Bカップないのか、俺って・・悲しい」
「なに訳の分からねぇこと言ってやがる。とりあえず、こいつをファクスしてくるから、おまえ、ここに居ろ」
長袖ブラウスにロングスカート姿だが、とりあえず露出度が下がったことで、土方は気を取り直したらしい。仕上がったレポートに判子をつくと、よいせと立ち上がる。
その途端に、山崎はこの屯所にこの身体で一人取り残されるということの意味を悟った。
「ちょっ・・俺も一緒に行きますッ」
「あン? 心配しなくてもファクスぐれぇ、ちゃんと送れるぞ」
「そうじゃなくって・・ッ!」
「ああ、そういう意味か。副長室に勝手に入ってくるような心臓もいめぇが・・分からんか。お持ち帰りでもされたら、後が厄介だしな」
面倒くさそうにボヤきながらも、山崎が土方の上着の裾を掴んだのを払おうとはしなかった。
突っかい棒していた刀を外して腰に差すと、ふすまを開ける。左右を見回して誰も居ないのを確認してから出たつもりだが、勘定方が詰めている事務室に辿り着く頃には、かなりの騒ぎになっていた。
「ここで放り出したら、十月十日後にはママになれるぞ」
「副長、それ・・シャレになってません」
土方がジロリと視線をやれば、かなりの虫避け効果があるようだが、それでも気付いたらゾロゾロ復活しているようで、完全駆除には至らないようだ。
「分かったろう? おめぇ、身体が元に戻るかほとぼりが冷めるかするまで、ちょっと屯所出てろ」
「出てろって、そんなあっさりと。無責任じゃないですか?」
「責任感じてるから、勧めてるんじゃねぇか」
ピーッと送信終了の音を聞いてから、勘定方の河合亀多郎にレポートの原紙を渡す。
「ファイルしといてくれ。後でこれ見たお上から連絡あるかもしれねぇし」
「はっ?・・へ、へい」
「あと、いつまでもあのヒラヒラの服だとナンだから、大部屋から適当にあいつの着替え持ってきてやってくれ・・・って、オイ・・・数字しか興味がねぇヤツだと思ってたが、そのトンボ眼鏡でどこ見てンだ」
スパンッと河合の頭をひっ叩く。
「あの、ボクだって一応、男なんですけど・・いや、変装用の女装は、衣装を経費で落とすかどうか判断するのに、割と見ているんですが、ホントに女性になってると思うと、なんか、こう、違って見えるもんですねぇ」
若いくせに妙に油っけの乏しい河合だが、その河合ですらこの調子では、血の気の多い連中はどうなることやらと考えるだけで、土方は頭が痛くなる。こんな環境で、いつまで庇いきれるんだ?
「あのなぁ。落ち着け。あの胸は、半分上げ底だぞ」
「えっ、そうなんですか?」
「さっき詰め物してた・・・・って、痛っ! つねるなっ! ホントに放り出されてぇのかっ!?」
「だって、わざわざ上げ底だってバラすことないじゃないですか」
「そんなところで女の見栄を張ってどーすんだ、バカ」
それでも相手が女だと思うと(たとえそれが山崎でも)振り上げた拳を下ろせないらしい。土方はチッと舌打ちをすると、代わりに河合の頭を力一杯、眼鏡も吹っ飛ぶ勢いでぶん殴る。
山崎と違って、あまり乱暴な扱われ方に慣れていない河合は、ウーッと一声呻き声をあげると、バタリと豪快にブチ倒れてしまった。
このままでは使いパシリにも使えないし、さてどうしたものかと思ったが、ここしばらくバタバタしていてデスクワークが滞っていることを思い出し、今日は一日それに充てることにした。
「明日は・・市中見廻りでも一緒に行くか?」
「はぁ」
多分、この量なら今日一日と言わず、二、三日はかかると思うけど・・と、山崎は呆れたように書類の山を見やる。それとも無理矢理終わらせるつもりなのだろうか。
そして、河合から「ファクスの返事が来ましたよ」と内線が入ったのは、未決書類の分類を始めて間もなくのことだった。
「やけに早いな。そんなに重要事項じゃなかったみてぇだったのに」
「ちょっ、副長、俺ぁそんな重要じゃない事項のために、死ぬかも知れない薬を飲まされたんですか?」
「文句あるか」
「・・無いです」
受話器の向こうの河合が『こっちで被験者を直接見たいと仰ってますが、どうします?』と尋ねている。
「ああ、好きにしてもらえ。たまには上の連中に貸しを作ってやらねぇとな。来たら応接室に・・いや、副長室に来て貰おうか。お偉いが来たら、案内してやれ」
『へい』
電話を切ると、うつむいて書類の束を揃えている山崎のうなじが目に入った・・・いや、あんなもん、見慣れたというか、見飽きたというか、そう特別なモノではない筈なのに。あんなんだったら、叶三郎や沖田の方がまだ美人というか、色気があるというか。
それでもなぜか、無意識に手が伸びかける。
「いや〜ンひじかたさんのドすけべインコーけいかん〜チョーカメンショクよお〜フクチョーノザはそうごくんがつぐからアンシンして〜」
「どわぁっ! そ、総悟っ、いつの間にっ!」
「一万二千年前からでさぁ」
「んなわきゃあるかっ」
「さらに八千年過ぎた頃からもっと殺意が高まって、おそらく一億二千年後も憎み続けて差し上げますぜい」
「おおよそ要らねぇ。大体てめえ、何しに来た」
「そいつのせいで屯所が台風状態で、煩くって昼寝もままなりませんや。台風の目ン中はかえって静かという訳でさぁ」
言うや、散らばってる書類に頓着することもなく、ゴロリと寝転がる。
「沖田隊長、踏んでますよ」
その沖田の尻の下から、報告書を引っ張り出そうと山崎が近づいた時に、沖田がその姿勢のまま手を伸ばし、ぐいっとその襟首を引っつかんだ。
「てめぇ、ちょっと性転換してちやほやされてるからって、いい気になってんじゃねぇぞ?」
「いい気にだなんて・・」
むしろ何かの見世物か狩猟対象のような視線を浴びて、怯えているんですが・・と言い返したかったが、沖田に見据えられて声が出ない。
「総悟。よせ」
「ち。土方さんもでさぁ。なんだって、今日に限ってこいつに甘いんで?」
「そりゃあ・・俺が受けてきた仕事でこんな身体にさせちまったわけだし、やっぱ女の身体なんだから、男と同じ扱いはできねぇだろ」
「それが甘いってんでさ。そいつは逆差別ってやつだ。こいつは男だ女だいう前に、山崎という一個人ですぜい? それとも何かイ? こんな脂肪の塊をぶら下げたら、山崎でもそんなに偉くなるってんですかイ?」
もう反対側の手が伸びて、ガバッと山崎の胸乳を掴んだ。そのまま、力任せにねじ切るように捻る。
「痛ッ!」
「・・総悟ッ!」
「ほら、そうやって庇う」
苛立たしげに、さらに半回転分ぐらい捻ってから手を離した。山崎が胸を押さえてうずくまる。
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