君は吉野の千本桜


ぽっかりと目を覚ましたときには、とうに夜が明けてた。
寝過ごしたかと慌てて起き上がろうとして、隣に男が居ることに気付く。いや、そもそも自分が日頃寝泊まりしている部屋ではなかった。

「まだ起床には早い時間だよ」

「あ……はい」

声をかけられ、ぽてんと布団の上に倒れ込む。お互い、きちんと夜着を身につけていた。
それもその筈、別にふたりは枕を交した訳ではないし、もともとそういう仲でもなかったからだ。ただ、自分が侘び寝に耐えかねて、なかなか情けをかけてくれない人の代わりに誰かの肌身の温もりが欲しいと、無理を承知で添い寝を頼んだというだけのこと。

「行火が恋しいという季節でもないだろう」

苦笑しながらも、座布団を折り曲げ「僕はこれでいい。君はこっちを使いたまえ」と、枕を差し出してくれた。結局、それは使わずに腕を借りたのだけれども。

「よく寝れたかね」

「あ、はい。おかげさまで」

これだけ深く眠ったのはどれぐらいぶりだろう。以前快眠したのがいつだったか思い出せないぐらい、長いこと捨て置かれ、浅い眠りと悪夢が繰り返すだけの、苦痛に満ちた夜を悶々としていた……その苦しみが嘘のように、昨夜に限ってはよく眠れた。

「僕は眠れなかったがね」

「え?」

「こう、落ち着かないというか」

「あっ、すみません、嫌でしたか? 嫌ですよね、俺なんかに引っ付かれて眠られたら、暑苦しくて」

「そういう訳じゃないんだが」

「じゃあその、俺、イビキでもかきました?」

「いやいや、極めて静かに、気持ち良さそうに眠っていたよ」

「だったら……?」

「なんというか、モヤモヤした気分になってね」

言いにくそうに口を濁す姿を見ていて、その理由に見当がついた。つまり「モヤモヤ」というより「ムラムラ」した気分になったという訳か。

「しかし、だね。憎からず思っている者同士が伴寝をしていれば、そのような気になってしまうのもむべなるかな、ではないかね」

そう言うと、枕にしている腕を巻き込むようにして、抱き寄せて来る。

むべなるかな、ね。そういうものなのだろうかと、ぼんやりと考えていた。それだったら仕方ないかなと一度納得してしまうと、あらためて抵抗する気にもならない。
第一、そういう行為なしで添い寝だけしてくれ、というお願い自体、虫が良過ぎたのかもしれないし。

「それもそうですね。構いませんよ、俺は」

それにまぁ、長い付き合いだし、特に嫌いでもないし。
もちろん、同じ剣道場に通っていたというだけで、同門意識こそあれ、今までそんな対象として見たことなんて一度も無かったのだけれども。

「本当にいいのだね?」

あらためて念を押され、その問いをうっとおしく感じて眉をしかめる。そんなことをわざわざ尋ねなくても、黙って奪ってくれればいいのに。だが、その表情を拒絶と解釈したのか、夜着の衿を押し拡げようとしていた手が止まった。

「その、君がイヤなら、無理にとは言わないのだが」

いつもの自信過剰な口調からは想像もつかない弱々しい声音に、ふと気付く。このひと、もしかしてオンナを抱いたこともないんじゃない? そういえば、局長達がフーゾクだキャバクラだと遊びに行くのを「下品な遊びだ」とか罵っていたっけ。
意外な弱味を知って、思わず口許が弛んだ。
そっと手を取ってやり、自ら衿の奥へと導いてやる。案の定、動揺した男の目が見開かれ、その手が震えたのが胸の上で直接感じられた。

「嫌だなんて、とんでもない」

可愛いひとだな、と唐突に思う。
普段は可愛いの「か」の字も感じさせないというのに。ちょっと遊んでやれ、という悪戯心が沸いた。

「むしろ、長年お慕い申し上げておりましたよ、伊東先生?」

篠原の唇からは、まことしやかな言葉が転がり出ていた。



続く……?

【後書き】自分、本当は「初めての……v」というネタを1本書いたら、2本3本って書くの、ヤなんですよね。自分の中でパラレルってゆーのが、妙に違和感あって。
でも、鴨だったらドーテーソーシツ話、何パターンでも書けそうな気がしてる(←氏ね
もうね、篠原に剥いてもらうがいいよとか、にょた篠原にペニパンで掘られるがいいよとか、そーいう妄想にまみれながら書いた導入部です。続きは、気が向いたら追々。

タイトルは都々逸より。「色香よけれどきが多い」と続く句です。
初出:08年05月17日
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