残 り 香/四


「……ひじかたさ……?」

動きがやんだことを訝って目を開けた瞬間、はっと我に返った。

「……やま……ざき…」

「今、誰の名前を呼びました?」

沖田の喘ぎに、痛み以外のものを与えてやれていると満足していたが、その口から出た名前に裏切られたような気がして、押さえつけていた嗜虐心が頭をもたげていくのを感じる。

「誰だっていいだろうが…っ!」

「……俺よりもあの人に抱かれたかったのは、よーーっく判ってますけどね」

ぐっと深くまで腰を突きこんでやれば、沖田の口から上がるのは先程までの甘い喘ぎではなく、明らかなる苦痛の声。

「分かってンなら……ッ! てめーだって別に、俺が好きで抱いてるわけでもあんめぇだろうし、お互いさまでぃっ! ぅあぁぁっ!!」

悲鳴と同時に山崎の肩に沖田の爪が食い込む。
服越しとはいえ、その痛みに軽く眉を潜めなから、山崎は更に尋ねる。

「俺を挑発した真意が何なのか、いい加減聞かせてくださってもいいんじゃないです? 何故局長じゃなく、俺のところに来たかですよ」

「サイズの違い……というのは冗談だが、もし近藤さんとこんなことになってみなせぇ。あの人のこったから、ゴリラ女追っかけるのをやめて責任とるだなんて言い出しかねねぇだろ。俺ァそいつは困るんだよ。最初に言ったろ。俺ァ土方さん以外は……悦ばせるつもりもなけりゃ、好かれてェとも思ってねぇ。その点、てめぇならそういう心配ねぇからな」

ふい、と顔を背けた沖田の頬に触れ、自分のほうを向かせる。

「だったら薬のせいにして、もっと強請ったらどうです? 初めての癖にえらく淫乱のなのも、全て薬のせいにしてあげますし、好きなだけ溺れて強請っていいんですよ……あんたが望むだけ犯してあげますから」

そう言い放った山崎の表情にぞくりとするのと同時に肉欲に溺れ込みたがっている心理が、痛みに伴って沸き上がってくる。だがそれでも相手が山崎だという意識がそれを押さえ込もうとする。

「てめぇが最中にぐちゃぐちゃしゃべる野暮をしなきゃあ……まだ」

吐き出すように言ってまた顔を背ける。

「……黙っててくれれば、なんです?」

一度、土方の名を呼んで彼と重ねていることが知られているだけに、そうと思い込みたいからとも言えず「てめーのその間抜けな声を聞くと、気がそげるんでい」とだけ答える。

「じゃあ…ご要望にお答えしませんとね……っ!!」

「ご要望っ!? いっ……いだっ……ああっ!」

聞き返すまもなく、ニッと口元に笑みを浮かべた山崎は律動を開始する。
必死で目を閉じて、想い人の姿を思い浮かべようとする沖田だが、現状に圧倒されて、なかなかそれが適わぬままに悲鳴だけが律動に合わせて漏れる。

「ひゃ…ぁぅっ……やだ……っ……やめ…っ」

痛みに耐えきれず、逃げ出そうと体をひねってうつ伏せになった。半分麻痺しかかった下肢を引きずるようにして、腕の力で這い出すが、強引に肩を捕まれて引き戻らされた。

「今度は後ろから突いて欲しいんですか? 初めてだっていうのに大したもんですね、アナタも」

せせら笑うような声をかけられ、四つ這いになっている尻を抱え込まれる。すっかり華開いている蜜壺は、むしろ待ち詫びていたかのように、すんなりとその無体を受け入れていた。

「畜生っ、テメェ、調子に乗りやがってッ」

「俺だって、したくて乱暴にしてる訳じゃないんですよ。女の子の体は優しく扱ってあげたいじゃないですか。でも、そっちが挑発するから」

角度が変わると奥まで届くのか、腹の底にズシンときた。突き込まれるたびに悲鳴が上がる。その声がさらに嗜虐心を煽った。

「人をなぶるのは平気なくせに、自分では打たれ弱いんすね」

後ろから手を回さずとも、垂れ下がった豊満な乳房がゆさゆさと揺れているのが分かる。

「んぅぅぅぅ…っ!!」

深く突きあげられた瞬間、ふわりとまたあの匂いが漂ってくる。

「……ひじ……かた……さん」

耐えられず、沖田の唇がそう名を呼ぶ。

「…………ねぇから、知らねぇから……土方さんしか」

ぐいと腕を掴んで、躰を引き起こされた。
そのまま山崎の胸に背中を預け、自分の体重で更に深くまでソレを受け入れてしまう形になり、また悲鳴を上げる。

「でもね。今あんたを抱いてンのは残念ながら、土方さんじゃぁないんですよ。よく目を開けて、自分が誰に抱かれてるか、見て御覧なさい」

その言葉に瞼を空けた瞬間、飛び込んできた光景に息を呑む。


目の前にあったのは、自分の部屋にあった大きな姿見で……そこには脚を広げさせられた自分が映し出されていた。
白い肌に点々と散らされた赤い花弁、太腿を汚している血液と吹きこぼした蜜、そして山崎を根本まで受け入れて開いた、その場所まで…余すところなく全て。

「ほうら……誰です?」

くすくすという言う声と共に、そのまま下から突き上げられる。

「や……っ 嫌だぁぁぁっっ!!」

頭の中は、土方に情けをかけてもらった山崎への羨望と憎しみとでいっぱいのなのに。
だから少しでも土方と繋がるものが欲しくって、それで山崎を挑発して、逆に自分がいいようにされて……それなのに身体は、更なる悦楽を欲して納まらない。
間違いなく自分が招いてしまったこととはいえ、突きつけられた現実に、無意識のうちに涙が溢れてくる。
土方さんが欲しかっただけなのに。せめて、土方さんの残り香を味わいたかっただけなのに。その影を重ねることすら許されずに。

「……泣くほど、イイんですか?」

揺すりあげながら手を伸ばして指先で陰核を弄ばれる。ひときわ強い刺激に嬌声が上がったのが、他人事のように沖田の耳に届いた。後はただ何も考えられず、突き上げられ揺さぶられるまま、壊れた人形のようにひたすら啼き続けるしかなかった。




痛みを通り越した快楽の果てに感覚がなくなった下腹部だが、その奥に熱が広がったのを感じ、薄れて手放しそうになった意識を、憎悪で引き戻す。

「てめぇ……ぜってぇに殺してやっかんな……畜生ッ……」

ぐたりと畳の上にうつ伏せに倒れこんだまま、怨嗟の言葉を吐く。

「グラマラスな可愛いお嬢さんの据え膳、しかも初物とあらばおいしくいただくのが男というもの……こんなことを聞くのはどうかと思いますけど、女性としての快楽も悪いものではないでしょう?」

しれっとして言い放った山崎は、それでも射精したことで冷静さを取り戻したのか、汗で額に張り付いた沖田の髪を撫でながら、柔らかい口調で問いかける。
本来ならこういう行為の後は、もう少し、甘く優しい言葉をかけあうものなのに。抱かれたことで少しは懐いてくれても良さそうなものを、ここまで露骨に拒絶されると……沖田が自分にこれっぽっちの好意を持ってはいないと知ってはいても、やはり男としてのプライドが些か傷付く。

「うるせぇっ……なにが、快楽なもんか……殺してやる……こんな……畜生、絶対に殺してやる…」

一方の沖田は、当初、放たれた精液の温度と感じていた熱が、次第に腹の奥から全身に広がって行くのを感じ、その不可解な現象に恐怖を感じる。だが、目の前の男にすがることもできずに、それを憎悪に置き換えることで自分を支えようと『殺してやる』と呟き続ける。

山崎はそんな沖田の首筋に触れて体温が上がっていているのを確かめ、この熱さだともうそろそろかと感じ、沖田の中からソレを抜き出す。自分の吐き出したものと、血の混ざったものが、入口からとろりと流れ出してきた。

あぁ、きれいにしてやらないと。なにか拭き取るものは、と部屋の中に視線をめぐらせたその直後、下肢が動かない状態にもかかわらず、沖田は腕の力だけで跳ね起きて、放り出されたままだった刀に飛びついた。

「……さっ、触るなあぁああああっ!」

「もうひどいことはしませんから、それを離して」

鞘を払い、抜き身の刀を握り締めて叫ぶその姿に「おいで」とでも言うように両手を広げて、これ以上なにもしないことを示す。

「……近寄るな、このやろう……触れたら、斬る……! やっぱり嫌いだ。おまえなんか……チクショウッ……」

ぜいぜいと、苦しげに息を吐きながらガタガタと体を震わせて、唯一すがれるもののように刀の柄を握りしめる。
ふるふると首を振って拒むその体が熱でふらついているのを見て取り、ため息をつきながらもう一度時計を見て、脱ぎ捨てられていた沖田の上着を拾い上げると、それを手に近づいていく。

「いいです、もう。嫌いで結構ですよ」

その呟きと同時に沖田の肩に、手にした服を掛けてやると、自分の服だということも一瞬判断できなかったのかそれを払い落とし、朦朧としながらも空気を裂く音とともに、剣を宙に一閃させる。

「寄るなっていうんだよっ! 帰れよっ……顔も見たくねぇっ!!」

「散々犯っといていうのもなんですけど……これ以上は何もしませんよ。だからその手のものは離してください」

「うるさい、帰れ……っ!!」

刀を握りしめたままじりじりと膝でいざるように後じさって距離をとろうとするが、やがて、壁に背が当たろうかという頃合で、力尽きたように、へなへなと崩れ折れる。

「沖田さん……っ」

自分も通った道なのでその反応がどんな状態であるかをすぐに悟って、払い落とした服を掴んで駆け寄った山崎は、素早く握り締めたままの刀を取り上げて、その服で沖田をくるみ込む。

くたっとしているが、名前を呼ばれたことで、朦朧としながらも沖田は薄く目を開けた。





「……ひじかたさん……?」





その口から出た名前に、山崎は一瞬のためらいの後……その口調を思い出して「……ちょっと我慢していろ、総悟」と答える。

そう、あの人はそう呼んでやっていた。姓でも役職でもなく、名で。

「ひじかた……さん……やっと……来てくれたんですかい」

嬉しそうに微笑んだ沖田は、刀の柄を強く握り過ぎてこわばっている指で、土方だと思い込んでいる相手の服の裾をつかもうとして、その手が力無く滑り落ちた。

「静かにしていろ……大丈夫だからな……」

騙していることに罪の意識を感じるが、正体を教えて再び情緒不安定にさせるよりマシだろう。胸の内へと抱き込むと、抱えた沖田の躰が急激に熱くなっていくのを感じる。

「ひじかたさん…… すげぇ……あつくて……意識が……」

「大丈夫だ……居てやるから」

安心させるように髪を撫でると、沖田はふわりと微笑んで何かをつぶやきかける。

「総悟?」
 
そのままスゥっと意識を手放したのか、呼びかけに返事はなかった。それと共に、急激に体温が下がりはじめる。
腕の中の柔らかい感触が変わっていくのを感じて、じっと見つめていると、上着の袷のところから見えていた白い膨らみが徐々に小さくなっていく。

その変化が完全に止まっても、未だ意識を手放したままの沖田の涙の跡が残る頬に口付け、そっと額にも唇を落とす。

「……分かってますよ、なんでアンタが俺のところに来たかなんて……俺はあの人に愛してもらいましたからね。あの人がどう俺を抱いてくれたか、忘れちゃいませんから……同じようにしてやりたかったんですよ、本当は。でも、俺はあの人と過ごした時間の長さじゃ勝てないから……その分、あがいてあがいて、やっと与えてもらえるようになったのに、アンタはこともなげに横から来て、かっ攫ってく。それが悔しくって、ついカッとして、やりすぎました……」

もみ合った際に蹴飛ばしていたらしい座布団を引き寄せてそれを枕に沖田を横たえた。何か拭き取るのに使えそうなものを探すと、同じように転がっていた飲みさしの水のボトルがあったので、その水で湿らせた紙で沖田の躰に付着した汚れを拭き取っていく。
それでもまだ意識が戻る気配はないので、箪笥から出してきた着物を着せて、敷き延べた布団の上に改めて横たえてやると「ん……」と、かすかな声を上げる。
目覚めたのかと様子を伺うが、そんな気配はない。

「おやすみなさい」

今一度額に口付けて、山崎は立ち上がった。





翌朝。沖田は今にも鼻唄を歌い出しそうな軽やかな足取りで渡り廊下を歩いていた。空も抜けたように青くて爽やかだ。

「ひっじかたさァン、おッはようごぜいます」

目当ての人物を見付けて、子犬が飛び付くように抱きつく。

「うぉう、総悟ォ!!?」

徹夜明けで頭が朦朧としていた土方だったが、いきなりの『攻撃』に、一気に目が醒めた。どうした風の吹き回しかとギョッとして振り払おうとするが、沖田の握力・腕力はスッポンもびっくりで、ビクともしない。

「あ……何か悪いもんでも食ったか? それとも何かイイコトでもあったか?」

いかにも気持ちワルイという表情を浮かべながらも、機嫌をとるようにさらさらした髪を撫でながら、そう尋ねる。

「やっだなぁ、土方さんもわざわざ聞くなんざ、人が悪いや。昨夜はあんなに優しくしてくれたじゃねいですかイ」

「昨夜ァ?」

「すっとぼけやがって。照れるこたぁねぇ、収まるべきものが、収まるところに収まっただけでさぁ」

「は?」

「土方さん、俺が眠ってると思って、デコにチューしてくれたでやんしょう。いやぁ、隅におけねぇや。せっかくだから、朝まで居てくれてても良かったってぇのに……もしかしてツンデレですか、これが今流行のツンデレってぇやつですか。つか、むしろツンデレ気取りですか、コンチクショー! 心憎いねぇ」

「待て……待て待て待て待て待て」

土方が、なおもベラベラ喋ろうとする沖田の目の前に片手を立てて、遮った。

「昨夜? 俺ァ、昨日の夜はおめぇの部屋になんざ行ってねぇぞ。一晩、局長室で書類とにらめっこしてたんだ。おめぇの姿を見掛けたのは、夕飯の食堂が最後だ」

「え? そんな訳ねぇ。最後に土方さんが来てくれて、抱いててくれたってぇのに」

唖然としている沖田を見下ろしながら、土方も何かに思い当たったようだ。

「そういやぁ、胸の腫れが引いてんな。あらぁ、元に戻るときも相当キツいらしいからな。熱でうなされたんじゃねぇのか?」

「まさか」

「まあ、これに懲りたら、外法のクスリでやんちゃしようなんて、思わないこった」

ぽんぽんと背を叩きながら優しくいい聞かせるが、沖田の顔付きはそれに応えるどころか、徐々に険しくなっていった。

「まさか、まさか、まさか……アノヤロウ」

確かにちょっと、らしくねぇとは思ったんだ。むしろ、いつもの土方さんはぜってぇに言わないだろうけど、ずっとそう言って貰いたかった……という感じの台詞で。
そのぬくもりが心地良ければ心地良いほど、反比例するように、騙されたことへの憤りが膨れ上がった。人の身体を陵辱しただけでなく、恋心まで弄んだなんて、許せねぇ。アノヤロウ、切り刻んでナマスにしてやる。

「チッ……チクショウッ! あんのバカ犬ぅうううう!」

喚きながら、いきなり抜刀した。
その勢いで渡り廊下の柱に剣先が触れると、どれだけの怪力で振り回しているものやら、硬い筈の桧の柱がバサッと両断される。
バカ犬? ザキのやつ、何かやらかしたんだろうか。沖田の身体が変化して腕力が落ちているのに乗じて、日頃の意趣返しでもしたんだろうか。

そうとしか思えない。
腕力が落ちても総悟なら自衛できるだろうと思って放っておいたのは、間違いだったのだろうか。ただでさえ打たれ弱いっていうのに。
多少仕事の邪魔になっても、手元に置いておくべきだったか。だが、済んだ事を悔やんでも始まらない。

「総悟、落ち着け」

あの勢いで人間に斬りつけたら、確実に首ぐらい斬り落とす。いや、胴体ですら一の太刀で、あっさりとまっぷたつにするに違いない。
凄まじい剣圧を感じて、土方も脊髄反射的に鞘を払っていた。

「邪魔するなイッ!」

鍔競り合いになって動きが封じられるのを嫌ったのか、沖田が半歩後ろに引いて、威嚇するように殊更大きく白刃を振り回した。さらにバサッバサッと分厚い雨戸やら、金属飾りを巻いた鴨居やらに切っ先が触れる。
通常なら、そこで刀が建具に食い込んで動けなくなるものだが、菊一文字はそれらを、まるで豆腐か何かのようにぐずぐずに切り刻んでいた。

「そもそも、アンタが悪いんだ。アンタが来てくれなかったからいけねぇんだ……アンタが構ってくんねぇから」

「は? いいから、落ち着け……てめぇ、瞳孔開いてんぞ」

そこに間の悪いことに、大量のファイルを抱えた山崎が「副長ぉー……ファクス送信してきやしたよぉ。これ、原本も送るんすかぁ?」などと言いながら、ぺたぺたと廊下を歩いてきた。

昨夜、沖田の部屋から副長室に戻った山崎は、まだ土方が戻ってきていないことを不審がったが、さすがにあれだけ激しく『運動』すれば体力が限界で、畳んだまま部屋の隅に積まれていた土方の布団に倒れ込んで、そのまま寝入ってしまった。明け方になって煙草を切らしたからと、取りに戻ってきた土方に発見されて「なにひとの布団でぐーすか寝てるんだ」と蹴り起こされ、ついでにこいつをファクスして来いと、仕事を押し付けられたというわけだ。

「山崎ッ、逃げろッ!」

「へっ……?」

「うるぁあああああああっ!」

振り向きざま、沖田の剣が円弧を描く。一閃しただけのように見える剣筋だったが、書類の束がシュレッダーにかかったように、細切れになった。

「げぇっ……! 三段突きィ!?」

目にも止まらぬ畳み掛けるような剣筋は、三段なんてものじゃない。反射的にのけぞって身をかわせたのは、監察ならではの身のこなしの軽さのおかげだろう。それでも服の胸元には幾条かの切れ込みが入ったし、髪の毛も数筋か、はらりと斬られて舞った。

「ち。仕留め損なったぜイ」

「じょっ……冗談でしょう!」

背を向けて逃げようとすれば、そこに斬り付けられたろう。逆に、もう一尺でも間合いがあれば、仕込み武器でも抜いて応戦できたかもしれないが、あいにく山崎は完全に、沖田の剣先の届く範囲に踏み込んでしまっていた。迂闊にも程があるという説もあるが、もともと、沖田の菊一文字はすらりとした長物で、間合いが通常のものよりも若干、長い。
ぴたりと正眼に構えられたまま相対した、息詰まるような数拍後、総悟が剣を握り直した。次の爆発に備えて、気を溜めるように軽く身を引いたその一瞬の隙に、山崎は後方に跳んだ。
土方もそのタイミングを見計らったように、後ろから沖田を抱え込んで右手首を掴む。

「総悟ッ……!」

そこから先は、何も見えなかったし、聞こえなかった。
ただ、山崎は死に物狂いで中庭に飛び降り、塀を乗り越えていた。当分は屯所に戻らない方がいいというか……戻れねぇやと思いながら。





その日は、局長室に幹部が雁首揃えて、沖田が刻んだ書類をセロテープで復元をするハメになった。近藤は徹夜明けにこの災難を聞いて、完全に涙目状態だ。

「とりあえず、ファクス送信だけでもしてて良かったと考えようぜ。原本の提出の締め切りも、夕方までに延ばしてもらったんだから、こいつを貼ってバイク便飛ばしゃあ、なんとかなる」

張本人とも言える山崎は逃亡、実行犯の沖田も神経が高ぶっていたので医務室に放り込んで、鎮静剤を打ってもらって寝かせている状態だったから、土方が代わりに頭を下げて、永倉や井上等、他の幹部らにも手伝ってくれるように頼み込んだのだ。

黙々と作業をしていると、ふと、原田が尻ポケットの震動を感じて「ちと、電話……」と呟き立ち上がった。皆、自分の作業に没頭していて、視線を上げようともしない。
廊下に出て携帯電話を引っ張り出すと、ディスプレイ表示は『番号通知不可能』になっていた。あれ、非通知設定してなかったっけか、俺。通知不可能ってことは公衆電話かコレクトコールか……耳に当てるとまず、プーッという電子音が微かに聞こえた。

「もしもし? ザキか?」

「今、10円しかないから、用件だけ言うぜ。ほとぼりが醒めるまで、屯所に戻らねぇで潜入捜査でもしとくわ。今、蛤御門の辺りにいるから、俺の携帯と財布、持ってき……」

そこで、プツッ……ツーツーツーと、通話が切れる。
名乗りはしなかったが、山崎に違いないことは声で知れた。多分、土方に連絡すれば、すぐに沖田に嗅ぎ付けられると考えて、あえて原田に依頼したのだろう。いや、単に土方が番号非通知を着信拒否していたので、消去法的にこちらに掛けたのかもしれないが。

「ちょっと、急用が出来たから、でかけてくらぁ」

10円しかないということは……どっかで10円拾って電話を掛けてきたのだろうか。財布も携帯もない……というよりも、そもそも裸足だったかもしれないな。靴と着替えも持って行ってやるか。手間のかかるやつめ。

「お早いお帰り……頼むわ」

土方だけが、視線をあげてそう声をかけた。
頼むわ、が「山崎のことを頼むわ」なのか、「頼むから早く帰ってこい」の意なのかは、原田には分からなかったが、あえて確認することもしなかった。


(了)

【後書き】素女丹シリーズ。なにげなく私が沖田で始めて遊んだチャットログを、北宮さんがリライト、さらに加筆訂正して私が仕上げた形です。
この話、総悟がひたすら報われずに可哀想なので『沖田救済の話を書いてやれよ』と言いつつ、一向に手が進まないふたりだったりします(苦笑)。
本館初出:07年08月22日
別館再録:08年07月01日
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