きたのくにから【5】
ペンギンのショーは四半刻(30分)ほどで、係員の女性がペンギンに話し掛けたり誘導したりして、行進や滑り台などの芸というには微妙な「芸」を披露するらしい。だが、鳥類は俗に「トリアタマ」ともいうぐらいだから、知能の高い海棲ほ乳類とのショーと比べるのは、酷というものだろう。
「ひよとひなは、ここで見てるんだな? ちとあっちで休んでくる」
ステージ前に並べられたベンチに腰を下ろした伊東と陽向に、土方が話しかけた。くるりと見回しても観客は親子連れやカップルが多く、怪しそうな人物も居ない。中村兄弟も、やや離れた位置に目立たぬように控えているのが見えたから、もし何かあっても大丈夫だろう。
「この色男をひとりにすると、またどこの誰が絡んでくるか分かりませんから、付いていきます」
山崎がすかさず挙手する。伊東はふたりが一緒に行動することに眉をしかめたが、何か文句を言おうとしたところに「みなさーん、こんにちわー」という元気の良い女性の声が被さって、かき消された。
「こんにちわー」
周囲の観客がそれに釣られて返事をし、陽向も負けじとベンチの上で足をばたつかせながら、大きな声を出す。
「ショーが始まったみたいだね。じゃあ、終わった頃に迎えに来てくれたまえよ」
伊東の視線もステージに吸い付いた。
「お煙草ですか?」
「そのつもりだったんだが」
休憩広場で喫煙スペースを探すが、灰皿が見当たらない。
「土方さん、そんなに口寂しいんでしたら、ちゅーでもしてあげましょうか?」
いつもなら、そこで「バカ」と吐き捨てられて終わるのだが、なぜか今日は土方の視線が泳いだ。その先には、動物の絵などが飾り付けられた小奇麗な厠がある。中には誰も居ない様子だ。
「ちと付き合え」
「え? 便所に?」
痛いくらいの力で腕を掴まれ、強引に引っ張り込まれる。
いくら男の頃と同じ衣装だからって、一応俺、今は女の身体なんだから、連れションはちょっと……と口答えする間もあればこそ、洋式の個室に引っ張り込まれる。土方が後ろ手に閂をかけるや否や、唇を吸われた。
「んむっ。もしかして、サカってます?」
「黙ってろ」
もしかして、土方さんってば、昨夜デコ抱いて寝てたから、それで催したのかな。そうだとしたらオコボレみたいで正直あまり面白くはないんだけど。いや、スイカラインだの刺客だので、気が立っているのかな。いずれにせよ、土方さんから迫ってくるなんて、滅多にないチャンスだよな。
山崎は背伸びをすると、土方の首に両腕を回した。背中が壁につく。腿の間に土方の膝が割り込んで来たので、片足を便座にかけて持ち上げ、もっと奥へと誘った。時間がもったいないとばかりに、やや乱暴に山崎の下履きを脱がし下腹部をなぞる。思わず声があがりかけるところで、再び唇を重ねることで封じられた。舌を絡めながら花芯を抉られ、性急に追い立てられる。
やがて唇の合わせ目だけでなく、下の口からもくちゅくちゅという濡れた音がし始めた。腰が抜けてへたり込みそうになっている体は、壁と土方の身体に挟まれる形で辛うじて支えられている。
「ゆっくり慣らしてたら、時間足りねぇな。ちと痛いかもしれねぇが、堪えろや」
いつの間にか土方も着物の前をはだけて、下着を脱ぎ落としたらしい。全身を甘くとろかしている蜜壺の口に、熱い塊が擦りつけられる。互いの体液を混ぜ合わせてぬめりながら、重なりあう瞬間を焦がれていた。
女にしては長身の山崎だが、土方が相手ではこれぐらいでないと、この形で繋がるのは無理だったろう。クスリが効き難かったのか、伊東と違って、男の時と体格が(バストも含めて)あまり変わってないのが不満だったが、こういう時は便利かもしれないな、と山崎は自嘲した。
デコは小柄になり過ぎて、こんな体位は無理……いや、こんな場所でこんな形でつがうなんて、乱暴なことされるの俺ぐらいなんだろうけど。
それでも、そんな扱いでも、求められるのが嬉しい。
「土方さんだったら、痛くてもいい……早く……ショー終わっちゃう」
耐えきれずそう声を洩らして、土方の耳たぶに噛みついた途端に、扉向こうにドカドカと足音が聞こえた。
チッと土方が小さく舌打ちした。
「全く、経費で女房子供だけでなく、愛人まで連れて蝦夷地観光とは、いい御身分だな」
「そのダンナサマは何処に行ったんだか。おかげで仕事はしやすくなったが」
「くっちゃべってないで、早く済ませよ。まったく、イザってときになってションベンチビりそうになるなんて、だらしねぇ」
土方と山崎が顔を見合わせた。お互い声にこそ出さないが、彼らがあのスイカラインの主なのだろうか、と顔に書いてある。限界寸前まで高ぶっていた熱はお互い冷めてしまい、パンツを履いていさえすれば、今すぐにでも飛び出して取り押さえたいところだ。
「けっ。ひとりふたり斬ったことがあるからって、偉そうに。イザというときになってクソ洩らすなよ」
「洩らすかよ。ガキさらうぐらいで大袈裟な」
「そうは言っても、あの鬼の副長の娘なら大手柄だぜ。攘夷志士としても名が上がるってもんだ」
「女は好きにしていいと言ってたけど、どっちも貧乳でそそらねぇよな。副長様にもなったら、女なんかよりどりみどりだろうに」
「美人は見飽きる、ブスは見慣れるってヤツだろ? むしろ、男の方がそそるツラしてるけどな。あの野郎見てると、息子が勃ってしゃあないんだが」
「オマエ程度の剣の腕じゃ、無理だな」
「なぁに、短筒さえありゃ、剣の腕なんて関係ないさ。あのケチ本が短筒を調達してくれりゃあよ」
「バカいえ。射撃の腕だって無いくせに」
ちげぇねぇと笑う声に派手な水しぶきの音が重なり、やがてドヤドヤと出ていく。
数秒、ふたりは抱き合ったまま固まっていた。再び気配が無くなったのを感じると、バッと離れ、服を直す。
「くっそ、攘夷志士だって? 追うぞ」
「うぇっ、パンツ濡れてるっ、気持ち悪ぅ! ああん、こんな中途半端で放り出されるなんてっ! あの野郎、つかまえてギッタンギッタンにしてやらないと気が済まないぃいいいい!」
「論点ちげーだろ」
スパーンと山崎の頭を引っ叩いてから、狭い個室から飛び出す。入れ代わりに用を足そうと入って来た老人が驚いて腰を抜かしていたが、それに構っている暇は無かった。
とりあえず、伊東の無事を確認せねばとペンギンショーのステージへと走る。観客は三々五々と散っていたが、伊東と陽向はベンチにそのまま座っていた。
「ひよ、大丈夫だったか?」
「大丈夫? こちらは特に何もなかったよ。ちょっとだけ異臭騒ぎがあったけど」
「異臭騒ぎ?」
訝しむ土方に向かって、陽向が腕組みをしながら真顔で「うんこめんがいまちた」と断言してみせた。
「うんこめん?」
「うんこのひと」
「ゴリラがどうしたんだ? ひよ、通訳」
「いや、だからショーの終盤で異臭がして、ちょっと観客席がざわついただけだよ。動物の臭いだったから、風にのって届いただけかもしれないけど」
「そうけぇ」
なんだか良く分からないが、ともあれ何事も無かったらそれでいいと、土方は安堵の息を吐く。
「で、護衛の中村三兄弟はどうしたんですか?」
山崎がそう尋ねながら、くるりと周囲を見回した。そういう場に居てこその護衛だろう。
「それが、いつの間にか、姿が見えなくなってね」
「どういうことだ? やはり曲者が出て何かあったのか、それとも護衛の任から逃げ出したのか。ともかく、緊急手配かけてもらおうや」
「それには及ばないよ」
地を這うような重低音で答えたのは、中村兄弟ではなかった。
「あ、くましゃん」
陽向が嬉々として呼びかけた先には、熊のごとき髭面で巨漢のムサ苦しいマッチョマンが立っていた。
「あなたは、京都見廻り組の?」
「熊井と申す。以後の護衛は、我々がお引き受け致す」
見廻り組はここまで手を回していたのかと、伊東と土方は呆れて顔を見合わせた。
「お心づかいはありがたいが、ここまでするのなら、いっそ最初から見廻り組が直接交渉に乗り出すか、せめて護衛をつけてくれれば良かったのに」
「いやいや、たまたま、不逞浪士の一団が蝦夷に入ったという情報がありましてな。私は、それを追っていたのですよ」
不逞浪士の一団と聞いて、初日のホテルに居た団体客が連想されたが、確証は無い。そして、その団体客の中に中村兄弟がいたとしたら? いや、あのホテルは屁本が懇意にしてた筈。だとしたら、それは何を意味しているのか。
「くましゃん」
事態の急変に固まっている土方らを尻目に、人見知りしない陽向が懐っこく熊井に駆け寄った。
目指す母子の姿は、すぐに見つけることができた。
ショーが終わって人がごったがえす刹那を狙って、背後から抱きかかえて連れ去る予定であった。それには刀は要らない。ただ、腕力と度胸だけがあればいい。いざ歩み寄ろうとした瞬間、背後から強い糞臭がした。振り向こうとした瞬間に、首が掴まれた。指先は正確に頸動脈を押さえており、声もあげられなかった。たちまち視界が暗くなり、膝をつく。そして。
気づいたら、真っ暗な中、手足を縛られて転がされていた。足が伸ばせないところをみると、かなり狭い場所らしい。
「んだよ、ひとりしか捕まえられなかったのか」
「臭いがどうしても落ちひんで、気付かれてもうてん。コレさえなけりゃ、三人とも転がしたんやけど」
どこからか声がする。いや、徐々に暗闇に目が慣れてきて、外部からだと分かった。オイルの匂いと空間の具合から、自分が自動車のトランクに押し込められているのだということも。
「ともかく、俺は土方君の護衛として、このクルマに乗って飛行場まで随行するから、オマエは適当になんとかしろ」
「えっ、ちょ、この蝦夷地のド真ん中で置き去りでっか!?」
「いくらその面被ってても、正体バレかねねぇだろ。オトナ共はともかく、あのチビスケは鋭いからな」
「まぁ、そうやろけど……ちょ、ホンマにワイ、歩き!?」
「だって、オマエ乗ると、クルマに匂いが移るし」
「そっ、そんなぁ!」
その悲痛な声にザマァみろと思ったが、その直後にトランク・リッドを外から叩かれた。
「おい、中村さんよ。AかBかは知らねぇが、空港でウチの捜査員に引き渡されるまでは、そこでおとなしくしてろ? 荒くれで鳴らした真選組よか多少紳士的かもしれねぇが、実際んとこ、武装警察としてはこっちの方が古株でね。取り調べはかなりキツいからな。黙秘なんかした日にゃ、生爪剥がされるぐらい序の口だからな。せいぜい、体力温存しておけや」
その口調はあくまでも温かかったが、その内容はとても心休まるものではなかった。
「ただいまーでしゅ」
屯所に帰り着いた副長一家のうち、オトナは玄関にへたり込みそうになっていたが、子供は飛行機で寝て回復したのか、元気な声でそういうと、パタパタと駆けていった。
「おう、ひなちゃん、おかえり」
「ただいまでしゅ、ゴリラしゃん。あ、チャームポイントがでてゆ」
「チャームポイント?」
「ゴリラしゃん、よしにぃにぃどこでしゅか? にぃにぃに、おねがいがあるです」
近藤が、チャームポイントって何のことだろう、それを強調したらお妙さんと俺は結ばれていたのだろうかと真剣に考え込んでいる間に、陽向は全速力で駆け去ってしまった。屯所中を駆け回って、ようやく目当ての人物を見つけると、ポシェットから、あの折り紙を引っ張り出した。ずっと大切にしていたつもりなのだが、いくつかはさすがにクシャクシャになってしまったらしい。
「ひなちゃん、どうしたの、その折り紙」
「えじょのしゅちょーじょで、もらいまちた。ちゅるしゃん、ビョーキしました」
「ビョーキ? 本当だね。治してあげるよ」
吉村は苦笑混じりにそれを引き受けた。確かに自分は監察方の中でも抜きん出て手先が器用なのだが、この子供がそれを知って頼んだとは思えない。だが、もし偶然でなく意図的な人選の結果だとすれば……末恐ろしい。さすが副長と参謀の血を引くサラブレットだとしか言いようがない。
ともあれ一度、その紙を広げる。吉村の視線が、その紙の端に印字された小さな文字に吸い付いた。
「鶴さんだけじゃなくて、他の子も健康診断してあげるね。後で連れて行ってあげるから、あっちで遊んでおいで」
「はーい」
陽向が出て行くや、吉村は片っ端からその折り紙を広げた。何かを確信して、山崎を呼びつける。
「この折り紙、てめぇの目の前で折ったのか?」
「そうだけど? 屁本氏の秘書だって方が。屁本氏に仕えてるのがもったいないぐらい、すっげぇホストみたいな美青年でさぁ」
「そんなヤツの見てくれなんざ、どうでもいい。監察筆頭名乗っておいて、これ見て何も気付かねぇのか。このファクス番号と通信記録、照会して来い」
「はい?」
押し付けられた紙は一見、何の変哲もないファクス広告の保古紙にしか見えない。これのどこか縦読みにでもするのだろうかと、山崎が首を傾げていたら、吉村が苛立たしそうに「送信元の市外局番、ちゃんと見ろ!」と喚いた。
「どうしても我々に尻尾を掴ませなかった屁本だが、美女軍団には敵わなかったようだね。あの男の性癖からして、ドカタ君に迫ると思っていたんだが」
見廻り組の組長、佐々木はそう呟くと、報告書を卓子の上に放り投げた。
土方に迫るようなら、色仕掛けでうまく骨抜きにしてくれるだろうと期待していたのが一の案。まさか、伊東の方が好みだとは思わなかった。屁本のような醜男は、土方ほどの美貌はかえって気後れするのだろうか。
「腹心の平木だけでなく、秘書にも志士との繋がりを隠していたようだから、まさか、俵物商からのファクス営業を装った、攘夷志士との通信を折り紙に使われるとは、屁本も思わなかったろうね」
どうやら、干しアワビいかがですかとか、炒りナマコセールとか、高級昆布入荷しました、等というたわいもない広告に前もって打ち合わせたキーワードを織り込ませて連絡を取っていたらしい。一見すればただの迷惑なファクス広告なので、まさか重要書類とも思わずに折り紙代わりにしたらしい。
だが、北海の俵物商を装いながら、内地からの発信が混ざっていた。偶然それを見咎めた吉村の勘働きによって、その番号から攘夷志士のアジトや関係があった商人が炙り出され、通信記録が動かぬ証拠となった。
「今回も、真選組にしてやられたな。あいつらは適当に泳がせて、屁本が尻尾を出したらこっちで掴むことにしようと思っていたのに」
「こちらでも屁本が護衛を装って、刺客として送り出した志士を生き証人として捉えたやないですか。そいつらの口から、屁本が蝦夷を攘夷志士らの独立国家にするという野望を持っていたことも明らかになった訳ですし。これはこれで、大手柄でしょう」
そう言い募る相手を、佐々木がじろりと見下ろす。確かに、一の案が外れたとしても、動揺した屁本が尻尾を出すだろうと考えたのが、二の案。そこまでは狙い通りだった。
「だが、熊井まで応援に送りだしたというのに、結果としてあいつらにダシ抜かれたことに変わりはないよ。子供連れで相手が油断したとか、陽向嬢が利発な子だったとか、相手がドジだったとか、色々幸運な偶然が重なったとはいえ、だ。それに、上の連中は屁本を庇うことにしたらしいよ」
「へぇ?」
「屁本はまだ使えると思ったんだろう。今回のことは一切不問に付して、中央に呼び戻すそうだ。いや、中央に呼び戻す口実を作るために、今回の出来事を促したのかもしれない。結局、俺らはあいつらを踊らせたつもりでいたが、その俺らも幕府に踊らされたのかもしれないな」
佐々木はそういうと、片手をひらりと振った。
「江戸に戻って、引き続き“任務”に当たれ」
そんなぁ、そろそろ組に帰りたいですぅ、との悲痛な叫びは、土産にと買ってきた木彫りのヒグマを脳天に投げつけられて封じられた。
了
【後書き】昨年秋の、北宮さんの北海道家族旅行を下地にしたオハナシです。一通り書き下ろして08年09月頃には下書き用ブログにアップしていたのですが、校正をするのがズルズル遅れてしまいました。
ちなみに、屁本武揚のモデルは榎本武揚。幕軍を率いて北海道に逃れ、ここで独立しようと函館で抗戦(この戦で土方歳三は戦死)。後に、明治政府にも重臣として取り立てられたという人物です。
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