狗尾草
篠原が伊東と共に数カ月に渡る出張から戻り、副長の土方がなぜかヘタれたオタクと化した、ある日のこと。
篠原が伊東宛の密書を届けに行くと、伊東は縁側で日向ぼっこをしていた。猫缶を開けろとにゃーにゃー催促する猫を焦らしてからかっていた伊東は、受け取った密書を懐に押し込むと、なおもまつわり付いていた猫を足蹴にして追いやり、やけに上機嫌に「そうだ、君にいいものを見せてあげよう」と言うと、篠原を土蔵へと誘った。
真選組屯所にある土蔵は「性急な尋問」にも使われる石造りの牢になっている。
その薄暗く冷たい檻の向こうで、手足に枷をはめられている半裸の男が居るのが見えた。その姿を認めて、篠原が愕然とする。それは、最近、素行がおかしくなり、しまいに行方不明になったといわれていた筈の土方十四郎その人であった。
「先生、これは?」
「姿形は確かに土方だ。彼が本当に土方なのか、それとも我々を偽って演技をしているのか、調査していたところさ」
「調査、ですか」
既に、ある程度の肉体的な責め苦は与えられていたのだろう。はだけた着物から覗く肌身には、アザや擦り傷がいくつも見えた。
「それで、先生は僕に、何をお求めで?」
「おや、分からないかね? 君は、土方のことを知り尽くしているのではないのかね。その、ほくろとか……通常見せない部分も含めて」
「はぁ、まぁ」
ここで伊東が俗な男であれば「尻の皺の数まで知っている」とでも表現したろうが、そこは伊東の品性が許さなかったらしい。
「見たところ、本人だと思います。間違いないです」
「そうかね? 君は彼の色子だったんだ。君にしかできない検分の方法があるだろう? 遠慮なく検分してみたまえよ。」
伊東の口元がいびつに歪み、鍵束から抜き出した1本の鍵を、篠原に差し出した。その意味するところを悟って、篠原の頬が上気した。
あまりにも悪趣味な提案ではあったが、篠原にそれを拒絶することはできそうになかった。
「では、拝借いたします」
受け取って、鍵を鍵穴に差し込む。
重い扉をくぐって、いざ相対すると、篠原の中の何かがぽきりと折れたような気がした。
自分をいいようにあしらった男、自分も一時は熱烈に恋いこがれた男、そして手が届かなくなって、求めるのを諦めてしまった筈の存在が、今、ここにいる。食欲にも似た劣情が、飢餓感をすら伴って込み上げて来た。
篠原は歩み寄ると、迷わず土方の着物を剥いだ。
「やっ……篠原氏、やめるでござる、そんなっ……あんっ!」
口調も態度も豹変しているが、肉体は記憶にあるままだ。土方の足元に跪き、そそり立っているものを目の前にして、篠原は思わず舌舐めずりした。
それを両手で捧げるように包むと、躊躇なく唇を寄せる。びくりと全身がわななき、掌に脈動が伝わった。
こんなんじゃない。
伊東は饗宴を前にしながら、どこか白けた気分に陥っていた。
僕が求めていたのは、こんな土方君じゃない。こんなヤツを嬲って啼かせても、ちっとも満足できない。以前の猛々しい野蛮な、それでいて天性の鋭い知性が垣間見える、あの土方君でなければ満足できない。
僕の器を理解し得る唯一の男。
そんな男の肉体ならば契ってみたかったが、今の情けない姿にはそそられない……いや、この態度は自分を騙すための芝居なのだろうか。
「篠原君、こちらへ」
辛うじて自分の側近になり得るだろうかと思っていた篠原が、そんな土方の身体にむしゃぶりついて、獣のように無我夢中で快楽に耽っている姿を見るのも、耐え難かった。いや、そうじゃない。多分、そこまで没頭できない自分が腹立たしいのだ。
「はい」
篠原は素直に戻って来たが、その口元や首筋は、唾液や土方のものらしい体液でどろどろに汚れていた。それを手で拭っては舐めとっている姿はなんとも艶かしいが、それすらも伊東の神経を逆撫でした。
「ベルトを緩めて、後ろを向いて、両手をつきたまえ」
命じられて篠原は四つ這いになった。そのズボンを引き下ろし、突き出された尻の肉を掴み広げると、その中央が興奮のせいか毒々しいまでの真紅に染まり、わなないている。試しに親指を押し当てると、案外すんなりと呑み込んできた。
「ひゃあん」
いつもよりも高く甘い声で啼いたのは、かつての恋人の前で犯されるという倒錯に酔っているからだろう。
「どうだね? 想い人の目の前で、他の男に貫かれる気分というのは」
「そんな、俺はもう、先生の……ッ」
嘘だろう。まだ土方に恋い焦がれて、自分はその代用でしかないに違いない。
そうでなくて、あんなに無我夢中に食らいついている由もない。
「では次は、想い人が他の男に貫かれるのを眺める気分でも味わってもらおうか」
「えっ?」
いつの間にか、伊東の配下の男達が、牢の外に控えていた。
「篠原君によく見えるようにな」
牢に入って来た男達は、土方の手足の枷を外してその白い肌身を床に押し広げるや、次々と上に覆い被さっていった。
ぐったりした土方を見下ろし、伊東はあっさりと『殺せ』と言ったが、それを押し留めたのは篠原だった。
「こんな状態なら、伊東先生に歯向かうことも無いでしょう。無理に始末することもありません」
「しかし、この姿……我々を欺くための罠かも知れぬし、そうでなくとも何らかの理由があるのかも知れぬ。少なくとも、僕に対抗し得る存在であり、僕の唯一の理解者である土方が、このままで終わるとは思えないのだよ。いつ、正気を取り戻すことか」
「しかし……」
篠原は反論できなくなったが、それでも未練がましく土方にちらりと視線を流した後、黒目がちな瞳を潤ませて伊東をじっと見詰める。その視線がくすぐったかったのか、伊東が苦笑をもらした。
「君は、土方の色子だったらしいからな。情が断ち切れないのも無理はない。ならば、このまま飼い殺して玩具にでもするか?」
「どんな形でも、命だけは」
伊東はしばらく篠原と土方を見比べて考え込んでいたが、やがてたもとから小さな鍵束を取り出すと、中から一本抜いて篠原に差し出した。
「この房の鍵だ。好きにするといい」
そう言い捨てると踵を返す。それを合図に他の伊東の配下らも刀を鞘に収め、靴音も高く出ていった。
ふたりきりになった石牢は、急に熱が冷めたように感じられる。壁に反響しながら聞こえるものも、土方の苦し気な吐息だけであった。
「さっきはごめんなさい。もう、酷いことはしませんから」
篠原がそう囁くと、髪をそっと撫でる。先程の暴行の余韻にうっすらと眉をしかめた土方の表情は、悪夢に怯える幼子のようだった。
「君は悪いひとではないのか」
あえぎながらも、あどけない口調で土方が尋ねた。
「悪いひとだと思う。いい人ではないね。でも、これ以上はあなたをいじめたりしないから」
そう言って、抱き起こすとその頬を両手に包み、ゆっくりと口を吸う。ふ抜けてからは煙草を吸って居ないのか、唾液はいつもの苦い味がしなかった。
思い付いて、引き剥がした土方の衣類を探って煙草入れを取り出すと、見よう見まねで一本くわえ火をつける。馴れぬ煙に軽く咳き込みながらも、吸い付け煙草を土方の唇に差し込んでやった。
キョトンとしながらも、やがて赤子が乳をしゃぶるように夢中で吸い始めた土方を、慈しむようにしばらく眺めていたが、適当な頃合いで取り上げて再び唇を重ねる。
「ああ、この味だ」
うっとりと胸元にしなだれかかったその時に「しの、すまねぇな」という声が聞こえた。聞き覚えのある声色にハッとしたが、反応する前に鳩尾に拳が打ち込まれた。
『………ら君、篠原君』
その声に、はっと顔を上げる。
「土方はどうしたんだね?」
答えようとした瞬間、鳩尾に鈍い痛みが走り、小さい呻きを上げそこに手をやる。
「やはり、我々を油断させるための芝居だったようだね」
冷たい床に倒れたままの篠原を見下ろしながら、伊東は隣接する房にも目をやる。
「あの土方が素直にこちらの手に落ちる時点で、おかしいとは思わないかね?」
「申し訳ありません」
違う、あれは普段の副長じゃない。あの人のそばにいたから分かるんだ。どんな時にどんな声色で話していたか……自分の知っている声だったのは、たったひとこと『しの、すまねぇな』それだけだ。
そして自分を『しの』と呼ぶ人間は、片手で足りるほどしかいない。あの一瞬だけは、間違いなくいつもの土方だった。
「何が他に言うことはないのかね?」
そう言い放たれた伊東の言葉に、少しの躊躇いの後、口を開く。
「俺に……罰をください」
これが自分の求めた結果なのだろうかと、篠原はボンヤリと考えていた。
「いいのですか?」
伊東派に就くことを宣言したかのような会話の後、不敵な笑顔を浮かべて出て行った沖田を見送り、篠原が伊東に尋ねていた。
近藤にあれだけ懐いていて、土方にも執着していた筈の沖田が、ああもアッサリとこちらの陣営につくというのが、そもそも妙な気がする。
「篠原君。君も僕を理解し得ないようだね。僕が副長の座なんぞに連綿としているとでも思っていたのかね? 武士にとっての不幸はなんだか分かるか? 理解されないことさ」
篠原は、自分が尋ねた意図が伊東に通じていないことに気付いていたが、敢えて訂正することはしなかった。言えば、己の勘違いに気付いた伊藤が機嫌を損ねるだろうし、篠原自身だって、同じ違和感を感じながらも土方を逃してしまった責がある。
それに、伊東が沖田を欲しがる理由は多分、自分と同様に『土方のものだったから』だろう。それを指摘すれば「君が土方を逃がしさえしなければ、必要なかったんだがね」と皮肉を言われるのは、目に見えていた。
そして、後から思えばこれこそが、完璧だと思われたクーデターが瓦解する、堤防に開けられた小さな蟻の穴のようなものだったのかもしれない。
篠原の最後の視界は、口角を上げて鮮やかに笑っていた沖田だった。
クーデターが成功すると思われた土壇場で近藤側に直った沖田が、走る列車内で抜刃した伊東派に囲まれながらも、その圧倒的劣勢を跳ね返す剣筋で彼らを斬り殺し、車外に放り出し……自分も、その『獲物』の一匹として狩られるはずだった。
「ち、やっぱ無傷ってわけにはいかねぇか」
そんな独り言を吐きながら、瀕死の伊東派の連中の間を歩き回っては、まるでアリでも踏み殺すような気安さで、首元を……さすがに延髄を両断するだけの力は残っていないのか、それともとうに刀身に血脂が巻いて、かの菊一文字も切れ味が鈍っているせいなのか、その切っ先で突くような形で、トドメを刺していた。
返り血を吸って重くなっている革靴の音が近づき、篠原のすぐ側で止まった。どうせ自分もすぐ、ああやって殺される、という覚悟はできていた。
冷たい刃先が顎に触れた。しかし、今か今かと目を閉じて待っていると「篠原か」という呟きが漏れて、刃先が離れて行った。
「おめぇは、楽には死なせねぇ。気にくわねぇんだよ」
腰下に、熱い塊が落ちて来たような感触がした。その次には、両肘に。
「あと、いらねぇトコはどこだ? ああ、そうそう。二度と土方さんの顔を拝めねぇようにしておいてやるよ」
痛みにのたうっているのを押さえ付けるためにか、首を踏み付けられた。そのまま喉笛を潰しかねない無造作さなやり方に動けなくなったところで、すっかりただの紅い鉄棒と化していたそれが振りおろされた。
「篠原は?」
屯所に戻ってきた土方が、落ち着いてから、まず尋ねたのはそれだった。
「どんな形でも、命だけは助けてやりてぇんだ」
コイツがかばってくれなければ、自分は死んでいた。そして、あの反乱は……いくら沖田が独り奮闘したとしても……伊東の勝利で終わっていた筈だ。
もちろん、土方の脱出は篠原の本意ではなく、自分をあのまま監禁し続けるつもりだったということは重々分かっている。それでも、自分を生かしておいてくれたことは評価してやるべきだろう。少なくとも、それは伊東側に寝返ったとしても、自分に対する思慕まで失ったのではないという証だ。
だが、尋ねられた側は口を濁すばかりだった。
「副長、アレのことはお忘れになった方がよろしいですよ」
山崎がボソッと諭しながら、土方の肩に触れた。
了
【後書き】動乱編のトッシーをキャットフードまみれにして玩具にする、というアイデアで始めたもの。当初は北宮さんやAKIさんとのコラボも企画していたようですが……未完のまま裏ブログで公開していましたが、もう少し書き進めた原稿も出て来たので、サイト収録することにしました。
タイトルは「えのころぐさ」と読み、別名「猫じゃらし」です。花言葉は「遊び」。 |