柿って食べ過ぎたらお腹冷やすよね。
「何してんだ」
土方が屯所に戻ると、いつもならすぐに伊東が絡み付いてくるのだが、今日に限って、それが無かった。別にアレが居なくてさびしいとか心配だとかいうわけではサラサラないが「あのバカひよこ、どこチョロチョロ出歩いてるんだ」と、屯所中を捜し回ると、平隊士らが雑魚寝している大部屋で隊士らに囲まれながら、べそをかいてしゃがみ込んでいるのを見つけた。女物の部屋着に、絹のストールを羽織っている。
セクハラでもされたのか? だから、女の身体で男むさい屯所になんざ居るもんじゃねぇと言ったんだ。ズカズカと足を踏み入れた土方は、とりあえず近くに居た尾形鈍太郎の襟首を掴んで「てめーら何やらかした」と、凄んだ。
「何って、その、別に俺らなにも」
「コイツ泣いてんじゃねーか。何もしてなくて、泣くか? オマエ代表して切腹しろ」
「なんで俺?」
「なんとなく」
「鬼! 悪魔!」
「褒めるなよ。ほれ、さっさと斬れ。刀貸してやるから、今すぐ死ね。氏ねじゃなくて死ね。テメェで腹かっさばく度胸がねぇってんだったら、俺が介錯してやる」
今にも鞘を払いそうな剣幕の土方を「まぁまぁ」と宥めたのは、吉村だった。
「実は伊東参謀は、しゃっくりが止まらないと相談に来てたんですよ」
「あん? しゃっくり?」
目に涙をためてヒックヒックとしゃくり上げているので、てっきり泣いているものだと思った。尾形を突き飛ばすようにして乱暴に手を離すと、伊東の傍らに膝をついた。
「日夜、いつからだ」
「お昼ぐらいから。いつまでも止まらないし、100回超えたら死んじゃうっていうの思い出したら、怖くなったんだ。一人で居るのイヤだったから篠原君のとこに行こうとしたら、篠原君も市中見回りで出てるっていうし」
よほど心細かったのか、伊東が子供のように土方にすがりついてくる。
「そんなもん、砂糖舐めるとか、ご飯丸呑みするとか、息止めるとか、あくびするとか、クシャミするとか、バンザイで伸びするとか、紙袋に息を吐き出すとか……あと、コップの向こう側から水飲むとか、コップに割り箸乗せて水飲むとか、後ろに組んだ手をあげて腰曲げて、その格好で顎だけ上げて水飲むとか、色々方法あんだろーが」
「皆いろいろ言うから、実際にやってみたら結構難しくて、水こぼした」
「やったのか」
「そんで飲み込もうとしたら、変な姿勢だからむせるし、咳き込むし、鼻に入りそうになるしで、すっごく苦しかったんだよ」
それで、泣いているように見えたのか。
土方は呆れながらも、伊東を抱きかかえて、女の細い胴を撫でてやる。
「あーそうかいそうかい。そいつは災難だったな」
こうして外側から横隔膜に触れてやるだけでも、ある程度の効果があるのだという。だが、その状態でも治まらないのか、ヒック、ヒックという不自然な振動が断続的に、土方の手のひらに伝わってきた。
「でね。豆腐の原料もナスの色もかぼちゃの色もヒマワリの色も答えたし、こんにゃくがこんにゃく芋からできるってのもちゃんと正解したのに、それでも止まらないんだよ」
「は? 豆腐? 吉村、通訳してくれ」
「そういう質問をすると止まるという俗諺がありまして。唐突なことを尋ねて驚かせるというだけでなく『ダイズ』とか『キイロ』とか発音することで、横隔膜を刺激する意味合いがあるらしいんですけどね。ともあれ、皆面白がって、色々効果があるという質問を調べてきては、答えさせたんです」
「てめーら、ひとの女房で遊ぶな」
「……女房? ひとの女房って、土方君の女房? それって僕のことだよね? 土方君、僕を女房って認めてくれてるんだ」
バッと顔を上げ、腕の中ではしゃぎ始めた伊東のこめかみに、拳骨をグリグリと押し当て「どこに食いついてんだ、バカ」と罵る。
「いたーい。バカって言う方が、バカなん……ヒック」
その様子を眺めていた吉村が「ふーむ。ツボ押しも効きませんか」と真顔で呟いた。
「ツボ押し?」
「こめかみを押して刺激するといいという説もありまして。それにしても困りましたね。これは、いよいよ病院で診てもらった方がいいかもしれません。たかがしゃっくりといえども、交感神経や腎臓病、脳腫瘍が原因の場合もありますからね」
だったら最初からそうしろ、と言いかけた土方であったが、とある事情を思い出して顔をしかめた。
性転換して体質が変わったのか、伊東の体はめっきりひよわになってしまったのだが、伊東鴨太郎ならぬ『伊東日夜』なる女性は、戸籍上存在していないため、病院に行こうにも保険証が無い。診察料を実費で払える程度の経済的余裕はあるが、毎回身分証明書の提出を拒んでいては病院側も(この女は何者だろう)と、怪しむだろう。結果として『病院に行くときは伊東の兄、鷹久から奥方の保険証を借りる』という裏技に頼ることが多くなり……毎回それで、土方は鷹久に「君は健康管理もしてやれないのかね。保険証が要るのなら、さっさと籍を入れてやればよかろう」等とネチネチやられる羽目になるのだ。
「病院は困る。さっさとなんとかしろ」
「だから、なんとかして差し上げたくて、色々試したんですがね。あ、そうそう。まだ試していない最後の手段がありますが」
「んだよ。出し惜しみするな」
「出し惜しみじゃなくて、俺らじゃ試すに試せないというか。試してもいいんでしたら、やってみますけど、本当によろしいんですか? 一応、医学的根拠があるらしいんですが」
「どうするんだ」
「絶対、怒らないって約束してくれますか?」
「は? いやまぁ、止めてくれるんだったら、怒るも何も」
「怒りません? 絶対ですよ?」
しつこく念を押した後、吉村はあらかじめ土方との間合いをたっぷり確保すると、ニヤッと笑い「女性の場合、オーガズムに達すると止まるらしいですよ」と、言い放った。
「……んなっ!」
一瞬、意味が理解できずに凍りついた土方であったが、やがて思い当たったのか顔がすぅっと青ざめ「てめぇ」と呻くと、ゆらりと立ち上がった。
「だから、怒らないでくださいって言ったのに」
土方の蹴りが飛んでくる前に、吉村は脱兎のごとく逃げ出した。
逃げ出した吉村の代わりに尾形をボコボコに殴り倒すと、多少は気が晴れた。返り血を拭って落ち着くと「あれこれ試して、これが本当に最後の手段だというのなら、ダメモトでやってみようか」という気にもなる。そこで、まだ時折しゃくり上げている伊東を連れて、参謀室に向かった。
「一緒に寝てくれるのってすごい久しぶりだね」
「勘違いすんなよ。シャックリ止めるためだからな。つーか、寝る頃までに収まったら、ナシだからな」
「え。だったら、それまで止まらないように、頑張って続ける」
「んなもん、頑張るんじゃねぇ」
そんなたわいもないことを言ってじゃれながら縁側を渡っていると、向こう側から山崎がやってきた。
「ああ、いたいた。副長、どこにいらしたんですか。帰ったらすぐに処理する書類があるとか仰ってたから、俺、その資料揃えてたのに、なんでそのバカひよこと一緒なんですか」
「そうだったかな。ちいと色々あってよ。そうだ、ザキ。ついでだから参謀室に布団敷いて来い」
「はぁ? そいつどうかしたんですか? 風邪かなんかですか? 変な病気うつったら困るから、近づいたらダメじゃないですか」
割って入ろうとする山崎に向かって、伊東が「今日は、土方君と一緒に寝るんだ。そういう約束なんだ」と、得意げに宣言する。
「ちょ、土方さん、なんでそんな約束してんですか! 俺の順番はいつですか。いい加減にしてくださいよ」
「なんでって、こいつがしゃっくり止まらないって言うから」
「なんでしゃっくり? 関係ないでしょう!」
「いや、それが関係あるって吉村が言ってて。色々試して効果なかったから、駄目モトでやってみるか、と」
「そんな理由でアンタが寝てくれるんだったら、俺だってしゃっくりしますよ!」
「んなもん、しようと思って出せるもんでもねーだろ」
「気合いで出しますよ、出してみせますよ。地味キャラのドッ根性見せてやりますよ。大体ね、しゃっくりなんて舌引っ張ったら治るんだよ。おら、デコ、舌出せ舌!」
「嫌だ、止めない。土方君と一緒に寝るんだもん」
「ふっざけんな!」
逆上した山崎が伊東に掴みかかる。土方は他人事のような顔つきで腕組みをしたまま、しばらくその取っ組み合いを眺めていた。ふと、思い出したように「ひよ、しゃっくりはどうした」と尋ねる。
「しゃっくり?」
伊東は一瞬、何を言われたのか理解できなかったらしくキョトンとしていたが、やがて「あ」と呟いて、胸元を押さえた。数秒間待ってみたが、あれほどしつこく続いていた反応は感じられなくなっていた。
「しゃっくり、止まったな。じゃ、要らねぇな?」
「要らなくないよぉ、一緒に寝ようよぉ」
甘えかかろうとした伊東を、山崎が襟首を引っ掴んで引き戻し「ふざけんなバカヒヨコ!」と罵る。そこに「先生を虐めるな,タレ目ブス!」と、市中見回りから戻って来た篠原が割り込んで、怒鳴りつけた。元々、土方と伊東の仲が悪かった頃は、それぞれの腹心である山崎と篠原もライバルのような関係であった。伊東の性転換によって土方との関係が変化した後も、山崎と篠原の間のしこりまでが無くなったわけではない。
山崎もついカッとして「お前はもう関係ないだろ、黒目お化け!」と応酬した。
「関係ないことあるか、ボケ。尾形がフルボッコでブッ倒れてると思ったら、先生にまでそんなご無礼を……ホントに貴様ときたら!」
いや、尾形をボコしたのは俺じゃない、多分土方さん……と、山崎が言い返そうとした時には、土方はとっくにその場から姿をくらませていた。
山崎を蹴り出すようにして追い返し、参謀室に落ち着いてから、あらためて伊東から経緯を聞いた篠原は、あまりのばかばかしさに呆れ返りながらも「今度そういうことがあったら、僕に言ってくださいね。柿のヘタを煎じて飲むと止まるっていいますから」と、子供をあやす口調で言い聞かせた。
「だって、土方君が全然、一緒に寝てくれないんだ」
「はーあ。どうしてそんなに土方、土方、土方、なんですかね。サイテーですよ、あの男」
いくら記憶が素っ飛んだといえども、そこまで趣味趣向が変わってしまうとは信じ難い。いや、元々そういう傾向があったのだが本人の意地や矜持が邪魔をして、正反対の言動を繰り返してただけなのかもしれないが。
「それは?」
伊東は、篠原が持ち込んだカゴに目を留めた。
今日はしゃっくりのせいでほとんど仕事が捗っていなかったせいもあって、てっきり決済待ちの書類や報告書なんぞが詰まっているものと思われたのだが、カゴの中には赤い果実が詰まっていた。
「いっそのこと、前もって柿のヘタの煎じ薬を作っておこうかと思って、台所からちょいと失敬してきました」
篠原はカゴの隣にあぐらをかくと、己の太刀の鞘から小柄を抜き出した。
「ヘタだけ使うのか。実は食べないのかね?」
「煎じ薬には使わないんで……よろしかったら、お召し上がりになります?」
「そういえば、柿はビタミンが多いとか」
「柿赤くなれば医者青くなる、っていいますからね。どうぞ、どうぞ」
篠原はにっこり笑うと、器用に柿の皮を剥き、山盛りにした皿を伊東に差し出した。
了
【後書き】女性はオーガズムに達するとしゃっくりが止まる、という駄目知識を仕入れて思いついたハナシで、あまり意味はありません。 |