さくらんぼ


当初、それは副長殿宛てに寄せられた縁談であった。

「実は既に内縁の妻がいて、女児もひとりあり……それもあの名家・伊東の縁者であるから離縁できず云々」というマコトシヤカな回答に、一時はその老中も諦めたかに思われた。しかし、警察庁長官・松平片栗虎直属の組織で、その働きに評価も年々高まっている真選組になんとしても取り入りたかったのだろう。副長殿が無理でも、どなたかとねじ込んできたので、それなりの年齢でそこそこの階級と年収があり、しかも独身という好条件で、監察方の古株・吉村に白羽の矢が当たった。

「べっぴんさんじゃねぇか」

土方は部下の縁談に、妬くどころかむしろ面白がっている様子だ。もちろん、栗色の髪を縦ロールにくりんくりんと巻いた、丸顔でぽてんとした唇の少女が、吉村の趣味ではないと分かっていての発言だ。むしろ真逆、黒髪のストレートでうりざね顔で切長の瞳の……つまり己が彼の好みの真ン真ん中だと自覚しているのだから、始末が悪い。

「まあ、ここのじいさんを抱き込めば、色々と融通がきくのは分かってますけどね」

吉村は加工されまくった顔写真などは見ておらず、全身写真をちらっと見て「D、いやEかな。ウエストも太そうだけど」と、下衆な予想をしている。

「妻帯しちゃうと、今後の調査方法がせばまっちゃうんですけど、構いませんか?」

「お得意の、オンナ垂らし込んで聞き出すヤツか? チビスケのせいでとっくに封印してるだろ」

「まあ、それもそうですね」

「オマエが身を固めたら、チビスケも『にぃにのオヨメサンになる』なんて、悪い冗談言わなくなるだろうがな」

「副長そっくりに育つのなら、俺は満更でもないんですが、如何せん、年齢が離れすぎてますしねぇ」

「当たり前だ。テメェ、俺よか年上じゃねぇか。この詐欺師め」

「変装上手も仕事のうちですから」

いけしゃあしゃあと言ってのけると、他にも数葉、同封されているスナップ写真をパラパラと興味なさそうにめくっていたが、ふと一枚に目を留める。それを懐に差し込みながら「で、お見合いって、来週でしたっけ」と、吉村はまるで他人事のように尋ねていた。





「おかーしゃん、おかーしゃん。おみあいって、ただでごはんたべゆでしゅよね。にぃにのおみあいは、ひなもごはんたべれましか?」

その日の朝。
執務室に突然飛び込んできた陽向に尋ねられて、伊東は目を丸くした。隊服を着込み『鴨太郎』として仕事をしていたはずなのだが、突然のことにキョトンとした表情は、あどけない『日夜』に戻ってしまっている。

「お見合いっていうのは、これから結婚しようという人が顔合わせすることだよ」

いわゆる『女の広辞苑』など知らない『日夜』は、幼い我が子相手に適当にゴマ化すこともできずに、まともに応対している。そのママゴトのような微笑ましいやり取りに、武田も思わず仕事の手を止めて頬を緩めた。

「にぃにのおみあいなのに、ひな、よばれてないでしゅ!」

いかにも大問題発見といわんがばかりにいきり立つ陽向に、伊東は「おやおや、そうだねぇ」と、もっともらしく相槌を打つ。

「吉村君は、ご老中の娘さんをお嫁さんに貰うみたいだよ」

「にぃにのオヨメシャンはひなでしゅ! にぃにもひなをオヨメシャンにしてくれるってゆったのに、ケーフヤクリーコです!」

「契約不履行、ね。確かに、約束して破るのはいけないね」

伊東も土方に『責任をとる』という約束を反故にされているのだから、娘の言い分も理解できる。むしろ、ここは娘の味方をしてやるべきじゃないか、という気になってきた。もちろん、自分より年上の息子を歓迎するわけではないが、それをいえば自分だって元は男で『嫁を娶る』立場だった筈が、逆になったのだから、年齢差ぐらいで文句をいう筋合いも無かろう。

「おかーしゃんは、パパしゃんがケーフヤクリーコでモミアイしてたや、どうしましゅか?」

「お見合いじゃなくて、揉みあい、かい?」

土方君のことだから、お見合いなどという手順を踏まずに、いきなり『揉みあい』に至る可能性は大いにあるなと妙な感心をしながら「そうだねぇ。おかーさんだったら、そういうことになったら、邪魔しに行くよ。お嫁さんは僕だって、主張するね」と、答える。

「ママだったらどうでしゅか?」

「山崎君? そりゃあもう、いきり立って暴れまわることだろうねぇ……じゃ、おかーさんはお仕事だし、土方君もお見合いに立ち会ってるそうだから、ひなはよそで遊んでおいで……武田君、ひなを山崎君にでも預けてきて」

「パパもいるでしゅか?」

陽向の目がキラーンと光った。




文字通りの政略結婚のはずであるが、ご老中の娘、おけいは届けられた写真や資料に満足したらしく、ほんのりと頬すら染めて現れた。もっと悪いことに、土方が冗談半分で『通報』したのか、吉村の両親まで田舎から出てきて同席するという。

「こんな高貴なお家柄で、しかもべっぴんさんをお嫁に貰えるなんて」

「オヤジ……じゃねぇ、父上、まだ嫁に貰うと確定した訳じゃないんですよ」

「いやいや、断る理由がないだろう。こんな良縁を。ねぇ、おけいさん」

「そうですよ。お義父さん……あら、アタシったら、もうお義父さんだなんて呼んでしまって」

「お義父さん、いいねぇ。そう呼んでくれて構わないよ」

「おお、これは決まりですかな。ふつつかな娘ですが、よろしくお願いします」

吉村本人を除く、嫁候補と両親同士で盛り上がっており、立会人を兼ねて同席している土方は、笑い死にしそうなのを必死でかみ殺している。

「副長、アンタ、俺が不幸になるのがそんなに楽しいですか」

「結婚は人生の墓場だ。俺の苦労を思い知れ」

「ひでぇ!」

ボソボソと罵り合っているうちに、両親らは「じゃあ、後は若い者に任せて」と、お決まりの台詞と共に、席を立った。親族は別室で料理を頂く予定なのだ。
土方も「じゃあ、お幸せに」などと、心にも無いことを言い置いて、戻ろうとする。

その時に「おとーしゃん、おとーしゃん!」と喚く甲高い声がした。

「おとーしゃん?」

土方を呼ぶなら「パパしゃん」の筈だ。
それよりも、なぜ陽向がここにいるのだろうと、土方と吉村が訝って顔を見合わせた時に、障子がスパーンと開いた。




「お見合いって本当ですかっ!? うちという、ちゃんとした嫁が居ながらっ!」

「おとーしゃーん、おとーしゃーん!」

そこに仁王立ちしていたのは土方のもうひとりの内縁の妻の山崎で、陽向は「わーん」と全力で泣きながら吉村に飛びついた。

「え、ちょっと? ひなちゃん?」

「嫁? それに今、この子、おとーさんって? でも、調べてもらった戸籍には、何も」

おけいの顔が引きつる。

「スミマセンね、戸籍に何もなくて! 籍こそ入れてませんが、うちはレッキとした嫁です!」

「もしそうならちょうどいいわ。アナタ、ここで手を引いて下さる? この人は、アタシの良人になるのよ」

「んだとぉ?」

「あぁらら、その言葉遣い。お里が知れましてよ?」

おけいが挑発すると、カッとした山崎が掴みかかった。





取っ組み合いの引っ掻きあいの掴み合いをなんとか引き離したときには、おけいも山崎も着物や髪が乱れて酷い有り様になっていた。

「てゆーかザキ。おめぇ、いつ、よしの嫁になった?」

「え?」

土方にツッコまれて、山崎は唖然とする。
直接血の繋がりこそ無いが、土方の嫁を自称する山崎にとって、土方の娘は自分の娘も同然だ。その娘が「パパしゃん、もみあいしてゆの」と訴えたので、てっきり、土方の見合いだと思い込んだのだが、どうやらそれは勘違いであったらしい。

「でも、だって、屯所でも、ついに身を固めるって噂してて……」

「よしが、だろ。いや、確かに最初は『俺が』ってことだったが」

まさかと思って振り向くと、陽向がけろりと「パパがもみあいしてたや、ママはあばれゆって、おかーしゃんがいってたんだもん」と言い放った。つまり、山崎はまんまと陽向の仕組んだ『妨害工作』に乗せられたということだ。幼女といえども、さすが策士・伊東の血を引くだけある。

「ちょっ、ダメでしょ、ひな! ひとのお見合い邪魔したら!」

「パパのもみあいは?」

「それはダメだよ、もちろん。だって、俺が土方君のお嫁さんだもの」

「だったや、ひなも、にぃにのオヨメシャンだもん!」

陽向が、吉村の細腰に抱きついて、わんわんと泣き出した。渦中の吉村は苦笑いしながら、幼女の練り絹のような艶やかな髪を撫でて「はいはいはい」とあやす。

「あらまぁ、ずいぶん可愛い婚約者だこと」

おけいが、乱れた髪を撫でつけながら、陽向の顔を覗き込む。

「もう少し早く生まれていたら良かったのにね。大丈夫、こんなに可愛いお嬢さんだったら、年頃になったらボーイフレンドがいっぱいできるわよ」

「にぃにのオヨメシャン!」

「ところで、おけいさん。その指輪はお父様から?」

吉村が不意にそんなことを尋ねた。
おけいは一瞬、訝し気に眉をひそめたが、視線を己の手許にやり「ああ」と小さく呟いた。そこには桜桃のような大粒の赤い珠が鎮座していたのだ。

「ええ、お父様の懇意にしている豪商から頂いたものだとかで」

「なるほど。実にお美しい輝きの指輪ですね」

吉村がツィッとおけいの手を取って、その指輪を間近に眺める。その仕草の気障ったらしさは、土方も唖然として開いた口が塞がらなかった程だ。だが、その次に続いた言葉を理解することは、より困難を極めた。

「その指輪は盗品の疑いがあるんです。しかも海賊経由で。お父上はご存知なくて譲り受けたのかもしれないけれど、ご存知の上だったかもしれない。ご存知だったとなると、お父上は堀の内側に落ちることになるのですが……詳しくお話をお伺いする必要がありますね」





見合い用のスナップ写真にどこか見覚えのある指輪を見つけた。
調べてみたら案の定、盗難届けが出ていたどこぞの星の国宝だった。それを貢ぎ物にしたという天人系商人『覇天馬屋』は、うっかりしていたというよりはむしろ、盗品と知って処分に困った挙げ句に、手を切りたかった幕僚に献上することで一石二鳥の厄介払いをしたということなのだろう。

「その天人伝いに海賊を追及しようとしても、逃げられるだろうな。多分、全責任をあのじいさんにおッかぶせて終わりだ」

土方は『覇天馬屋』の主人だというガマガエルのような醜い顔の写真を放り出して、つまらなそうに呟いた。いつかコイツも調べ上げてやりたいが、今のところは、他にこれといったネタが無い。

「ハラキリは、さすがにきょうび時代錯誤ですから無いでしょうけど、お家お取り潰しぐらいは確かにありそうですね」

「オマエ、責任とってあの女娶ってやれや。路頭に迷うだろうが」

「残念ながら、あちらからお断りの通知がきましたよ。父親を牢獄にやるような男のところに嫁ぐ気には、さすがにならんでしょう」

「残念なのか」

「嘘です。ホッとしました」

吉村の両親は『せっかくの良縁だったのに』と、ぎゃあぎゃあ喚いていたようだが、今回ばかりは仕方ない。あれだけ堂々と目立つ指輪をしていれば、いずれ、誰かに目をつけられ通報される。可哀想だが、遅かれ早かれ、そうなる運命だったとしか言いようがない。

「俺、メンクイなんですよ。副長を見慣れてるもんだから、そこいらのオンナなんざ見ても、芋カボチャも同然で」

「ふふん、そうだろうな」

土方もそこでまったく否定しないあたり、己の美貌を自認しているのだろうから、性質が悪い。

「で、もしあの指輪の件が無かったら、あのオンナと結婚してたか?」

「そもそも、見合いしちゃいませんでしたよ。今回も捜査の一環のつもりでしたから」

「本当に?」

「副長だって、ミツバさんの御亭主、密貿易で摘発しましたよね。同じですよ。仕事優先です」

「ふん」

不意に忘れていた、いや忘れようとしていた名前を出されて、土方は顔を歪めた。
土方がいつまでも身を固めようとしない理由は……もちろん『嫁候補』が各々譲らないこともあるが、それ以上にミツバの存在があったろう。自分が誰かと結ばれることができるのなら、それはミツバだった。彼女を捨てておいて、自分ひとりのうのうとどこぞの女と所帯なんか持てない。
そんな言い訳に使われたらミツバも迷惑だろう、ミツバだって土方の幸せを願っているし、祝福してくれるに違いない……理屈としては間違っていないのかもしれないが、それを強硬に主張しているのが、所帯を持とうとする当の本人と、土方の不幸を心から願っているクソガキでは、納得しろという方が無茶だ。

「もし、ミツバを武州から連れて来てたら、どうなってたんだろうな」

ふと土方が呟き、吉村がそっぽを向いたまま、土方の太股をつねる。

「アンタの自称嫁ふたりも、陽向お嬢さんも……俺も、今ここには居なかったでしょうね。アンタの髪も、長いままだったんじゃないですか?」

「痛い」と払い除けようとした手が止まる。
だが、その吉村の手指に己の手を重ねるのは、躊躇われた。

「篠原も監察には入ってなかったでしょうし、ああ、ミツバさんが居たら、弟が局長んとこに嫁ぐなんて無茶苦茶はさせなかったでしょうから、局長はまだ、志村妙をストーキングしてたでしょうね。池の鯉の名前は相変わらずお妙さん1号、2号で。ああでも、陽向お嬢さんはミツバさんの腹から産まれてたかもしれませんね」

「もう、いい」

吉村がちらりと土方に視線を流した。その表情から感情は読み取れない。

「もう、いいんだ」

土方が念を押すように繰り返す。視線が絡みあう。
だが、その直後に「にぃに、しゃくらんぼたべよー」と機嫌よく呼びかけながら、廊下を駆けてくる子供の足音が聞こえて来た。





【後書き】単に、吉村の見合いを陽向がブチ壊すエピソードがあったら面白いだろうなと思って書いたSS。特にヤマもタニもオチも無い。やおいサイトだからそれでいいじゃん(居直り)。

タイトルの「さくらんぼ」の花言葉は「小さな恋人」。
初出:09年12月05日
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